嫌悪が芽生える下準備①
「どうぞ、マンナリ王妃……」
付き添いのメイドはそのまま部屋の外に待たせ、にこやかに王妃を部屋に招き入れたアマティは、あらかじめテーブルの前に二つ合わせていた椅子に王妃を座らせていた。そこから二メートルほど離れた場所に立ち王妃を見つめているアマティ。
王妃はアマティの視線に気づきながら、自身のドレスの裾を見ている。それから無言のまま数分が経った。
ベッドの上の布団の中で息をひそめ耳を澄ましているリラ。
王妃は重そうなドレスの裾を持ち、白く細い足を見せると、バサバサと振り音を立てる。うつむき目を逸らしたアマティを見て笑みを浮かべた王妃は、コンコン、と軽くテーブルを叩く。
「……ご用件というのは……」
何が、というわけでなく、何となく負けたような気がしたアマティが口を開いた。
「えぇ、この銀板の……加筆された医術書は見つかりましたか?」
妖艶な笑みを浮かべながらテーブルの上に銀板を置く王妃。
「いえ……遠征が無くなり、外へ出ることも無くなりました。リラの世話も無くなったことですし、今から待って……許しを頂けるのなら外へ出ますが?」
テーブルの上に置かれた銀板に目をやりながら、そう言って王妃に笑顔を向けるアマティ。
「あなたの願いならと、八年待ちました。……私に対しての成果は何かありましたか?」
「……イセタリブ大陸平定の手助けを……」
「……アマティ、私に対して、と言ったのです」
アマティの話の途中で、王妃が強い口調で言った。
……痺れを切らしているのか、焦っているのか……
そう考えていたアマティの笑顔が消えると、笑みを浮かべていた王妃は背筋を伸ばした。
主導権を握り、対等に話を進めるために、また無言なるわけにはいかない。
アマティは目を細め、険しい顔で王妃の瞳を見つめると、小さく息を吐いて話しかける。
「自由に動ける、という意味では、あなたの成果になっていると思いますが?」
いつもと変わらぬ口調だったが、一瞬、自身の思惑を見透かされたような瞳をしたアマティから目を逸らした王妃は、笑みを浮かべながら足を組んだ。
「……民がどうとか、国がどうとか、私には関係ありません。侵攻などの野蛮なことは、戦いたい男たちが勝手にすればいいのです」
……王妃って、こんな人だったの?
布団の中で二人の話を聞いていたリラは、目の前にある枕を睨む。
「……私の顔は二十歳の頃のまま。これが薬の効果なのは分かります。……しかし、足は……老いを隠せません」
そう言ってドレスの裾をまくった王妃が膝を見せた。
老化を遅らせ美しさを保っているのは黄葡萄の効果。医術書に書かれた通りに調合した薬を毎日、体に塗っている。
「愛は無くとも、体の維持はできています……」
自身の整ったスタイルを見せつけるため背筋を伸ばしたのか、意味深に話す王妃は八年前と変わらず美しい体を保っているように見えた。
しかし、腕などはまだしも、膝を見れば分かる通り、乾燥し、しわも増えている。
ドレスで隠れた場所、特に空気が循環しにくい足は老化が早いと考えられていた。
それを知っていた王妃は、自身の膝をさすりながら話を続ける。
「……あなたの言う通り、この銀板には不老のことについて書かれてあるのは間違いないでしょう。……いくら薬とはいえ、肉体の老いを戻すことはできないのは分かっています。ですから、すぐにでも私の体を美しいままに……美しいまま、死にたいのです」
大人の、王妃の考えることはよく分からない、と大きく溜息をついたリラは、同時に、自分のことしか考えていない王妃に苛立ちを覚えていた。
そして、何となく頭に浮かんだ父レハールと暮らした光景と、初めてオルトベラ王と会った日を思い出そうとしている。
ぼんやり王妃の膝を見ていたアマティは、我に返ると、頭をかきながら大きく溜息をついた。
「……聖炎式で使おうと思っていた銀板が無くなりました。オレはあなたがアバドに指示を出したと思っていましたが、違ったようですね」
「……銀板を使うことは今、知りました。あるなら最初から……」
テーブルの上に置かれた銀板を見つめながら、興味なさそうに話す王妃。
「……いえ、それは不老の書、ではありません。解読はまだですが、多分、違います」
「では、それに何の関係が……」
「……多分……不死の書、と思われます」
不審そうに見つめる王妃から目を逸らし、考えた様子を見せるアマティが小さな声で言った。
「不死!? では、早くそれを……。いえ、確かに不老は本当でした。しかし、不死と言われると……」
その言葉を聞き、目を見開いた王妃が立ち上がったが、すぐに肩を落とすと、静かに微笑みながらアマティを見つめる。
「……冒頭に書いてあったのは延命の書です。その通り作った薬を使い、瀕死だった王が八年間生きているのなら、それは奇跡ではありません」
アマティから視線を外した王妃は、もう一度テーブルの上に置かれた銀板に目をやると、無言のままの何か考えた様子を見せた。
静かになった二人の状況を見ようとするリラ。隙間を開けた布団が少し揺れた。
銀板の先にあるベッドの上の布団が揺れたことに気づいたのか、王妃は何か納得したようにゆっくりと視線を戻してから口を開く。
「……王は生きています。メイドをつけ診させていますが……でしたら、どうしてすぐにでも調査をしないのです? 話があれば、すぐに諜報官を用意……」
「いえ、俺が読めるのは冒頭部のみ。加筆部は読めませんでした。しかし、その冒頭に不死の調合と書いて……」
「で、では、それはどこに、誰が読めるというのです!」
アマティの話を聞きながら、徐々に口元が緩んできた王妃がアマティの肩を掴むと、大きな声を出した。
「それを読めるのは王のみ。……ですので、回復した際に読んでいただこうと思っていましたが、銀板が……」
アマティの肩を離した王妃は、ゆっくりと歩き、立てかけてあった鏡の前に立ち考えた様子を見せる。
……薬を使えば不老は続く。しかし老いは隠せません。ですが、不死になった暁には、永劫に血統を残すことができる……
鏡に映る自身を見つめながら妖艶に微笑む王妃。
「……分かりました。あなたに猶予を与えます。その銀板と王の命、交換いたしましょう」
「それでは釣り合いが取れていませんが?」アマティはそう言いたいのを堪えながら頭を下げた。
「診察も兼ねて、一度、王に合わせていただければ……」
「……それに関しては、セガノトと話をしてから決めます。明日にでも、もう一度アバドを向かわせましょう」
そう言いながら扉の前に立った王妃に気づき、すぐに扉を開けるアマティ。
外に立っていたメイドが頭を下げると、その前を王妃が通り過ぎて行った。
「……チッ、仕方ねぇな……」
後ろに続いて歩くメイドを見送り、部屋の中へ入り舌を鳴らすアマティ。
「もう!」
「ぶっ」
布団の中から飛び出たリラが枕を投げた。アマティの顔に当たり、ゆっくりと枕が落ちる。
「ねぇ、王妃ってあんな人だったの! もっと優しい人だと思ってたのに!」
イライラした様子で、ベッドの上で暴れるリラは手足を伸ばして寝転ぶと、天井を睨んだ。
「……お前も演説のときは、目をキラキラさせてるじゃねーか。同じだよ」
そう言ったアマティは、落ちた枕を拾うと、ベッドの上に枕を置く。
「あれはソラの言葉! でも、さっきの王妃の言葉は無いよね! 王の命と銀板を交換とか、ありえないよ!」
「……民の、その上に立つ王族も、考えることは同じ。その同じ大人だとしても、子どもが見ると腹立たしいかもしれんが、色々と面倒なこともあるんだよ」
……とは言え、子どものような大人もいるが……
騒ぐリラと話しながら椅子に座ったアマティは、パタン、と静かに扉が閉まる音がして振り返った。