怒りを覆う絶望
ふ、と体にかかる重力が消える。
「……っ」
そうすると俺達は、今度こそ正しくビルの坂道を滑り降りる。上では無く、下へ。
ビルの根元には標識に引っ掛かり空へ落ちなかったジープが1台。機関銃が積まれた車両である。
もう一台のジープはトラックの爆発現場付近に転がっているだろう、哀れな兵士達と共に。
「…………さあ、乗って。すぐに動くから」
「うん。たすけてくれて、ありがとう」
「ケガが無くて、よかった」
抱えていた真理愛をジープに乗せてから辺りを見回す。ビル下で囲んでいた怪物たちは、距離を置きこちらを観察していた。
「はやくにげてよぉぉ」
「お、お、おねがいします! シクルナ様とワタクシめは戦う術を持っておりません。おねがいし、します。お、お守りください、どうか」
泣くシクルナと震えるロームモンド、彼らの声は遠い。声が耳に入らなくなるほど、体中で血が暴れている。
歪む単眼、下品な嘲笑。アイツらは遠巻きに俺達を笑っているのだ。
どうして囲まれた時、俺達は殺されなかったのか? そもそもヤツらと初めて接触した黒の壁際で、兵士を1人殺したあと、すぐに消えたのも不可解だった。
「(ヤツは俺を殺せたろうに……いや、道連れにはしてやる。絶対に)」
非戦闘員を乗せてジープが低速で発進する。運転席と銃座に陸軍兵士が一人ずつ、真理愛と保護者女性、シクルナとロームモンドで座席が埋まる。乗車数は過剰気味、速度を出せば横転の危険もあるだろう。
「2、3匹追ってくる」
「……そうよねぇ、ハイさよならって逃がしちゃくれないわよねぇ、っ」
ビル上から身を乗り出して這い出てきたのは、一目で笑みと分かる顔の怪物達。向こうに見た巨人が近づいてくる気配は無い。
俺と虎郎が一団の最後尾、鋼城、璃音、愛魚と兵士3名が小走りでジープを囲む。後者の6人はいまだ打ちひしがれ無言。
これだけ、たったこれだけだ。
真理愛ら守るべき者が4名、魔導隊5人と陸軍兵士が5名、これが生き残りのすべて。兵士のうち1人は、走るのがやっとの負傷者である。
トラックに乗っていた他の負傷者は助からなかった。魔導隊の面々が助け、または自力でビルにしがみつけた数人以外みんな死んだ。目の前で、あの怪物どもに落とされて。
「アイツら――……、っ」
単眼一足の怪物が後ろから追ってくる。俺達を舐めまわすように、付かず離れず執拗に。
「俺達で遊びやがった……囲んでっ、嗤ってっ、人が死ぬのを楽しんでやがったんだ!! 虫を潰す子供みたいにっっ」
今にも頭の血管がキレそうだ。眩暈がするほど怒りが湧いて――、不安に泣く真理愛たちの手前耐えていたが、いよいよ歯ぎしりが止まらない。心が理性の制御を離れ、黒い憎しみに燃えていく。
「そぉ思う?」
「思うよ虎郎っ、あのふざけた顔の怪物が数匹だけで追ってくる。俺達を殺すのなんて、あの巨人がひと踏みすれば終わりなのにっ」
「縁起でも、ないわ、ネ」
「虎郎も見たろう!? あのケタ違いの魔物をっ。言葉が無くても感じただろ、あの悪意を! アイツらは俺達をいっぺんには殺さない! 娯楽なんだよっ、アイツらにとって俺達はっ 、 い い か げ ん に し ろ よ おぉぉぉ」
疲労を無視して、魔力が漏れ噴くのを自覚する。虎郎に視線を戻せば、彼女も血走った眼。それは獰猛な憤怒故に。
「ブっ飛ばしてやりましょ。ヤツらの方が強かろうが関係ないわ。どの道、そうするしか逃げ切る方法が無いものねぇぇぇぇ!」
「のった」
「お、おい……」
鋼城が不安げに俺達を見るが、隠す気も無く見返した。俺達が死んだら“後は頼んだ”という願いを込めて。
冷静でないことは自覚している。
―― け ヒぃ ?
空気の異変を感じたのか、怪物の一匹が‘ベタベタ’と足音を鳴らし寄ってくる。その顔には傲慢と嗜虐心が滲み、枯れ木のような手がジープに迫る。
「触るんじゃないわよ!! 地べたに沈みなっ」
「 嗤うな 怪物がっっ」
警棒と剣、俺と虎郎が握る武器が、双方唸りを上げて怪物にめり込む。はじめて感じる手ごたえ、得物は面白い様に怪物の体を引き裂いた。
――GYUヘェェェェェェ!?
汚らしい悲鳴が血しぶきと混ざり、怪物の体は形を保てず散っていく。
「んふっ。なによ、ヤろうと思えばヤれるじゃない」
「そうか魔力かぁぁ、オマエら思いっ切り魔力を込めて殴れば死ぬのか」
念のためハッキリさせるが、俺や、おそらく虎郎も自分の魔力を武器に込める試みを成功させた事は無い。
そういった技術の存在は知っていた。以前ニーナ教官に教わり、その威力を身をもって体験していたからだ。
何度も再現しようとしたが、魔力を自分の体から取り出し操ることが出来ない。辛うじて愛魚が、矢に微量の魔力を込めて放てたのみ。璃音は魔術式にこそ理解があるが、魔力の体外操作については俺と同じ。
武器に魔力を上乗せ出来たのは、今回が初めてなのである。
「なぜか身体強化の調子がいいと思ってたが……そうか、こうすればいいのか」
ぶち殺す、殺された分同じだけ殺し返す。
怒りを込めて、際限のない怒りを込めて。この怒りこそが魔力の源なのか。
握る警棒が魔力を纏い、魔獣のような声で哭く。俺も虎郎も、いつのまにか歯をむき出しにして息を吐いていた。
「虎郎さん、七郎くんっ」
「!」
愛魚の呼びかけで正気に戻る。追跡者たる単眼の怪物は、顔を顰め上目遣い。
「(上目遣い?)」
怪物は後ずさり、闇に消える。残されたのは火災の陽炎と、それ以外の静寂だ。
――いや、聞いたことのない音がする
闇の中でどこからともなく、不快な振動を鼓膜で感じた。湧いたのは原始的な恐怖、本能に刻まれた危機察知。
「まるで蜂の」
泡立つような震え、大きな羽音、風、金属音、血しぶき――。
一瞬で完遂された狩り、無機質な殺戮本能。火事の灯りに一番近い、負傷した兵士が潰された。
あまりの衝撃に思考は空白、武器への魔力流入が止まる。
ぐちり、ボキリ、くちゃり、そして掠れるような末期の呼吸。無言で魔導隊全員は武器を構え直す。
悲鳴や疑問も必要ない、理解している、新たな死地の到来だ。
「今度は巨大昆虫。――ハッ。ボク達全員を殺すまで地獄のおかわりが続くわけかい。まったく…………」
璃音の、どこか開き直った呆れ声。兵士を潰した塊が、突起を逆立てこちらを向く。
大きさは人間より一回り大きい。昆虫の外骨格、6本の足、2対の羽は薄く青光るが、蜂に似た体構造。
表面は鈍色の金属光沢、赤い複眼が陽炎を映した。
「その人を喰うな」
蟲の大アゴが肉塊を嚙み潰す、それを細足で器用に団子状に。塊から、服の一部と髪の毛が垂れ下がる。
「喰うな! どんな思いして、一緒に生き残ったと思ってる!?」
怒りが再び頂点に達するには十分な光景。すでに武器の魔力強化術を我が物とし、地面を割りながら蜂へ襲い掛かる。
――Gi
しかし振り下ろした先は血だまりの地面。警棒は腹の先へ掠めたのみ。
反応速度が異常に速い。
「(俺が動き出す前に、飛び始めた?)」
夜闇へ飛翔する殺人昆虫であるが、愛魚の矢が逃がさず狙う。
「ッ」
裂帛の呼吸と共に放たれる幾本もの矢。暗さのせいで俺もすべての矢は視認できない。
巨大蜂は予備動作なく加速、曲芸飛行を開始した。落ちないところを見るに、矢は当たっていないらしい。
それでも唐突に響く金属音。蜂の外骨格が愛魚の矢を弾いた音だ。
「当たった? ……けど。うそ、鉄で出来てるのあのカラダ」
途端に空中の蟲が纏う空気が変わる。羽の振動を倍加させ、纏う光もさらに強い。耳を劈く振動が、肌を無尽に切るようだ。
「もういいっ、もうたくさんだ! 今度はなんだっていうんだっ。みんな逃げようっ、今度は町の外の方へ――」
鋼城の叫びも一歩遅い。羽音が近づき、魔導隊の立場を突きつける。
つまるところ獲物、捕食者と餌の関係を。
強力な羽音の正体は、仲間を呼び寄せる笛の音であった。
金属の蜂が一糸乱れぬ編隊飛行。その複眼が例外なく獲物を見定める。
先頭の蜂が、体躯の半分はあろうかという鉄針を腹の先から突き出した。先端が狙いを定め、その様はまるで剣。
弾かれたように突貫!
剣の切っ先となった鋼の蟲は、ジープの真横に着弾する。
「う、うわあああああん!」
「おお、神よぉぉぉ」
「――っ」
「いやあっ、もういやあああ」
――ああああ、化け物バチがああああ
ジープから機関銃の弾がばらまかれる。魔導隊と兵士全員でジープを囲むように守るが、空中にいる蜂に翻弄されるばかり。
身体強化を以ってしても飛ぶことは出来ないし、攻撃も当たらなければ意味がない。
「させ――、がっ」
「璃音!」
機関銃の弾込めの隙に、一匹の蜂がジープの屋根に取りついた。引きはがそうとした璃音が、蜂の身振りだけで吹き飛ばされる。
連戦に続く連戦、喪失に次ぐ喪失、皆の体力と精神はいよいよ限界を迎えていた。
「やだあああああああああ」
「離れろっ」
――Gi、ギ
ジープに乗る少女達を救おうにも、新手の蜂に頭上から襲い掛かかられてしまう。
「くそぉ邪魔だ!」
「ダメッ、ジープがっっ」
リロードを終えた機関銃による近距離打撃が、火花を散らしながら蜂を辛うじて押し留める。極至近距離で放たれた弾丸は、蜂の胴にいくつかの風穴を空けるに至った。
しかしそこで弾詰まり。
動きの鈍った蜂にさえ、ジープを血の海にされるのは時間の問題。
「まって…………みんな! 大通りの向こうから新しい蜂の群れ! そ、それにっ、一緒にすごい速さで近づいてくる集団が見えるっっ」
「!? あ、ああ」
蜂の群れと、新しい魔物の群れ?
どうしろというんだ……。もうこれ以上は、どうにも……。
「これで、終わり……なのか、っ」
「だいじょうぶっ」
「真理愛ちゃん、出ちゃダメ! 頭を下げてなさいっ」
「!」
そうだ。俺達が此処で死ねば、あの娘達も無残に殺される。それを認められるのか俺は!?
「殺らせるかあああああ」
全力でジープへ駆け、再び襲い掛かろうとする巨大蜂へ勢いのまま体当たり。
手負いの一匹を真理愛達から引きはがすが、後ろから巨大な針に突き刺された。
「七郎ぉ!!」
魔導隊の鎧のおかげで針が貫通することは無かったが、ひどい痛みがある。
地面に滴る大量の血。
「(これ俺の血か)」
璃音や虎郎の声が遠くに聞こえる。傷から血と一緒に、力や魔力が漏れ出るようだ。
立ち上がれない。
「(ああ、ごめん。守れなかった……嫌だ、死にたくない。死なせたくない)」
いくら心で泣き叫んでも、現実は少しも変わらない。痛みと慚愧に押しつぶされて、世界は徐々に暗くなり。
「だいじょうぶっ。もう大丈夫だからがんばって」
頭が柔らかいものに包まれる。
「しゃがんで!」
不思議と世界に光が戻り、殺意が飛び回る闇の向こう、地を踏みしめ巨躯が勇ましく。
かの勇姿を、俺は魂に刻み付ける。きっと命の終わりまで永遠に。
誇り掲げる騎乗の戦槍、地を踏みしめる戦士の唄。
灼きつく憧れの、始まりは此処に。
「O o o II :: L O o o O ll O:;;――――――!!」
戦士の咆哮が絶望を裂く。