鐘背負い(1)
――なんなんだよこの音っ
――おいっ! コッチに水が配られないぞ
――いやぁぁ、誰か鐘の音止てぇぇっ
「お、落ち着いてくださいっ。いま順番に食べ物を配ってますっ」
「……まずいね、半分パニックだ」
愛魚が避難者を宥め、璃音は悩まし気にその光景を眺めている。
俺も頭の芯に響くような音に意識を乱されていた。
この鐘の音は間違いない、ヤツだ、鐘背負いだ。あの不愉快極まりない大怪異がついに現れたらしい。
姿を消していたヤツがここにきて暴れ始めたのは、やはり先ぶれを屠ったのが原因だろう。
ついに対決の時が来たのだ。
「……鐘背負いを倒しに行こう」
「もうそれしかないわよね。幸い場所もすぐわかるワケだし」
「これだけ大音量なら、居場所を辿るにも迷うことは無い。だがね、解ってると思うが……危険だよ?」
「これじゃ音のせいで内部崩壊待ったなしよ。アタシは七郎に賛成」
「でもね、見た所あの鐘の音でイラついてるのはボク達だけじゃない。魔犬なんかの小者も混乱してるみたいだ。普段なら拠点近くの区域には近づかないんだけど……半狂乱で区域内に侵入する個体がちらほら居る。迷い込むと何故か活動量が落ちてるけど油断できないよ」
「セギン達に防衛を頼みましょ。鐘背負いは……素早く動けるアタシ達魔導隊5人で倒すほかないわ。ここはアタシ達の世界、命張るならこの世界の人間てのがスジでしょう?」
「はぁー……、獣牙種の魔法火力は欲しい所だけど……なにかあった時の為に防衛戦力は多いほうがいいか。それに鐘背負いは、確証は無いけど日本由来の魔物とみた。なにか弱点があればボクら日本人の方が気づける可能性がある。虎郎の案に従うよ」
そういえば……鋼城はどこだ?
「鋼城は?」
「シクルナ嬢の所だろう。七郎、悪いけど呼んできてくれないかい?」
そうしよう。さて――
暗い通路を迷いなく進む。もはや勝手知ったるもの、明かりが無くとも目的の部屋にたどり着く。
ここは鉄工所の元事務室にあたる一室だ。室内は広く、無数にあった事務用備品は片づけられている。
現在はもっぱらシクルナ・サタナクロンの私室扱いとなっていた。シクルナやロームモンドのみを特別扱いするのはどうかと思うが、彼女らが異世界で地位のある人物なのも確か。政治的な配慮も必要であると、璃音も含め渋々納得している。
異世界と日本の友好関係は結ばれたばかり。余計な亀裂を生む危険性は、表向きには政治に関わらない俺達でも理解することが出来た。
「(こんな状況で、配慮も何もあったものじゃないと思うけどなぁ)」
ドアガラスから透けるランプのお陰で、部屋の主が在室であることは見て取れる。
なんと声をかけて入ろうものかと悩んでいると、不意にドアが開く。
目当ての鋼城であった。
「っ……墨谷」
「鋼城! ちょうど良かった。うるさい鐘の音を止めに行こうとみんなで話してて……力を貸してほしい」
「…………」
「……鋼城?」
「……オレは必要ないだろ」
必要ない……? そんなワケないだろう。
挑もうとしてるのは鐘背負い。重力を操る、過去に相対した敵の中では最強格の相手だ。それに今回は拠点の防衛の為、セギン達の援護も無い予定。
魔導隊だけで挑まなければならない。5人全員の連携は絶対に必要になる。
「これから話そうと思ってたんだが、今回は魔導隊だけで戦う作戦なんだ。鐘の音で興奮した魔物から拠点を守るのに獣牙種達の力が要る。動かせるのは最低限の人数……俺達が適任なんだよ」
「……聞いたよ……モールで出くわした怪異を4人で倒したそうじゃないか」
「あ、ああ。虎郎のお陰だ。やっぱりスゴいぞ魔力の斬撃は! 一つ目の手下を一撃で吹き飛ばしたんだ。これなら鐘背負いとも戦える。いつか俺も――」
「なんでだ? どうやったらほんの2日程度でそんなコトが出来るようになるんだよ? オレを……からかってるのか? っ、そうか、オレがずっと中に居るからって当てつけにきたんだな」
……? 2日って、なんだ? 俺達はもう何日も何日も……戦い続けて……それで強くなったんだ。
「短い間で急に魔力量が成長したってワケか……まるで魔物みたいに」
「俺達は此処を守るために必死だったんだ。虎郎だけじゃない、愛魚ちゃんだって矢に魔力を込めて放てるようになった。ダンが魔力の扱いに詳しくて、彼から矢に魔力を込めるコツを教わってたんだよ」
「ま、愛魚ちゃんが……オークに」
「獣牙種――?」
嫌悪の混ざる声。発したのは鋼城ではない。
部屋の奥に居た少女のものだ。
「オークと一緒に過ごしたのマナってひと? ありえないっ……汚らしい、信じられない!」
「シクルナ……サタナクロン」
高級そうな服で着飾ったシクルナがきつく睨んでくる。少女はカツヤの背に半分隠れながら、手を口元にあて汚れ物を見るように目を見開いた。
「名まえを気安く呼ぶなんて失礼ね! あなたはカツヤとは大違いっ、オークなんかと一緒に居るなんて……。まあっそうよ、きっとビョーキがうつるわ。此処へは来ないでちょうだい」
「……鋼城に話があってきたんだよ」
「カツヤを連れて行くんでしょ!? ダメよっユルサナイわ。さっさと帰って。さもないと後でお父様に言いつけてやるんだからっ。あなたの名まえは覚えたんだからスミタニシチロン」
七郎だけど……。カツヤ以外は本当にどうでもいいらしいな。
「もーーなんなのよ。さっきもあのマリアとかいう子が来て、変なコトばかり言ってたのに。なにが“マドウタイは5人一緒じゃなきゃダメ。カツヤを行かせてあげて”、よ。あの子の指図なんか受けない。ちょっと運よく夢の話が役に立ったからって、調子に乗って……」
「真理愛が? 5人じゃなきゃだめって……?」
「あの子に聞いてちょうだい。……カツヤ……オークと一緒に居るマナなんか気にすることないわ。わたし……こわいの。ちゃんと守ってくれなきゃいやよ」
「……そういうことだから墨谷、オレは拠点とシクルナちゃんを守らなきゃなんだ」
そう言って鋼城は部屋の扉を閉めた。残されたのは呆然とする俺だけ。
そ、そんな……それだけか……? 俺達、ずっと5人で頑張ってきたじゃないか。
「おい――鋼城」
「そこで何をしている。まさか、シクルナ様に良からぬ事を? ここに入ってよいのはワタクシめと鋼城勝也だけです、お引き取りなさい」
殆ど話も出来ないまま、有無も言わさずロームモンドに追い返されてしまう。
1年以上生死を共にした仲間が、急に遠く離れたように感じる。
「あの……大丈夫ですか?」
「しちろうくん、やっぱりかつやさん来れないんだ」
璃音達の元へ帰ろうとする途中、真理愛と付き添う二葉幽香とばったり出会う。偶然というよりは、真理愛がこうなることを予期して顔を見せてくれたのだろう。
“5人じゃないとダメ“とはどういう意味なのか。彼女はどんな未来を見たのか。
「……真理愛も行く。そうすればきっと変えられる! 私も一緒に戦う!!」
「何を言ってるの!? そんなこと許しませんっ」
「だって――」
少女の言葉を待ちながら、心のどこかで予感する。
誰一人欠けてもたどり着けなかった最善の現在。いつか突きつけられる最悪の未来。
「ひとり、帰ってこれなくなる」
ついに運命は、致命的な犠牲を求め始めた。




