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命の旅路

作者: 蒼あかり


 その男は、とある国の王妃専属護衛騎士であった。

 若くに国王となった夫とともに、民からも愛され慕われたその人は、花のように美しく、聡明で気高い女性だった。

国王との間に第一子となる王女を成した後も、その美しさや気品が損なわれることはなかった。


誰しもが、このまま幸福な未来を迎えると信じて疑わない日々。




予期せぬ事態だった。

いさかいなどなかった隣国が突如として辺境の地に攻め入り、あっと言う間にその手は王都にまで届いてしまった。

戦火に沈みゆく王都の街並みを目にした国王は、王妃と王女を逃がした。

最後まで国のため、民の為に共に戦って死することを願った王妃であったが、国王の命を受けた男の手により、二人は戦火に巻き込まれることなく逃げおおせたのだった。


 その胸に王女を固く抱いた王妃を腕にいだきながら、男は馬を走らせた。

 幾日も、いく晩も馬を走らせ、攻め入って来た隣国とは対極の国に入り身をひそめた。

 食べる物は男が通りすがりの町で分けてもらったものや、手近に在る物をくすねた物を口に運び、とにかく遠くに逃げる事だけを目的とした道中であった。


 祖国を離れどれくらい経ったであろうか?

 逃げ続けるだけの日々は、騎士として鍛え上げられた男であっても辛い日々であった。

 食う物にも事欠く日々。道端に生えている草を口にしたり、手近な小動物や両生類などを捕獲し、男がさばき焼いて食べた。

着の身着のままで碌に身体を清めることも出来ない。

 王妃の真珠のように滑らかな肌は薄汚れ、干からびたようになり。

 絹糸のように輝く金色の髪は埃にまみれ、からまり見る影も無い。

高位貴族の令嬢であった王妃が、平民以下の暮らしに耐えられるはずもなく。

 次第にその躰も、心も疲弊していった。

 それはまだ一歳を過ぎたばかりの王女も同じことだった。

 昼も夜も関係なく泣き続け、癇癪を起す娘をあやす王妃。乳母もいなければ侍女もいない。母である王妃が全て世話をしなければならず、王妃という矜持だけではその心を支えることは難しかった。


 ついに王妃は大事な娘の首に手をかけてしまう。

 それを止めた男はだまって王妃を抱きしめた。

 そして、次に自分が同じことをしたら迷うことなくこの命を散らして欲しいと懇願する王妃。

 男は国王から王妃と王女の命を守ることを命じられている。いくら王妃の願いとはいえ、それは出来るはずのないことだった。

 自分の不甲斐なさを悔やみ、一層二人を守るために奔走し続ける。


 しかし男の思いとは裏腹に、心を病み始めた王妃は次第に衰弱し、そして儚くなってしまう。

 心を無くした王妃が最後の最後で正気を取り戻し、王女を頼むと男にその命を託したのだった。

 男に泣く暇など無かった。

王妃を葬るとその腕に王女を抱き、男は馬を走らせ続けた。



 いつまでも人の地を避けて暮らすことなど難しく、次第に男と王女の二人は町や村に住み着いてはその地の人間として居を構えるようになった。

 王女の髪を切り、ズボンをはかせ、男児として育て始める。

 借りた畑を耕したり、森で猟をしたりと、貧しいながらも細々と二人の暮らしは続いていく。

 どんなに倹しく密かに暮らそうとも、生まれ持った血筋は抗う事が出来ず、王女は年々その高貴な存在感を増していく。

 そして、行方不明になったとある国の姫ではないかと噂が立ち始めると、男は王女をその胸に抱き再び度に出る。

 いつしかともに旅を続けた馬もその寿命を全うし、移動の手段を無くした二人は、ある村で生活の拠点を置くことに決めた。

 両親から受け継いだ銀髪を黒髪に染め、男児として生活をしてきた王女は再び少女に戻り男を父と呼び暮らし始める。



 穏やかな生活だった。

 王女は男を父と信じて疑わなかったし、男は王女に矜持だけは捨てぬよう言い聞かせた。

 時に父となり、時に騎士となり守り、そして時には大事な人を亡くした者同士、その想いを分かちあっていた。



 数年が経ち、王女が十六歳になった時。

 隣国に負け統治下に入った祖国で、旗を上げる者が現れた。

わずかばかりの土地を奪還したと風の噂が耳に入る。

 その旗しるしに、行方不明の王女を捜す者がいるらしいと。



 ある日、夕食の支度を二人で並びしていた時だった。

 小さな家の木扉を叩く音がする。静かに暮らしていたこの家に、客など現れるはずはないのに。

 男は王女に見に行くように頼んだ。

 そして王女は木扉を開けた。


 そこには騎士服を着た者がおり、その後ろに数名。その中に、初老の女性が一人混じっていた。

 その女性は王女を見るなり、かつての王妃の名を呼び泣き崩れた。

 王女は訳が分からないまま、男を呼んだ。

 呼ばれ姿を現した男は、その場で王女に向かい膝を着き騎士の礼をした。



「バレリン王国第一王女 クラウディア様。

 あなたこそが唯一、国王夫妻の御子であり、正当な後継者。

 国王夫妻の命により、こん日まで王女殿下をお守りして参りました。

 これからは、亡き国王夫妻に代わり、あなた様が民を導き統治する時代でございます。

 これより先、私の主君はバレリン王国クラウディア女王、あなた様でございます。あなた様を支える臣下となることを、どうかお許しください」


 何のことかわからない王女は「お父さん?」と困惑するが、木扉の向こうの者達は皆、涙を流している。

 男は木扉の向こうに顔を向けると、見知った者が数名いた。

 そのうち王妃の名を呼んだ女性は、王女の乳母だった者だ、

 昔は若く美しかったその女性は、敗戦の中苦労したのだろう。かつての面影はなく、随分歳を取って見える。

 あれから十五年近く。年月の長さを思い知った。



 狭い家だが無理矢理に全員を押し込み、当時の話を王女に話して聞かせる。

 その後でかつての宰相であった男が、懐から小さな絵姿を取り出し見せた。

 国王夫妻の婚姻の記念に国中に配り渡らせたそれは、はがきくらいの大きさの小さな物であったが、敗戦国である王族関係の物は全て焼き払われ、宰相自身が見つからぬよう大事に隠してあった物だと言う。

 そこには、王女と同じ瞳の色をした母と、王女と同じ銀髪をした父が並び描かれていた。

 顔の輪郭、目元、口元の造形。どれをとっても二人の娘であることは明らかだった。

 初めて見る本当の両親を見た王女は、涙を流した。

 それを見た者は喜んでいるのだろうと、共に泣いた。

 だが、王女の心中はそうではなかった。

 自分の父はこの絵姿の人では無いと、そう思っていた。

 唯一信じられるのは、共に過ごし生き抜いてきた、その人だけだと。

 しかし、代々受け継がれた血は体中を流れ続け、王女は次第にそれを思い出す。王族としての誇りを、父の無念さを、母の祈りを。


 そして、男の説得もあり祖国に戻ると、王女として君臨するのだった。





 クラウディア王女は国を守り、民を導き、実父が成し遂げられなかった平和な未来を掴み取る。

 その影に、かつて「お父さん」と呼んでいた臣下の姿もあった。







「お父さん。食事を取っていないと聞いたわ。それではダメよ。少しでも良いから食べてちょうだい」


 男は固く閉じた瞼を薄っすら開け、クラウディアを見た。

 その瞬間、時が戻り男の目に光が映し出された。



「ああ。王妃、マリアンヌ様。あなた様の愛したクラウディア様をお守り続けました。長きにわたり、至らぬこともありましたが、無事に、無事に……。

 私はあなた様が誇りに思えるような、立派な騎士であったでしょうか?

 あなた様は、私にお褒めの言葉をかけてくださいますでしょうか?」


 歳を取り騎士を下りた男は、最後まで独り身を貫きその身を律してきた。

 老いには勝てぬようになり、その身辺を王女の指示により使用人に見守らせていた。だが、それももう微かな時間なのだろう。


「お父さん……」


 涙する王女に男はそっと手を伸ばす。


 王女はその手を握り、両手でさするように握りしめる。


「騎士としてあなた様をお守り出来たこと、それだけが私の人生で唯一の誇り。

 最後を共に出来なかったこと、どうかお許しください」


 薄っすらと開いたまなこに映るのは、かつて仕えた王妃マリアンヌの姿なのだろう。彼女に似たクラウディアを前に、若き騎士に記憶を戻した男は、夢うつつの中で遠い夢を見る。



「アレッシオ。あなたは私の最初で最後の騎士でした。よくぞ守り抜いてくれましたね。長い間、ありがとう。

 あなたは私の、バレリン王国の誇りです。

 騎士として立派でした。本当にありがとう」


 アレッシオの手を握りながら、クラウディアは語り掛ける。

 硬く握られた彼の手に、クラウディアの涙が一粒流れ落ちた。


 アレッシオはクラウディアの手から自分の手を解くと、彼女の頬に流れる涙を優しく拭うのだった。


「クラウディア。よくがんばったね、いい子だ」


 記憶を呼び起こした男が見せた、奇跡の瞬間。ふたりは親子に戻ったのだ。


 その手に彼女を抱きながら追っ手と戦ったこともあった。

 生きる為に森の生き物を捌き、その命の尊さに感謝と祈りを捧げ口にしたこともある。

 どんなに貧しくとも卑屈にならず、その生に誇りを持ち生きることを教えた。


 その全てが今のクラウディアの礎となっている。



「お父さん。ありがとう、愛してる。お父さん、ありがとう。ありがとう」



 微かに口角を上げたアレッシオは、満足そうにひとつ頷いた。



「お父さん」



 クラウディアの頬に置かれた指先が、ゆっくりと落ちていく。

 それを逃さぬように、クラウディアは再び強く握りしめた。


 彼の瞳には美しく、そして気高く成長した娘の姿が映っていた。



「クラウディア」



 ゆっくりと瞼を閉じた男は、幸せそうな顔をしていた。





 その後バレリン王国は小国ながら肥沃な土地を生かし、賢王女の下、栄え続けるのだった。

 緑に囲まれ花が咲き乱れるその国の民の顔は、常に笑顔が溢れ続けていた。

 かつて敗戦国であった面影は無く、いつまでも、いつまでも続いていった。





「いいか、クラウディア。

 笑ってごらん。辛い時こそ笑うんだ。

 そうすれば向こうから幸せがやってくるよ」




お読みいただき、ありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 読ませて頂きました。父娘もの、しんみりしたお話も魅力的に描かれます。 突然身に降りかかる凶事、王族だからこそこういう目に遭うのも必然か。 逃亡生活の中、騎士アレッシオの忠義が輝かしい。「王…
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