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《短編》ビジュエルディアの嫌がらせ王子

作者: 三條 凛花



☆短編小説『ちょいたし令嬢のおいしい牢屋生活』、

たくさん読んでくださってありがとうございます!

続編として "嫌がらせ王子”視点のお話を書きました。

コメディ寄りだった前作と違い、シリアス寄りです。


☆単体でも読めます!

が、前作をお読みいただいたほうが

納得出来る点は多いかと思います~!


☆続編『嫌がらせ王子と眠れる公女』(2023/06/06 6時投稿予定)あります。


☆活動報告にちょいたしレシピやイメージ画像を載せているので、あわせてどうぞ!











 それは雲ひとつない、からりと晴れた午後のことだった。

 僕は走っていた。息をするたびに肺が、心臓が痛んだ。楚々とした野の花が咲く小道を、木々の木漏れ日を踏みしめて走っていた。


 後ろからは屈強な男たちが迫ってくる。何人いるのかわからない。そして、ふいに地面がなくなり、体がぐらりと傾いた。誰かに腕を掴まれたような気はするが、何が起こっているかわからないうちに僕はごろごろと転がり落ちていった。


「おい!」

「──まずい、予定と違うじゃないか」

「俺のせいにするなよ」


 言い争う声がどんどん遠くなっていく。ややあって、どすんとひときわ大きな痛みがやってきた。


 今思うと崖下に投げ出されていたのだと思う。痛みはひどかったものの、てのひらにはやわらかな草の感触があった。鼻先に蝶々が止まった。見上げた空はただひたすら明るく、子どもの笑い声が似合うようなそんな天気で。

 少しずつ視界が狭くなっていき、僕は意識を失った。そして次に目覚めたとき、天使のような少女に助けられたのである。






「グリフ様ぁ……」


 腕にからみついた女が、僕に向かって媚びた声を出す。その声は母が父に見せているものに似ていて、とても不快だった。


 こぼれおちそうな目が僕を見上げている。桃色の髪に水色の瞳を持つ少女だ。名前はエミリィ。エミリィ・エルメンライヒ。公爵の娘。


 そして、僕の目の前には少女が立っている。銀糸のような長いふわふわとした髪に、柘榴石のような瞳を持つ大人びた顔立ちの彼女は、僕の婚約者である、ツェリシア・エルメンライヒ。


 このような事態であってもいつものように慈愛に満ちた表情を浮かべている。所作は洗練されているし、何より凛とした立ち姿が美しい。


 ツェリシアこそが、あの日、崖下に倒れていた僕を救ってくれた少女だった。身分の釣り合いが取れていたこともあり、父に頼んで婚約者にしてもらい、早十年。何をおいても彼女を手に入れたかった。でも、それはもうやめる。


「キース様?」


 彼女の声に胸を鷲掴みにされる。右腕に引っ付いているものを投げ出して、駆け寄りたい。でも。僕は今日、君に婚約破棄を告げる。


 今度は僕が、君を守る番だ──。






 自分で決めたことだとはいえ、思っていた以上に僕は堪えていた。そのまま自室に戻り、通信本を開く。見た目は普通の書籍なのだが、これは才女として知られる僕の母、エウドキアが密かに開発した魔道具である。

 どんなに遠くにいても、相手の魔力を登録しておけば、こうして声だけのやりとりができる。この魔道具の存在を知っているのは、この世界でたった二人。母と僕だけだ。


『それで? 恙無く婚約破棄は終わりましたか?』


 ひゅっと息が詰まりそうになる。今目の前にはいないというのに、母の探るような、それでいて高圧的な声に思わず反応してしまう。


「ええ、母上」


 そう、と、今は遠い国に出かけている母の声がした。目の前にいなくても、真っ赤なくちびるを三日月型にしてにんまりと笑っている様子が見て取れた。


『これからはあの子、──エミリィを大切にするのですよ。エミリィは、あなたが王子でなくなったとしても愛してくれる、貴重な存在なのだから』

「……はい、母上」

『それで?』


 来た。ぴりっとした緊張感を覚えたが、僕は浅く息を吸い、母の次の言葉に備えた。


『──あの娘はちゃんと牢に入れたのでしょうね』

「ええ」


 母に指示されたものではなくて、貴族牢に。乳姉妹でもある侍女と、僕に恨みを持つ男を牢番にして。


「……母上?」


 沈黙が恐ろしくて、僕は尋ねた。


『うーん……なにか嫌がらせをしてやりたいわぁ』

「そうだろうと思いまして、私が既に」

『まあ! あなたは本当に気が利くのだから。なにをしたの?』


 母がくつくつと笑って言った。


「古代聖女の食物だけを差し入れております」


 古代聖女の食物というのは、ここではない世界からやってきたとされる古の聖女が持ち込んだものである。当時、”解析“のギフトを持つ者がその作り方を解析し、普及させた。さらにいつでも食べたいという聖女の望みを叶えるべく、”量産”のギフトを持つ者が、一定数のそれら食物を自動的に生み出し続ける装置をつくった。


 何百年も経った今でもその魔道具は稼働しており、定期的に古代聖女の食物を生み出し続けている。一見すると偉業に見えるのだが、それらの食べものはこの国では好んで食べられないようなものばかり。王族はもちろん、貴族も平民ですら見向きもしない。


 王城内にある魔道具から生み出された食物は、まがりなりにも食物であるから捨てられぬという歴代の料理長によって、孤児院や貧民層に向けて配られているのである。


『ふうん、そうなの』


 僕の言葉に、母の機嫌がしんと悪くなったのがわかった。


『……ああでも』

 母はそこで話を切った。そして小声でひとりごとをつぶやく。この世界の人たちにはゲテモノなのだったわ、と。


 幼きころから、母はよく「この世界」と口にしていた。


「母上、大丈夫ですよ。差し入れたとき、牢番までもが顔をしかめ、気の毒そうな顔で眺めておりました」

『そう、……それなら大丈夫ね。わたくしたちはあと三週間ほどで戻ります。それまでにあの娘の心を壊しておくのよ?』

「もちろんです」


 僕はにんまりと口を笑みの形にして言った。

 あと三週間で父も帰ってくる。そのときには、やっと揃った証拠を集めて提出するのだ。母のおぞましい悪事の数々を。──二度と彼女に会うこともできないかもしれないけれど……。




 自室を出て、塔の上にある貴族牢へと向かう。母に彼女を入れるよう指示されたのは、王城の地下深くにある一般牢だ。だが、あんな寒くて汚らしくて、本物の罪人たちがうじゃうじゃいるところに彼女を置いておくことなんてできるわけがない。


「グリフ様! もう、ずっと探してたんですよ?」


 自室を出てしばらくしたところで、エミリィに見つかった。ここは王族だけが入れる居住区だというのに。思わず舌打ちしそうになり、ふと我に返る。僕は今、彼女に差し入れる食物を手にしているのだ。誰も来ないからと早めに取り出したことを後悔した。


「あら? それは?」


 やはり、目ざとくエミリィが僕の持ちものに目をつける。


「……古代聖女の食物だよ。ツェリシアへの差し入れだ。罪人とはいえ、きちんと裁きを受けるまでは飢えさせてはならないからね」

「でもそれ……」


 まあいっか、とエミリィが言ったのが聞こえた。


「そんなことより、君はどうしてここに? 私たちの結婚式で着るドレスの下見に行くと言っていなかったか? 私は君の髪色に合わせた桃色のドレスも素敵だと思うのだが……」


 自らの言葉に鳥肌を立てながらも、すらすらと思ってもいない言葉が口をつく。エミリィは途端に顔を赤らめ、にこにこして、ひと通りくだらないことをしゃべったあと、仕立屋を呼ぶのだと浮足立って出て行った。




「うー、もういやです、いやですよぉツェリシア様」

「どうしたの、ドロシー」

「だって卵かけごはん、何回目です? もちろんツェリシア様が毎食アレンジを加えてくださっているので楽しく食べてるんですけどね、あのわさびのやついいですよねぇ……それにしてもバカ王子ったらもっと気の利いたものを持ってきてくれないですかね」


 僕は硬直する。

 ドロシーというのは彼女の乳姉妹である。確かおどおどとした、しかしツェリシアにだけは忠誠を誓っている少女だったはずだ。だが、なんだこの変わり様は。


「……まあ懐かしい味ではありますが……」


 ぽつりとこぼれた言葉に、ドロシーもまた母やエミリィの同類なのだろうと察した。


「でも! ううう……野菜が……野菜が食べたい……」


 ドロシーは奇声を上げ始める。僕は、ドロシーを彼女と一緒に置いておいたことが正解だったのかと悩みはじめた。


「まあ、どうしましょう。でもそうよね。美容面が気になってしまうわね……」


 ツェリシアがおっとりと答えた。

 僕は、彼女にすまないと謝りたい衝動と戦いながら、母からくすねた魔道具に手を突っ込む。


 転移鞄は、ほかの場所に保管しているものを取り寄せられる鞄だ。僕の自室に作ってある小さな氷室箱から、古代聖女の食物である”地獄野菜“を取り出した。


 僕が近づいたのに気づき、牢番の表情が険しくなる。


「野菜が食べたいだと? ちょうどいい、これを差し入れてやろう」


 地獄野菜というのは、地獄にあるという赤い炎の沼のような色で、腐臭のする野菜である。これも聖女の魔道具から出てきたものだ。辛味があるため孤児院に差し入れることができず、聖女の食物の中でも特に不人気。


 しかし、これまで差し入れてきた”白虫穀“や生卵だけでは、たしかに彼女が体を壊してしまうかもしれない。彼女にはギフトがある。だから、卵は”完全栄養食“なのだと耳にして、そればかりを差し入れてきたのだが……。




 僕はこれまで以上に差し入れるものについて考えねばと決意を新たにした。


 王城内の貴族牢は、罪を犯した高位貴族や王族を一時的に留めておくための場所だ。牢といっても、室内は広く、高いところに窓があるため暗いわけでもない。自由に外に出られない以外はおそらく快適に過ごせる場所である。


 ふつうの客室と大きく違うのは扉だ。扉の上部には鉄格子がはまっている。扉の下部には、もののやりとりができる小さな扉がついている。大きさは太った猫が一匹通れるくらいだ。


 地獄野菜を差し入れるとき、彼女の手に触れてしまう。どきっとして顔に熱が集まる。慌ててぶんぶんと顔を振っていると、彼女がこちらを見つめていることに気がついた。


 こんな薄情な男のことなど恨んでいるだろう。

 そう思ったが、彼女がこちらを見つめる目は、いつもと同じ。小さな子どもを見るような慈愛の瞳だった。


「ちゃんとたべている?」


 小声で彼女が訊いた。

 僕は声をあげてしまいそうになって、でもなんとか飲み込んで、つんと横を向いた。そして彼女のほうを見ることなく、乱暴な足取りで部屋に戻った。寝台にもたれるようにして泣いた。






 刺客に追われて崖から転がり落ちた幼いころ。僕を助けてくれたのは、ツェリシアだった。彼女は僕よりひとつ年下で、当時はもっと小柄で痩せていた。その体で背の高い僕を、雨をしのげる場所まで運び、甲斐甲斐しく世話を焼いてくれた。


 そして僕が目を覚ますと、恐怖で錯乱していた僕を優しく抱きしめてなだめてくれた。緊張でこわばった体が、背中をさすられているうちに少しずつほぐれていくのを感じ、気がつくとまた眠っていた。


 そうして目を覚ますと、くつくつと何かが煮える音と、ふわりと甘いにおいが漂っていた。


「ああ、起きた! よかったわ。今ね、おかゆを作っているの。ミルクをたっぷり入れているわ」


 僕たちがいるのは、どう見ても洞窟のような場所だった。しかし、小さなシャンデリアが輝いているし、ふかふかの寝台に寝かされている。枕も肌掛けもある。ごつごつとした岩肌にはやわらかそうな敷物が敷かれており、その上には小さな丸い木製のテーブルと、子ども用の椅子がふたつ。


 一つは柘榴石のような色に塗装されており、もう一つは菫の花のような色。


「ここは……?」


 僕は手をにぎったり開いたりする。ひどい痛みだった。だが、体じゅうどこを見ても傷一つない。


「わたしの秘密基地! ここならいくらでもおいしいごはんを食べられるもの」

「ごはん?」

「そう。家にいるともらえないの。使用人たちの食べ残しを探すのも骨が折れるし、本当に困っていたのだけれど……。これは魔法なのかしら、いろいろと出すことができるようになったのよ」


 ツェリシアは誇らしげに言った。それはギフトなのでは、と思い当たる。この国、ビジュエルディア王国では、魔法を使える者が基本的に生まれない。しかし、平民だと数百人に一度、貴族では三人に一人の確率でギフト持ちが生まれる。


 それは個人の特性に合わせて神がくれたご褒美だとも言われているが、過去にギフト持ちを巡って争いが起こったことから、基本的には公開しないものとされている。だが、彼女はそれを知らないのか、僕を信頼していたのか。


「ギフト、”ちょいたし“!」


 少女の柘榴石のような瞳に、きらきらと星のような光が散った。そして透明な石板のようなものが出現する。


「ミルク粥にちょいたし。……白だしと味噌、チーズ2種」


 ぽぽぽぽんと目の前に見たことのない材質の瓶や箱、袋などが現れる。それからスプーンと、数字が書かれた透明で小さな容器。


「あら、ちょいさんったらとっても気が利くんだから。スプーンも出してくれたのね。ありがとう。これはなにかしら?」


 少女が言うと、石板がもじもじと動きはじめて僕はぎょっとする。


「なるほど。この容器の数字が書いてあるところまで液体をいれることで、一定の味にすることができるのね?」


 彼女は石板の伝えたいことがわかるのか、納得したようにつぶやいた。瓶の中から黄金色の液体を出して、数字が書かれた容器に慎重に入れる。その小さな手はふるふると震えている。それから、ふにゃふにゃとした容器の中から茶色いものを絞り出す。


「これはどうやって開けるのかしら?」


 透明な袋を手に彼女がこてりと首をかしげると、石板が即座に鋏の形に変わった。


「まあ、ありがとう! ちょいさん」


 その言葉で、ちょいさんというのは、どうやら石板の名前らしいと僕は気がついた。


「これを溶かすのね?」


 彼女は小さな手で一生懸命袋の端を切っていく。ふわりと漂うにおいに、それがチーズであることに気がつく。細かく切られたチーズがミルクに溶けてとろみがつく。そして、細長い筒に入っていた粉……これもチーズの香りがした……をふんわりとかけて。


 その日彼女が作ってくれたミルク粥の味を、僕は一生忘れない。




 生まれてはじめての穏やかな日々だった。


 それから数日が経ち、洞窟に屈強な男たちがやってきた。男たちは洞窟にそぐわない家具に驚いていたが、すぐにぴりっとした態度に戻る。


 僕を狙ってきた刺客だと慌てて彼女、ツェリシアの前に飛び出した。けれども彼女は僕に守られようとはせずに、飛び出した僕をさらに庇うように、洞窟の奥に追いやった。


 しかし、男たちは一斉に跪いた。彼らは父が差し向けた捜索隊だったのだ。安心して振り返ると、もうツェリシアの姿は消えていた。


 その後、僕は城に戻り、刺客を差し向けたとして父の側妃が処刑されることになった。覆せないだけの証拠が次々に出てきたのだ。父は反対した。だが、誰も耳を貸さなかった。


「自分を殺そうとした女の最期を見届けなさい?」


 母はとても上機嫌だった。僕と同じ紫水晶の目が三日月型に細められ、愉悦が浮かんでいた。僕は「怖い」と拒絶したが、母は決して許さなかった。無理やり僕を処刑の場に連れ出した。






 父の側妃だというその女性は、さらさらとした水色の髪に青い目をした美しい女性だった。このような場に引きずり出されてもなお、凛とした佇まいがある。


 ぱちりと目があった。どうしてだろう……。僕の顔を見た彼女はほっとしたように微笑んだ。


 母と繋いでいた手がぎゅうと握り込まれ、手の甲には長い爪が刺さる。僕は痛みに顔をしかめた。


 ──処刑の瞬間は覚えていない。恐怖で気を失ってしまったから。後に僕はそのことをずっと母に責められることになる。愚図。弱虫。出来損ない。


 母エウドキアは本当に苛烈な女性であった。それは父もとうの昔に気づいていた。側妃が処刑されたとき、僕は父の目に浮かぶ涙を見た。母を眺める父の目が無感情であることも知っていた。


 母のことを父は愛していなかった。けれども、私情を挟めないくらい、ほかに代わりがきかない、手放せないくらいの才女でもあったのだ。





 唯一母に感謝したのは、僕の婚約者を決めたこと。


「母上、僕は助けてくれた令嬢に恩返しがしたい」


 そう告げるのには勇気が必要だった。そのとき母は、生まれてはじめて見る優しい笑顔で笑い、僕の頬を包み込むように触れて言った。


「そう。あなたのおよめさんにしたらいいんじゃないかしら?」


 あのとき僕が、母の毒に気づいていたら。君を傷つけずに解放できていたのに。もっと違う形で恩返しができていたのに──。


 母は、すぐさま僕の命を救った令嬢を探し出した。ツェリシア・エルメンライヒ公爵令嬢。家ではごはんをもらえないと嘆いていた、折れそうなくらいに華奢な彼女は、婚姻になんの問題もない身分で、それから彼女は王城に呼ばれ、王子妃としての教育を受けていくことになる。


 王城に来てたくさんごはんを食べられるようになったツェリシアは、さらに美しくなっていった。

 洞窟でのびのびと振る舞っていた彼女は、いつのまにか淑女の鑑のような存在になった。話し方も立ち居振る舞いも美しく洗練された。


 けれども二人だけのときは、まるで姉のように僕を甘やかしてくれた。


 はじめから純粋に慕っていた彼女に恋情を抱くようになるには、そう時間がかからなかった。二人で協力して、良い国を作っていこう。父や母のそれとも、公爵邸のそれとも違う、温かい家庭を作っていこう。僕は日々決意を新たにしていたのだ。──あの日までは。






「どいつもこいつも愚図ばっかり」


 母は爪をかんでいた。


「いろいろなことがうまくいかないわ。思い通りに行かないのって許せないのよね」

「わかるわぁ。でも、こっちの計画はうまくいっているじゃない」


 相手は、ツェリシアの義母であるエルメンライヒ公爵夫人だった。公爵夫人といっても、もともと貴族ですらないと聞いている。


「私たちの子どもを結婚させる計画」


 僕は耳を疑う。計画とは。それに、私たちの子どもといったか?


「そうね。私、前世からエミリィ推しなの。あんなに可愛くて、純粋で、王子が廃嫡されたあとも健気に支えてくれるんだもの。かわいい息子にはそういう相手じゃないと」

「ふふ。ツェリシアに婚約者でいてもらうのは不快だけど、シナリオのためにはそれが必要なのだものね」

「ええ。幼少期に助けられたのをきっかけに、ツェリシアを婚約者に迎える。でも、エミリィに惹かれていく……。ちゃんと再現しなくちゃね」


 母がうっとりと言う。


「あなたが洞窟の場所を教えてくれて助かったわ。でもあの子、なんであんな王都から離れた山奥にいたのかしらね? 確かイベントが起きる場所は平民街だったでしょう? それも助けるというか、驚いて声を上げたから助かっただけ、みたいな」

「さあ。食事を与えていなかったから、野草でも探してたんじゃないの?」

「歩ける距離じゃないでしょう?」

「うーん。転移系のギフトでも持っているんじゃないかしら。彼の……公爵のギフトがそうだもの。遺伝していてもおかしくはないわ」

「調べることはできないの?」


 エルメンライヒ公爵夫人が首を振る。


「ギフトは暴いてはならない。その法だけは、どうしてもあの人も遵守しようとするのよ」


 エルメンライヒ公爵夫人は、どうでもいいことのように言った。しかし、そのあとくつくつと笑い出した。


「それにしても、あなたも鬼ね。自分の息子に刺客を差し向けるなんて」

「あら、だってそれがあの子の幸せのためだもの。エミリィに出会うためにはツェリシアが必要だわ。それにあの女、本来ならキースグリフを殺そうとしてくるはずなのに、いっこうに動かなかったんだもの」


 母はけだるげに首をかしげた。


「あの女も転生者だったのかしら?」

「あり得るわよね。本来なら存在しているはずの第二王子もいないし……。それに、こんなにも近くに二人いるのだから」

「早めに潰しておいて良かったわね」


 エルメンライヒ公爵夫人の目が妖しく光る。母はにんまりと笑った。





 僕は、すべてを父に打ち明けた。母が隠し持っていた集音指輪をつけていたからだ。父は青ざめ、それから静かに怒っていた。僕は母の息子であることが申し訳なくなって、泣きそうになった。


 父はそんな僕に気がついたのか、僕を抱きしめた。


「おまえは私の子でもあるのだ、と」


 母は悪女だ。だが、この国をどんどん豊かにしている。


 その技術は代えが効かないものだった。だからこそ、僕たちの私怨程度では母をなんとかすることはできない。


 僕たちは日々の母の悪事の証拠を集めはじめた。同じような母の被害者を探して裏切らない味方をつくった。証人を探した。


 そして母がいなくても困らないように、母がいうところの”転生者“を探し出して、魔道具作りの工房もひそかに計画した。

 そんなある日、母に呼び出された──。





「お父様とわたくしは、明日から一ヵ月、外遊に出ます。知っているでしょう?」

「ええ」

「そのとき、婚約を破棄しておいてね」

「……は?」


 思わず漏らすと、母が眉根を寄せた。


「婚約を破棄なさいと言ったのです。あなたの伴侶としてふさわしいのは、出来損ないのツェリシアではなく、その妹のエミリィよ」

「ツェリシアは……」

「処刑する予定よ」


 ひゅっと息を飲んだ。


「どうして……」

「邪魔だもの。あなたの毒殺未遂とか、やりようはいくらでもあるわ。わたくしが戻ってくるまでに根回しをしておくのよ?」


 その晩、父に相談した。父は頭を抱えた。


「あの女は、人の命をなんだと思っているのだ……」

「父上、証拠ならもうあらかた揃いました。今こそ断罪のときです」

「──ならぬ」

「どうしてですか?」

「……彼女の冤罪を晴らす。外遊先の国に、あのとき王妃が仕込んだ刺客の最後の生き残りがいると情報を得た。私が直接足を運ぶなら証言を考えてもいい、と」


 本音をいうと、今すぐに母をなんとかしたかった。けれども、父の気持ちも痛いほどわかってしまった。


 話したことはなかったが、今ならわかる。あの人は、自分が処刑されようというあのとき、自分を陥れた女の息子を純粋に心配していたのだ。

 そして父は、気まずげに語った。


「彼女との間にも息子がいる。アレに知られたら殺されるとわかっていたから、市井に紛れさせていた。おまえと違って為政者としての教育は受けていない。王には向かないが、臣下としてきっとおまえのことを支えてくれるだろう」


 父はそう言い、僕はあいまいに笑った。その男ならすでに調べていたからだ。彼は、母の仇である僕を憎んでいる。





 父よりも一日早く、母が戻ってきてしまった。


「ねえ、これはどういうこと?」


 ツェリシアやその侍女の前であったが、母は怒りを隠しもせずにいった。どうせ処刑するからと仮面を脱いだのだろう。


「わたくし、この女を一般牢に入れておくように言ったわよね? どうしてこんな快適な暮らしをしているのかしら」

「母上は牢に入れておくようにとしか仰っしゃらなかったので」


 母は長いため息をつく。


「やっぱりおまえも愚図ね。どうしてわたくしに似なかったのかしら。──自分の手を汚すのは嫌だけど、まあ、処刑に関してはあとでどうとでも工作できるから。……どきなさい」


 母がてのひらを上に向ける。母のギフトは超創造。自分の頭の中にあるものをもとに、さまざまなアイテムを作り出すことができる。それを”再現“のギフトで複製した魔道具を使ってこの国は豊かになっているのだ。


「嫌です」


 母はこめかみを押さえた。


「聞き分けの悪い子ね。おかあさまは頭の悪い子はきらいなのだけれど。あなたはよくわかっているでしょう? このギフトがどれだけ貴重で強いものなのか」


 白い光に目がくらむ。次の瞬間、母の手には巨大な鎌が握られていた。豪奢なドレスには、透明な上衣のようなものがかけられている。


「ふふ。どう? 命を刈り取る死神のイメージなの。服は雨合羽の素材だけれど、デザイン性をよくしてみたのよ? これで血飛沫を浴びても汚れなくて済むわ」


 母が喜々として言う。侍女のドロシーは真っ青な顔で怯えており、牢番の男は表情が読めない。反撃の機会を伺っているのだろうか。──母親の仇を殺すための。


 母が巨大な鎌を振り上げる。僕は彼女の前に飛び出した。けれども……。


「ギフト “ちょいたし“」

「ツェリシア、何をしている!」


 僕は声を荒らげた。今この場で料理をしたって助かるわけがない。そのとき、ぱちりと目があった。婚約破棄を告げてから、まともに彼女と目を合わせたのはこれがはじめてだった。


 崖下で助けられたときと同じように、柘榴石のような瞳の中には、きらきらと光が散っている。


「ちょいさん、わたくし、”彼を助けたい“の。この気持ちにちょいたししてくれる?」


 ツェリシアの魔法石板のようなものが、ぐにゃりと歪んだかと思うと、次の瞬間、大きな鳥に姿を変えていた。それは生き物ではなく、光の塊。


「“超幽閉”」


 大きな光の鳥が、母に向かって飛ぶ。驚いて後ろに逃げようとした母は、鳥が放った光に囚われた。


 からん、と乾いた音がして、見てみると石の床に小さな指輪が落ちている。紫水晶でできたそれは母の瞳の色で、──よく見てみると、宝石の中に小さくなった母の姿があった。


「ちょいさん、今日も素敵ね! これで逃げられないわ。大好きなキース様のおかあさまだと思ってがまんしていたけれど、彼への態度が目に余るのだもの」


 ツェリシアは、光の鳥の首に抱きついた。顔のないその鳥が、なぜかうれしそうにしているのがわかる。けれども、いろいろなことに頭が追いつかない。


「ツェリシア、君は……」


 僕はツェリシアの腕を取った。


「あ、キース様、いまのわたくしに触れたら……」


 僕の意識は、真っ白な光の中に飲み込まれていた。





 雲ひとつない、からりと晴れた午後だ。僕は空から地上を見下ろしている。金髪の少年が楚々とした野の花が咲く小道を、木々が立ち並び、木漏れ日が揺れる丘を、泣きながら走っていく。そのあとを追うのはガラの悪い男たち。


 そして、ふいに地面がなくなり、体勢を崩して滑り落ちた。すると、刺客の手が助けようと伸びてくる。しかし、その手はかすっただけで、少年はごろごろと転がり落ちていき、崖下で動かなくなった。


 ひどい傷と出血だった。どう見ても助からないとわかるくらい。そこに一人の少女がやってくる。少年を見つけた彼女は蒼白になり、なにごとかをつぶやく。出てきたのは、魔法の石板。


「わたし、“この子を助けたい”。──”超回復”」


 少年の体じゅうにあった傷が綺麗に消える。少女は苦しげに呼吸をしていたが、意識のない少年を引きずるように抱えて、洞窟に戻っていった。



 次は、僕たちがはじめて引き合わされたところだった。普段は襤褸をまとっていた彼女が、乱暴ながらも磨かれて、サイズの合わない大きなドレスを着せられている。

 僕たちの婚約が整い、これまで住んでいた物置小屋とは違う豪華な客室に通されて身をすくませる彼女。しかし、しばらくすると「わたし、“彼にふさわしくありたい“」と口にした。


「”超速習”」


 淑女なら受けているはずの教育をなにも受けずに放置されていた彼女は、もともとの聡明さに加えてギフトの力を借りて誰もが舌を巻くほどの知識を身につけていく。




「彼の元気がないの。前のような笑顔が見られない。”あの人がなにを考えているのか知りたい“」


 次に願ったのは、僕を知ることで──。


「”超読心”」


 彼女が崩折れる。石板が小さな鳥の姿になって彼女の肩に止まる。


「わかってる。大丈夫よ、ちょいさん。わたしが望んでやっていることだもの」


 小鳥の様子はなぜだか心配そうに見えて──。


「わたしの心にちょいたしするの。はじめてのときは偶然だったけれど、いいアイディアでしょう? 感情が削られる? いいのよ。わたし、あの子を守りたいの。ううん、一緒にいたいのよ」







「ツェリシア、僕は貴女との婚約を破棄する」


 時は過ぎ、僕の消したい過去に飛ぶ。ツェリシアはきょとんとしていたが、あたりには僕の発していない声が響く。


(本当にすまない。君を守るためなんだ。僕は処罰されてもいい。君だけは絶対に助けるから──)


 ツェリシアは困ったように微笑んだ。





「貴様に差し入れをやろう。聖女が遺したとされる貴重な食物だ。ありがたく食べろ」


(昔、ふたりで食べたな。卵は栄養がたっぷりだと君が言っていた。できることが少なくて歯がゆいが、──今しばらく耐えてくれ)




「ふん、差し入れを持ってきてやったぞ? 牢にいては食することなどできぬ甘味だ。感謝するんだな」


(ギフトを使えば、君ならなんとかできるだろう。甘いものでも食べて、少しでも気が休まればいいのだが……)





「ふん、今夜はこれでも食んでいろ」


(すまない。野菜は氷室箱に入れていなかったのだ。エミリィに見つかってしまって、こんなものしか用意できなかったが……。もう少し君への差し入れを考えねば)





 ふたたび光に包まれた。


「ツェリシア、君は……」

「ごめんなさい! あなたのお心がわからなかったので覗いていました」


 顔が熱い。まさか、──まさかすべて知られていたなんて。けれども、同時にほっとした。彼女に心無い言葉を投げかけるのが辛かった。しかし、あの狡猾な母のことだから、どこにスパイを紛れ込ませているかわからない。


 僕がもっと器の大きな男だったなら。力があったなら。


「あの……。わたくし、そのままのキース様が好きよ」


 ツェリシアはそう言うと、おずおずと腕を広げて、僕を抱きしめた。僕は泣き、後ろでは侍女が「まったく意味がわからん!」と叫んでいた。






 母の処分が決まった。これまでの所業をすべて詳らかにすること。そして、ツェリシアが作った魔法牢の中に閉じ込めたまま生涯出さないこと。


 いつでもなにかをしていたかった人だ。なにもできずにただ見ているだけだなんて耐えられないだろう。

 そして父は言った。父が死ぬときに、ともに指輪も破壊してくれ、と。


「残しておいて、誰かが封印を解かぬとも限らぬ。連れていくのは、名ばかりとはいえ夫であった私の役目だと思う。──だから、それまでの間に、皆の幸せな風景を散々見せつけよう。アレはそういうのが一番堪えるだろうからな」


 僕を恨んでいると思っていた義弟は、ただ目つきが悪いだけだった。もちろん、母に対しては思うところはあったようだが、そんな母のもとで育つ僕に同情しての視線だったらしい。

 自分の情報収集力の甘さを恥じた。


 ツェリシアの義母にあたる女性も捕らえた。母の計画に加担していたからだ。取り調べていくうちに驚くべきことがわかった。それは彼女のギフト。


 これまで聞いたことのない、女性にだけ効く魅了だ。恋愛感情を抱くのではなく、言うことを聞きやすくなるというもの。その力が強すぎて、母は操り人形のようになっていたのだ。母という虎の威を借りて、公爵夫人は気に入らない女性を次々にいたぶったり、命を奪ったりしていたことがわかった。


 だが、腑に落ちた。

 あの自分が一番かわいい母が、エミリィとの婚姻が理由でこのようなことをするのだろうか?と疑問があったのだが、この件に関してだけは母も操られていたことがわかったのである。


 彼女は処刑。僕に”魅了をかけようとしていた“として、エミリィも拘束されている。




「ギフトは秘匿していい。こうしたルールがあったものの、今回のようなことがあると変えざるを得ないな」


 父が言った。僕もうなずく。


 ギフトは秘匿するべき。それは、平和な時代からやってきた古代聖女が考えたものであったという。確かに、ツェリシアのような希少なギフトを持つ人が、不当に搾取されたり、連れ去られたりする懸念もあるため、一理あるとは言えるだろう。




「じゃあじゃあ、危険なギフトの判断ができる魔道具をつくるのはどうでしょう?」


 そういうのはツェリシアの侍女であったドロシーだ。彼女は今、侍女としてだけではなく、転生者を集めた魔道具工房でも働いている。


「えへへ、ざっくりしたアイディアしかないんですけどね。魅了系、攻撃系といった人に害を与えるギフトをピックアップするんです。それで、これまでにわかっている危険なギフトだけ反応するような仕組みをつくって……でも国民には秘密にして通路とかに設置して? うーん倫理的にどうなんだろう」


 ドロシーはぶつぶつとつぶやいている。






「ただいま」


 僕は、王城の自室にもどった。厨房ではなく王太子の自室だというのに、くつくつという音と、ふんわりとしたにおいが漂っている。豪奢なテーブルの上に、石板のような使い魔のようななにかがぐにゃりと寝そべり、それが鍋を加熱している。


「久しぶりに作ってみたのよ。ミルク粥」


 ツェリシアが味見用のスプーンを手渡す。なつかしい優しい味が口の中に広がる。


「今度こそ、僕が君を守るよ」


 僕が言うとツェリシアは少し頬を染めて「いつでも守ってもらっていたのだけれど」と言った。僕は彼女を抱きしめた。それは雲ひとつない、からりと晴れた午後のことだった。




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