地図と救出(1)
目が覚めたばかりであろう真理愛は、足元もおぼつかない様子。
すぐに保護者女性が走ってくる。
「すみません! 目を離した隙に起きたみたいで……」
「そういえば……市街に入る前、近くの孤児院から来たって」
魔物の襲撃に追われて、近くに彼女らの家があったことを忘れていた。どちらにせよ、魔犬や小鬼の包囲のせいで家に戻ることは出来なかっただろうが……。
「私達は、市街から外れたところにある孤児院……聖バーナード養護院で暮らしていました。そういえば、やだ私ったら。助けてくださったのにお名前も伺っていませんでした……二葉幽香と申します」
保護者の女性、二葉幽香は丁寧に頭を下げた。
「魔導隊の、墨谷七郎」
「ああやっぱり魔導隊の! テレビで何度か拝見したことがあります。……てっきり、もっと年配の方だと思っていました。いろんな事件で、すごい活躍をされてたので」
「今ならね、間に合うかもしれない。隠れながらクルマで街に降りてくるから」
食い下がる真理愛の前に膝を着き、目を合わせる。俺に心を読む能力など無いが、少女の瞳は確信を持って見つめ返す。
「どうして、それがわかるの?」
「…………さっき、視えたから……」
「みえた……?」
「真理愛ちゃんは1年ぐらい前に家に来た子なんです。実は……受け入れた当時から不思議な事を言うんです。寝てる間にいろんな光景を視るみたいで……」
「寝てる時。つまり夢ってことね」
興味深げに耳を傾ける虎郎。
「はい。そして、その夢で視た光景は必ず現実になるんです。予知夢、という力なのかもしれません。……それで養護院じゃ子供達どころか、教諭にも距離を置く者がいて……っ、あ」
幽香は失言に気づき口をつぐむ。
なんとなく、養護院で真理愛がどう扱かわれていたのかが分かった。なおかつ、二葉という女性が真理愛の数少ない味方であり、よき理解者であったことが真理愛の態度から察せられる。
「最近は起きていても、断片的に先のことが視えるようになってきたみたいで……。この子に悪い影響がなければいいんですけど……」
「人間、特異な存在を集団からハジきたがるものさ。まったく愚かだよ」
璃音も話に乗ってきた。“証拠の無い妄想だ”とか言って一番に噛みつきそうなのに。
……彼も魔導隊以前、集団になじめない経験があったのだろう……頭の良さはともかく、あの態度じゃあなぁ……。
「なんだか言いたいことがありそうだね七郎」
「なにも」
「まあ確かに、ここに逃げてくる途中にも真理愛の力を垣間見た覚えがある。ちなみに、“友達”がいる場所はわかるかい?」
「しょうてんがいの近くで、大きな石がたくさん道路に落ちてて……黄色い看板があった」
真理愛が記憶を手繰り、璃音がなにかに気づきこめかみを押さえる。
「ああ、ボク達が通ってきた道かもしれない」
「どこ?」
「アンデットの軍隊」
「……あの辺りか……!」
凄惨な現場を思い出しながら、同時にあることに思い至った。その街中の光景を“視た”ということは、痛ましい惨劇もその目に映っていたのではないか?
この子は見たくないものを見ても耐えて、友達として“自分を恐れた人々”の助けを求めている。
もしそうであるなら、なんて……。
「わかった。行こう」
「! ほんとう!?」
俺は真理愛と約束を交わす。
喜色を浮かべる真理愛だが、鋼城は驚いた様子で制止に入った。
「いや待ってほしい、また外に出るのか!? 落ち着いて状況を考えてくれっ。やっとの思いで逃げてきたばかりなんだぞ!?」
「もちろん魔導隊全員で行くわけじゃない、俺だけだ。俺だけで真理愛の言った場所を見てきて、助けられそうなら助ける。……予知夢の通りなら車が動いてるんだろう? 何とかなるさ」
「なっ――、バカ言うな。璃音も止めてくれ!」
「…………非合理だね。危険極まりない」
「救助の話を抜きにしても、医療品関係の物資は必要だろう? 一緒に探してくる。もしかしたら、この地獄を脱出する手がかりが見つけられるかも」
「……」
「単独なら戦闘を避けて、隠れながら移動できる。もう傷も塞がった、それに……大まかに周辺地理を把握したいだろう璃音? それも出来る限りまとめてくる。だから――」
「……少しでも危険と判断したら、諦めて逃げると約束できるかい?」
「っ、ああ」
まあ、養護院の車と合流した後は、行き当たりばったりになるだろうけど……それはいま口に出すべきじゃないな。
「璃音!?」
「この市の地図はあるかいっ?」
――ち、地図? ……ああたしか、事務室に。待っててくれ
この工場の従業員らしき男性が懐中電灯を片手に走り出す。数分も経たずに逢禍暮市の地図が用意された。
ランプの灯りを頼りに、璃音が地図と記憶を照らし合わせる。
「不死者の軍勢に遭遇したのは……迦楼羅製鋼から南の、ここだ。経路にクリニックがある。おそらく機能していないだろうが、可能なら必要そうな医薬品を確保してきてくれ」
「ちょっとちょっと璃音! 本気で七郎1人で行かせるつもり!? みんなで養護院の子達を助けに行くべきじゃない!?」
「この避難場所を守る戦力は必要だ」
「わたしも行く」
「「愛魚ちゃん!?」」
鋼城と虎郎の驚く声が被った。
俺としては彼女の目と弓があるのは頼もしい。だが言わずもがな危険である。
「わたし……助けられたかもしれない人に、死んでほしくない。ひとりでも多く生きてほしい」
「……愛魚ちゃんが行くなら……っ」
“自分も”と言いかけた鋼城だったが、言葉が続かない。
「(外に出ればまた襲われる。魔導隊の自分達が、逃げ惑うしかないような魔物達に)」
腕が震え、死への恐怖があふれ出てくる。
淡い想いを寄せる鷲弦愛魚を失うのが恐ろしい、だけど魔物が闊歩する外に出るのも恐ろしい。
そして墨谷の行動は誰がどう見てもリスクが大きい。賛同せずとも責める人間は居ないだろう。
「(でも愛魚ちゃんは、墨谷と一緒に行ってしまう。ここの守りは璃音と虎郎、陸軍の兵士と銃が……あれば……)」
板挟みで焦る心。
この瞬間、この選択肢が、鋼城勝也にとって運命の分岐点。
恐怖に打ち勝つか、そうでないか。
心の葛藤を示すように、鋼城の瞳は揺れ動く。
彼の視線が捉えたのは。
――うえぇぇん、こわいぃっ。どこにいったんですのカツヤぁ
「(あっ……そうだ。オレは、シクルナちゃんを守らないと。あんなに怖がって、オレがここに居てあげなくちゃ、かわいそうだろ)」
自分の恐怖心を誤魔化す、言い訳であった。
「鋼城? どうしたんだい? ぼーっとして」
「いや……なんでも、ない」
「そう…………じゃあ、七郎と愛魚は危険だったらすぐに撤退すること。いいね、わかったかい?」
「ああ」
「う、うん!」
「それから医療品と、可能なら地図に情報を書きこんでくれ。これからどう動くにしろ、地理情報は欲しい。ああそれに、あの特に危険な魔物共には注意してくれ」
「うん、わかってる。魔犬や小鬼とは比べ物にならない、あの――」
「この際だ、情報が共有しやすいよう呼び名を決めておこう」
鉄の守りを持つ巨大蜂……脅威の統率力と針の剣、刺突剣技にも似た攻撃飛翔。
「そうだね……“騎士蜂”」
忘れられない悪意の鐘の音、駆け回る嘲笑がその前触れ。
「あの巨人は“鐘背負い”。以降はアレらをそう呼ぼう。不死者の軍勢にも気を付けてくれ」
最低限の準備を済ませ、鉄工所の出口へ。
外には蠢く魔物の気配と、血なまぐさい闇夜が広がる。
「危なかったらすぐ戻ってくるのよ? 無茶するんだからまったく」
鉄工所の守りを引き受けてくれた虎郎には感謝しかない。危険だと充分に知りつつ、俺達のことを信じてくれているのだ。
どこまでも頼りになる人である。
そして虎郎に手を繋がれ、見送りに来てくれた少女がひとり。
「――ありがとう! 真理愛のはなし、真剣に聞いてくれて」
「逃げる時何度も助けられたからね」
「待っててね真理愛ちゃん。みんなでがんばって、怖いのに負けないようにしよう?」
「うん。……真理愛も、がんばる」
そうして俺と愛魚は、一時の安寧から夜の市街へ戻ることになった。