獣牙種(2)
「驚かせるんじゃありませんよ料理中に」
「つい出来心でなぁ」
「まーぜてーまぜてーあまアメアメー」
ダークレッドの髪を伸ばした美女が、顔を赤らめながら怒っている。豊満でスタイルの良い美女で、獣牙種氏族特有の衣装を着ると野性的な色気があった。
女性の名はシュレーテル、氏族の長セギンの妻である。
彼女は言葉を発すると同時に、つま先で地面をリズミカルに叩く。苛立ちを表しているのかとも思うが、そうではない。
部屋の真ん中では、少女が鍋で火にかけた白飴草の汁をかき回す。
「シーリーン、もう寝る時間。あとは母さんが仕上げとくから」
「まだだな。まだ飴ちゃんがお世話を求めてるんだ、ぜ」
「誰の真似なんだそれは」
「外町で流行ってる劇」
セギンとシュレーテルの間に生まれた、ひとり娘であるシーリーン。
3人の家族は夕食後の団欒の最中にあった。
「明日は商隊に同伴させてもらって、テルストリトルの交易都市に出発するんだから。はやく寝る」
「……わかったよ」
セギンが族長を務めるこの大きな集落は草原の只中にある。
ここから鷲獅子の足で丸一日の距離に、他種族や他国との交易が盛んな都市が存在するのだ。
テルストリトルと名付けられたそこは、獣人国家エイン=ガガンおける文化の最先端。明日は族長の娘であるシーリーンと、他に集落の人間が大勢、商隊としてテルストリトルへ向かう。
「今回の取りまとめ役は……レギラガだったな。しっかり言うことを聞いて、よく学んで来い」
「本当におとーさん来れないの?」
「うむ。この辺りの魔物が妙に騒がしい……守りをこれ以上薄くできん。なあに、交易路は魔物が駆逐されて久しい、ギルドの見回りも多いから安全だろう。我が集落の戦士も多く同行する。安心して母と楽しんでくればいい」
「次は絶対一緒に。約束」
「うむ」
「くふっ、ヤッタ」
そうしてシーリーンは寝室へ引っ込んでいく。シュレーテルは声をひそめて苦笑い。
「あの子、あなたの前だと甘えん坊ね」
「そうなのか?」
「ええ、わたしや友達の前では大人顔負けに振舞います。でもあなたが忙しくて、なかなか家でゆっくりできないから淋しいのね。あんなに年相応に、はしゃいで」
「……族長として、弛むわけにはいかぬでな」
「分かってる。……ふふ、でもテルストリトルへ一緒に行けないのは残念。あそこは――」
攪拌し終えた薬飴を鍋ごと台所へ移す。
そうするとセギンは妻を軽々と抱き上げた。シュレーテルも赤らんだ顔で夫の手を受け入れる。
抱き上げながら体を揺らすのも律動言語の一部。ゆっくりと地を踏むリズムは、心からの愛しさを妻へ伝える。
「覚えているとも、あそこはシュレーテルと出会った場所。忘れるものか」
「! ふふ」
知見を広め、異種の言葉を学ぶべく訪れていたテルストリトルのギルド支部。
ウィレミニア人の新参冒険者パーティに、族長を継ぐ前のセギンは絡まれていた。
獣牙種を差別し、強姦魔と揶揄する一団にしびれを切らしたセギンが立ち上がり息巻いた時。
同じくウィレミニアから来たばかりの女性が、冒険者達を殴り飛ばしたのだ。
その女性こそがシュレーテル。彼女もギルド冒険者であったが、獣牙種への偏見は無く、知性と勇気に溢れていて。
――お前達より、この人の方が百倍イイ男なのが見てわからない?
その言葉はセギンに、一生分の愛を捧ぐ決意を抱かせた。
その後、獣人種が多くを占めるテルストリトルのギルド支部で、白い目で見られた件の冒険者達。
彼らが逆恨みによってシュレーテルへ報復に来たのを、今度こそ半殺しにして退けたりと様々な出来事があった。
すべてが2人の仲を深める時間となり、気づけばあっという間に結ばれて。
思い出に浸りながらシュレーテルは、巌のような胸板に指を這わせる。
「それに、淋しいのはシーリーンだけじゃない」
「――どうしたらいい?」
「好きなようにして」
甘ったるい空気のまま、2人は夫婦だけの寝室へ消える。
少しして、悪戯気に部屋を覗く目があった。
「ぅぁー」
シーリーンは恥ずかし気に、しかしどこか嬉し気に男女の痴態を眺める。獣牙種の男に比べれば、自分と同じヒト種の女はまるで子供のよう。壊れないか心配になる。
「くふー」
だが隙間から盗み見る光景は、大好きな両親に決別は無いのだと確信させるもの。シーリーンにとってそれは心を満たす安心であり、何処か誇りにも似た想いへ昇華している。
しばらく息を殺して笑っていたが、3回戦あたりで飽きが来て自分の寝床へ潜る。
体力おばけ。
そんなことを思って、シーリーンは眠りについたのである。
何年経っても変わらず、家族が共に在る未来を疑わず。
「…………いや、来年にはもう1人くらい増えてるかも。弟がいい」
・
・
・
「いそげっっ、コチラは煩わしい魔獣が少ない! 密集を解くなっ、女子供を囲め!」
どうしたことだ! これは、いったいなんだ!?
――地の精霊よ、言祝ぐ我の石牙なりや
「【 石礫弾 】」
地を矢じりとする魔法が天へ放たれた。見上げるのは夜空、噎せ返るように淀む魔力が我らを包む。
「ダン!! まだ追ってきているかっ」
「何匹もっ。動きが速く、空からの襲撃に皆手を焼いている。ザルカーンが殺られた!」
「――っ、ザルカーン……」
禍々しい蟲の魔物に追われながら、心の片隅で記憶を辿る。
今朝は曇り空で、すこし肌寒かった。テルストリトルに向かう妻と娘はコートを羽織り、商隊と共に出発したのを覚えている。
数時間後だ。暗闇と揺れに混ぜ返されて、気づけば知らぬ空気の臭い。
見たことのない建物が集落の中に生え、けが人も多い中魔獣の群れに襲われたのだ。
「鷲獅子の足でも、振り払えないとは」
集落から離れたくはなかったが、見知らぬ建物から火が付き、炎に釣られて魔獣が集まって来たため避難を決意。
女子供を守りながら、魔獣の少ない方向へ逃げてきた。
此処は都市だろうか? 背の高い建物が、闇の中にいくつも見える。
――ジ、ッ
「!!」
直上から降ってくる巨大魔蟲を、愛用の大槍ではじき返す。
「スキルークッ、跳べ!」
――Foooooォウ
槍の衝撃でよたつく蟲へ、同じ高さからトドメの一振り。
魔力を込めた槍の横なぎは、鉄蟲の体を2つに割った。
「むぅ……なんという名の魔物だ? 見たことがない」
鉄と同じ甲殻、無機質で隙のない連携。歴戦の戦士たちが、闇夜からの襲撃に翻弄されている。
「族長っ、アレをっ」
ダンの指さす方、そこには燃える建物に照らされたもう一つの戦場があった。
人間だ。同じ魔物に襲われている。
「……合流するぞ」
「しかし」
「一刻を争うっ、着いてこいっ戦士達よ」
鷲獅子に乗る戦士達が、女子供が乗る荷車を守りながら走り出す。
近づき見えてくる人間たちは、明らかに劣勢。
素性も知らない、味方であるのかも不明。
「(我らにも、守りたい人々がいる)」
この決断は正しいのか。戦士の誇りが足を動かし、族長としての責任が心に葛藤を生む。
しかしセギンは見た。
決死で魔物を押しのける姿。娘と重なる少女を、身を挺して守る戦士の姿を。
心の、葛藤が消える。
「O o o II :: L O o o O ll O:;;――――――!!」
勇気の熱が穂先へ宿り、蟲の体を薙ぎ払う。
「JoOLo? DuUU:::Roo(無事か? 誇りある戦士よ)」
槍の石突で地を叩き、言葉を投げる。
黒鎧の戦士と少女は、光を得たように見つめ返していた。