鐘背負い(3)
湿り気を帯びる生臭い息が重く圧し掛かる。闇の濃霧が鉛に変じ、上から押し付けられている。
錯覚だ。気を張らなければ、本当に肺が固まり溺れてしまいそうな恐怖。
苦しい。進む一歩が異様に重い。
俺達は参道と思しき道を辿り、冷たい石階段の前に居た。
鐘の音は依然鳴り響く。音量は最高潮、すぐ上が音の発生源であるからだ。
「拍子抜けするぐらい……何も無かったわね」
緊張でひりつく道行だったが、魔導隊は全くの無傷である。市街では不死軍や騎士蜂の姿は無く、廃寺に近づくが鐘背負いの手先の気配は無い。
一つ目の怪異はモールで殺しきったのだろうか?
疑問に対し安直な結末を期待するが、冷めた心で直感する。“ありえない”と。
「ボクらの戦術は変わらない。魔力攻撃主体で鐘背負いの攻略を試みる。分が悪ければ即時反転、退却すること。なに、次こそは鋼城を引っ張りだして攻めればいい。今回は威力偵察みたいなものだ」
「ああ。切り込み役は俺で」
「ちょっと先陣はアタシよ。七郎は璃音と愛魚ちゃんを守るの」
悔しいが攻撃力は虎郎が上、素直に従うことにする。
俺がいま手に握るのは打撃用の警棒でなく、獣牙種の戦士に借り受けた剣。片刃で、幅広の刃は緩やかに反りながらも鋭い。
魔力を流せば抵抗なく沁み込んで黒に変色していった。さすがは異世界の金属製、魔力が浸透しやすい。
“ごぉーーーーーーーん”
頭蓋を揺らす重低音。石階段を昇るごとに圧が増す。
石段が途切れ視界が開けた。そこには異様を放つ寺の庭。
繰り返し、繰り返し、嘲るように鐘が鳴る。
不思議と寺の敷地内は薄っすらと明るい。これも魔力によるものだろうか? おかげで寺の様相が浮き上がる。
正面にあるのは崩れた本殿、柱や壁が無残にひしゃげ、長年人の管理が無い事が伺えた。
「(でもこれじゃない)」
古い廃墟からはまったく圧を感じない。むしろ漂う魔力により、今にも押しつぶされんとする脆い存在。
異常な圧力は廃墟を前に右手側。傷ひとつない、荒ぶる釣鐘を納めた鐘突き堂。
揺れる、震える。
ひとりでに動く梵鐘が、撞木も要さず打ち鳴らされる。
轟音と化した鉄打の衝撃、それは大怪異の嗤い声。狂え落ちろと、悪逆に嗤う大入道。
地鳴りと地割れ!
土埃の底から見上げる体躯と見下ろす単眼。
「いい加減……嗤うのをやめろ化け物め」
――E e˝ッ エェッ エ˝ッ エ˝eeeeeeeeeee
燃える敵意を得物に込めて、俺達4人は“鐘背負い”と対峙した。
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これなる香りは如何なる馳走か。焼けるような精気に満ちた、臓物が跳びあがる程の美味なる気配。
鼻頭をくすぐる臭いから、朧げに何時かの虫と気づく。
いじらしいかな、脂の乗った肉と変じ、向こうから己に食われに来よった。虫の精気を喰らえれば、己は天上へ挑む明王と成らん。
見ているぞ、己を見下すその眼。穢し殺めてくれようぞ。
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璃音と愛魚は“鐘背負い”から距離を取る。先鋒は虎郎、愛剣に魔力を込め巨躯へ肉薄する。
とはいえ人と同じ高さにあるのは足のくるぶし、一見絶望的なサイズ差であった。
「とぉりゃああああっ」
虎郎は黒の光跡を引き、横に一閃。斬撃は大怪異の肉を裂く。
単眼を歪ませた鐘背負いの踏みつけが降る。重ねてひと踏み、またひと踏み。巨躯による地団駄は一挙動が破壊的である。身体強化により残像を生む速度で避ける虎郎も油断できたものではない。
踏み降ろしの衝撃と飛び散る石くれは、強化された体表面ごしでも衝撃を伝えた。
足をモロに喰らえば無論即死である。
必死の虎郎を助けたのは愛魚の一矢。鐘背負いの眼球を目掛け放たれた矢は、狙いを違わず突き刺さる。
――ヌウっ!?
動揺を見せた鐘背負いは、指の腹で目をひと撫で。矢は除かれ血も流れない。
「いいわよ愛魚ちゃん!」
ヤツは下から視線を外した。今だっ。
「行くぞ虎郎っ」
「ええ!」
足に魔力を集中し跳びあがる。狙いは膝っ。
「ッ!!」
借り物の剣は、長年の相棒のように手になじむ。鋭い一振りが狙い通りに骨まで割った感触。
巨躯は片足の力を失い膝を着く。その眼前には剣を暗く光らせる虎郎の姿。長身がしなやかに力を貯めていた。
「斬波ぁぁぁぁぁっ!」
魔力の飛刃は大岩をも割る弧となり、鐘背負いの頭を斬った。目玉と頭蓋は見事左右に泣き別れ。
悲鳴も上げず巨躯の動きは止まる。
「やったわっ! さっすがアタシたち! パーフェクトッ。お得意の魔法を使う暇も無かったわねっ」
技の反動で巨躯から離れ、自由落下する虎郎は喜びの声を上げる。晴れ晴れしい笑顔だ。
彼女の笑顔につられなんとなしに場違いな、戦いから離れた記憶が浮かぶ。
虎郎の“斬波”、技の名づけは多少揉めたなぁ、と。璃音は最後まで「ダークスラッシュにしよう」と粘っていた。
「(璃音はそういう名前を付けたがるから)」
俺も嫌いじゃないけど。
そんな気の抜けた考えが浮かぶほどに勝利を確信させる状況だった。魔力による物理攻撃力の上昇で無く、魔力を纏い魔力そのものを刃とする攻撃。
この技は鐘背負いの肉体を裂くに至った。しかも頭だ、間違いなく殺した。
例え魔力で形を成そうとも、結局は血と肉を魔力で補う生き物なのだ。頭を2等分されては再生できるはずが無い。
「逃げろ虎郎! 七郎!」
はずが、ない。
璃音の叫びで我に返れば、巨大な掌が逆さに合掌。ふわりと巨躯が重さを失い、断ち切れた膝が伸ばされ繋がる。
同時に“ぐちん”と奇妙な音が鳴り響き、割れた頭がきれいに癒着。
――ゲェェェっっゲェっゲェ!!!!
大口を開け、汚い嘲笑をまき散らす。
金剛力士像のような両腕が振り上げられ――、醜くも凄まじい、破滅的な殴打の雨が始まった。