心は逃れ得ぬ夜へ
これより夜話の後編を開始します。
主人公の10年前のお話、彼はどうして人外に成り果てたのか……。
この章は残酷な表現を含みますのでご注意ください。
『それでは、また連絡をお待ちしていますねぇ』
俺以外誰も居ない地下室で受話器を置く。紅蓮を匿うのに使った隠れ家の、黒電話を模した秘匿直通回線は役目を終え沈黙した。
「……」
シルヴィアへの定期連絡が済むと地下室から出て2階に上がる。
厚い雲のせいで薄暗いが、時計を見て昼間であることを確認。誰も居ない家の中は足音でさえも良く響く。
静かだ。少し前の騒がしい日々が嘘のよう。
――010101011001::0111*+?>?
近くに展開している逆柱の1機が、2階窓の外から瞳孔を向けた。どことなく此方の様子を案じているような目だ。
「(流石に都合の良すぎる考えだ)」
俺は誰かに慰めて欲しいのか。
そんな益体も無い自問自答を振り払う。
思考し、高度な処理により感情すらも模倣する人工魔。影に収納される【明】をプロトタイプとした“人工魂魄付与”の実験機であり、【逆柱】はそのハイエンドといえる存在だ。
元は霊園山の山中に在った不法投棄の電柱群。
迷宮化の影響で人の未練や想いを貯め込んだそれらに、日本特有の付喪神の概念を魔術へ落とし込んで完成させた。
存在強度を可能な限り高め、様々な状況や目的に対応できる機能を詰め込んだ“死停幸福理論”の主戦力といっても過言ではない。
彼らの魂は、魔力の宿った電柱という下地へ【明】のソフトウェアを複写し生まれた経緯を持つ。
おそらく日本で作られた初めてのゴーレム、そのプログラムは人の魂と見まごうばかりの複雑さと演算機能を有していた。
【明】の思考性能を引き継いだ人工魔であるが、俺とシルヴィアが10年かけアップデートを繰り返しても、プログラムの部分は金型を越えられていないというのが共通の見解。
黒牢で死別した後にも璃音の才能には助けられ、同時に差を見せつけられる気分である。
「まったく……嬉しいやら、悔しいやら」
そんな逆柱であるからして、俺の知らないところで人間と同等の感情を得ていたとしても驚かない。
離れていく逆柱を見送りつつ、音のない一室で腰を下ろす。
何気なく窓を開け、友の想い出に浸ろうと目を閉じた……その時だった。
“ぶうぅん”
「――っ」
反射で目が開くと同時に、体が襲撃に備える。
耳に入ったのは不快な羽音。音を辿り視線を向けた先には、大きなハチの巣。
「ふ、うぅ」
此処はもう黒牢ではない、もう恐怖の羽音に怯えなくていい……そのはずなのに。
俺の指はいつでも鉄を引き裂けるように強張っている。
生温い風が吹くと同時に、巣から一匹の働きバチが飛び立っていった。
スズメバチの類だろう。あの種は狩りを行い、他の昆虫を殺して巣に持ち帰る。
運びやすいように獲物を千切って、丸めて、肉団子にして運ぶのだ。
「……くそ」
悲鳴と血の臭い。内臓が破れた時の臭気を否応なしに思い出した。
ここで問いたい。
もしあのスズメバチが何千倍、何万倍の大きさに成ったらどうなるだろうか。
ついでに外骨格も軽鉄に置き換わったとしたら。
人間と同じか、それ以上の体躯となった鉄製の蜂が空から襲い掛かってくる。
飛行不可能な重量だが、推力を魔力で補い飛翔する。
答えは俺の記憶の中に。
獲物は虫から、もっと大きなものにすげ変わる。人は襲われ肉団子、子供だろうがお構いなし。
情を持たず無機質に。げに恐ろしき、鉄と毒虫の融合変化。
俺達はソレを“騎士蜂”と呼んで恐れ憎んだ。
黒牢をこの上ない地獄とした、人の生存を阻む三大魔のひとつ。
不死者の行軍、悪辣な嘲笑、羽音の襲撃……その全てが人間を殺す悪意の楔。
意識は自然と記憶の海へ。真っ暗闇の地獄へ沈む。
これより語るは、墨谷七郎が刻む恐怖の根源。夜に囚われた魔導隊が、如何に戦い……そして終わったのかだ。