ラコウの女からは逃げられない
ここ短い間の、激動の波乱。
終わってみれば、絡新婦とヤツメ家の魔の手、2つの脅威が過ぎ去って。
久しぶりの静かな夜は、みんなを深い眠りへ落とし込む。
カルタ姐さんはホテルの一室、フレイヤちゃんの隣で夢の中。
そんな静寂のなか、私はクジャク様の前に居ました。
なにか繕い物をしていたクジャク様は、部屋に入ってきた私を驚いたように出迎えてくれて……。
「どうしたんだいリンカ? そんな思い詰めた顔をして」
「クジャク様……お願いします。私に、ユイロウ流操黒糸術をお教えください」
畳に手を着き、平伏するように頭を下げる。
ユイロウ流操黒糸術。
その名を聞き、クジャク様……いいえ……恐ろしく美しい紅天女の眼光が体を貫くのを感じます。
「リンカ……あんたにそんな殺しの技はいらないって、何度も言い聞かせたはずだけどねぇ。水竜相手に、見よう見まねで糸を手繰ったのには驚かされた……仮にもヤツメ家の姫が、血濡れた体になる必要なんて無いんだよ」
重さを増す女傑の言葉。
でも、頭を上げないまま食い下がる。
「強く、ならないと……いけないんです」
「……確かに、あんな事があった後だ。あたしもリンカを守れなかった……でもねぇ、だからって」
「ちがいます! クジャク様のせいではありません!」
咄嗟に顔を上げる。
零れた涙が、畳に染みを作った。
「リンカ……」
――……見違えたね
いつからこんな、覚悟の据わった眼をするように
「ラコウでクジャク様に拾われてから、私は守られるだけでした」
――力が無いから手に入らない
願いに手が届かず、飢えた心を誤魔化し慰めるだけ
「小さく蹲って、隠れるだけの……」
――弱いことが分かっていて……だから多くの事を諦めて、息を殺して日々を過ごす
「でも、欲しい人が出来たんです。どんな手を使っても、あの方に私を見て欲しいんです。……少しでも振り向いてほしい」
クジャクは目の前の、いつの間にか咲き誇った華を見る。
「(まだまだ子供だと思っていたのに)」
――女の成長は、早いもんだ
傷だらけで路地裏に倒れていた、幼いリンカを拾ったのが数年前。
生家から逃げてきたというこの娘を、紅蓮の下働きとして匿ってから、あたしはリンカにラコウで生きる術を叩きこんだ。
山海連邦国家ラコウは、闇肌の武人達が治める力を尊ぶ国。
3国同盟の一部になる前は、国中で土地の支配権や食料をめぐる争いが絶えなかった土地柄だ。
今もラコウにはその気質が色濃く残る。
儚い花のような娘が、そんな国柄に踏みにじられないよう育てたのだ。
「それがまさか、大輪の華になるとはね」
――ラコウの女は、情の為なら海を越える
自分の事を棚に置き、クジャクはラコウの諺を思い出す。
ラコウの女性からは、海を越えても逃げられないという……男が苦い顔で話す笑い話。
「苦痛を伴う修行だ……吐いた唾は飲み込めないよ」
「……はい!」
ラコウで謳われる紅天女。クジャクの熱い血が騒ぐ。
こうしてリンカは己の髪を、命を啜る魔糸と成すことを選んだ。
「(諦めません。最後にはきっと、私のモノにして差し上げますね……七郎様)」
胸を灼くこの爛れた想いを、ずっと愛おしむと決めて。