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1-9 幼馴染女王様の服を漁ってたら、本人に見られた……

 ――最悪だ。


 足元が崩れ落ちていくような錯覚に襲われる。しかし、こうなるのは必然だったのだ。


 奏太は覚悟を決める。この状況は役満だ。エステルは彼を許さないだろう。


 ――綺麗だ。


 あまりの美しさに視線が吸い寄せられてしまう。エステルは奏太が最後に見た時よりも綺麗になっていた。


 整いすぎている顔立ちからは、けんが取れており、見開かれた琥珀こはく色の目は理知的な輝きを宿している。


 彼女は見るからに高そうな、黒いガーゼの寝間着に身を包んでいて、肩にかかる程度に切りそろえられた金髪が砂金のように煌めいている。


 奏太がエステルをじっと見つめると、エステルは琥珀こはく色の瞳をしばたたかせる。しかし彼女の表情は段々と、冷たいものへと変わっていった。


 一方、奏太は溢れ出す想いに圧倒されて身動きが取れなくなっていた。彼の頬を一筋の涙が伝う。口から蚊の鳴くような声が零れ、狭い通路の中で虚しく響いた。


「エステル……」


 しかし、直後にエステルが放った言葉に奏太は慄然りつぜんとする。


「誰の許しを得て私を見ているのかしら? 貴方の様な人でなしに姿を晒したつもりなど無いのだけれど」


 奏太の身体が絶望で冷たくなっていく。奏太には話したい事が一杯有った。謝りたい事も沢山有った。しかし唇が力なく動くだけで、声帯が空気を震わせることは無い……。


 奏太が座り込んでいる間にも、事態は想定の坂道を転がり落ちていく。奏太の時間が止まっていたとしても、世界の時間が止まる訳ではない。


「侵入者がいるぞ!」


 次の瞬間、城内をサイレンのような音が駆け巡り、兵士たちの足音が聞こえてくる。この場所に辿り着くまで30秒と掛からないだろう。


 ――不味いことになった……。


 直ぐに、この場から離れなければいけないということが分かっていても、足が言う事を聞かない。奏太は縋るような気持ちで言葉を紡ぐ。


「エステル、俺のこと覚えてるか?」


「……知らないし、覚えてないわ。お前みたいな腰抜けは、私の城に必要ない。即刻立ち去りなさい」


 次の瞬間、奏太にエステルの風魔法が襲い掛かる。彼は吹き飛ばされ、思いきり壁にぶつかった。肺の中の空気が抜け、神経が悲鳴を上げる。


 しかし視界からエステルが消えたことによって、奏太は最低限の思考力を取り戻していた。エステルは奏太を兵士のいない方向に飛ばしたらしく、僅かではあるが逃げ切るチャンスは残っている。


 ――逃げないと。


 奏太は絨毯の上を走り出した。走りながら、ポケットに手を突っ込み、黒羽に貰った煙幕を使おうとする。


 ――作戦にプランDは存在しない。想定外の事態が起こったとはいえ、今は黒羽を呼び出し、プランBを実行すべきだろう……。


 しかし、いくら探しても有る筈の場所に煙幕はなかった。何処かで煙幕を落としたらしい……。奏太の脳内を焦りが支配しようとする。


 奏太の脳裏に最悪の展開が描き出される。しかし黒羽の一言が、彼を絶望の淵で留まらせていた。


「これから私達は一蓮托生です! 絶対に作戦を成功させましょう!」


 この作戦が奏太一人で行っているものだったならば、彼は既に諦めていただろう。しかし作戦は奏太と黒羽の二人で行っているのだ。


 ――俺の失敗は二人の失敗になる。こける訳にはいかない。


 奏太は全魔力を振り絞って火魔法を放つ。


「炸裂せよ。我が力、燃え立て!」


 突如として奏太の周りから紅蓮の炎が迸る。凄まじい熱量が廊下を舐め、絨毯が焼け、白い壁に灰がこびり付く。一先ず煙を出すという目的は達成された。


 ――黒羽はSOSに気付いただろうか?


 城の兵士たちは竦んでいた。火魔法は虚仮脅しの役割も果たしたらしい。奏太は天守閣を目指して全力で走り出す。


 しかし城の兵士達は本職であり、一人、また一人と我に返っていく。城上層部の通路の幅は、決して広くはない。5人が並んだら通路を塞がれてしまう。陣形を組まれたら奏太の詰みだ。


 一秒でも早く走り抜けようと足に無理をさせるが、程無くして前方に兵士達が立ち塞がる。


 幸いにも兵士の殆どは槍を携えている。通路は狭いので、槍を振り回す事は叶わない。練度の甘い無秩序な突きだけならば、避けきる自信が奏太には有った。彼は燃え残った絨毯を腕に巻いて猛進する。


 兵士達の突きを、手に巻いた絨毯を用いつつ奏太は避けていった。しかし、行けそうだという希望がよぎった瞬間、後ろから圧迫感を感じる。


 振り返ると、弓を携えた兵士の一団が、奏太に向かって弓を斉射しようとしていた。奏太の進行方向にも隙のない槍衾やりぶすまが現れる。


 直後、風を切る音とともに無数の矢が通路を塞ぎつつ向かってきた。


 ――避けられない。


 槍衾目がけて突き進む。立ち止まる訳にはいかなかった。しかし奏太は武器を持っていない上に、魔力は先程使い切ってしまっている。結果は火を見るより明らかだった。


 奏太の身体に数本の槍が突き刺さる。


 ――結局自分は何も成せなかったし、何も護れなかった。自分らしい最後だと奏太は自嘲気味に笑う。


 鮮血が迸り、奏太は意識を手放した。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 爽やかな畳の匂いと、脂っぽい軟膏なんこうの臭いが漂ってくる。


 気が付くと、奏太は寝かされていた。


「俺は死んだのか?」


 それにしては寝床が少し硬すぎると思い、起きて周りを見てみると、部屋の内装の嵌まりっぷりに愕然とする。


 床には日焼けした畳が敷き詰められており、部屋は土壁に四方を囲まれている。部屋の端には、碁盤の目のような棚が置いてあって、その上には盆栽や無数の骨董品が置いてあった。狸の置物、白虎の仮面、竜が描かれた梅瓶、木彫りの梟……。


 匂いはしないが、カビ臭い部屋だと奏太は感じた。古臭い、いや、これは今時の部屋なのだ。


 奏太はこの部屋を知っている。


「お目覚めですかな? えぇ今時の部屋ですとも、最新鋭でございます」


 部屋の奥から、しわがれているが、どこか荘厳さを感じさせる声が飛んできた。


 しかし、いきなり飛んできた声にも、まだ覚醒しきっていない奏太は動じない。


「お目覚めですかなって、見てば分かるだろ。それより此処は何処だ」


「未だ起きず、といった風にわたくしには視えますが。お元気そうで何よりでございます。奏太殿。ご立派に……いや世事はよしましょう。6年前から全く成長しておられませんな。寧ろ退化しておられるようで」


 顔は見えないが、今の皮肉を聞いて奏太はこの老人を思い出した。この老人は奏太が小さい頃、前国王に仕えていた執事で、かなりの武闘派として知られていた。


「……秋永」


「えぇ如何にも。覚えていてくださり光栄の極みで御座います、奏太殿」


 相手が知人だったことで奏太の緊張は一気に和らぐ、と同時に今まで目を背けていた事実を認識する余裕が生まれてしまった。


 ――作戦はどうなったんだ? 黒羽は? 俺は留置されているのか?


 全身の汗腺から冷汗が噴出する。しかし、作戦や黒羽のことを話す訳にはいかない。話せば黒羽の身を危険に晒すことになる。


「秋永……さん、此処は留置場とか牢獄だったりするのか?」


「心配には及びません。現在は私が奏太殿を匿っているという状況であり、奏太様以外の侵入者の存在も私は存じ上げておりません」


 奏太達にとって最悪の状況だけは免れたという事を知り、彼は胸を撫で下ろす。格子戸から見た外の景色から日は既に沈んだものと推測する。黒羽が城に到着するまで時間は残されていない。


 事態は楽観できる状況にはない。奏太が見つかってしまったことも考慮に入れると、すぐに動かなければならないだろう。


 奏太が何気なく起き上がろうとすると、体中を激しい痛みが襲う。


「ああぁ、痛てぇ……」

 

 あまりの痛みに体を寝かせようとすると、再び痛みが奏太を襲う。


「――――ッ」


「奏太殿の身体には8箇所の穴が開いております。あまり動かないほうがよろしいかと。私の水魔法で血を止めている状況でございます」


 秋永が居なければ奏太は死んでいた訳だ。死を身近に感じて奏太の全身が総毛立った。


「秋永さん、助けてくれてありがとう」


「礼には及びません、どうかお気になさらず」


「一つ聞いていいか」


「えぇ、構いませんとも」


「なんで俺は畳に寝かされてるんだ? 昔俺が使ってた布団とか無いの?」


「侵入者を布団に寝かせる義理はございません。それに今の奏太殿を、昔の奏太様が使っていらっしゃいました布団に寝かせることは出来かねます」


 奏太の頬が強張る。


「何で俺のことを助けたんだ? あんたが俺を助けるメリットよりもデメリットの方が大きいように思えるんだが」


 奏太が問うと、秋永の視線が彼を射抜く。


「メリット? 笑わせてくれますな。私が奏太殿の命を救うメリットなど皆無でございます。それに、まだ助けられたと決めつけるのはいささか早計ではございませんかな?」


 秋永は屈みこんで奏太の首に手刀を当てると、ピアノ線を首に当てられたような錯覚が奏太を襲う。


「…………」


「私が奏太殿を生かす選択を採ったのは、奏太殿でも奏太殿の仲間のためでもなく、ひとえに姫様のためでございます。くれぐれも勘違いなさいませんよう」


 ――エステルの為?


 発現に対する疑問が浮かぶが、奏太にそれを言うメリットは無い。今は奏太を信じて作戦行動をとっているであろう黒羽に応えることが最優先だ。


 奏太は秋永の発言に対する疑問を飲み込んで、作戦を優先することにした。


「秋永さん、一生のお願いだ。俺を動けるようにしてくれないか?」


 奏太が言い終わると、秋永は棚の引き出しを開けて小さな薬壺を取り出した。


「奏太殿は何のために動くのですかな? 返答次第では奏太殿を放つことは出来かねます」


 奏太は躊躇ったが、正直に話すことにした。この老人に嘘が通じるとは思えない。


「天守閣に侵入し、王室詳報を強奪する。そうすることで俺は過去を乗り越えられる気がするんだ」


 奏太が言い終わると、秋永は微笑んだ。


「賛同出来兼ねますが、正直な事は良い事でございます」


 秋永は薬壺を開き、中身を奏太の傷口に塗り込んでいく。奏太の身体から痛みが引いていった。同時に魔力が凄まじい勢いで回復していくのを感じる。


「この薬は何だ?」


「禁忌薬の一種ではありますが、今回は使用のメリットが勝るかと存じます。薬の効果は4時間程ですので、その前に全て終わらせることをお勧めいたします」


 奏太はなるほどと頷き、秋永が用意した黒染めの作務衣に身を通す。奏太はもう一度時間を確認した。


「秋永さん、天守閣に通じる隠し通路とか無いかな?」


 奏太の言葉を受け、秋永が部屋の端に寄り、棚の一つをずらした。棚のあった場所から、暖かい風が吹いてくる。


 暗闇が奏太に向かって口を開けていた。


「……なんだこれ」


「この城には、からくり仕掛けが多いのですが、この仕掛けには私も大いに驚かされました。城の外壁と端の部屋の間には隙間が開けられております」


 暗闇に首を突っ込むと、カビと埃の匂いが奏太を襲う。彼は鼻を摘まみ、秋永に振り返った。


「こんなの聞いたことが無いんだけど」


「隙間には人が通れる程の幅があり、梯子が取り付けられているため、自由に移動出来るのです。端の部屋の全てにこの仕掛けが施されています」


「これで天守閣まで行けるのか?」


 秋永が笑いながら首を振る。


「極秘の通路と雖も、これが天守閣に直接通じてしまえば、王城詳報が簡単に盗まれてしまいます。この通路を用いて到達できるのは最上層の端の部屋まででございます」


 奏太も苦笑した。


「まぁそうだろううな。他に情報は無いのか?」


 ダメもとで強請ゆすってみると、秋永は懐から呪札を三枚取り出した。呪符は使用することで魔力の消費なしに魔法を発現できる優れものだ。


「餞別でございます」


「何から何まで、本当にありがとう。この恩はきっと忘れない」


 奏太は札を受け取り、通路に向かおうとすると、秋永の声が僅かに空気を震わせた。


「……借りは返しましたぞ」


「借りってなんだ?」


「いえ、老骨の戯言でございます。恰好をつけたい年頃なのでございます」


 奏太の疑わしげな表情に秋永は大きく笑って応えた。


「まぁいいさ、俺は急がせてもらう。精々長生きしろよ」


「奏太殿こそ、お達者で在らせられます様」


 奏太は踵を返し、用意された雪駄せったを履いて、暗闇に体を躍らせる。


 秋永の穏やかな声が背中に届いた。


「奏太様、姫は面倒な性格をしておられますが、どうか気に掛けてやってくださいませ」


 ――分かっている。秋永は自分にエステルとの仲直りをさせたかったのだ。だけど俺は作戦を優先した。聡明すぎる老紳士には全て筒抜けだっただろうに、それでも俺にエステルの部屋を通らずに天守閣へ向かう隠し通路を教えてくれたのだ。  


「この借りは必ず……」


 奏太はひたすら梯子を上る。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「行ってしまわれたか」


 4年ぶりの客人が去った部屋は普段よりも広く感じられた。来客用の布団を用意していたのに、いざ来客が来ると床で寝かせてしまう自分が滑稽に思えてくる。


 本当は殺すつもりでいたのだ……。


『今まで姫を放っておいて、一体お前は何をしていたのだ?』


 しかし彼は4年前から変わっていなかった。自分が昔に見出した原石が今も変わらず残っていたのだ。そして、あの少年の本来の力があの程度だとは思えない。


 ――あの母親から生まれ、あの父親から心を受け継いでいる筈なのだから。


「何らかの封印が施されているかもしれませんな……」


 試しに塗ってみた神殺しの秘薬で魔力が回復したことを鑑みるに、4年前に施されたものとみて間違いないだろう。


「長生きすると頼まれ事が増えて首が回らなくなる」


 封印を解くならば、あの騎士を奏太の下へ向かわせねばならないだろう。



 ――この国は再び生まれ変わるかもしれない。いや、生まれ変わってもらわねば困るのだ。


 秋永の視線の先には、日焼けした写真立て(・・・・)が有った。中に入っている写真も酷く日焼けしている。


「マルコ……源樹待っていろよ」

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