さよなら、私の好きな人。
ご覧頂きありがとうございます。
「これはもう別れるしかない…のでは??」
木の影に隠れて見守る私の視線の先には、仲睦まじく腕を組み歩く2人の男女。
黄緑色のドレスに身を包む女の方は誰か分からないけど、その横で歩く体つきのいい青年は、私ことアリサベルの婚約者たるヒューバート様。
普段は騎士服に身を包み、剣を振るい人を守ってとてもカッコイイ姿を見せる彼だけど、今はカジュアルな服に着替えその美しい筋肉をより素晴らしく魅せている。
彼は、辺境にある伯爵家の三男で、跡継ぎの権利を半ば放棄し騎士団に入団、今は騎士団の副団長を務めている。
そんな素敵でかっこよくて素晴らしくて強い彼は、なぜか貧乏子爵家の次女でしかない私の婚約者だ。
屈強な体に似合わず、繊細で美麗な顔をしている彼とは違って、私は特に特筆すべき所もない平凡な容姿をしている。
彼は、一般的に見て素晴らしい容姿をしている上に、強くて身分もあるとなれば女の子たちは放っておかない。
しかも、婚約者は子爵家の平凡な娘ときた。
そういう訳で、彼は大体いつも女の子たちに囲まれ、数日に一度は交際を申し込まれている。
モッテモテだ。
それでも彼は、その誰にも靡かず結婚したところでなんの旨味もない私と婚約を続けていた。今日までは。
以前から多少は浮気を疑ってはいたが、こんな風にデートを見せつけられたのは初めてで、流石にちょっと驚いた。
しかも白昼堂々街歩きデート。
私彼とも1度もデートした事ないんですけどーという心の叫びは置いておいて、これは早急に対応を考えなくてはいけない。
浮気現場を見たと彼に詰め寄るのか、婚約はどうするのか、続けたとして慰謝料請求とかするのかしないのか、など考えるべきことはごまんとある。
とはいっても、私の答えはただ一つ。
このままそっとフェードアウトして別れる、だ。
慰謝料請求くらいはさすがにせざるを得ないが、それもお気持ち位の額で。
彼の記憶に残らず、財布にも影響を与えず、立つ鳥は跡を濁さず去るのみだ。
理由は簡単。
彼に幸せであって欲しいから。
ヒューバート様と婚約を結んだのは今から5年前で、理由は家の借金だった。
借金が嵩みいよいよ返せないとなった時、祖父の代で助けられたとか何とかでその時の借金を肩代わりしてくれたのが彼の家だった。その代わり、当時騎士団の見習いで身分の高い子女から相手にされず売れ残っていたヒューバート様との婚約を求められたのだ。
その辺を歩いていそうな平凡極まりない私とは反対に、キリッとした顔立ちに嫌味のない筋肉とかいう文句なしな容姿のヒューバート様に私はひと目で恋に落ち、二つ返事どころか食い気味に頷いた。
それから5年で、ヒューバート様は周囲の予想とは裏腹に凄い勢いで出世を重ね、今では王立騎士団の副団長だ。騎士爵が与えられるくらいには立派な身分で、売れ残りから反転大人気物件となった。
だからこそ、お情けで婚約してもらったみたいな私は彼に1ミリも相応しくない。彼の隣に立っていい人間の要項があるとすれば、私はそれにかすりもしないだろうと思う。
私はずっと決めていたのだ。
ヒューバート様に好きな人が出来たら、サッと解放して差し上げようと。
だから、別れる。
うん。
別れられる。
「で?それは本気なの?」
そんな話をしていたら、目の前の友人は呆れたように問いてきた。
目の前でデカいジャッキを片手に、カウンターに肘をつく彼女は十年来の友人であるマキナだ。
マキナはお隣の男爵家の末娘で、私と同い年なこともあり、おぎゃあと産まれたその時から仲の良い親友だ。
そこまで裕福でもなければ、貧乏でもない平々凡々な男爵家育ちの彼女も、貧乏子爵家で困窮する中生まれた私も、若干放置され気味だった事もあり、2人でよく街に出て遊んでいた。
そして、昼間決めた私の決意を聞いてもらおうと、気合十分で彼女を呼びつけ、食事を挟んで話を聞いてもらうこと数時間…気がつけば持っているものが紅茶から酒に変わり、目の前での皿もケーキからつまみに変わっていた。
「本気も本気よ。だって前々からヒューバート様に私は相応しくないって思ってたんですもの。折角ヒューバート様を解放して差し上げるチャンス、逃してならないわ!」
「貴女がやる気なのは十分伝わってるわ、でもね、アリサ」
彼女は呆れをさらに深め、ジョッキを煽って一言。
「貴女さっきから、大号泣よ。ほんとに大丈夫なの?」
その通りである。
始めは決意を決めたテンションのまま、己の覚悟と共に強く意見を主張したものの、時間が経って酒が入るにつれ、段々婚約破棄が現実味を帯びていき、その未来を想像してやっぱり悲しくなって涙が溢れ始めてしまったのだ。
「大丈夫って言ってるでしょ。今は急な事でびっくりしてるだけで、2日もすればヒューバート様の幸せを祝えるわ!」
こちらもジョッキ片手に力強く宣言すると、滲んだ視界が若干歪んだ。
そんな私にはいはいと適当な返事を返しながら、やっぱりまだ呆れ顔でマキナは呟いた。
「そもそも、ヒューバート様が浮気するなんて思えないのは私だけかしら」
そんな調子で、グダグダと管を巻きようやくおひらきになったのが昨日の夕食前。
流石にお腹は空いていなかったし、酔いもいい感じに回って眠たかったので、夕食は無しにしてもらってそのまま入眠。
翌朝起きてすぐ、肝心な事を何も伝えていない事に気がつき慌てて、父親に婚約破棄いや、婚約の白紙撤回を求めた。
父親は驚き理由を説いたが、私には荷が重いからという理由で通した。
なんとか了承してもらって、これ以上の縁談は望めないぞとかぐちぐち言われながら手紙を書き、向こうのお宅に送ったのが昼食前。
流石に今日中に返事はこないよなと思っていたのだが、なんとその日の夕方に返事が返ってきた。
なぜか、ヒューバート様が直接やってくるという形で。
「ど、どうされましたか?」
玄関ホールで出迎えつつ、焦った様子のヒューバート様に尋ねてみる。
彼は私の顔を見るなり、凄い剣幕でこちらへ迫ってきた。
「どういうことだ?!」
「えっ」
「手紙、婚約を撤回するって…」
慌てた様子でヒューバート様は私を問いただす。
まっすぐ私の目を見てくる彼の表情には、焦りが滲んでいた。
「どうもこうもないですよ?そのままの意味です…」
「じゃあ、本気で…?」
「は、はい…」
普段の彼からは想像がつかないほど切羽詰まった様子に、私は少し驚いてしまう。
彼は、私が今まで一度も見たことがないほど焦り、慌てていた。
「ど、どうして…」
私の肩を両手で掴み、途方に暮れたように尋ねてきた彼の様子は、彼が浮気をしていることが嘘のように思えるほどだった。
だが私は、彼があの時知らない女性と2人、仲睦まじく歩いていたことをもう知ってしまっている。
あんなのを見てしまったら、もう、今まで通りなんて無理だ。
「浮気、してるじゃないですか」
「え、」
予想外のことを言われた、と言うように彼は目を見開いた。
「相手が誰か知らないですけど、でも、私見ちゃったんです!」
「な、何を」
「ヒューバート様、この前街で女の人と2人でいたじゃないですか!な、仲良さそうな感じで、2人で!」
「そんなことっ…は…」
彼の言葉は続かなかった。
私は、彼がはっきり否定しなかったことが悲しくなってしまった。私が問い詰めたのに。
「前から、分かってたんです、私とヒューバート様じゃ釣り合わないって。だから、ヒューバート様に好きな人ができたら、私は身を、ひこうって、きめ、決めてて…」
返事をしない彼に言い募る内に、だんだんと視界が歪んでくる。
駄目だ、泣きたくない、のに。
「あの女の人、彼女、ですよね?だから、私身を引こう、引かなきゃって。だから」
涙が溢れてしまって言葉が途切れる。
情けない。
私じゃ釣り合わないのなんて分かりきってるのに、今更それが悲しくなって涙が止まらない、なんて。
それでも、言葉を続けようとして、彼に遮られた。
「違う、それは、違う」
「何も違わないですっ!」
「違う、本当に違うんだ」
「何が!」
彼の言葉に耐えられなくなって、強く否定して彼を見た。
彼の顔からは、もう驚きも戸惑いも消えていた。
「アリサ、君が見たのは、あれだろ?髪が茶色くて、目の下に黒子があって、ちょっと髪巻いてる黄緑色のドレスのやつだろ?」
誰を見たのか正しく言い当てられて、やっぱりあれは気のせいじゃなかったのかとまた悲しくなりながら頷いた。
「君に黙ってたのは悪いとは思うけど、あいつは、彼女じゃなくて」
彼が、あの人をあいつと呼んだので、やっぱり知り合いで、しかもそんなに砕けた呼び方ができるほど仲が良いのかと落ち込みそうになった。
でも、思わず下を向こうとした私の視線を、彼の言葉が止めた。
「いま、彼女じゃないって」
「そう、君が想像してるようなことは何もないし、なによりあいつは彼女じゃない」
「え、」
「あいつは男で、しかも、同期のやつだ」
じゃあ彼氏なのかと一瞬考えそうになったが、慌てて打ち消した。彼は今、はっきり私が想像してることは何もないと言ったから。
「俺が女装したあいつと一緒にいたのは、任務の一環。ただの仕事だよ」
そう言った彼と目が合う。
彼は、小さく笑って私の頰に触れる。
「前もって何も言わなくてごめん。不安にさせたよな、ごめん」
もうとっくにわたしの涙は乾いていたけど、彼の指はそのまま残っていた涙の跡を拭った。
「それから、」
彼はわたしと目を合わせたまま、優しく笑う。
「アリサと俺が釣り合わないとか、そんな馬鹿なことは考えなくていい」
「でも」
馬鹿なことじゃないと続けようとした私を、諭すような声音で遮った。
「他の人がなんて言おうと、アリサは世界一可愛いし、他の誰よりずっと優しいし、他人なんて比べ物にならないほど輝いてるし、唯一無二だし、むしろ俺の方が努力しないと君にふさわしくないほどだし、それから…」
「ぅえ…」
思っていた倍くらいの返答が返ってきて、びっくりするやら恥ずかしいやらで、いっぱいいっぱいになってきた。
だと言うのに、まだ続けようとするから慌てて止める。
「も、もう十分です、十分ですからっ!」
「本当?まだ十分の一も言ってないけど…兎に角、俺は君の事が他の誰より大好きなんだから、身を引くとか考える必要ないよ」
そこまで、言い切ると突然不安になったように、眉根を寄せてこちらを伺ってきた。
「それとも、アリサは俺が婚約者なのは嫌?だったらこのまま婚約解消してもいいけど…」
「そんな事ないです!わ、私も、ヒューバート様の事がっ、その…」
「俺の事が…何?」
ちょっと嬉しそうな顔で、彼は私の顔を覗き込んだ。
絶対わかってるだろうなとは思うけれど、彼も今ものすごくサラッとではあったけど、告白?してくれたので、私も言おうと心を決める。
「ヒューバート様の事が、す、好きです…から…」
声はものすごく小さくなったけど、なんとかそこまで言い切った。頰が熱くてまともに顔が見れなくなる。
下を向いていたら、頭上でふっと笑い声が聞こえた。
「そっか、嬉しいよ。でも、それなら…これはいらないね?」
そう言うと彼は、取り出した書類、もとい婚約解消のための書類を引き裂いた。
それはもう、綺麗な真っ二つに。
「え、」
「あれ?必要だった?」
思わず戸惑いの声を上げると、彼は小首を傾げて不思議そうにする。
「でも、俺はアリサの事が好きでアリサも俺の事が好きなんでしょ?だったら、解消する理由もないし、こんなクソみたいな書類いらなくない?」
「いや、要らないですよ、要らないですけど、ためらいとかなく破いたなって」
「だって要らないし…」
「ま、まあ、そうですけど…」
なんて事ないように言うので驚きつつも頷いたら、彼はこの話は終わりと言うように手を叩いた。
「あ、そうだ!例の任務の時にすごく美味しそうなカフェ見つけたんだよね、アリサが好きそうなやつ」
これから行かない?と尋ねてきたので、行きたいと私は頷いたのだった。
「…というわけなのよ」
「へぇー」
全てが解決したので、今回もマキナに報告する。
話終わってほくほくとしている私に対し、マキナは心底どうでも良さそうにしていた。
「で?その砂糖吐きそうな惚気にオチはあんの?まさか、その話しに呼んだわけじゃないでしょうね?」
だとしたら刺すわよとフォークを向けられたので、そんな事ないと首を振った。
拙作に目を通して頂き誠にありがとうございます
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