修道女へ迫る指先(1)
「(まったく……傍に付けるなら見目の良い女にすべきだろう。気を遣うということができないのか)」
ライル・サプライは内心で毒づく。
ライルは白捨山義瑠土支部内の内見を終え、応接室で紅茶を嗜んでいた。
支部入口からの冴えない男の先導で、ライルの機嫌は悪い。
先ほど、この霊園山義瑠土の上位役職者だろうか、あまり印象に残らない男との挨拶を終える。
デンワ……とかいう通信用魔法のようなものが届いたらしい。
その男はいったん席を外していた。
あまり座り心地の良くない椅子で待たされながら、ライルは同室に居る気弱そうな男に紅茶の追加を指示する。
「では、……あー……名は何だったか。まあいい。紅茶を淹れなさい」
「わ、わかりました。あと、その、小野道、です。……わたしの名前」
「ああ。そうでしたね。オノミチ」
この気弱なスーツの男、小野道はもう数日のあいだ世話係のような立ち位置で同行している。
さらに、護衛として用意された銀伽藍とオークの男。
長旅の慰みに、ライルは伽藍へ悪ふざけを仕掛けようとしたことが何度かあった。
ライルの趣味には些か年齢が足りない……、だが顔はいい。
――しかしその都度オークが邪魔をしてくるのだ。うっとおしい
「早く紅茶を淹れに行きなさい」
ライルは小野道へ、苛立ちのまま紅茶を急かす。
「(何度か、な、名乗ったんだけどなぁ)」
小野道は、異世界人との外交や接待を担う上司から、今回の役目を与えられた。
幸い異世界に存在する翻訳魔法……正確には翻訳魔術式による言語理解自動変換魔法によって、言語の壁は存在しない。
しかしだ。
「(ううぅ……耐えよう。職場の奴らを見返す為なんだ)」
帝海都から霊園山までの移動に数日。その間小野道は、絶えずライルの機嫌を損ねないように接してきた。
職場でも日陰に居る小野道だったが、今回の監査……いや、接待を成功させても職場での地位は向上しないだろう。
身勝手な要求ばかりを行うライルに苦慮した上司が、自分へライルを押し付けたのだと小野道は考えている。
これが本当に大組織からの使者なのかと、一時期身分の詐称が疑われたほどの男だ。
政府筋の調査と、正式な異世界ギルドへの確認によって、身分詐称の疑いは晴れているが……。
厄介払いのように押し付けられた仕事であるが、ライル・サプライという男が異世界ギルドにおいての立場があり、権力のある血筋であることは確かだ。
この同行で何とかライルの覚えを良くして、彼の権力を自分の為に利用できれば。
職場の奴らを見返せるのでは?
「(イヤ、いっそ異世界に連れて行ってもらって……本場の魔法を学んで、向こうで新しい人生を……)」
そんな野心を抱く小野道。
「(でも、名前すら覚えてもらえないんだよなあ)」
彼の都合のいい企みは、すでに暗礁に乗り上げていた。
「まだですか?遅いですね」
「は、はい。ただいま用意できます」
ライルの催促に、小野道は慌てて紅茶を差し出す。
差し出された紅茶に口を付けた後、ライルから再び指示が飛んだ。
「デンワで席を外した男の帰りが遅すぎる。お前が持っているデンワで呼び戻せ」
ライルは苛立たし気に言う。
口調も乱暴になってきた。こちらが素なのだろうか。
「(こ、この人のいつもの言動は……あれで抑えられていたほうだったって……いうのか?)」
小野道は、曲がりなりにも自分の野心を託している男の、負のポテンシャルに戦慄を覚える。
だがしかし、ライルのこの要望を叶えることは出来ないのだ。
「す、すみません。霊園山で一般の電話は使えないんです」
「使えない? バカにしてるのか? さっき出て行った男も、デンワを使っているんだろう」
「いえ、その、このダンジョンでは魔力の力場が強く不安定に乱れるせいで、電子機器に影響してしまうんです。だ、だから、こういう魔力が強い場所で使う機器類は、魔力干渉を防ぐ対策をした特別製でないと……」
小野道は説明を続ける。
ま、魔力の強い場所では、科学製品である電子機器類は狂ってしまうんです。
これは魔法元年以降発生した、魔力によるデメリットでして……はい。
魔力が物質にどのような影響を与えるのか……長い間研究されていますが、解明されてません。
同じ条件下での実験でも、け、結果のパターンが無数にあって統計が安定しないんです。
霊園山も例に漏れず、電話や車のバッテリーさえも魔力の影響に晒されてまして。
特に電波という、なんというか……電気のエネルギー波は魔力の影響をモロに受けて、ダンジョン内では役に立ちません。
霊園山では、魔力防護を施した電話線で繋がる置き電でのみ、通話を可能にしていると聞きました。
「ですので、電話は」
「わかるように説明できないのか!」
「ひぇっ……その」
小野道は分かり易く説明したつもりだったが、どうやらライルには理解しきれないようだ。
その時、部屋と廊下を隔てる扉が開く。
「邪魔するよ」
入ってきたのは、電話で席を外した男ではない。上品な杖を持った老齢の女性だ。
小柄であるが年齢を感じさせないシャンと伸びた背筋。
艶のある白髪を綺麗に纏めた頭。
「何ですか。あなたは」
ライルは訝しげに老女を見る。
老女は何食わぬ顔で進み、部屋の奥の椅子へ。
「何をして、…………ぉ」
そして、老女に続いて部屋に入ってくる人物。
ライルはその人物が乗る車椅子の音に気付き、振り向く。
その女に釘付けになった。目が奪われた。
絹のような金髪。
妖しい美貌を持ち、清貧な修道服を着てなお女性らしい曲線を描く肢体が、ライルの目を引き付けて離さない。
「霊園山へ、よぉこそいらっしゃいました」
静かな笑みを湛える修道女。シスターシルヴィア。
彼女を見た途端、ライル・サプライの顔に好色な笑みが浮かんだ。