第8話 ダルビッシュ有選手の物語
14年前。
WBC2009年大会。
日本は激しい死闘の果てに優勝し、世界一となった。
決勝戦で勝った瞬間、マウンド上にいたのがダルビッシュ有選手だ。
当時のダルビッシュ選手は、まだ22歳。
勝利の雄叫びを上げる姿を、まるで若き獅子のようだと筆者は感じた。
その後、ダルビッシュ選手は海を渡りメジャーリーガーとなった。
順調に実績を積み重ね、今ではメジャーを代表する投手の1人といえるだろう。
順風満帆なキャリアだ。
気付けば年齢は、36歳になっていた。
そんなベテランの域に達したダルビッシュ選手に、栗山英樹監督から声がかかる。
ダルビッシュ選手にとっては14年ぶりとなる、WBC日本代表チームへのお誘いだ。
ダルビッシュ選手は葛藤した。
年齢的に選手としてのピークは過ぎたが、まだ何年かは稼げそうな自分。
怪我などをしないように気をつけながら、メジャーリーグで長く活躍することに集中すべきところ。
メジャー開幕前に開催されるWBCに参加して怪我でもすれば、今シーズンどころか残りの選手キャリアを棒に振ってしまうかもしれない。
※当時はまだ、所属する球団との長期契約延長をしていなかった
またダルビッシュ選手は、子供と一緒に過ごせる時間を大切にしている。
オフシーズンは、子育てに奮闘する良きパパだ。
WBCはオフシーズンに行われる大会のため、参加してしまっては家族と過ごせない。
夫人にも、多大な負担をかけてしまう。
参加したい気持ちはあったものの、なかなか踏み切れない。
そんなダルビッシュ選手に侍ジャパン入りを決意させたのが、大谷翔平選手だ。
すでに侍ジャパン参加を決めていた大谷選手。
彼はダルビッシュ選手に、「優勝したいっす」とLINEで語ったらしい。
大谷選手といえは、スーパースター中のスーパースターだ。
「全てを手に入れた」と思われるほど活躍している男が見せた、世界一への渇望。
ダルビッシュ選手の魂を揺さぶるには、充分だった。
参加を決めたダルビッシュ選手の行動は、献身的なものだった。
他のメジャーリーガー達が遅れてチームに合流する中、ダルビッシュ選手だけは最初から宮崎キャンプに合流したのである。
そして若き投手陣に、自分の持つ投球やコンディション管理のノウハウを、惜しまず教えたのだ。
それだけではない。
彼はチームの雰囲気が良くなるよう、気を配った。
頻繁に食事会を開き、投手陣の士気を盛り上げる。
その中でも特筆すべきは、「宇田川さんを囲む会」だ。
宇田川選手は普段所属する球団で、育成選手から1軍に上がったばかり。
実績がまだ少ない。
SNSには「代表を辞退しろ」と、心無い書き込みをされた。
侍ジャパンの合宿に参加しても、周りは輝かしい実績を持つスター選手ばかり。
なかなか溶け込めない。
代表ユニフォームの重圧に、押し潰されそうになっていた。
そんな宇田川選手に、ダルビッシュ選手は手を差し伸べた。
愛弟子として可愛がり、食事会を通して他のチームメイトとの橋渡し役も務めたのだ。
準決勝前には、全員参加の決起集会も開催したという。
もちろん食事代は、ダルビッシュ選手の奢りだ。
お会計は、とんでもない額になったと噂されている。
さすがはメジャーリーガー。
太っ腹である。
ダルビッシュ選手のおかげで、チームの結束は高まったのだ。
2023年大会において、日本代表チームは主将を置かない体制を取った。
しかし実質的にはダルビッシュ選手こそ、侍ジャパンのキャプテンといえるだろう。
チームのために尽くしたダルビッシュ選手だが、ピッチャーとして登板すると、けっこう打たれてしまう。
明らかに、調整不足。
それもそのはず。
ダルビッシュ選手は自分の調整を後回しにして若手選手達にアドバイスしたり、データ分析班との打ち合わせに力を注いだのだから。
自分が活躍できなくても、チームが勝てればいい。
そう割り切っていたのだ。
ダルビッシュ選手の献身は、凄まじい戦果を上げた。
決勝戦で日本代表チームが見せた、「マシンガン継投」。
今永選手。
戸郷選手。
高橋宏斗選手。
伊藤選手。
大勢選手。
次から次にピッチャーを変え、的を絞らせない。
短い回数をエンジン全開で投げ、力によりねじ伏せる。
このマシンガン継投で中心となったのは、20代前半の若手投手達。
「ダルビッシュ塾」で、力を増した者達だ。
怪物打者ばかり揃えているアメリカ打線を、最小失点で抑え込んでいく。
8回。
マシンガン継投の6番手として、ダルビッシュ選手がマウンドに上がった。
やはり調子が良いとは言えない。
ソロホームランを浴びてしまう。
だが、そこまでだ。
侍ジャパン最年長のベテランは、それ以上崩れない。
まだ日本が、1点リードしたまま。
投球するダルビッシュ選手をよそに、大谷選手がグラウンド外に歩いていく。
ブルペンという施設で、投球練習をするためだ。
9回は大谷選手が、マウンドを引き継ぐ。
引き継ぐのは、マウンドだけではないのかもしれない。
ダルビッシュ選手が長年かけて培った技術や侍ジャパンの魂も、大谷選手へと継承されていく。
ダルビッシュ選手は1点のリードを保ったまま、マウンドを降りた。
後を託された大谷選手は、見事にアメリカ最強打者のマイク・トラウト選手を打ち取り世界一を決める。
大谷選手が最後に投じた球は、スライダー。
奇しくも14年前、ダルビッシュ選手が世界一を決めた瞬間と同じ球だった。
次回で最終回。
大谷翔平選手の物語です。