運命は罪を苛むように
波打ち際でひとしきり遊び、日も沈んだ頃。
保養所の一階では、墨谷以外の5人が料理の並ぶテーブルを囲んでいた。男はひとり、食事を遠慮し席を外している。
ちなみに料理は全てデリバリーであった。
「じゃあピザに~生クリームのせて~」
「わ、わ、わぁ」
パーティー用の大きなピザ、熱いチーズの上に楽々子の手によってホイップクリームが乗せられていく。
それをイケないものを見るかのように凝視するリンカ。
「ジャムもかけちゃえ~~♪」
「これは……やりすぎ。……ごくっ」
悪魔的な笑みを浮かべる楽々子の手は止まらない。
さらに糖分が足される冒涜的な光景に、伽藍は無意識に唾を飲み込んだ。
「かんせーい♡ ウチ特製カスタムピザ」
「こんなっ、こんなの許されるんですかっ?」
「いいんだよリンカ……いやリリダーク。一緒に堕ちていこう?」
リンカの手は、甘い香りのするピザへ恐る恐る伸ばされる。
「悪……コレは世の乙女を苦しめる悪……。伽藍は、屈するわワケには」
「伽藍っち……怖がらないで。これはみ~んな、ヤッてる事なんだよ~~?(大嘘)」
悪い顔をして伽藍の顔を覗く楽々子。
楽々子は既に少女の堕落を確信している。なぜなら伽藍の手は、リンカより早くピザのひと切れを掴んでいたのだから。
「みんなで食べれば怖くない。召し上がれ?」
「「 わ ぁ ― い 」」
3人は思考を棄て、瞳に光を失う。
いや激しく揺れるケモ耳も加わり4人。
むしゃぶりつけば、まず舌に触るのは生地の塩味。
咀嚼ひとつでクリームのまろやかさと甘みが混ざる。遅れてジャムの香りと酸味が調和をもたらし、少女らの脳髄に伝わる過剰な愉悦。
明日、彼女等はきっと後悔するだろう。悪魔の誘惑に、カロリーの暴力に負けた事を。
だがそれでいいのだ。
彼女達は今、間違いなく幸せなのだから。
「はむはむはむはむ」
「んーーーー♡」
「あらがえない、あむ。とまらないあむ」
「うめうめうめ」
「何してるんだいあの娘達は……」
クジャクは若干呆れながら、テーブルの隅で行われる罪の宴を眺めていた。
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夕食時の賑わいを過ぎ、示し合わせたわけでもなく以前亜竜に相対した顔ぶれが、波音だけが聞こえるバルコニー集まる。
楽々子だけは封印祭騒動での疲れが出たのか眠ってしまっており、寝室に運ばれている。まったく起きる気配は無い。
裕理とクジャクはアルコールが注がれたグラスを手に持ちリラックス。
カルタは柱に背をもたれ月を眺めている。
伽藍とリンカは、暗い海を見ていた俺の両隣……木造の手すりから乗り出すように立っていた。
「夕食……召し上がらなくてよかったんですか?」
「ああ、いいんだ」
「またなにか変な物でも食べた? 瓶なんか食べるからお腹壊す」
「びん……? でもそういえば、七郎様とは隠れ家……い、いえ、わたしたちの依頼を受けてくださった当初から、食事をあまりご一緒できていませんね。私達にばかり食べ物を用意してくださいましたが……きちんと食事を摂られていますか?」
「問題ないよ。必要な分は食べてる」
この肉体になってから食事の味はあまり解らない。
魔力や肉体の質量を補充する目的なら、魔物を齧ったほうが断然効率がいい。
現に霊園山では異界で殺した魔物や怪異の核で補給していた。
まあ普通の料理も食べるだけなら問題ないが、底なしに腹に落ちていくのみで虚しいだけなのだ。
「(嗚呼――仲間みんなで食べた缶詰がなつかしい。あれはどんな味だったか?)」
黒牢での食糧難、食料品店の廃墟より回収した保存食。その思い出を反芻し虚しさに耐える。
「旦那、聞いて欲しいことがあるんですよ」
クジャクさんの真面目な声に振り返る。
彼女は酒のグラスを置き、立ち上がって丁寧に頭を下げた。
「?」
「改めて紅蓮一同、日本に来てから本当にお世話になりました。あたし達の問題に巻き込んじまっても、旦那は見捨てず力になってくださった。感謝してもしきれません」
普段なら突っかかってきそうなカルタも大人しい。思うところがあるのだろうか。
それに感謝というなら、俺も紅蓮と絡新婦がらみの事件に感謝していることがある。
それは仕留めた水竜。
俺が入江で殺した竜は、シルヴィア達が回収した。
あれは魔術的なリソースとして非常に優秀な素材となった。アレの心臓は魔力伝導体として“祭壇”の開発に利用できたのだ。素材不足による技術的ネックが解消され、シルヴィアも上機嫌である。
「依頼だからね」
「そうでしたね……。でも、もう終わりにしましょう。あたしは一旦ラコウに帰ろうと思ってるんですよ」
「え」
声を漏らし固まるのはリンカ。カルタは知っていたのだろうか、動揺は無い。
「どうしてですっ?……この日本に居れば安全で……。ラコウに戻ったら、先日の件でヤツメ家に追われるかも。それにゲートを渡る手立ても」
「あたしもラコウに置きっぱなしにしたものが沢山あるからね。それにゲートを渡る手立ては裕理が面倒見てくれることになってね。なんとかなりそうなんだ」
「クジャクさん達は身分証もしっかりされてますし、手続きも魔導隊である私を通せば問題ないでしょう。その代わり向こうに渡った時はいろいろ頼りにさせてください。異世界の事情に詳しい現地協力者は、喉から手が出る程欲しいですから」
「でもっ……でも……」
既にクジャクさんと灯塚裕理の間で、話はある程度まとまっているようだ。
紅蓮に渡した身分証は渡来理由こそ偽りであるが書面自体は正式なモノ。
日本政府、義瑠土にも顔が利く協力者が組織内部で用立てたモノである。おそらくバレることは無いだろう。
リンカの瞳にはだんだんと涙が溜まる。
少女が故郷への帰還を拒む理由を察しているクジャクは、彼女の成長を愛おしむように笑う。
そして次にクジャクが発した言葉は、リンカを驚かせるものであった。
「だからねリンカ。あんたは日本に残って、コッチの世界の事を学んで欲しいんだよ。……例の修行も、伝えることはひと段落ついたしね。あとはリンカの頑張り次第さ」
「――え。わたしだけ日本に? カルタ姐さんは」
「アタシもクジャク様と一緒に帰る。リンカだけ日本に残すのはちょっと心配だけどなー。でもそんな遠くないうちに迎えに来る。だからな、こっちでいろんな事勉強して、紅蓮の縄張りを取り戻すのを手伝って欲しいんだよ」
「殊勝なこと言うね。カルタもこっちに残っていろいろ勉強していいんだよ。日本義瑠土で仕事貰えば、喰うには困らないだろう?」
「クジャク様ぁ~アタシ勉強はちょっと……。まあ日本の料理が食べれなくなるのは残念ですけど……」
“ららこに会えなくなるのも”……その言葉は、寂しさを棄てるように敢えて口にしない。
「裕理にその辺も聞いたら、部屋付きの学び舎に今なら編入できるそうなんだよ」
「ええ。リンカは驚くほど日本語が堪能です。文字への理解も申し分ないですし、計算もできますから、異世界人留学生の枠で編入が可能だと思います。日本と正式な交流の少ないラコウの生まれであることも好意的に受け止められるはずです。そちらの国の事を、皆よく知りたがるでしょうから」
「もしかして、それって」
話の内容になぜか伽藍の目が輝きだす。
「どうするリンカ?」
「――」
悪戯げに微笑む母の顔に、リンカは心が浮いていくのを感じた。
確かに家族と離れるのは寂しい。不安もある。
だがリンカの心は、日本への未練を強く叫んでいた。
正しくは1人の男への未練、爛れるように焼き付いた恋慕の心だ。
意を決したように、闇色の少女が俺へ振り向く。
「あのっ七郎様! 私、日本に残ろうと思います! この世界の事をよく勉強して、クジャク様のお役に立てるように強くなって、それで……っ。そうしていつかまた、七郎様にお逢いしたいです。その時、リンカが今より強くなっていたら……お側に置いてくださいますか?」
「……ん」
この少女と再び隣立つ。
出来ないだろう。俺には叶えたい願いが在って、その為にやるべきことが山ほどある。
余分は要らない、秘密を知られる危険は無い方がいい。
「それは――」
ああでも、その顔に願われると弱いのだ。もう真理愛とは間違えない、それでも同じ顔に泣かれるのは嫌なのだ。
だが突き放さなければ。
これから俺が進むのは、いつも通りの暗い夜。もう会うことも無い。
リンカも思い違いでクジャクさんと離れることになるのはつらいだろう。
「俺はこれから自分の仕事に戻らなくてはいけない。やりたいことがあってしばらくは………………学び舎?」
異世界人の編入を受け入れる学園?
そこで俺はクジャクさんと灯塚裕理の話題に引っ掛かりを覚える。
異世界ウィレミニア3国同盟と国交を開いて十数年。それだけの年月が経つが、日本で魔法を学ぶ場所というのは未だ限られる。
ひとつは日本義瑠土の教導の場――それと。
「魔法学島の、帝海都魔法学園」
帝海都の海に造られた、異世界ゲートを有する国交の要。
教育課程に、魔法を加えた国の教育機関。
第2、第3世代の魔法適性を持つ人間の為の魔法教育と研究の最先端で。
未来に見上げる我らの障壁。
そして過去に懐かしむ、俺にとって始まりの場所。
「やっぱり伽藍が通う学園の事だった。リンカなら大丈夫だと思う。何かあったら伽藍が助けるから! と、友達だもん。」
「伽藍ちゃんが通っているところなんですか!?」
「そうです。伽藍と一緒に居られるのもあって勧めたんですよ」
「帝海都を案内するって約束、これならすぐ果たせそう」
なおのことリンカは喜びに湧く。少女の心は完全に固まった。
「一緒に居れなくなるのは残念ですけど……私、学園のお世話になろうと思います! たくさん勉強して、鍛えて強くなって、もう一度七郎様に逢いに行きます。その時はきっと、お側に置いてくださいね」
「お側にって……七郎、あなたリンカをどうするつもり? そ、そこの所よく聞かせてもらう!」
「やれやれ……娘の成長っていうのは、なんだか寂しいもんだね」
「あたしはずっと一緒に居ますからねクジャク様」
「カルタはいい男の1人や2人見つけておいでな」
これからの事に想いを馳せ、笑い合う少女達。
何か不満げな烈剣姫が、俺を見上げながら赤い顔で睨んでくる。
「というかあなたも一度、魔法学島に来て勉強していったら? 伽藍が案内してあげる」
「…………そうだ。俺はそこに行くことになる。……最後には、そこに」
動揺を隠そうとするせいで、つい正直に口が動いてしまった。
「! なに、魔法学島に来る予定があるの? はやく言いなさいよ」
「七郎様っ、来てくださるんですかっ?」
は、……はは。
この不思議な縁は、俺を苛む運命というものなのか。
罪悪感……捨てたと自身に言い聞かせたモノが、皮肉気に俺を嗤ってる。
魔導隊を信じる少女、真理愛と同じ顔の少女、2人は光り差す未来を疑わず喜び合う。裏腹に俺の足元は、立っているかも分からない程真っ暗に染まるのであった。
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一夜明け、いま立つのは駅のホーム。
七郎は見送る側。
それ以外は鉄道を使って帝海都へ向かう。
「休暇中だけどいいの? 裕理さん」
「いいんですよ伽藍。向こうで休むことも出来ますし、クジャクらの帰国とリンカの編入手続きは早い方がいいですから。遠慮しないで任せてください」
「ほんとにいつもありがと。頼りになる」
荷物を持って列車の到着を待つ一行。
美女、美少女が勢ぞろいしている為、人々の注目が集まる。
「旦那、本当にお世話になりましたねぇ。また会うこともあるでしょうから……その時は今回の御礼を必ず致します」
「まあ、その時は頼りにさせてもらうよ」
「う、ぐすっ」
「ぐすっ、必ずまた戻っでくるから˝……リンカ泣かせだら承知じねぇ」
「あんた達、まだ楽々子のこと引きずってんのかい? 今生の別れじゃないんだ、しっかりしとくれ。……カルタ……あんたが頼りだからね、またあたしを支えてくれるんだろ?」
「はい˝っクジャク様!」
この駅に来る前に、まじかるフレイヤとしての仕事がある楽々子とは別れている。
楽々子はカルタとリンカに抱きつきながら別れを惜しんでいた。
――ぜっだいまだ日本に˝ぎてね。やぐぞくだよおおお
――おうっまた来るから……うぐ
――リリダークもまたいっじょにや˝ろうね˝ぇぇぇ
――はいっ、ぐす……またいつか一緒に
別れの切なさが消えないのだろう。カルタとリンカの目は赤い。
しかしリンカは顔を上げ、華のような笑顔を作る。
「(七郎様の見送りに、こんな顔じゃだめ)」
闇色の肌と金の瞳を持つ蠱惑的な姿は、その色に関わらず光り輝くよう。
一時の別れ、だが再会を確信しリンカは前を向く。
「(きっとまた逢える)」
顔を上げれば、優し気に私を見る瞳がある。
変わらず誰かと重ねるような気配は感じる。
「(それでもいい。この男が私を見てくださるなら。……それに)」
それなら私を……このリンカを、見てくださるように努力すればいいだけ。
糸で絡めとるように、どんな手を使っても引き寄せる。
「(あきらめない、はなさない、にがさない)」
駅のホームに発車を知らせるブザーが鳴り響く。いつの間にか列車が到着していた。
クジャクらの後を追い一足跳びに扉の向こうへ。
「七郎様」
「ん?」
瞳を逸らさぬまま、最後に熱を込めた言葉を贈る。
「また逢いましょう。それまで私の事を、忘れないで?」
感謝も、憧れも、恋も。
嫉妬も、欲も、彼の秘密を知った愉しさも。
きれいなだけでない、全ての気持ちを仕舞って笑う。
閉じた扉の向こうで彼は、祈るような切ない笑顔。
「どうか君の未来が、夜に囚われない輝かしいものでありますように」
男の声を掻き消す発車の騒音。速度が上がり、駅ホームは徐々に離れていく。
リンカは七郎の姿が見えなくなるまで、ずっと窓から後ろを見つめていた。
ありがとうございました。これにて2章完結です。
ここから主人公の過去話後編を経て3章、最終章へと進む予定となっています。
皆様の応援を励みに完結を目指してまいります。
どうか見限らず物語を追っていただければ幸いです。今後もよろしくお願い致します。