崩落直下
「さあクジャクゥ……1人でコッチ来ぉ。この娘の首、掻き切られたくなかったらなぁ」
「レンメイ……!」
クジャクは睨みつけながら、蜘蛛の元へ近づいていく。
室内は殺風景な作りであった。
部屋と言うよりは、施工途中の無骨な空間。
コンクリートの壁を柱が支えているだけ。その分、広さだけはある。
大方、秘匿ゲートの固定の為だけに造られた部屋……いや建物なのだろう。
クジャクが部屋の中心まで歩くと、彼女の体を一瞬で黒糸が縛る。
だが膝は折らない。直立したまま頭上のレンメイを見上げた。
「クジャク――クジャク、クジャククジャクぅッ――この売女がっっ、ようやっとお前を捕まえたっ。毒で弱ってるクセに、ラコウではさんざ煮え湯を飲ませてくれたなぁ」
「ラコウじゃ、アンタは一度も姿を現さなかった。哀れな操り人形ばっかり差し向けて……正面からじゃあたしに勝てないからねぇ、アンタ」
「あ、ははぁ――ひぃひひひひ! そんな筵巻で何を強がってるんやぁ。アテの方が強いっ、弱いのはお前や、負けたのはお前やっ」
「あたしを正面から殺る度胸も無い。アンタの下衆なやり口のせいで師匠は死んだ。いっぺんも忘れた事はないよ」
「だまれっっ!」
体を縛る糸が、金属が擦れるような高音を発する。
それでもかつての姉弟子、堕落しきったレンメイから目を離さない。
「いい加減っ、ケリを付けようじゃないか!」
「何をほざくんや! お前の可愛い娘はアテの手の内。動けばソッチから解体すまでやなぁ!」
「出来ないんだろう? アンタはヤツメ家の威を借りて其処に居る! あたしを苦しめたいんなら、攫ってすぐにリンカを殺せばよかった。でも、そうしなかった。――ヤツメ家の令嬢は、間違っても殺せないでしょうからねぇ!」
リンカが生きていた。
それを喜びながら、同時にクジャクは1つの確信を得ている。
「(ヤツメ家はリンカが生きてることを知って、消すのでなく生かして利用するつもり)」
だから絡新婦は、ヤツメ家の意に反してリンカを殺せなかったのだ。
――リンカが、あのヤツメ家の血族
事情を知らなかったカルタが、心の底から驚いた顔をしている。
「ぐ、ぐ」
笑顔が消え、歯ぎしりするレンメイの足元。
黒糸の拘束から赤い炎が吹き上がる。
「下らない姉妹喧嘩は、もうここらで終わりにしようじゃないか」
その炎はクジャクの体から燃え上がり、拘束を焼き切っていた。
魔力と、炎の術を込めた髪糸。鉄をも溶かす、彼女の心象を表す操糸術。
数千、数万の炎糸を自在に操りながら、熱による自身への影響を完全遮断する防御術式を展開する。
クジャクの、通り名の由来。
「……クジャク様……」
鮮烈な光と熱。
よく見知った母の炎を感じ、気を失っていたリンカが目を覚ます。
「~~っ! 邪魔くさい!!」
「ぁっ!」
レンメイはリンカの体を、糸でゲート近くに放り投げる。
受け身の取れないリンカは、コンクリートの床に叩きつけられ激痛に呻いた。
娘の苦境に目を吊り上げ、怒気をこれまで以上に発するクジャク。
黒糸を束ね鋭利な槍と化すレンメイ。
一触即発の状況で、2人の傍に歩いていく人影があった。
・
・
・
「リンカ……」
「ちょっと! 不用意に近づくのはっ」
俺は銀伽藍の言葉を無視し、叩きつけられたリンカの元へ。
絡みつき、体を裂こうとしてくる黒糸を物ともせず、闇色の少女を抱き起こす。
「七郎様…………」
腕の中で涙ぐむ少女。
しかし想い人への感涙は、すぐに冷たい絶望へと変わる。
「……………………君は誰?」
「――ぇ?」
七郎様の、心から困惑したようなお顔。
哀しみ、失意、後悔。
それらがない交ぜになった心が伝わってくる。
――真理愛は……もう、死んだ。俺が守れなかったから
俺の突き出す両腕に、彼女の小さな頭が見えた
私の体に触れていた手が、私でなく、眼に見えない別のモノを抱えたのが分かった。
――首だけになった真理愛が、うっすらと瞼を開く
乾いた唇が小さく動いた
もう七郎様は、私を見ていない。
“みん、なで……あさ…いっ、しょに”
「あ、ぁ」
彼の優しさも、ふとした時に重なる眼差しも、最初から私じゃなくて……。
あ、はは――、そうなのですね七郎様。
「ああぁぁああああああああああ」
慟哭と共に、体に激しくノイズを生み出す七郎。
その直上から、コンクリートの屋根に穴を空け鉄塊が降ってきた。
「オラァッッ潰れろ!!」
それは全身に鎧をまとった犬神。
突然の乱入者に、クジャクや烈剣姫らの反応が遅れる。
犬神に、機を見計らい強襲することを命じていたレンメイだけがうすら笑う。
犬神にとって、人質とヤツメ家の関係は配慮すべき物にない。
悲しみに暮れるラコウ人の少女ごと、いつか自分に口答えした男を潰すため襲い掛かった。
一部の魔導隊員に先行配備された魔導外殻。駆動音を唸らせ、魔力の籠った拳を打ち下ろす。
俺は反射で、超重量の鎧、その胸部を片手で打ち抜いた。
「ぐぼおっっっっ」
犬神が次に見たのは海だった。月明かりが海面に映る、暗い海。
胸を殴られ、ビルの壁を突き抜け、自分が吹き飛んでいることを自覚するのに1秒。
魔導外殻に備え付けられた全身状態表示機能。それが胸部を中心にレッドアラートを示すのを見たのが、着水直前。
「ぐっぎゃ!!」
大きな水しぶきをあげ、犬神は海へ沈んでいく。
「…………へ?」
砲弾の如く壁を突き破り、彼方へ消えた犬神。
レンメイは空いた口が塞がらず、間抜けな声を漏らす。
そして殴り飛ばした態勢のまま、七郎の表面が乱れていく。
――あ、A、GA、アアアああああアアAAAAAAAAAAAAAッッ!!
咆哮が空気を震わす。
10年前の黒牢から墨谷七郎が彷徨う、狂気と正気の境界線。
死者蘇生を願い、死の運命に逆らう狂気こそ彼が人たる証明。
それを七郎の魂が砕けた所以、織使真理愛と瓜二つのリンカ……黒華の毒が、彼の狂気を優しく殺す。
そして男の正気は、初代魔導隊の一員たる魂は、とうの昔に獣へ堕した。
思考は濁り。
偽る肌は、悲壮の涙で心を語る。
解き放たれつつある自重に負け、石塊の床が音を立て崩れていく。
「きゃあっ!!」
「なんだ!?」
七郎を中心とする崩壊。
共に落ちていく伽藍にカルタ、レンメイとクジャク。
最上階の名残に取り残されたのは、秘匿ゲートとリンカだけ。
因縁と失意が渦巻く一幕、それは石箱の底、海と同じ高さへと崩落直下に消えていった。