食医師のあり方
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
ねんがんのオキューリョーをてにいれたぞ!
――殺してでもうばいとる?
な、なにをする、きさまー……と、テンプレなやり取り、あんがとよ。
銀行から現ナマを下ろしてきたときほど、ぽかぽかする瞬間ってないんじゃね?
これがありゃあ飯が食え、物が買え、ひとときの幸せに酔いしれることができる。そしてどのように扱おうが、文句をいわずついてきてくれるんだ。
キャッシュレス時代だろうが、デジタルはいつかトラブる。対して現ナマは、こうして「おててをつないでいる」間は使える。
このうえなく、ありがてえじゃんか。なあ、おい?
金への関心は、いつの時代も衰えねえ。特に自分のそばにいっぱい持っている人がいると、多かれ少なかれ関心が向きがちだ。そして、どのようにして得たのかにも。
ひとつ、俺が聞いた「金」をめぐる昔話、聞いてみねえか?
むかしむかし。とある村に、知る人ぞ知る名医がいた。
彼の治療法は食事だった。よく食べ、よく寝るならケガも病も克服できるというのが、彼の信条だったらしい。
彼の処方箋に載るのは、身近で調達できる食物ばかり。ただしその場所や時期に関しては、厳しい決まりが存在した。
いついつのこの時間に採り、複雑な手順を踏まえた調理を行う。そのうえで熱い汁を数秒で一気に飲み干すものから、一日中器から口を離さず、かといって中身を切らすことなく飲み下し続けるというものまであったんだ。
その分、効果は確実に出た。治らずに文句をつける奴は全員調べると、医師の言いつけを守らなかった点が存在したらしい。
素晴らしい実績の一方で、彼をやっかむ者の数も少なくなかった。
その原因のひとつは、彼の住まいにある。
ほとんどがかやぶきの屋根を持つ、小さな一軒家であるこの村で、ただひとつ武家のような大きな屋敷を構えているんだ。
屋敷もそこを囲う塀も、瓦としっくいをふんだんに使ったもの。村の者たち何人分の財を吐き出せば作れるか、とんと見当がつかないほどだった。
医師は村人たちから、びた一文受け取らない。患者にとってはありがたいことだが、それはつまり、他の収入源の存在を示す。他村や城下へ出稼ぎに行っていたのだとしても、ここまでのもうけはどこからやって来るのだろうか?
それから何ヵ月かが過ぎたころ。
戦から帰ってきた村人のひとりが、医師の診察を受けた。彼は戦の折り、相手の刃物にざくりと、利き腕の親指を落とされていたんだ。まともにものを握ることができない。
医師は彼の指を消毒しつつ、村の男たちへ依頼をする。今日の夜半、月がすっかり隠れる頃に、ここより南西に一里離れた森の中、一本杉の根本で一匹の猪が眠っている。それを狩ってきて来て欲しい、と。
依頼を受けた彼らが、いわれた時間、いわれた場所へ向かってみると、その通りに猪が眠っていた。闇の中でほんのりと輝く毛皮に覆われたそいつに、村人は次々と矢を射かけ、身じろぎひとつしないのを確かめてから、村へと持ち帰ったんだ。
医師の指示により、ほとんど血抜きが行われないままに、一日後にはボタン肉の鍋が作られる。猪の尿や胆汁が混じり、鼻がねじ曲がりそうな臭いが男の顔をしかめてしまう。
土鍋の半分ほどまで溜まった中身を、器に取り分けながら医師は告げた。
「これより、100を数えるまでの間で、鍋の中身を食べ尽くすことができれば、あなたの指は治るでしょう。しかし、それがかなわなければ、指は二度と元に戻ることはありません」
ぐらぐらと煮え立つ鍋の汁の前で、医師は早くも時を数えるため、指を折り始めてしまった。
もちろん、鍋を用意する前にも同じことを告げられていた。男はそのことを承知の上で臨んでいた。
この医師が告げたことは、外れたためしがない。この失った指が治るということも本当に違いない。
左手で器を持ち、医師もそれを支えるために手を貸すものの、口に入ってしまったものまでは助けようがない。二杯目まではこらえたが、三杯目が喉の粘膜に触れたとたん、強い拒みが嘔吐となって、口の中を駆け戻り、飛び出してしまう。
服を汚し、畳を汚し、医師の身体を汚しても、彼は犬のようにかがみ込み、吐き出してしまったものをかきこまんとする。医師も嫌そうな顔一つせず、それを手伝ったものの、もはや残り時間は絶望的だった。
100度目の指が折られた時、鍋の中にはもう二すくいほど、ぼたん肉の汁が残ってしまっていたんだ。
失敗を知ったとき、彼の頬を涙が伝った。
利き手の不具の辛さを味わうには、一日でも十分すぎた。これから残った片方の手に慣れていくにしても、もはや利き手で物を握ることはできない。残り四本の指は、物を吊るように支えることこそできても、握り持つことのできる天井は、あまりに低すぎる。
親からもらった指を失い、ここから何十年も生きていかねばいけない。その失ってしまった時間を思うと、自然と暖かいものが目からこぼれていってしまうんだ。
「――どうしても、指を取り戻したいですか」
ぽつりと、つぶやくような医師の言葉を、彼は聞き逃さなかった。
さっと顔をあげると、彼はすぐさまその言葉にすがる。同時に咎めた。治す方法はないといったではないか、と。
「そう。治すことはできません。ですが『直す』なら見込みが。その分、面倒をしょい込むでしょうが、それも飲み込めるのでしたら」
彼はすぐに承諾した。指は戻るのなら、他のことはうっちゃってでも。この時の彼は、そう思っていたんだ。
彼は医師の家へ、その地下へと案内される。
長く続く棚と、その上下に並べられたいくつもの瓶や南蛮渡来と思しき、透き通ったビン。ビンの中には男が持つ知識でも、ひとめで分かる毒虫、毒草の類がちらほらと見られたらしい。
医師はそれらの中から、三つ四つと脇へ抱え込み、地上へと引き返す。
門外不出とのことで、男を居間で待たせ、医師は壁と障子で隔てられた一室に閉じこもってしまった。一刻あまり、中からすりつぶす音や火を焚く音が響き続け、ようやく障子が開いた時には、医師が小さな器に、緑色の液体をなみなみとたたえて出てきたんだ。
先ほどまでのぼたん鍋と打って変わり、まったくの無臭だった。
「これを飲み干せば、結構です。期限はこの一晩の間。さすれば、あなたの指は直ります」
医師の言葉に、おそるおそる口をつけた男だが、その舌に感じたのは飲み慣れたどぶろくの味だったらしい。
ぐいぐいと、一気に口から腹へ注いでしまうと、治療を終えてからおとなしかった右手の指が、にわかに熱くなってきた。
「そのまま一晩を過ごせば、指は直ります。ここでお休みください。ただ……」
医師が言いかけたとき、屋敷全体が不意にぐらりと揺れた。短くとも、部屋の隅に置いた行灯がぐらりと傾きかけ、とっさに医師が飛びついて倒れるのを防ぐ。
そのままの姿勢で、顔だけこちらを向いたまま続けた。
「直してしまった以上、後戻りはききません。よろしいですね?」
これも事前に知らされていたことだ。承知している。
永遠の不具を覚悟しなければいけなかったところを、もう一度、満足な手で生活を送ることができる。これに勝るものなどあるだろうか。
あれから新たな揺れはなく、男はそのまま居間に布団を敷いて横になる。
指の中のぬくもりは消えない。まだ包帯を巻かれたままだが、これが一晩経てばきっと指が生え、元の状態に戻っている。また五指がそろった姿が見られるんだ。
高ぶる期待と、普段と違う枕の感触が重なり、目を閉じるもなかなか寝付けない。そのうち、かすかに股へ催してくる気配も出てきて、やむなく男はそっと起き上がった。
教えてもらった厠への道には、医師の寝室の横を通る必要がある。闇に慣れてきた目を頼りに、その部屋への角を曲がったところで、男は「ドン」と先ほどの揺れと似た音を耳にする。
あの時よりずっと小さく、音源はどうやら医師の部屋の中らしかった。医師の部屋は障子戸で、明かりはついていないものの、指一本分ほどのすき間が空いている。そっと中をのぞいてみて、彼は「うっ」と声を押し殺した。
布団の上に寝そべる胴体と、枕からこぼれている医師の顔面。医師の首と胴は離れていたんだ。
彼の思考が追い付く前に、また「ドン」。それとともに医師の右腕が肩から外れ、ごろりと転がった。音は更に続き、そのたび、医師の左腕、左脚、右脚が順番に胴体と別れを告げていく。
うめきひとつ、身じろぎひとつ見えなかったその光景は、出血のなさもあいまって、人形をばらしているかのようだった。
一部始終を見届けて動けず、声も立てられない男だったが、事態はまだ終わりじゃなかったんだ。
よろりと、身体が布団の上で軽く震えたかと思うと、次の瞬間に取れたはずの頭が、断面から飛び出したんだ。その頭頂が元の首を押し出す形になり、医師「だった」首は、より部屋の奥へと滑っていく。
他の四肢も同じく。切り離された順に新たな手足が生え、その勢いのまま、そばに寝そべる、元の手足を突き飛ばした。左足は、のぞいている男の近くまで転がってくるも、障子にぶつかる直前にふっと消えてしまう。その瞬間は、釣り上げられるように天井へ吸い込まれていくものだったんだ。
もうそこには、ただ布団の上で寝る医師の姿しか残っていない。ただ、新しい首の開いた口の中へがつんがつんと音を立てて、突っ込まれていくものがある。
わずかに差し込み出した月明かりに照らされるそれは、こぶし大の金塊だったとか。
その晩、男は医師の家を飛び出し、自分の家で荷物をまとめ、親戚を頼りに夜逃げをしてしまったそうだ。
夜を徹して親戚宅へ着いた時には、いつの間にか彼の指はしっかり生えていたんだとか。
どうにかそこで暮らさせてもらった男だが、亡くなるまでの間、起きたときに右手の親指に激痛が走ることが、たびたびあったという。
その時には決まって、己の口の中へこぶし大の金塊が突っ込んであったのだとか。