笑みの歳
その一瞬の光を、今の時代は青春と呼ぶ。
それならば自分は、人より少しだけ長く青春を感じているのだろう。
笑って下さいと声をかけられる。
何故に簡単に、笑顔が出来ないのかと、古い、しかし高級感が出ているカメラのレンズの向こうの人は、そう思っているだろう。
まぁでも、そんな目をされても困るというのが、正直すぎる感想だ。
こんな歳になっても、愛想というとのが、欠けている。
それが、わかってなお、笑顔になって写真をとれと言うのは、中々の酷さだと思うのだ。
笑み年というものを制定した、政治家いや、民間企業や神仏関係者等々は、多いに反省して、自分に頭を下げてほしい。
そう思うほどに、煩わしい。
笑顔が大人になると、減ってしまうという事を危惧したならば、もっとやることは他にあっただろうに。
よりによって笑顔の写真をとって、大人になる前に奉納して、家族友人と笑顔を分かち合おうだなんて、時代錯誤もいいところだ。
そう思えば、AI世代の弊害だの、人と触れることの少なさによる感情の希薄さだの言われる。
まぁ300年も続けば、立派な伝統だと思うことにしよう。
実際に続いているのだし。
神社、お寺に奉納されている笑顔が並んでいるのは壮観で、不気味で、それでも続いているのは、笑顔を絶やしたくないという思いからだろう。
色々な厳しさが溢れるようになり、禁止事項や文句も悪意も社会には溢れた。
子供は減った。
社会を支えるために、大人は頑張らないといけない。
そのために、笑顔はここに奉納して、自分にも、こんな時代もあったのさと肩をすくめながら、笑わないといけない。
今年から大人は12才、今までより2年下がった。
本当に、大人になるのは簡単で大変だ。
カメラのシャッターの光が、自分の顔を照らす。
今度は少しでも、笑えているといい。
青春を何度もやる事など、今の大人には許されていないのだから。