修道女へ迫る指先(2)
「あらためまして」
目前にいる、極上の女が口を開く。
「この魔が深き場所にて、神の導きに縋っております」
―― シルヴィア、と申します。
ライルの脳に直接染みるような声で女は名乗った。
「ほお……。これはこれは」
すでにライルの頭には、自分を待たせたことへの怒りなど無い。
シルヴィアの体の線を無遠慮に見るライルの表情から、彼が何を考えているかはおおよそ知れようというものだ。
――竜子さん。困りますって
――やかましい。異世界からの客ってヤツの顔を確かめに来ただけだよ。気にしなさんな
――気にしないってのは無茶ですよ
電話で席を外していた役職者が、老女と何か話をしている。
ライルは、自分が無意識に立ち上がっていたことに気づく。
シスターシルヴィアが目に入った瞬間に体が動いていたようだ。再び椅子に腰を下ろしたところで、白捨山義瑠土の役職者が場を仕切り直す。
「大変お待たせして申し訳ない。はるばる異世界からいらしたライル様のお話を、ぜひ伺わせていただきたい」
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広い一室の中央に置かれた大きなテーブル、これを囲むように席に着いた。
シルヴィアは車椅子のままテーブルへ移動する。位置はライルの正面。
シルヴィアの乗る車椅子は、手も触れずひとりでに車輪が回り動く。魔力によって操作しているのだ。
「では今後、ライル様にご指導いただきたい魔法技術についてですが――」
この表向き監査としている来訪。
今後の予定についての説明があるも、ライルは耳に入れていない。
澄まし顔で椅子に座り、口角をあげ気色悪くニヤついていた。
その様子を見ていた守宮竜子は、ため息をひとつ。
「(こいつはダメだね)」
噂を聞いてから、長らく頭の隅にあった異世界人の来訪。
霊園山の上役には、いろいろあって顔が利く。無理を言ってこの場に割り込ませてもらったわけだ。
「(嫌なツラだよ、まったく)」
竜子は若い時分から今にかけて、様々な人間を見てきた女性だ。
人を守る正義漢、人助けに意味を見出す世話焼き、人を癒す心根と技を持つ救い手。
逆に人を傷つける悪漢、人を陥れる詐欺師、他者を踏み台としか考えないエゴの塊。
つまり、人それぞれが持つ価値に触れた。
今日は文字通り異世界から訪れる存在を拝みに来たつもりだった。
なんてことはない。
世界が違うことなど関係なく、結局この男も人間。
それも、竜子をして顔を顰めたくなるような人物。
「(なにかこの男が、よからぬことを持ち込まなきゃいいが……)」
自分は霊園山で顔は利くが、采配を振るえる立場にはない。
竜子は思いを巡らせながら茶を啜る。
―― だが竜子の悪い気がかりは、猶予を待たず現実となる
「もう結構」
「ですので明日から…………結構?」
説明を止める義瑠土上役。
「もう説明は結構。監査として指摘すべきモノはこちらで判断します。あなた方は、このライル・サプライが欲しいと言ったものを用意すればいい」
あまりの言に、ライル以外の着席者は目が点となる。
……いや、シスターだけは表情を変えない。
さらにライルは続ける。
「霊園山にはしばらく滞在する。質のいい宿の選定は任せます。霊園山の人手を使うときはオノ……?……、世話役の男から、伝えさせるようにしよう」
小野道は顔を青くしながら、ライルと義瑠土上役の顔を交互に行ったり来たり。百面相のようだ。
伝えたいことを伝え満足したのだろう。ライルはおもむろに立ち上がり歩き始める。
部屋の出口に向かうのかと思ったが、行先は異なり、テーブルの端で折り返す。立ち止まったのは、車椅子の修道女の眼前だった。
「……なにか?」
静かな笑みを保ったまま、シルヴィアがライルへ問う。
「その修道服、服の紋章は掠れてるが……ノルン神教の紋章。オマエこっちの女だな」
”こっち”。
それはライルの立場で見れば、異世界であるウィレミニア三国同盟のことであろうか。
ライルはシスターの着る修道服を指差し、そのまま指は明らかにシスターの体に触れ、彼女の首筋、胸の湾曲と、体の曲線に沿い始める。
さらにライルは上体を少し屈めながら、体に触れる指を徐々に下へ這わせ始めた。
「おい!! なにをしとるかぁ!」
あまりに不埒で常識外な男の行動に空気が凍る室内。最初に咎める声を上げたのは竜子だ。
声を荒げながら竜子が腰を浮かせたところで、席を立つ男がひとり。
小野道だ。
さすがに看過できないライルの行動を、諫めるために立ったのだ。
竜子と義瑠土上役は、自身の常識に沿い反射的に考える。
だが小野道はライルとシスターでなく、竜子と上役の前に立ちはだかった。
「あ、はは、ま、まあまあ。これは必要なことなんですよ…。落ち着いて」
”あれ”の何が必要なのか!?
人間の根性が曲がりきると、ここまで堕ちきれるのか!?
竜子は、火を上げんばかりの怒りでどうにかなりそうだ。
その間にもライルの手は止まらない。すでにシルヴィアの顔からは笑顔が消えた。
口を結んだ無表情のまま、目線はライルの手の動きを追う。
「なぜノルン神教の信徒が日本のこんな場所にいるのか。どうやってココに来たのか。ゆっくり教えてもらう必要がありそうですね……!」
ライルは疑念を責具として言葉を続け、手を彼女の太ももへ置く。
「しかし! 我がサプライ家はノルン神教内で大きな権力を持っています」
そしておぞましいことに、
「帰れない理由があるなら、このライルが口添えしても……ッ、いいっ」
欲望と悪意が満ちる脅迫まがいの言葉の終わりに、ライルはシルヴィアの膝に手を掛け、あろうことか閉じた足を開かせたのだ。
抵抗を含んだ足の力は、欲に溺れた男の力でねじ伏せられる。
「…………」
シルヴィアは無表情ながら目線だけ上へ寄越し、ライルの下卑た顔を見続ける。
修道服のスカートに入る目立たないスリットから、彼女の開いた足がこぼれた。
「……何だこれは」
その肌を見たライルは一歩後ずさる。
火傷だ。
シルヴィアの足の肌は、大きな火傷痕で無残な有様であった。
この火傷で肌が引きつり、彼女は満足に歩行ができない体なのだ。
「あんた……!女性になんてことをッッ」
この時点で我慢の限界を迎えたのは義瑠土上役の男。小野道を押さえ、ライルを止める為に押し通ろうとする。
しかし小野道が顔を下に向けたまま食い下がった。
「だめっだめですっっ。あのひと! 偉いひとでっ、だからっ」
もう小野道の頭は、処理できない状況に動きを止めた。
眼前の行為における善悪の判断より、自分本位な野望の成就を優先させる心が、彼を愚行に走らせる。
「いい加減にしろ!」
上役の男が小野道の胸倉をつかみ持ち上げた。足が床から離れる。
「い゛ぃぃー! いやぁぁだっ。助けっ」
小野道は情けない声を上げ、混乱のまま足がばたつく。顔を真っ赤に染め鼻水を飛ばす。
邪魔な小野道が宙に浮き、竜子がライルとシルヴィアの間に立ちはだかり、杖の先をライルに差し向けた。
竜子は杖を突きだしたまま、ライルを鋭い形相でにらみつける。
「ッ……ふん。興が削がれました。」
先ほどまでふてぶてしくいたライルも、盾となる人間が居なければ、老女の威圧にさえ後ずさるをえない男であった。
「……なにか指示を出したらすぐに対応しなさい!」
――醜い肌だ
小さく呟き、ライルは部屋を後にする。
自分を一瞥もしないライルに小野道は、一瞬虚脱の顔を浮かべたが、上役の男の手から解放されるとすぐにライルの後を追った。
「――おお。怖かったろうに。ケガは無いか?」
今は、いつもの威勢は鳴りを潜め。
竜子は慰める言葉を掛けながら、密かに孫のように思う修道女を労わる。
「何も心配はございません。ありがとうございます」
シスターシルヴィアの顔に、また静かな笑みが戻る。
――なんだアレは!? 霊園山義瑠土として、上に断固抗議させてもらう!
自身の背中で憤る男の声を聴きながら、もう一度シルヴィアの顔を見る竜子。
その目の奥は、何かを堪えているように見える。
悪意を持つ男の手が迫ったのだ。当然、恐怖に耐えて……。
「(では無い……?)」
竜子はシルヴィアの瞳の奥に揺らぐものが、恐怖でないことを感じる。
それが何なのかは竜子にもわからなかった。
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