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第10話 優良物件のお隣さん

 六畳一間、風呂トイレ別、最寄り駅まで徒歩30分。洗濯機は共用の物が3台。たまに夜中に一階で開催される、泥酔したおっさんのミュージカルのコンサートチケット半永久無料パス付き。


 このボロアパートは家賃の割にコスパがいい。まぁ、空きが有れば誰かしらは入ってくるだろう。白鳥(しらとり)希子(ねこ)のお引越しという、奇跡のような美少女が隣に越してくるイベント。本来だったら小躍りしながらガッツポーズをする場面のはずだ。


……例えそれがストーカーじみた女の子でも。


「ストーカーじゃないんですって!」


 何かしらないがまた見透かされたらしい。自称名探偵は伊達ではないということか。ただ、僕に限って、そう。僕に限ってそれはいけないのだ。ただ胸騒ぎがする。普通の人間だったなら恋物語の始まりに胸躍らせるのかもしれないが、僕は運命的なものを感じてしまった。破滅で終わる前日譚のような凶兆を。


「いや……今さら驚かないんだけどね。バイト先をお金の力で見つけられるのなら、住所だって不可能じゃない。そう、この一点に関しては、僕は驚いていない」


 彼女は不服そうな顔をする。怒った顔も可愛いな。もっと怒らせてやろうか。飽くまで嫌われるためにだ。他意はない。不純な動機など一ミクロンも持ち合わせていない純然たる合理的思考だ。


「ただ、こんな貧乏人のパラダイスに君みたいな可愛い女の子……」


 瞬間僕は自分自身にビンタをする。軽率な物言いをした僕の口に罰を与えるためにだ。それを、奇人を見るような眼で見られるが、君だって十分奇人だからね。


「こんなところに金持ちのお嬢様がくる胆力があったとは驚きだ。僕が自由研究の題材にでもなったのかな? 大学生なのにね? お互い」


 むっとして無言で203号室に入っていく白鳥さんを見て、僕は安堵した。漸く興味を失ったか。嫌われたか。だが、何故だろう。僕にとって安堵するべき場面なのに胸の奥が握られるように痛む。これは後日病院にかかったほうが良いかもしれない。今度は内科だろうか。


 また入院してカットフルーツを食べている自分の姿を想像しておかしくなる。


 そんな事を考えているうちにアパート二階の鉄柵に寄りかかっていた僕は、松葉杖を落としてしまう。人にでも当たったら大ごとだ。手を伸ばすもわずかに届かず、地面にポトリと落ちる。


 弱ったな、これは拾いに行くのも一苦労だぞ。誰かが足を引っかけて躓いてしまうかもしれない。嫌われるためとはいえ、最低限のモラルは必要だ。嫌う側からしてみればただの自己満足にすぎないだろうが。


「持ってきました」


 しゃがみ込んで、落した松葉杖を見ている僕のもとに声が掛けられた。振り向くと何かの書類を手に持った白鳥希子がどや顔をしながらそれを突きつけてくる。


「賃貸契約書です。契約日が三週間前なのが記されていますよね? これで貴方と初めて会った、二週間前よりも前に私がここに住むことを決めていたことが証明されますよね?」


 この自称名探偵は、しかし、容疑者のような口ぶりでアリバイを主張する。ここも乗っかってみることにした。


「一つ可能性。その賃貸契約書が偽物である可能性がある」

「反論です。偽物ならばこの短時間で用意できないし、事前にこの展開まで予想しておかなくてはいけないです。偽物を前もって用意できるならば貴方の言った通り偶然を装ってこの家を借りるでしょう。何なら不動産屋さんに問い合わせても裏付けが取れるはずです」


「二つ、君がもっと前から僕に目をつけていた可能性がある。嫌われ者としてちょっとした有名人の僕のことを知る機会は少なくないだろう」

「反論です。私が貴方の事がただの嫌われ者だと聞いていてそれで近づこうとすることは感情的にはあり得ません。如何に私が謎を渇望していようとも危険レベルの判断は出来ているつもりです。私はあの日、講堂でテキストを見せてもらったあなたに興味を持ってストーカーしていました」


 語るに落ちるというのはこういうことを言うのだろうか。もうこの子ストーカーって自分で言ってしまっているし。そもそもの着眼点が違う。僕と彼女の認識の乖離が甚だしい。


「ん?」

「ん?」


「いや、嫌われ者だから、その人類共通の敵に嫌がらせをするために、僕の事を追っかけまわしているものだと、思っていたが……」


 僕の卑屈さは天井知らずだ。美少女に付きまとわれたら、どんな男子でも「自分に気があるのでは?」となってしまうものなのかもしれない。しかし、幼いころから悪意に晒され続けていた僕にはそのような捉え方は出来なかった。


「え? 基本追いかけまわすのって、好意や興味からくるものでしょう?」


 彼女の瞳に濁りはない。濁りに濁り汚泥のようになっている僕と眼を合わせているだけで、彼女の神聖さを穢してしまうようでいたたまれなくなり、僕は顔を逸らした。それと殆ど同時に、彼女は自分がどう言葉を濁しても「ストーカー」であることに気付いたようで、弁解の言葉を探しているうちに、僕の異変に気付いたようだ。


「杖、落したんですか?」

「いや、その……」


 拙い。気付かれた。これ以上借りを作るのはどう考えても拙い。急いで、拾いに行かないと。と思い至ったころには手遅れだった、彼女は軽快な金属音を鳴らしながら階段を下りていき、松葉杖を手に取り戻ってくる。


「はい、どうぞ」

「……僕が、頼んだことじゃないからな。礼は言わないぞ」

「ええ、構いませんよ。私がしたかったことですから」


 本当にこの子は、悪意のない善意は僕にとって純度100%の悪意よりたちが悪い。天然で人たらし。間違いに間違って、僕が君を好きにでもなったらどうするんだ。だから今日はこのまま終わらせるわけにはいかないぞ。例えどれだけ心が絞られようと僕は彼女に決定的に、そう決定的に嫌われなくてはいけない。


「あぁ、そうか、そうか。合点がいったぞ」


 貼り付けた気持ちの悪い笑みを口の端に浮かべる。何やら、彼女は何が起こるかを判断しかねているようだ。僕の口から、たとえ円満夫婦でも100年の恋も冷めるような暴言が出てくるとなれば。


「娯楽……か」

「?」


「よく言うもんなあ、貴族階級の人間が奴隷同士を戦わせて見世物にしたり、体の不自由な人間を見世物小屋にぶち込んだりと。そういう口だな」


 彼女は何も言わない。表情も変えない。心がキシキシと痛む。


「貧乏人や僕みたいな嫌われ者を見て楽しむつもりか、なるほどこれは随分面白い。合法的に最高の娯楽を得られるんだからなあ。良い趣味してやがる」


 もう僕は彼女の目を見て話せなくなっていた。喋っている自分を本心の自分と切り離す。理屈は簡単だが、実践するのは結構大変だった。だが今はその暴言を吐く自分を俯瞰した視点でみられるようにはなった。それでもふとした拍子に元に戻るのだが。


「……素晴らしい」


 は? 今なんといった。スバラシイ? 外国語で「死ねやコイツ」とかいう意味を持つスラングか何かなのだろうか。


「どうしてそんな悲痛そうな顔をしてまで、私に嫌われようとするのか。気になりすぎて夜も眠れません。謎は良い。幼児の知育玩具からミステリー小説まで。謎は世界にあふれている。それを一つ一つ解き明かしていくのが私のささやかな趣味なのですよ。こんなことを言ったら嫌な女だと思われるかもしれませんが私は結構外見はいい方なので、数々の殿方より恋文を頂きましたし、告白もされました。でもみなさん順当に好意をアピールしてきて、奇をてらうこともない愛情表現だったのですよ。真実の愛だの宣う輩がいましたが、なんと軽い言葉なんでしょうね。そんなもの三流の都市伝説以下です」


 ヤバイ、また何かのスイッチを入れてしまったのかもしれない。彼女は饒舌に話し始めている。これはとっとと部屋に退散したほうが良いかもしれない。


「矛盾。謎の一つです。私も最初は楽しかったのですよ? 人は必ずしも合理的に動くことは無い。私の両親も、そう、でした。如何に合理的に在ろうとしても人間が人間である以上、そこには矛盾が、自己矛盾とでも呼びましょう。そういった事は付きまとうわけです。それが楽しかった。探偵さながら矛盾を指摘し鬼の首を取ったように喧伝する。しかし、それが普遍的に。当たり前に存在するものだと気づいてからは、私は興味を失いました。真実がいつも幸福へと導いてくれるものではない事も、気付くのがだいぶ遅かったみたいですね。でも貴方の。自分に利する嘘をつくのではなく、その逆を心痛そうな顔で言う姿を見て私の好奇心は再燃したのです。不謹慎かもしれませんが好奇心というものは人類の根源的欲求だと私は思います」


「あ、あの」


「ああ、叶う事ならばもっと前の時代に生まれたかった。かつて人類最初に0を発見した人間はどれほどの絶頂感を味わったのでしょう。車輪を発明し、船を作り、未踏の地に乗り込んだ探検家は? 宇宙に目を向け、重力や光について解明していった研究者の圧倒的満足感を味わう事の出来ない今の世界は、とても退屈なものになってしまっています」


 彼女はひとしきり話し終えるとがっくりと肩を落す。


「今や人類未踏はほとんど存在しません。深海と宇宙くらいなものです。それも“未踏”なだけで“未知”ではありません。私が真理に到達できているかと言われればそうではありません。何気なく使っているこのスマホ一つとっても構造を説明しろと言われてできるものではありませんしね。しかし大航海時代のような興奮を覚えるものは今の世界には存在しません。とてもつまらない。こんな世界は、面白くない、と半ば絶望しかけたところに現れたのが貴方なのです!」


 びしっと指をさされるが僕は怯えている。どうしてこうなった。成る程どうして、哲学科に入ったのにもある程度納得のいくものだ。うん。そうだな。たしかにどんな学問も、彼女風に言い換えると「謎」を突き詰めて行けば禅問答よろしく哲学の領域に入る。それすら彼女は退屈になっていたみたいだが。


「と、言うわけで明日からは講義の時間が合えば一緒に出ましょうか? まずは時間割を照らし合わせましょう。大学図書館で話し合いましょうか」


「あ、あの。僕の話を……」

「明日は? 講義は入っていますか?」


 怖い怖い怖い。でもいいことかもしれない。僕が彼女の事を怖がっているうちは好意という感情は覆い隠される。


「はい、三講から入っております」


 もう敬語まで使ってしまう有様だ。


「では私は四講からなので二限の時間に一緒に登校しましょうか? いいですか?」


「はい、承知いたしました」

「くれぐれもネタバレはしないでくださいよ。あ、それとこれ。ティーセットです。引っ越しのご挨拶も兼ねてお渡しします」


「ありがとうございます」


「では、また明日!」


 203号室の扉が閉められる。取り残された僕はしばし茫然としたあと、202号室の自室に帰っていく。ギプスに水がかからないよう注意しながらシャワーを浴びるともう夜の10時を回っていた。


 そのまま、医師に言われた通り安静にしていると。なんだか、楽しくなってきてしまっていた。あの美少女は間違いなく変人だ。そして僕も同じく奇人である。


 もらったティーセットは今のところ茶葉が無いので開けることはしない。しかし、ネットで価格を調べてみると50万はする代物だった。余計に開けられなくなってしまった。


「凄い、一日だった。どっと疲れたから今日は寝よう」


 僕は布団に横になるとすぐに夢の世界に落ちていった。


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