第1話 ラーズ・ヌートバー選手の物語
日本名、榎田達治。
日本での愛称は「たっちゃん」。
日系アメリカ人である。
WBCという大会は野球の国別世界一決定戦だが、「両親のどちらかがその国の国籍を持っている」、「両親のどちらかがその国で生まれている」などの条件をクリアすれば代表になることができる。
ヌートバー選手の外見はどう見てもアメリカ人だが、母親が日本人なので日本代表になる資格を有していたというわけだ。
資格は有していたものの、日本代表への選出を疑問視する声も少なくはなかった。
メジャーリーガーではあったが、まだまだこれからという若手選手。
ブレイクの片鱗は見せているものの、実績は少ない。
「わざわざ外国人を代表に連れてこなくても、日本プロ野球で活躍する日本人を選べば良かったのでは?」
という意見はあった。
見た目が日本人っぽくないところも、一部の層からの反感を買ったのだろう。
果たしてラーズ・ヌートバーという選手は、日本人代表チームに溶け込めるのか?
試合で活躍してくれるのか?
日本の野球ファン達は期待と不安を膨らませつつ、ヌートバー選手の来日を待った。
そんな中、確信を持ってヌートバー選手を待っていた男がいる。
侍ジャパンの指揮官、栗山英樹監督だ。
ヌートバー選手とオンラインで面談を行い、参加をお願いした栗山監督。
彼はメディアに対して、こう言い切った。
「100%全員が好きになる」
栗山監督の言った通りになった。
ラーズ・ヌートバー選手は、瞬く間に日本中を虜にしたのである。
メジャートップレベルの打球速度で強い安打を放ったかと思えば、鋭い選球眼で相手の四球を誘う。
アウトになりそうな当たりでも、一塁に向かって全力疾走する積極性。
右翼手の送球を見て、二塁を落す抜け目のなさ、判断力、アグレッシブさ。
侍ジャパンの1番打者として、不動の地位を獲得したのである。
彼のプレーの中で、特に日本人ファンの心を掴んだのは守備だろう。
ハイスピードで打球の落下点に駆け込んでからの、ダイビングキャッチ。
高い捕球技術、怪我やミスを恐れぬ勇気、諦めないガッツがビリビリと伝わってくるプレーだった。
打たれた投手にとって、どれほど有難かったことか。
チームにとって、どれほど心強かったことか。
熱く全力でプレーする姿は、プロ野球選手というよりもまるで高校球児。
母親が好きな甲子園に対しても、憧れがあったのかもしれない。
プレーだけではない。
ヌートバー選手は、プライベートもキュートなのだ。
日本代表入りが嬉し過ぎて、1人称が「侍ジャパン」になったらしい。
お母さん相手に、「侍ジャパンが来るよ、朝ご飯用意して」とか、「侍ジャパン、お腹空いた」とか言ってたそうな。
これだけ日本代表入りを喜んでくれて、日本大好きをアピールされたら、大抵の日本人は嬉しくなってしまうものだ。
日本大好きなヌートバー選手。
彼が日本を愛してくれるのは、母親が日本人だというのが理由のひとつ。
自分のルーツに、誇りを持っているのだ。
もうひとつが、幼き日の体験。
ラーズ・ヌートバー選手が、8歳(9歳?)だった頃のお話。
ヌートバー家はホストファミリーとして、日米親善高校野球に出場する選手達を受け入れたのだ。
高校生日本代表達と、ヌートバー少年は交流した。
その中には当時高校生だったハンカチ王子こと斉藤佑樹選手や、マーくんこと田中将大選手の姿もあった。
ヌートバー少年にとって、日本高校野球のトップたる彼らはヒーローだった。
彼らのように、プレーできるようになりたいと強く願った。
日本代表入りすることへの憧れを、強いものとしたできごとである。
田中将大選手は、まだまだ現役。
本人も日本代表入りを望んでいたが、残念ながら落選している。
ヌートバー選手のダイビングキャッチを、田中将大選手はツイッター上で「球際の強さハンパないな」と絶賛している。
17年前は小さかった少年が成長し、活躍する姿は、感慨深いものだっただろう。
日本好き好きなヌートバー選手だが、受け入れる側も準備を怠らなかった。
侍ジャパンのメンバー達は、「たっちゃん」というヌートバー選手の愛称入りのTシャツを着て彼を迎えたのだ。
コミュニケーションも、積極的に取った。
特に同じメジャーリーガーである大谷翔平選手は、ヌートバー選手にベッタベタである。
それはもう、「昔からの大親友かよ」というぐらいに。
これは大谷選手の人柄もあるのだろうが、鈴木誠也選手の存在も大きい。
元々は鈴木選手が、日本代表チームとヌートバー選手の橋渡し役になる予定だった。
同じメジャーリーガーであり、同じ外野手だからというのが理由だ。
ところがWBC開催直前、鈴木選手は故障で出場を辞退。
ヌートバー選手が心配だった鈴木選手は、大谷選手にお願いしたという。
彼が日本代表に、溶け込めるようにと。
ヌートバー選手は、溶け込み過ぎなぐらい日本に溶け込んだ。
彼が活躍した時に行うペッパーミルパフォーマンス(コショウをひく動作)は、チーム内で流行るどころか社会現象にまでなってしまった。
日本プロ野球では昔から、外国人選手は「助っ人」というイメージが強い。
しかし、ラーズ・ヌートバー選手は違った。
彼は紛れもなく、仲間だった。
海の向こうで育った、サムライだった。
侍ジャパンの一員として強敵達と戦い抜き、ラーズ・テイラー=タツジ・ヌートバーは世界一になった。
夢が叶った瞬間だ。
我々ファンは嬉しく思うと同時に、寂しくなった。
もうこれで、彼が日本代表としてプレーする姿はしばらく見納めである。
次回のWBC開催は3年後。
不安なのが、「ヌートバー選手は、次回も日本代表を選んでくれるだろうか?」という点である。
彼はアメリカ代表になる資格も持ち合わせているのだ。
大会が終わり、1人、また1人と侍達は別れてゆく。
それぞれが所属するチームに、戻るために。
シーズンが始まれば、また敵同士だ。
そんな中で大谷選手は、ヌートバー選手に腕時計をプレゼントしたという。
「次回大会で日本代表に戻ってこなかったり、他の国から代表になったら返さないといけないんだ」
大谷選手が約束させたわけではないのだろうが、ヌートバー選手はそう語っている。
次回もためらいなく日本代表として参加できるよう、大谷選手が理由をくれたのだと推察するのは、筆者の考え過ぎだろうか?