2手先のピッケル(1)
視界が赤く染まるとはこのことか。
「(斬ってやるっ!!)」
敵の全身を覆う鎧の存在。殺人。
そういった一切の思考を放棄し、全神経を剣に乗せる。
足は前に出ているのか、息は吸えているのか……その感覚すら消え去る程、繰り出す一太刀へ没頭していく。
少女には鞘から抜き打つ自身の剣が、ひどくゆっくりに感じていた。
あと一歩半で間合いに入る。
「(反応できてないっ)」
白銀の騎士はまだ立ち尽くしている。手も足も、少しもその場から動いていない。
浸透した魔力で仄かに輝く切っ先が、鎧へ届くまであとわずか。
伽藍は勝利を確信した。
緩慢な世界で、自分の刀だけが自由。そのまま伝わるであろう手ごたえを待つ。
そして瞬間、フィルムのコマを飛ばしたように騎士は剣を斬り上げる姿勢。
伽藍の意識の空白に、騎士の剣が刀に触れ、華奢な体躯は当然の如く吹き飛ばされた。
「がっ――ぁ」
後ろの木が伽藍を受け止めるが、衝撃によりひび割れ折れる一歩手前。
「か、ひゅ」
騎士が意図して刃同士を打ち合わせ致命傷こそ無かったが、衝撃による呼吸苦と脳震盪が襲って来る。
揺れる頭で少女は慄いていた。
「(み、見切られてた……、伽藍よりずっと速く斬れるから動かなかったんだアイツはっ――、反応できないのは伽藍のほう、っ)」
一振りの斬り合いで身に染みた実力差。
先ほどの怒りは何処へやら。足が勝手に震えだす。
「……に、げて。コイツは、つよすぎます……にげて」
「ゆうり、さ」
目を空けた裕理が、かすれ声で逃走を促す。
裕理も子供をいなす様に、明らかに手加減されたまま倒されたのだ。実力差を理解している。
既に戦意は折れたとみて、騎士はそれ以上の追撃を止めた。
生来無口な騎士は、少女らへの賞賛と謝罪を口にすることはせず背を向ける。
呪物回収の進捗を見ようと、地蔵堂家奥の蔵へ。
しかしすぐに足を止めた。視線は木の下で蹲る少女に向く。
「まちな、さい」
再燃する闘志、揺らぐ魔力が刃の様に立ち昇る。
「どこいくのよ。まだ勝負はついて、ない」
怒りの炎はねじ伏せられ、血の気は失せる。
それでも刃は折れずに耐えた。ならば逃げ出す理由は無い。
「(霊園山から出会う敵ぜんぶ、格上ばっかり……世界は広くて、今にも挫けてしまいたい。――でも)」
伽藍の求める正義とは、決して倒れないあの背中なのだから。
尋常ならざる覚悟の圧に、‘ピクリ’と騎士の剣が揺れる。
だがそれだけだ。指先が少し、彼女の才能の大きさに反応したのみ。
状況は何も変わらない、次こそは意識を刈り取ると決め剣を掲げる。
「……――」
騎士は剣の柄を握り、魔力を瞬く間に剣へ注ぐ。金色に輝く刃から、留めきれず吹き出る魔力が風圧を生んだ。
伽藍は騎士が行おうとしていることを理解する。
単純だ、自分が会得した技と同じ。
魔力を刃に乗せ放つ……ただ己の断一空と異なる点は、桁違いの魔力量と操作精度。
アレは斬撃でなく、破壊の奔流を放つ気なのだ。
「っ、来い」
構えは正眼。精一杯、肉体と刀に魔力を回す。
ついに眼前の眩しく輝く剣は、斬撃の正しい所作をなぞる様に振り下ろされた。
伽藍の切っ先が奔流に触れた瞬間、信じられないほどの熱と衝撃が襲う。
「あ、ああああああああ!」
纏った魔力の膜が、辛うじて障壁未満の防御となる。
それも1秒もしないうちに搔き消えるだろう。
「ぐううううううう」
思考とも言えない、脳に巡る刹那の電気信号が支離滅裂に弾ける。
危険、負けたくない、裕理さん、助けなきゃ、剣こそが……――。
そう、剣こそが伽藍の正義。
悪を孕む獣を斬る事が、伽藍の望む力。あの日の背中に並ぶ為には、恐ろしい牙を殺す力が無くては。
土壇場で少女を突き動かしたのは、純粋な力への欲求。
剣の冴え、魔法の技術、……なんでもいい。
「あの日見た……恐い獣を跳ねのける強さがなくちゃいけないんだっっ」
伽藍の刃が、奔流を押し返し始めた。
「!?」
予想外の光景に騎士は驚愕する。
相当に加減しているとはいえ、日本の……子供のような剣士に耐えられるなど予想だにしない。
才能だ。
魔法と剣の違いはあれど、才能あふれる若い姿を幼い頃の娘に重ねる。
あの子が一番つらい時に助けることが出来なかった。
復讐と我が子の回帰こそ、あの娘が正気を保つ術。
ああ、それと――。
騎士の意識が、後悔に埋没した僅かな隙。
魔力の小奔流は、圧倒的な膂力によって砕かれる。
膂力は刃握る少女のものでは無い。
少女の振り下ろされた刀には、ひどく屈折した黒鉄の爪が重ねられる。
それは登山に使われるピッケル。
その後押しが騎士の魔力を砕くに至らせたのだ。
「……遅い。どこに行ってたの」
「魔物の足止めにあってね」
そうだ、あの暗い目の男が、我が娘の心を10年掛けて癒すに至った。
親としては複雑だがな。