王族の血統の意味を知る下準備④
「まぁ、六年……八年か? 情報統制していたにせよ、リラも含め、お前らも建国してルチェーレと対等になるんなら、知る権利ってものがある……」
そう言って窓際にあった小さな書棚の前から紙を一枚持ってきたアマティは、テーブルの上の銀製の皿の上に置いた。
次に銀製のナイフを手に取ると軽く親指を切り、薄っすらと血が滲んだ親指を紙に当てる。
「……誓約の儀式……」
呟いたアバドが最初にナイフを持った。それを横目で見ながらフィオーレとステーロも続く。戸惑うリヴェールよそに、その様子を見ながらリラが首を傾げる。
「……って何?」
「……自分が信じる神に偽証が無いと誓い、それを受け入れる……ということですが……」
テーブルの上に置かれたナイフを見つめながら話すリヴェール。
問題を提起する者が真実を述べ、それに準ずる者たちが自身の血判を燃やすことで、天にいるであろう神々に誓う儀式。婚姻のときにも行われる儀式でもある。
「……セガノトのこともある。お前は無理するな。リラもな」
リヴェールとリラを気遣って声をかけるアマティ。
アバド、フィオーレ、ステーロは、アマティが押した血判の下に、それぞれ親指を押し当てた。
「ボクは最初からアマティのことを信じてる。でも、結婚するときにもするんなら取っておくよ」
そう言ってアマティに笑顔を向けたリラが姿勢を正して椅子に座り直す。
「……神に信仰するのと、父やアマティに従うのは別です。ぼく自身の迷いを無くすために……」
手にしたナイフを見つめ、自身に言い聞かせるように言うと、リヴェールは親指にナイフを当て血判を押した。
それを険しい顔をして見ていたアマティは紙を手にすると、花瓶のように大きなライターで火をつけ、また銀製の皿の上に置いた。
それぞれが秘める思いを胸に、その火を静かに見つめている。
紙が燃え尽きたことを確認したリラが、焦げ臭い匂いを感じ、銀製の蓋をかぶせた。それを見て皆、椅子に座りアマティの言葉を待っている。
アマティは聖炎式まで待った方が、とも考えたが、王妃の意向も聞き、それに加えリラに向けて話したこと、何よりセガノトも自分以上に予定外のことが起きているのだろうと確信していた。
『……例えば、毒の耐性があっても、物忘れには関係ないのですね。大人でも子どもでも』
リラを横目で見ながら王妃と話していたことを思い出していたアマティは、あれは黄葡萄の記憶障害のことを話しているのだろう。その出来事について忘れることもあれば、何かをきっかけに記憶が塗り替えられることもある。それは、一種の暗示のような効果もあるのかもしれない、そう思っていた。
と言うのも、アマティは黄葡萄の森が隣接するリレの村への侵攻に同行したとき、三日三晩戦い続けるオルトベラ王の姿を見たことがあったからだ。
毒の霧が薄かった時期だったにせよ、食事や睡眠を取らず、疲労を感じることなく戦い続けたオルトベラ王は、血走った眼で戦場を駆け抜けていた。
ルチェーレに来てから、様々な症例を見ながら自身の理解を深めていたアマティでさえも、黄葡萄について詳しく分からない。
多分、王妃は毒の耐性と記憶障害に何かしらの繋がりがあると見ている。だからあんなことを言ったのだろう。
記憶を忘れているのなら、何かしらのきっかけで思い出すこともある。もしくは誰かのひとことが、他の誰かのきっかけになるのかもしれない。だから、自身が思い出せないことについては置き、すぐに確信から話すべきだろう。
そう考えるアマティは、話す言葉に詰まり大きな溜息をつくと、ゆっくりと顔を上げ、意を決したように口を開いた。
「……お前たちは、前オルトベラ王の子だ」
静まり返った部屋に、皆の息を飲む音が聞こえる。
「ちょ、ちょっと待て。……アマティ、今……おかしなところが二つあったぞ……」
ひきつった笑いをしながら話すフィオーレがアマティを指差した。二つ? と首を傾げながらアマティを見つめるリラ。
「……そうですね。前、と、オルトベラ王の子、と……」
平静を装いながら言ったステーロが、震えながらコップを手にし、ワインを一口飲んだ。リラが、あぁ! と大きく頷くと、うつむいたまま話を聞いていたリヴェールが口を開く。
「ぼくは……ぼくの父は……」
「……リヴェールの父はセガノト……」
目を泳がせながら言ったリヴェールに、自信なさそうに小さな声でアマティが言った。
「アマティ……」
その様子を見ていたアバドが、アマティの言葉を待っている。
「リヴェールの母は……マンナリ王妃だ……」
うつむいていたリヴェールは、アマティの言葉に肩をびくっ、とさせると、ゆっくりと顔を上げた。固まったように動かなくなるフィオーレとステーロ。
考えるリラが目に映ったリヴェールは、ふと、頭に浮かんだことがあった。
幼少の頃からいつも父の仕事に同行していたリヴェール。それは国に関する内務の仕事を早く覚えるようにと思っていた。
最年少で内務官になれたのは、能力の高さや意志もあったと自負するが、やはり父の指導の賜物であったはず。
しかし、それは自身のためと思ってきたが、父や王妃にとってはそうでなかったのかもしれない。リヴェールは、過去の記憶から少し目線を外してみる。
そこにはいつもマンナリ王妃がいた。国を背負う父は、いつも王妃と二人で会議をしているのだろう。その間際に向ける王妃の笑顔こそが自分の理想の女性たる由縁。母は早くに亡くなった。そう父から聞かされていたリヴェール。
優しく自分を見つめていた瞳は、我が子に向ける母なる瞳だった。そう考えているうちに、悔恨の情がリヴェールを襲う。
自身は才能が無いのに内務官として登用されたのだろうか。
自分の努力が認められたのだと――
勅命だったにせよ、王妃との不義。
父は国のためと言いながら――
許されるはずがない。自身の存在にしてもそうだ。
頭の中を様々な思いが溢れ、父に対する怒りと、知らずとはいえ、それを受け入れていた自身にも怒りが芽生えてくる同時に、嫌悪に耐えきれなくなったリヴェールは、歯を食いしばると涙を流し始めた。
重苦しい空気の中、何かに気づいたリラは、アマティを見てはうつむいて、口を開こうとして口をつぐんで、そわそわとした様子を見せる。
「……リラ、何だ?」
溜息をつくと、そう言ったアマティがリラを見つめながら小さく頷いた。
笑みを浮かべたリラは、口を開こうとして皆の視線に気づき、そのまま大きく息を吐く。そしてもう一度、大きく息を吸い込むと、アマティを見つめながら話しかけた。
「ひょっとして……だけど……オルトベラ王は……多分……私のお父さん、なのかなって……」
乾いた笑いを見せながら話し、ちらりとフィオーレに目をやるリラ。
その、少し照れたような視線を向けるリラの様子を見ていたアマティは、リラの記憶が戻ってきているのだろう。そんな笑みを浮かべながら小さく頷いた。
「……それは……」
皆が無言でアマティを見つめる中、ぽつりと呟くアバド。
「フィオーレがどこまで憶えてるか分からないが……」
そう前置きしたアマティは、第二次クリアミニ遠征の話を始めた。