疑惑に触れる下準備③
目を閉じたアマティの頭にレハールの言葉が響いていた。大きく息を吸い、大きく息を吐くと、ゆっくりと目を開けたアマティがリラを見つめる。
「あぁ、これ、持ってきておいたぞ」
アマティはそう言って、ローブの中から取り出した黒い鏡をテーブルの上に置いた。
「あっ、あふぃあおー」
口を動かしながら黒い鏡を手にしたリラが笑顔でお礼を言う。
コップを手に取ったアマティがワインを口にすると、もう一度リラを見つめた。
……リラは毒に対する抵抗力が強い。と言っても、体に溜まればいつかは死ぬ。だからこうして発酵したワインを飲み、体の中の毒を分解させるわけだが……
フォークに刺した肉を眺めながらぼんやり考えるアマティは、そのまま口に運び、少し肉を食べた。
特に何も感じることは無かったので、そのまま口を動かしながらフォークを置き、ワインを飲み干してから腕を組むアマティ。
……吐き気は無い。この程度の毒ならオレでも大丈夫だろうが、聖炎式を前にしてリラを狙うってことは、誰か知ってる者が仕掛けて来た、ってこと……
「……特に秘密ってわけじゃなくて、手間なだけなので誰もしないってわけ……」
フィオーレに話をしていたステーロは、テーブルの側に立つ人に気づき、顔を見上げた。
「リヴェール?」
「……黄葡萄は数千年前から群生していました。しかし、食用されるようになったのはここ十数年のこと。……クリアミニ遠征と同じ時期のような気がしています」
そう言って、テーブルの上にワインが入ったコップを置くと、ステーロの横に座るリヴェール。
「おう、どうした?」
片肘をついたフィオーレが、にやにやとしながらリヴェールに声をかけた。
「……ステーロ、黄葡萄の加工……どうやって食べるのかを含めて聞かせて欲しい」
フィオーレに一瞬、視線を向けたリヴェールは、すぐにステーロの方を向く。
「くっ、このリヴェール!」
「まぁ、まぁ……」
笑みを浮かべたまま掴みかかろうとするフィオーレをなだめるステーロは、笑いながらリヴェールの方を向いた。
「じゃぁ……分かってるよね?」
「……ぼくからも情報は出します」
「……三人で話して、いいよね?」
意図を理解したリヴェールに笑みを向けたステーロはフィオーレに聞いた。
呆れたように頷いたフィオーレを見てからステーロは話を続ける。
「……黄葡萄が食べられるようになったのは、リヴェールの言う通り十五年くらい前らしい。クリアミニ遠征のとき、オルトベラ王が見つけたと聞いてる」
「近隣のヤツらは食べるどころか、山からの死の霧とかで村を捨てたって話らしいが?」
「そう、フィオーレの言う通りのことが古書にも書いてありました。それが、どうして食用できるようになったのか……」
フィオーレとリヴェールが不思議そうに聞いた。
もともと黄葡萄は、桃のような見た目から黄桃と呼ばれ食用されていたらしい。
しかし、それを食べて命を落とす者がいたが、原因が分からずにいた。そのため、農業が発達してからは食べる者はいなくなったらしく、別の用途が無いか研究する者が少なからずいたらしい。
食べられなくなった黄葡萄の実が落ち、芽が出て徐々に木となり、長い年月を経て森となった。
やがて広大な山々を覆いつくすほどの黄葡萄の森ができる。そこから大量の花粉が飛び、命を落とす者が増え、村が消えて行った。
そのことが書かれた銀板が見つかり、今に伝わっている。
「花粉には人の神経に作用する成分があるそうだ。だから、それを吸うと様々な症状を起こし、死に至ることもあるらしい」
「……それで近隣の村の人は逃げ出したんだね……」
ぽつりと呟くリヴェール。
乾燥して粉末にしたものを適量服用するなど、鎮痛剤などの薬として使用されると分かったのもその銀板が見つかってから、広く周知されるようになっていた。
「あぁ。でも、熟す前の黄色い実は、薬などに使われてる。熟した紫色の実は、そのまま食べたり、発酵させてジュースやワインになるのは知っての通りさ」
話し終えたステーロがワインを飲んだ。
「ステーロ、そのことは補佐室にある古書にも書いてなかった。どうやってそのことを?」
そう言ってステーロを見つめるリヴェール。笑みを浮かべながらもう一口をワイン飲むステーロ。
「……アマティに教えてもらったんだよ。銀板を見ながらさ。それを書簡に写して、俺たち料理人しか読むことができない教本を作った、ってわけ」
「あ? そんなこと口外していいのかよ?」
ステーロの話にフィオーレが聞いた。
「禁止はされてないよ。医学書にも書いてあるし。騎士における戦いの基本、内務官における仕事の進め方、それと同じだと思うけど」
フィオーレとリヴェールを交互に見ながら話すステーロ。
「まぁ、それがどう関わってるかは、分からねぇが……で、お前は何かあんのか?」
フィオーレが片肘をついてリヴェールに聞いた。
「……とりあえず……補佐室の古書の間から出てきたものです。…………これが何か分かりますか?」
そう言って辺りを見回したリヴェールは、ポケットの中から取り出した黒い板をテーブルの上に置く。
「これは……触っても?」
ステーロの言葉に頷くリヴェール。すぐにフィオーレが黒い板を手に取った。
「……何だこりゃ? 木にしては重いし、質感は石っぽいな。いや、この……ざらざらしたのは……文字なのか?」
フィオーレはそう言いながら、片面に彫られた文字らしき線を指でなぞると、黒い板をステーロに渡す。
「片面は文字のようなくぼみ、もう片面はツルツルしている……。リヴェール、このことを父親には?」
「……勝手に持ち出したんだ。聞けるわけないよ。……ぼくにはソレの価値は分からない。ただ、内務官なら誰でも見れる書棚にあった。だから隠すというよりは……」
無言になったリヴェールは、黒い板を見ながら腕を組んだ。
ほぼ二人分の料理を食べ終えたリラは、ベッドの上に寝転がり黒い鏡を見ている。鏡といっても、手のひらより大きな四角い黒い板。ざらざらした表面の反対側が、光沢のある銀色をした鏡のようなものだ。小さなころから手にしていたリラは、いつもその黒い鏡をダッシュボードの上に置いていた。
――コンコン
扉を叩く音が聞こえ、アマティは口元に人差し指を当てリラに目配せする。頷くリラを見て、ゆっくりと扉に近づくアマティが返事をした。
「……誰だ」
「……アバドです。マンナリ様の使いで来ました。中で話をしたいのですが……」
「……王妃の使い?」
名前を聞いて目を細めるアマティ。探し出そうとする相手がやって来たのだ。本当かどうか疑わしいが、声には聞き覚えがある。
疑問に感じながら扉を開けたアマティを見て微笑むアバド。
「ありがとうございます、アマティ。あぁ……ソラ様と一緒でしたか」
「アバド……。今までどこに……。まぁ、いい。ソラ王子すらほとんど会ったことが無いだろうが……」
大きく溜息をついたアマティは、アバドを部屋の中に入れ扉を閉めた。
不思議そうにアバドを見つめるリラに紹介する。
アマティは不敵な笑みを浮かべるリラを、不思議そうに見つめるアバドに事情を話し始めた。
聖炎式のこと、リラはソラの影武者だったこと、無くなった銀板のこと、そして王子たちの婚姻のためにアバド自身を探していたことを話した。