表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
105/320

蜘蛛と天女(2)


 青白く輝く球体、異世界と日本を繋ぐ秘匿ゲート。ゲートが浮く周りは無残な有様であった。

 壁と天井はひび割れ、風と月明かりが入り込む。

 床に至っては大部分が崩落し失われ、ゲート周りに僅かな面積を残すのみ。


 そのゲートの隣に、リンカはへたり込んでいた。


 「クジャク様……くじゃくさま…………」


 幼い頃、ありきたりなお家騒動によって生家を追われたリンカ。

 大勢の大人によって逃がされた先は、苦界と見まごうばかりの裏路地。


 幼いリンカにとって、生まれて初めての凍える寒さ。

 名家で育った世間知らずにとって、生まれて初めての飢え。


 そこから拾い上げてくれた、生きる術を教えてくれたクジャクは母親も同じ。

 生みの母の顔も朧げな少女にとって間違いなく愛しい、縋るべき母なのだ。


 「私はただ、七郎様に見て欲しかっただけなんです」


 絡新婦(じょろうぐも)から追われる旅に、弱音ひとつ吐かなかったリンカが、今度ばかりは打ちひしがれている。


 「でも七郎様にとって私は……代わりだったんですね。私が誰なのかも興味が無いくらい、誰かの代わりだったんだぁっ。クジャク様の言った通りで……――う、ぅ、ぐすっ……ううぅぅぅぅぅぅぅぅ」


 下で戦っているであろう母に、恥も無く泣きつきたいと思うほどに。


 大粒の涙で悲しみをいくら洗い流しても、次から次へと溢れてくる。

 幼い身に過ぎた情念が、冷たく心を焼いていく。


 「――っ、くそっ。派手に壊してくれる……」


 どこからか発せられる声。

 声と共に、秘匿ゲートの青い輪郭が広がった。歩み出てくるのはリンカを連れ戻そうとする、ヤツメ家重臣の男。


 「おおリンカ様、ご無事でしたか。レンメイめ、リンカ様の身を危険に晒し――」


 男が割れた壁から外を覗く。

 紅蓮の炎に照らされて、黒のドレスが殺意で舞う。


 「挙句、未だ紅蓮を始末出来てないではないか。……まあ、こういう時の為に苦労して持ち出した竜共だ。これでヤツら全員海の藻屑よ。ははは」


 水の様に揺蕩(たゆた)っていた円が、今までとは比較にならない大きさに広がった。


 途端に漂う生臭さ。湿り気を帯びた吐息が、ゲートの奥から流れてくる。


 まず門を(くぐ)ったのは白い牙だ。人間数人分あろうかという長さの、気味の悪い鋭利な牙。


 続いて現れたのは牙を生やす大口。巨大な目玉を持つ縦長に扁平な顔。

 牙を除けば、まさしく魚類の顔貌(がんぼう)である。


 醜い顔に続き、巨体がゆっくりと泳いでくる。リュウグウノツカイを思わせる長い体躯。

 構造色じみた光沢を持つ鱗が全身を覆う。


 そして何より目立つのは、巨体に不規則に生えた鈍色(にぶいろ)の刃だ。鉄鋼で鍛えた如くの刃剣が、反り返りながら無数に生えている。

 おそらく鱗が変化したモノなのだろう。


 その刃を縫うように、螺旋状に背鰭(せびれ)が生え、蠢く。

 赤い突起は(エラ)の様にも見えた。


 コレこそ、ヤツメ家が飼い慣らす亜竜。

 水棲の魔物、鉄刃戦魚の成れの果て。


 言語を解する知能は無い。

 だが鱗の堅城、鏖殺の刃、海を離れ宙を泳ぐ。本能で魔力を用い、()()在りもしない手足の如く扱う怪物。


 竜の末席に相応しい異形である。


 「さあリンカ様、どこぞのヤクザ者に従う日々から解放して差し上げます。貴女(アナタ)様はヤツメ家の直系。正当な跡取りなのです! ワタクシめが必ずっ、その地位をお約束します」


 「そんなの、要りません……」

 

 「いいえっ、是が非でも協力していただきたくっ! 今、ヤツメ家を取り仕切るのは、直系の血筋でなく傍流の家柄……妾腹の血がヤツメ家の家督を奪い取るなど言語道断なのです。あなたが幼き頃の騒動も、あ奴らが過ぎた願いを持った末の大罪! であれば、正さねばならないっ。直系の血を持って、真の棟梁(とうりょう)が誰なのかを――」


 「……あなたは私を、権力を得るために利用したいのですね」

 

 「っ……これも貴女様の身の上を想えばこそです。…………ごくっ」


 男は生唾を飲み込む。

 目の前に膝をつくのは、糸で縛られる非力で哀れな少女のはずだ。


 だがどうだ。血の(とうと)さを表す少女の(つや)やかな闇色の肌は。

 自身の鼓膜を揺さぶるのは、生まれながらの支配者の声色。


 何より彼女の、冷たく悲壮な仕草が、年不相応な妖しい魅力を振りまいている。

 

 (ひざまづ)き、慰めたくなるような……。


 「(っイカン。何を考えているのか……)」


 男は慌てて頭を振る。


 「……とにかく、まずは貴女様の憂いを絶たなければ」


 ――“竜どもよ、敵は母なる海の上だ。存分に喰らいませい”


 男の言葉に、竜に刻まれた刻印が反応する。

 竜の成長過程で刻まれた刻印は、術者の命令を伝える。


 反逆には、超絶の苦痛を罰とした。

 

 秘匿ゲートより体を解放する水竜。


 ()()2()()()それに続く。


 「竜が、3頭……」


 「ご覧ください。ワタクシめの力を! “白雨(しらさめ)”、“玉眼(ぎょくがん)”……そしてヤツメ家歴代の使役竜で、最も強靭な“崩天(ほうてん)”を」


 巨大な“崩天”に、2頭の竜が(はべ)るように付き従う。この2頭が“白雨”と“玉眼”なのだろう。


 「“玉眼”、そして“崩天”! あれなる敵を殺し、喰らえ。“白雨”は此処を守るのだ」


 男が港付近で踊る炎を指さすと、2頭が牙を剥き出し進撃する。


 「きっと、竜は殺されます」

 「!? ……なんと申されます。そんなことはあり得ない」


 男はリンカの言葉を否定する。ラコウの土地ならまだしも、日本でアレらを殺し得る人間が存在するわけがない。

 そんな常識的な考えからの否定。


 「いかに元“金冠級”のクジャクでも、2頭の竜……まして“崩天”が相手では及びますまい」

 

 「――」


 リンカは母の力を信じている。(あね)烈剣姫(れっけんき)の実力も。


 何より、いつか湯霧の中垣間見(かいまみ)た黒い金剛を。

 レンメイの糸をものともしない、埒外(らちがい)膂力(りょりょく)を。


 あの悲し気で、優しい眼差しを。


 ――しちろうさま


 失恋の痛みで(ただ)れた胸。

 リンカは未だ癒す術を知らない。


『ブックマーク』と★★★★★評価は作者の励みになります。お気軽にぜひ!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ