嫌悪が芽生える下準備②
眠そうに大きなあくびをしたアマティが首を回しながら歩いている。前を歩くアバドが朝一で離れに迎えに来たからだ。
部屋から出られない退屈なリラの話し相手になり、遅くまで婚姻について聞かれ、はぐらかしている間に夜更けになってしまい、睡眠時間を削られたアマティ。
何も言わないアバドの背中は、セガノトから昨日のことを知らされていないことを気づかせる。
王妃とセガノトの二人で秘密裏に行っているとはいえ、すぐに結論が出たとも思えない。
アマティは様々な状況になることを考えながら歩いている。
アバドは貴賓室の前で立ち止まると、視線をアマティに向けながら、開いた扉の前に立つメイドに頭を下げた。それに気づき部屋の中に入ろうとしたメイドは、手を出して制止するセガノトと目が合う。
「……アマティ様、どうぞ」
セガノトは無言のまま頷いたので、メイドは部屋の中に入ることなくアマティに声をかけた。
アマティはすれ違う際、アバドに小さく頷くと、誘導するメイドの後を歩く。
「……昨日はとても有意義でしたので、すぐに話す機会を作りました」
そう言って含み笑いをする王妃に頭を下げるアマティ。
「朝早くからすみません。式典についての確認事項もありまして……」
そう言いながら、顎でメイドに退出を促したセガノトが、笑みを浮かべながらアマティに話しかけた。
「いえ、オレも話したいことはあったので、ちょうどよかったですよ」
アマティも微笑みを返しながら椅子に座ると、頭を下げたメイドがゆっくりと扉を閉めた。
貴賓室といえば豪華に聞こえるが、屋敷の部屋の壁を壊し繋げただけ。
それでも銀細工を始めとする装飾品はどれも素晴らしく目を引き、権力を見せつけるには丁度良い部屋だったが、外交会議が無い昨今は、ただの物置部屋になっていた。
部屋の中央に置かれた巨大な円形のテーブルの上にはワイン樽とコップ、パンや肉などの食事が用意されている。王妃の横にセガノトが座り、その反対側に座っていたアマティが手を伸ばしコップを手にするとワインを注いだ。
視線を少しセガノトに向けた王妃が、すぐにテーブルに置かれた紙に印を押すと、口を開く。
「さて、聖炎式の確認印は押しました。これについて問題はありませんね?」
「はい……」
……あくまでも聖炎式は行いながら、自分たちの権威を示す、ってことか……
小さく返事をしたアマティがワインを口にすると、腕を組みセガノトを見ながら溜息をついた。その姿を見て口元を緩めた王妃が話を続ける。
「まず……やはり王の体調は戻っていません。私の問いに、うつろな目をしたまま、あらぬ方向を眺めているだけでした。これでは銀板を手にしたところで解読は無理でしょう……」
……オレと会えば、きっと王も口を開いてくれるはず……
アマティは、そう確証を持っていたが、口にするわけにもいかず黙って王妃の話を聞く。
「ですので、セガノトの助言通り、再度クリアミニへ使者を送ろうと思います。銀板のことについても何か分かるかもしれません」
「ここ十数年、クリアミニへ送った正式な使者は数百人はいるでしょうが……誰も戻ってきていませんが?」
そう言って険しい顔をするアマティ。
「……あなたを除いてね」
笑みを浮かべながらセガノトが言った。
……またそれか。そう言われてもオレ自身、憶えていない。……レハール様に助けてもらい、黄葡萄の調査をするため、リラと小川の小屋にいたことは憶えているが……
険しい顔をしたまま溜息をつくアマティは、王妃を見つめながら考えている。
「五国の王妃たちをクリアミニへ連れて行き戻って来た。その理由についても伺えないまま……ルチェーレのためと有耶無耶にしていますが、これが……原因の一つかもしれません……」
そう言って溜息をつく王妃が憐れむような眼でアマティを見つめた。
原因――。だから王に合わせることはできない。アマティに何か裏があると察している王妃とセガノト。
『アマティが五国の王妃たちと山を越えて行った――』
数年前、銀山の工夫の一人から得た証言。これの事実確認をしていたが、いつも同じことを話してきた。
黄葡萄の花粉を吸い続けると、興奮状態や身体の麻痺、そして前後の記憶障害を起こす、銀板にも同じことが書いてある、何のために王妃を連れて山を越えるのだ。そもそもクリアミニへ行ったと証言してないだろう。そう言い続けて来た。
もちろんアマティ自身も憶えていないと、事実を言っているが、要領を得ない、と無言のままの王妃とセガノトを置いて部屋を後にする。それをずっと繰り返してきた。
「それが本当なら、俺は二回以上、クリアミニを往復していることになる。それは……」
「それは王と口裏を合わせれば何とでもいえる」
このくだりもいつもと同じ。アマティの説明には耳を傾けず、一方的に話を終わらせるセガノトも意地になっているのだろうか。
セガノトの言葉を聞き、今日もダメか、と笑みを浮かべ目を閉じて首を振るアマティ。
「……どうして他国の王妃たちをクリアミニへお連れしたのか、オレが知りたいくらいですよ」
そう言って話が終わるのもいつものこと。アマティは、ワインを飲み干してから、パンを手にすると、王妃を見つめながら食べ始めた。
……八年前のことは憶えている。レハール様を助けようと、ルチェーレの陣営に行った……