獣へ堕ちる
「どこに逃げりゃいいんだよっ」
「とにかくあの化け物から離れろ! あんなの俺達じゃどうにもできねぇ」
男達は必死に走る。
彼らは密売コミュニティに雇われる用心棒。
腕自慢の喧嘩師や行き場のないチンピラ。少数であるが、犯罪に手を染めた魔法使いも含まれる。
「でもなんか……静かになってねぇか?」
足を止めると、後方の破壊音が嘘のように止んでいる。
代わりに聞こえてきたのは、拡張された声。
――投降せよ! 我々は、義瑠土及び陸海軍の混成部隊であるっ
出現した巨大な怪物は、既に討伐された
安全は保障する! 我々は此処に居る全員を保護する準備があるっ
「やややばい、手入れだ」
「捕まりたくねぇ」
「保護なんてふざけた建前ぬかしやがって……港に戻って海に逃げるぞ!」
「大人しく、縛に付け」
「!?」
突然現れた初老の男に、逃げる男達の誰もが驚く。
しかし彼らにもプライドがあった。
腕っぷしを買われてコミュニティに雇われているのだ。怯えるばかりでは立つ瀬が無い。
「へ、へ。じいさん……刀持ってるからって粋がり過ぎだな。1人で俺達を相手にしようってかい? おらぁ“強化”が使えるんだ。わかったら、さっさと――」
「あ、あ」
筋骨隆々の喧嘩師が前に出る後ろで、わなわなと震え始める者がいた。
「こ、こいつっ!」
「……年寄り扱いされる年齢では、無いのだがな」
「こいつっっ“一輪挿し”の藤堂だぁぁぁぁぁぁ」
「なっ! コイツが魔導隊最強の――」
男達全員の視界から、藤堂は消えていた。
気づけば既に、悠々とこの場から離れている。
「撫でられたことにも、気づかんか……」
地面に倒れ伏していく男達。藤堂は瞬きの間に、刀の峰で全員を気絶せしめていた。
「これでは修練にもならん。やはり……伽藍は連れてこず正解であった」
伽藍本人は後に付いて来たがっていたが、明らかに消耗していたので裕理と共に下がらせた。
今頃は協力者だと言う異世界人と共に、倉庫群を囲む部隊に保護されているだろう。
竜の首筋を跳ね上げたという、飛燕の剣。
娘がその域にまで達したことに、笑みがこぼれる。
――墓山に籠るあの男に、伽藍を会わせたのは間違いでは無かった
娘よ、お前は……願いを剣でこそ叶えるのだろうか?
「それとも…………――」
藤堂は、遠く離れた地から声を聴いた。
声というよりは獣の咆哮。
藤堂は墨谷と“崩天”が消えた方角に、冷徹な視線を向けた。
・
・
・
――Gi、いいいぃぃ
重い。なんて重さだ。
水底に沈む、泳げない。
“崩天”は必死であった。
自身の体に取り付く、ヒトの大きさをしたナニカ。
あいつが掴む鱗が、肉が、引きちぎられていく。
――ギッAAAAAAA!!
死にもの狂いで“崩天”がたどり着いたのは、大きな入江であった。
数億年前の岩盤が隆起する陸地が、海と接して広がっている。
近くに人の気配は全く無かった。月明かりだけが竜の巨躯を照らす。
突然、“崩天”は強い衝撃、そして重さの消失を感じる。
食らいついていた獣が、刃鱗を蹴りながら陸地に飛び移ったようだ。
十字に燃える双眸が、変わらず殺意をまき散らしている。
「はな……せ……はなして、くださ……」
「――?」
体中の骨が折れ、呼吸もままならない犬神が魔導外殻の中で呻く。
暴れる竜に引きづられながら、ずっと眼前の男は、鎧を掴む手を離さなかった。
激痛と、浸水による呼吸苦。その感覚も徐々に遠くなっていく。
末期の声が届いたのだろうか。男……墨谷七郎が視線を犬神へ向ける。
「――な、んだ……ソレ」
奇怪な光景だった。
映像が乱れるように、七郎の体が、顔が、全てが’ぐちゃぐちゃ’になっていく。
ついに不快な電子音じみた音を立て、七郎の表面が捲れていった。
‘ぼろぼろ‘と崩れるように肌が崩壊に巻き取られ、【愚か者の法衣】はその機能を完全に停止する。
法衣は停止状態になると「輪」のような形態に折りたたまれる。
外見欺瞞の機能を収納し、一個の魔道具の状態で七郎の頭上に固定された。
「てめぇ――はじめ、から……人間じ、じゃあなかった」
「…………」
何事か囀る鉄塊の中身。
俺は片足を上げ、声のするあたりを踏み潰す。
硬質な破壊音を響かせ始める黒い塊。
「あああ、やめでっオレが何したって」
足が鉄と中身を踏み砕き、突き抜けた先の地面を足裏に感じる。
多少のぬめりを伴って。
「(でもまだ動くやつがいる。コッチを見ているヤツがいる)」
竜は恐れた。燃え爛れるような十字の瞳を。
本能が恐怖を叫んでいる。
竜としての誇りが、天敵を前に怖気づいている。
竜の視線の先。
男の体は、黒鋼の金剛体であった。
皮膚が焼け落ちたように消え、おおよそ人体とかけ離れた筋繊維がむき出しとなっていた。
骨格も、筋肉の構造も、人間の名残を残すだけの別物。
正面から男の背中側の景色が覗く、隙間の有る体。
穴ではなく、ひび割れ。それを再生力で繋ぎとめた異形の戦闘体躯。
その異形には、山のような質量が凝縮されていた。
輝く十字眼が、大きく裂けた口に並ぶ歯を映し出す。
鋭利で、残忍。
その歯牙より鋭かったであろう2本角は、側頭から前へ伸びるが、半ばで折れている。
2本の足で直立しているだけの、獣。
「見イィィタァナアアア」
理由ハ分からない。デモ、見られてはいけなかっタような気がする。
――殺ス理由は、それデ充分だ
もはや身体強化による、自重軽減への意識は皆無。
大地が軋む音がする。
逃げられないことを悟った“崩天”は、僅かな可能性に賭け、抵抗を選んだ。
――i、イギィイイイイイ
魔力で海水を操り、刃状にして射出。同時に巨躯を活かした全力の突撃。
無数に生える刃鱗が、生存本能に従い蠢く。
“崩天”が最後に見たのは、黒獣の暴威。
「ミンナで残らず食ってやるカラ、死ネ!!」
思考が激情に溶け、混ざり合う記憶の破片だけが、残り少ない人間性を保つ縁。
影収納も、収納内にあるゴーレム【明】も、懐かしい武器の数々も、思い出すことは無かった。
必要なのは四肢による暴力。
腕を付き出せば竜の骨が砕け、爪を振るえば肉を削ぐ。
圧倒的質量が可能にする、体格差を無視した殺戮。
“崩天”が原型を留めない肉塊になるまで、一瞬。
瑞々しい血の臭い、肉片が周囲に降る。
「あああああぁぁぁアアアアアぁぁぁ」
狂おしいほど、憎い。
――なにガ、憎い?
「ミンナを奪い取った世界っ! 嫌イダッ夜なんてっっ! 1人ハ嫌だ! 何時になったラ夜が明けるんダ!?」
――どうすればイイ?
「ヤグソグッ、みんなでいっショにアさを!! アアアァァアあああイナイ、死んダ、いない!!」
――ドウスレバイイ?
「――もういい」
疲れた。楽になりたい。
「――ッッ、アアアアアアアアア」
思い切り泣こう。藻掻くのを辞めよう。走るのを辞めよう。
仲間と共に戦った、墨谷七郎を辞めよう。
力一杯の咆哮を、夜空に向けて放つ。
大気は揺れ、余波で周囲が崩壊していく。
十字の瞳から流れる涙。
体の芯の奥深く、灼ける魂が苛む苦痛にもうんざりだ。
化け物らしく、食い散らしたいまま暴れてやろう。
それが七郎の、嘆く最後の言葉――…………。
“かん、かん、かん、かん”
「――」
獣の真体を露にした七郎が、微かに音のする空を見上げる。
月と、星。夜色の黒。
魔力で輝く、流れ星。
尾を引く光の線が、カーブを描きながら飛んでくる。
鉄の車輪、景色を映す窓ガラス。
見上げる俺の遥かな上で、金の滴が飛び降りた。
――銀河鉄道::..::プロトコル
――::良い旅を:::;;
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