第三話
楠木さんのお話
どかどか、と凄い勢いで走ってきて
「み、水っ」
と息も絶え絶えに言う女性、二階に住む…確か楠木さんだったっけ。
彼氏と同棲中とも聞いた事がある。仲良く二人で手を繋いで出かけたりしてるのを見かけたりもしていて、ほんわりとした記憶がある人だ。
まだ空けていなかったスポーツ飲料のペットボトルを渡すと、キャップを凄い勢いで外し一気飲み。はー、と一息つくと
「勇紀君の姿見えたから部屋から走って来ちゃった」
「俺ですか?」
そうそう、と頷く楠木さんは立ったまま
「聞いて聞いてっ」と凄い剣幕。婆ちゃんは「まぁ、お座んなさいな」と椅子を勧めている。
どっかりと座った彼女は
「うちのケースケったらさ、何度言っても靴下裏返しにして洗濯機に入れんのよっ。タオルも入ってるのに汚いよねっ」
「確かに靴下とタオルは別々に洗いたいですよねぇ」
「でしょっ!その上脱いだら全部裏返し、どうよこれってなるわ毎回毎回」
「うんうん」
俺より、少し年上の楠木さんは近くのコンビニのアルバイトをしていて、そこに良く寄る俺とは結構な顔なじみでもあるし、彼氏さんも明るい人でさっぱりとした性格、挨拶をすると頭をぐりぐりとされる。
俺の頭って撫でやすいのかな、とかこないだ大木さんにも撫でられたなと思い出していると
「もう我慢できないから昨日も言ってやったのよっ、裏返しのままだと干す時大変だってっ!濡れてるから裏返しにするのも面倒だしって…そしたら乾いたら裏返せば?だって、まして洗う前に裏返せばいいじゃんって。ひどくない?」
「でもそれ、楠木さんやってあげてるんでしょ?」
「やるわよ、だって穿く時に大変じゃない」
「優しいですねぇ、うちならほっとかれますよ」
「だってランドリーそのままとか嫌じゃん」
ぷくーと膨らませた頬が少し幼げに見える。
「そう言えばうちの母も言ってましたが、服は裏返しのまま干した方がいいらしいですよ」
「へ、そうなの?」
はい、と頷き
「日に焼けて、色が変わりやすいんだそうです。靴下はいいけど、Tシャツとかは逆にその方がいいって」
「へぇ、知らなかった」
「でもちゃんと靴下まで裏返しを直してあげてる楠木さん本当彼氏さんの事大好きなんですねぇ」
「じゃなきゃ何年も一緒に居ないわよ」
照れてるのか、そっぽ向いてそう応える彼女の顔は幸せそうだ。
「ま、まぁ今回は勇紀君に免じて許してやってもいいな」
「俺ですか、ダシにされちゃったなぁ」
「いいじゃん、小説のネタと思えば」
そうですね、と笑い
「ところで今日彼氏さんは?」
「仕事、遅くなるって」
「それは大変ですねぇ、確か体力使う仕事って言ってませんでしたっけ?」
と、以前聞いた話を思い出す。
「うん、もう毎日くたくたで帰ってくるの」
「だから靴下をひっくり返す余裕ないんじゃ」
「…そうかもね、そう思えばかわいそうだし。私がやってやるかっ」
「流石楠木さん」
「おだてても何も出ないわよーっ」
ニコニコとして部屋に帰ろうとして
「あ、これありがとうね」
とペットボトルを振る姿に
「いいですよ、暑いですから水分補給しっかりやってくださいねー」
はいはい、とリズムよく階段を駆け上がっていく姿を見送り
「そう言えば爺ちゃんも洗濯物ひっくり返してたよね」
「よく覚えているねぇ」
「だって婆ちゃん、爺ちゃんによくぼやいてたじゃない」
そうだったかねぇ、と惚ける婆ちゃんに笑いながら
「明日も晴れるかな?」
「よい洗濯日和になるさ」
と空を見上げた。