聖炎式の下準備①
小高い丘の上に作られた簡素な城門。石を積み上げて作った外壁の高さは六メートルほどで、人が登ろうと思えば登れそうだ。
奥に見える建物は、大きな屋敷を改装、増築したようで城と呼ぶには怪しい。むしろ、目の前にある噴水広場の方が豪華に見える。
そこへ、陽が昇って間もないというのに子どもから大人、農民から町人、様々な民族衣装のような格好の者たちが続々と集まって笑顔を見せているのは、これから始まる何かを期待しているのだろう。
民衆が見つめる先、城の外壁の一部は町の方へと伸び、その先の開けた場所は小さな礼拝堂となっていた。不規則に配置された六本の細い石の円柱は、そこへ立つ者を少し大きく見せる錯覚に陥りそうだ。
その礼拝堂が見える城の三階に位置した一番隅の部屋で、鏡の前で髪を整え終わり、窓から民衆を眺め笑顔を向けた人がいる。着ている銀の鎧が少し窮屈なのか、もう一度鏡で確認してから部屋を出て行き、ゆっくりと廊下を歩いて行った。
陽当たりのいい廊下の突き当りにある扉を開け、外壁の上から空を眺めながら大きく深呼吸をする。
太陽の光に反射して輝く銀の鎧が見えると、すぐに民衆から大きな歓声が聞こえた。
その光を背に、大きな瞳で辺りを見回しながら手を振って歩く人の肩にかかる髪は、左右を向くたびに揺れている。
銀の鎧が重いのか、つま先と一体型のグリーブのサイズが合っていないのか、ぎこちなく歩き礼拝堂に置かれていた小さな台に乗ると、更に大きな歓声が響いた。
遅れて、ハサミを手にした男がゆっくりと礼拝堂に歩いていた。背中まで伸びた黒い髪を一つに束ね、白いローブを着ている。その者は、前に立つ人を真剣に見ているが、笑いをこらえている様にも見えた。
台に乗っていた人は、振り返りその男が後ろで立ち止まるのを見ると、慣れた様子で石の円柱の間に立ち、静粛を求め右手を上げる。その手を見つめる民衆。
静かになったのを確認して、大きく息を吸い込んでから話し始めた。
「……二十年以上続いた争いが終わり、共同国となる準備期間の六年が終わろうとしています。その長き間、多大なる被害を与えたのに何も返せていませんが、これからのボクたちの働きに期待して、もう少し待って欲しいと思っています」
そう言って深々と頭を下げると、民衆から拍手が沸き起こった。
「ソラ様!」
「ソラ王子、万歳!」
「ルチェーレ国、万歳!」
「……ソラ様の顔がやつれている様に見えるけど、ちゃんと食事されているのかしら……」
ある者は王子の名を呼び、ある者は王子の姿を心配している。
鳴りやまない拍手、歓声に笑顔を向けた王子は、礼拝堂の下に掘られた二十メートルほどの二つの穴を指差した。
これはルチェーレに住む者たちが、一つに余った食料を。もう一つは水を、六年もの間、捨て続けた穴。
ゴミなどの焼却場はルチェーレの東にあり、そこで焼却場の火力、川の水力で巨大都市ルチェーレの電力を供給していた。
わざわざ城の前に作った穴にゴミを捨てていたので、当然、稼働率が下がる。六年間、頻繁に起こる停電にも理解していたうえ、城に住む者たちが異臭に苦しめられているかもと心配し、薬草などを入れ臭いを消そうと試行錯誤を繰り返すほど、民衆たちは皆、協力的だった。
そんな様子を城の中から見ていた王子は、感慨深そうに口を開く。
「……これらは『イセタリブ大陸』を平定するまでに宿った厄災を払うため、六年間使用した六つの品物に宿った魔気を聖なる炎で焼く『聖炎式』のために用意したものです。その後、加護を受けた聖品を受け取ることで神から認められた存在となった暁に、ボクは王子から皇太子となります。他の者たちも同じように国を作って行くでしょう」
そう言って大きく息を吐くと、振り返ってから後ろに立っていた白いローブの男に目で合図をした。
ローブの中から銀色の紐を取り出した男は、王子の後ろ髪を縛ると、持っていたハサミを高々と上げた。
それを見て、静まり返っていた民衆がざわつき始める。
小さく頷いた王子に気づき、白いローブの男が微笑むと、束ねていた王子の髪を切った。どよめく民衆。悲鳴を上げる者もいた。同時に、手を上げ静粛を求める王子。
白いローブの男から切った髪を受け取る王子を見つめ、静まり返っていた民衆は、その寂しそうな姿を心配しながら次の言葉を待っている。
「……ボクは皆さんと悩んできたこの髪で厄災を払います。聖炎式まであと六日。ボクはこのルチェーレを大切にしたい! だから……これからも協力をお願いします!」
王子の言葉を聞いた民衆は呆然としていた。長髪は王家の、貴族の証。その大切な髪を自分たちのために切ってくれた。その場にいる者たちは、幸せの先にある感動を覚えていたのかもしれない。
パチ……パチ……
「ソラ様!」
「私たちもお手伝い致します!」
「ソラ王子、万歳!」
誰かの手を叩く音が聞こえると、それに続くように拍手が沸き、続いて大きな歓声となった。
それに応えるように大きく手を上げた王子は、笑顔を向けゆっくりと振り返ると、頭を下げる白いローブの男の前を通り、またぎこちない歩き方で城の中へ戻って行った。
徐々に止んでいく拍手と小さくなった歓声の中、白いローブの男が礼拝堂の小さな台の上に乗り口を開く。
「王子の言葉を聞いたと思うが、一つ言い忘れたことがある。聖炎式は王家の魔気を払うものだ。皆が思うような祭りという位置づけではない。だから、それに伴う準備をしないでくれ。……王家のためにお金を使うな、と言うことだ。皆の気持ちは分かっている。それは自分たちのために使ってくれ。そして、聖炎式を静かに見守り、次のルチェーレを、ソラ王子に期待してほしい。以上だ」