「ヤンノカコラアアア!?(婚約破棄いたしますの?)」「ヤッゾオラアアア!?(話し合おうじゃないか)」
「テメッヤッノカコラアアア!?」
「オウヤッゾオラアアア!?」
昼下がりの食堂である。
和気藹々とした雰囲気に似合わぬ、突発的な獣じみた叫声は、まさに食べ終わって立ち上がろうとしていたマリンを大いに驚かせた。
見れば、窓辺の方で上品な顔を憎々しげに歪めて仁王立ちする令嬢と、真面目な顔をしてたたずむ青年が、敵対するように向かい合っている。
青年の脇には少女が座っている。彼女もマリンと同様に、呆気に取られて青年の顔を見上げていた。
「テメッノセイダロアアアアア!?」
「カンチガィッツッテッゾアアン!?」
あれは確か、園芸が趣味で庭の一部を私物化しているサマンサと、ベジタリアンで狩りが大嫌いなフランク、どちらも学内では有名な婚約者同士の二人だったはずだ。
二人の仲が険悪とは聞いたことがない。奇声を上げて喧嘩するような人物だとも。しかし二人は、現実にマリンの目の前で吠えている。
何故こんなことになったのか、そして何故誰も動じないのか、と辺りを見回したところで、視線に気づいた親切そうな青年が「やあ」と気安く手を振りこちらに移動して来た。
「僕はエリック。君は見るのは初めてかい?外部生かな?」
「あっ、マリンと申します。いえ、一ヶ月前に特待枠で編入して来たばかりで…」
「なるほど。それは驚くかもしれないね。でも心配しなくていいよ。彼らは、話し合っているだけだから」
あれが話し合い?
サマンサも、フランクも、どちらも声量で相手を押しつぶそうとしているようにしか見えない。
というか、何て会話しているのかさえも分からない。
理解が及ばないマリンにエリックは苦笑し、
「慣れていないと聞き取りづらいかもしれないね。あれは、彼らがあまりに早口で、滑舌良く喋っているから、素人には訳の分からない鳴き声と認識されてしまうかもしれないけど、本当は理路整然とした舌戦なんだよ」
翻訳してあげるよ、と彼は言い、解説を付け加え始めた。
「ダイタィッツッタロウガアン!?(大体、貴方が紛らわしいことをするから悪いのではなくて?)」
「テメッノイィガカリッダルォ!?(君の意見はもっともだが、そこまで言われる筋合いはないはずだ)」
「ッカスンジャネエエエ!?(過去、何度となく貴方には同じことを忠告したはずですけれど?)」
「ショケンダロオオ!?(そうか?こんなケースは今日が初めてだと思うがな)」
「ッカンネェコトッツッテンジャネエ!?(貴方がそういう風に話を誤魔化そうとするから拗れるのですわ)」
「テメッヨッシッテンダルォガ!?(性分だ、それは君が一番よく知っているだろう)」
「いやこれどう考えても無理ありません?」
「そんなことはないさ、慣れればきっと君も分かるようになるよ」
エリックと呑気に会話している間にも、二人の対話はどんどんヒートアップしていく。
「ヘッドニイイツケッゾテメエ!?(あまり目に余ると、お父様に報告しなくてはなりませんわね)」
「タイマンジャネッヤッテミロヤアア!?(家を巻き込みたくはないが、君がそう言うのなら仕方ない)」
「オ?(…あっさり受け入れましたわね?)」
「オ?(…君と争いは、したくないからね)」
「オ?(いやだ、私も気が削がれますわ)」
「オ?(私もだ、君とは円満でありたい)」
「オラァ…(フランク…)」
「ゴルァ…(サマンサ…)」
「絶対無理ありますって!?」
「慣れだよ、慣れ」
サマンサとフランクは手を取り合い、互いの顔しか視界に入っていないかのように身を寄せ合う。
「…ごめんなさい。取り乱して、言い過ぎましたわ、フランク」
「私こそ、君を不安にさせるような真似をしてしまってすまなかった、サマンサ」
「ふ、普通に喋り始めた!?」
「ああ、仲直りしたようだね。様式美だねえ」
「何なんですかこの学校…!」
そうこうしているうちに、二人はますます距離を縮め、同じ席に座ってイチャイチャし始めた。
フランクの近くで呆然としていた少女はその様子にようやくハッと正気を取り戻し、器を片付けそそくさと食堂を退室して行く。
「あの人は誰だったんですかね?」
「ああ、多分フランクがあの子に声をかけていたところをサマンサが目撃して、そこから流暢な話し合いに発展したと…」
「エリック?そのご令嬢、どなたなの?」
冷ややかな声がした。
ギギギ、とマリンが声の主を振り向くのと対照的に、エリックは朗らかに返事をする。
「ああ、彼女は編入生で、ここの風習について知らないようだったから…」
「貴方って、いっつもそうよね。私のいない時に限って、他の娘に声をかけるのよ」
「…聞き捨てならないなあ」
エリックが立ち上がった。食堂の入り口から剣呑な眼差しで迫ってくる令嬢を、彼は真剣な顔つきで出迎える。
嫌な予感が襲って来たマリンは汗を流しつつ遮ろうと口を開いた。
「あっあのちょっ待っ」
「ヤンノカコラアアア!?」
「ヤッゾオラアアア!?」
「ひいいいい」
しどろもどろの制止は間に合わず。マリンは、今度は自分を起点とした話し合いに巻き込まれていった。