第5話 周東佑京選手の物語
周東佑京選手は、福岡ソフトバンクホークスが誇るスピードスターである。
瞬足を生かして塁上を駆け抜け、大事な1点をもぎ取るのがお仕事だ。
「周東は一塁でも得点圏」※1
「二盗、三盗、周東」※2
「アーモンドアイより速い」※3
などと言われ、その走塁スピードは賞賛を通り越してネタにされている。
※1 野球において「得点圏」というのは、走者が二塁や三塁に居る状態を指す。足の速い選手でも、一塁から一気に生還は厳しい
※2 二盗=二塁への盗塁。三盗=三塁への盗塁。普通は二盗、三盗、本盗である
※3 アーモンドアイ=競走馬。なぜか周東選手の比較対象は、人類ではないことが多い
佑京という名前は、片山右京さんから取っているらしい。
90年代にF1ドライバーとして活躍し、「カミカゼ右京」と呼ばれた人物だ。
周東選手がスピード自慢のプレイヤーになることは、名前からして運命だったと言えよう。
その俊足を買われ、今回のWBCでも日本代表チームに選出された。
大会前に行われた強化試合では自慢の足で試合をかき回し、チームの勝利に貢献している。
ちなみにその試合で侍ジャパンの相手となったのは、福岡ソフトバンクホークスだ。
自分が普段所属している球団相手に、なんとも容赦がない。
いつもは頼もしい味方である周東選手の機動力に、ホークスファンは戦慄したことだろう。
筆者は周東選手大好きなので、WBCでも大活躍してくれることを期待していた。
しかし大会が始まると、あまり出番がなかったのだ。
寂しいが、仕方ない。
周東選手のようなプレイヤーは、「代走の切り札」としてその真価を発揮する。
代走というのは打ったり四球を選んで出塁したバッターの代わりに、塁上に出て走るという役どころ。
1点を争うシビアな試合で、終盤に起用されることが多い。
秘密兵器のようなものなので、そこまで出場機会はないのだ。
日本は1次リーグから準々決勝イタリア戦までの5試合、結構な点差をつけて勝利してきた。
周東選手の力を必要とする接戦に、直面しなかったとも言える。
筆者は周東選手の出番がないことに腐っていたが、本人は腐ってなどいなかった。
準決勝からの舞台となる米国ローンデポ・パークのグラウンド感触を、彼は入念にチェックしていた。
自分の出番が、必ずあると信じて。
そしてスピードスターの出番はやってきた。
準決勝メキシコ戦。
日本が1点差で負けている。
9回裏、最後の攻撃。
もう後がないという、最高に痺れる状況。
周東選手の前にも大谷翔平選手がランナーとして出ていたので、2人とも生還すれば2点入って大逆転勝利である。
周東選手は吉田正尚選手の代走として、グラウンドに立った。
今大会、打って打って打ちまくっている吉田選手の代わり。
つまりここで逆転勝利しないと、吉田選手という頼れる強打者抜きで延長戦を戦う羽目になる。
何としても、周東選手が本塁を踏まなければならなかった。
緊迫した空気を切り裂いて、打球が飛んだ。
村上宗隆選手が不調を跳ね返し、打ってくれたのだ。
外野フェンスを直撃する長打。
周東選手の位置は一塁上。
本塁までは、届かない距離。
――だがそれは、並みのランナーだったらの話だ。
村上選手が打った瞬間、「長打になる」と確信した周東選手。
一気に加速し、トップスピードに乗る。
二塁付近で打球の行方をチラリと確認するが、それ以外はほとんどスピードを落とさない。
前を走る大谷選手(彼も俊足のはずなのだが)を、追い越してしまいそうな勢いだ。
野球では三塁辺りに、ランナーコーチという人が立っている。
外野からの返球を見て、ランナーに「突っ込め」とか「止まれ」と指示する役割の人だ。
周東選手が三塁を回った時、このランナーコーチがわらわらと増殖した。
居ても立ってもいられなくなったチームメイト達が、ベンチを飛び出してきたのだ。
約30人のランナーコーチ達が「行け!」、「突っ込め!」と激励する中、周東選手は本塁に滑り込む。
あまりに速すぎて、テレビカメラが追いきれていなかった。
恥ずかしながら筆者は、「大谷がホームインした? 周東は? 逆転のランナー周東はどこにいる?」なんて勘違いをしてしまったものだ。
それぐらい、周東選手はあり得ない速さで駆け抜けた。
侍ジャパン、奇跡の大逆転。
己の武器を信じ、準備を怠らなかった男が手繰り寄せた勝利である。
「周東は一塁でも得点圏」というワードは大袈裟ではないと、周東選手は証明してみせたのだ。
周東選手の韋駄天っぷりは、世界を震撼させた。
米国記者の計算によると、このプレーで周東選手の走る速度は33.4km/hを記録したという。
原付バイクよりも速い……。
やはり人類以外と比較されるのだなと、笑いが込み上げてくる筆者なのだった。