黄葡萄と思惑の味④
王妃はテーブルの上に置かれた書簡に目をやると、興味なさそうに溜息をついた。
「……王妃はお前からの報告をお待ちだ」
そう言ってアマティを急かすセガノト。ゆっくりと顔を上げたアマティは、王妃の顔を見て頭を下げる代わりに少しの間、目を閉じる。
……王妃の器では、ないな……
初めて会う王妃の前で跪くアマティは、素っ気ないというより、王のことに対して全く興味がないと言わんばかりの態度を向けられ困惑していた。
……王妃からの話が聞けない以上、何を考えているか分からない。ならばセガノトが言う美に対して興味を引き、銀板のことをこじつけるしか……
「……アマティと申します。今は捕虜としてですが、ルチェーレの医術者としてでも末席に加えていただけるなら、これからの展望について詳細をお話いたしましょう。加えて、その銀板に書かれた黄葡萄の効果についてもお話いたします……」
そう話すアマティにも冷たい視線を向けていた王妃は、セガノトから渡された銀板を読むと、妖艶な笑みを浮かべアマティを見つめる。
「……この不老について詳しく聞きましょうか……」
王妃が目配せをすると、セガノトがアマティを縛っていた縄を切った。息を吐き腕をさすりながら立ち上がったアマティは王妃に頭を下げると、微笑みながら顔を上げ話を始めた。
「……これで知ることは全てです。こちらとしてはオレたちの安全の保障を。後、リラに、レハール様は亡くなったと伝えてください。このことに関しては、オレが話すまで口外しないことを希望します」
話を終えたアマティは、セガノトを横目で見ながら大きく息を吐く。視線に気づいたセガノトは、難しい顔をして「話し過ぎだ」と機嫌悪そうにアマティを見つめた。
苦笑いしながら王妃の様子を思い出すアマティ。
アマティの話の途中で足を組み、視線を落とす王妃は何かを考えているように見えた。オルトベラ王が亡くなる様子を聞いても「そうですか」と、顔を上げ、どこか遠くを見るだけ。
裏を返せば悲しみを隠し、気丈に振る舞う姿に見える。しかし笑みを浮かべる王妃の表情は、何かを期待しつつもこれから訪れるであろうことに対しての危惧。これ以上、感情に訴えかけるのは無駄だろう。
……何も知らないままのリラは可愛そうだが……
自身の話だけを聞いて、そのまま処罰ということもあり得る。そんな様々な思いが錯綜するなか、感情的にならないよう言葉を選びながら話を終えたアマティは、寝ているリラを見つめ目を閉じると王妃の言葉を待った。
「……話は分かりました。オルトベラ王については残念でしたが、戦いに出る以上、避けられないことです」
そう言って目を閉じ、口を動かせた王妃は、祈りを捧げるように見えた。そのまま背もたれに寄りかかり、大きく息を吐いて天を仰ぐ王妃。
「まずはセガノトに褒賞として、ルチェーレ国補佐官として任命し、併せて侵攻……いえ、遠征に関わる一切の軍事、及び内務の命令特権を認めるものとします」
「はっ。ルチェーレのために、王妃を支えることを誓います……」
そう言って跪いたセガノトは、机の上の紙と羽ペンを王妃の前に置いた。
羽ペンを手に取った王妃は、《アリレ・セガノトをルチェーレ国補佐官に任命する ルチェーレ・マンナリ》と書くと、自身の唇を親指で触り、自身の名前の上に捺印する。
大きな笑みを浮かべながらその紙を手にしたセガノトは、王妃に頭を下げると、嬉しそうに書棚の側に歩き、置いてある銀製の筒の中にその紙を入れた。
その様子を見ていた王妃は視線をアマティに戻してから口を開く。
「……あなたの希望の対価は銀板でよしとしましょう。……ルチェーレのことについて私は何も知り得ませんし、興味がありません。ソラに継がすにもまだ早い。せめて成人するまで……少なくともあと八年で王の器を作ろうと思ったので、セガノトに任せるのが良いと思いました」
背筋を伸ばしたまま、微動だにせずアマティに冷たい視線を向ける王妃が言った。
……王妃の言葉に偽りがあったとしても、セガノトに信頼を寄せているのは確かだろう……
考えていることを悟られないよう、目を逸らさず王妃を見つめるアマティ。
「王の代わりにあなたが外に出るのなら、ソラの代わりも立てなければなりません。幸いそこにいる子も、どういうわけかソラと顔が似ているような気がします」
「……マンナリ様、それは……」
ソラのことを知らず、ここで反論しても仕方がない。そう考えながら小さく頷くアマティ。顔をしかめたセガノトは、少し考えた様子を見せながら王妃の側に寄り声をかけた。
「人質が二人いれば、あなたも死を恐れず戦うことができるでしょう? 銀翼の魔人と恐れられたオルトベラ王のように……」
口元を緩めながら話す王妃を見て、頭を下げると苦笑いをするアマティ。
……オレとリラは死んでも構わない、か……
「……ご期待に添えるように努力いたします……」
そう言って顔を上げたアマティは、王妃を見つめ笑顔を見せた。
* * *
「正直、今でも王妃の考えることは分からない。セガノトと行動が食い違っているのは見て分かるが、それが真意かどうか……その、メルカダにしてもそうだ。ソラ王子の言いたいことは分かる。だが、それを邪魔しているようにも見える……」
そう言って頭を抱えるアマティ。
その姿を見ていたカゾーラは、窓の側に行き遠くを眺めると「母として考えることは分かりませんね」と、呟くように言った。
☆ ☆ ☆
「ソラには悪いけど、ボクは王妃のこと好きじゃないんだよね。そりゃぁ、助けられてるって恩はあるよ。でもさ、ずっとお父さんのこと隠してたし、ソラがいるのにもっと子どもが欲しいって言ってるんだよ?」
機嫌悪そうに腕を組んで話すリラを見て、ソラとメルカダは顔を見合わせる。そんな二人を不思議そうに見ていたリラに気づき、ソラは笑顔を向けた。
「……今の話を聞いて、ひょっとして、あ、いや……少し希望が湧いて来たかなって。リラ、ありがとう」
「でも、メルカダがいるのに、どうしてボクと結婚するって言ったのさ」
「……僕は誰かを信じようとは思っていない。できないんだ。だからアマティの考えに乗っただけ」
「……っ。それってズルくない? メルカダのためにボクと一緒になるフリをするのって、ソラの意志、関係ないじゃん」
何かに気づきながら言い留まったリラが息を吐くと、寂しそうな瞳で不機嫌そうに言ってから口を尖らせる。
「……リラと僕では立場が違う。ルチェーレの王になるのであれば、価値が、重みが違うんだ。」
「……やっぱり王妃と同じ考えなんだね」
少し驚いた表情を見せると、力なく呟いたリラの声は二人に聞こえなかった。不思議そうにリラの顔を見つめるソラとメルカダ。
二人に笑顔を見せたリラは言葉が出てこなかった。
「じゃぁ……リラはどうしたいの?」
そう言ったソラの手を掴んだメルカダは笑顔で首を振ると、リラに向けて口を開く。
「リラ……ソラ様は……ソラ様と私はどうすればいいと思う?」
……今まで頑張ったことって、無意味なのかな……
声をかけたソラとメルカダに気づかず、ぼんやりと考えているリラ。
動かなくなったリラに不安になったソラとメルカダは顔を見合わせると、メルカダがリラの肩に触れた。はっ、としたリラは二人に視線に気づき、背中を向けて椅子に座るとワインを口にした。
……美味しくないなぁ……
溜息をつくように肩を落としたリラは、猫背のまま口を開く。
「……国を作る、とか……国を残す、とか……立場がある人は、そんなことばっかり考えてるんだねぇ……」
そう言って手にしていたコップのワインを飲み干し、テーブルの上にコップを投げたリラが話を続ける。
「でもさ、何も言わなくても、みんな考えてると思うんだ。ルチェーレのために。ボクが演説してるときの笑顔は忘れてない。……そんなソラも民のことを一番に考えているんだと思っていたよ。でも、違った……」
そう言ってメルカダに視線を向けるリラ。
「……僕は受け入れることも、大人になることだと思ってる。少なくとも、ずっとルチェーレを見て来たリラより、現状を把握してるつもりだよ。ただ……」
――コンコン
ソラの話の途中で扉を叩く音がした。息を吐いたソラはメルカダに目配せをする。
頭を下げたメルカダは扉の側に行くと「はい」と返事をした。
「ステーロです。食事の片付けに来ました」
返答をもらおうとソラの方を向いたメルカダが口を開く前に、頷くソラに気づと「……どうぞ」と小さく声をかけて扉を開ける。
「……リっ……」
銀色のカートを押して部屋に入ったステーロは、リラと声をかけようとして言葉を飲み込んだ。大きく息を吐いてから扉を閉めるステーロ。
「ねぇ、ステーロ。このカートでボクを運んで欲しいんだけど?」
ステーロに声をかけるリラ。無言でソラの方を向くステーロ。
「……ごめんステーロ。リラのことよろしく頼むよ」
そう言ったソラに頭を下げたステーロは、メルカダを見ながら少し考えた様子を見せた。