1-4 少女を助けようとしたら、銀髪の怖い奴が出てきました
勝負は繁華街の入り口にある交差点で行われる。奏太は目を閉じて感覚を研ぎ澄ます。実戦においては、わずかな気の緩みが命取りになる。
野次馬の盛り上がりが、刻の訪れを示している。奏太はゆっくりと瞼を上げた。
辺りは騒がしいが、交差点には猫の一匹も居らず、陸の孤島と言われても違和感ない程にファンタジックだった。
交差点はアーケードになっていて、全体がオレンジ色の柔らかい光で照らされている。照明の配置にもムラがあり、明るさが一様でない。商店街は多層構造になっていて、斜めに階段が走っている。
商店街には、ダクトが雑然と通っており、一目で適当な造りであることが伺える。二階通路の材質が薄い鉄板であるにも関わらず、階段、通路に野次馬がひしめき合っていて、こちらに向かってヤジを飛ばしていた。
奏太が一歩前に出ると、反対側からも影がとび出る。互いに近づいていくと、徐々にシルエットが明確になってきた。
対戦相手は男だった。身長は180センチほどで、奏太より10センチ高い。細身だが引き締まった体つきをしており、くすんだ銀髪は肩の辺りで切り揃えられている。
しかし体格は関係ない。これは22世紀の喧嘩である。魔力と心装、特に心装が勝敗に直結する。
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人間の振るえる力は、魔法と心装の2種類に大別される。
しかし一般の人間が使える魔法は限定されたものである。何故なら、三種類ある魔力の内、人間が保持するのは天力と呼ばれるモノだけだからだ。
天力とは火、水、土、風の四属性の魔法を発動できる力である。そして人間に使える魔法の威力は一般に高くない。
魔法は高位の魔族などと契約する場合や、組織的な運用をする場合を除き、戦略の要とはなり得ない。
それに対し、心装は人類が『神』や『魔族』と戦う際の強力な武器に成り得る。心装に同じものは二つとして存在せず、強力な心装は単一で絶大な威力を発揮する。強者と謳われる人間は、軒並み強力な心装を保有していている。
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相手も奏太の姿を認めたらしい。低く、気だるげな声で挨拶してきた。
「よう少年。おっと、名乗る必要は無いぜ。別にテメエの名前覚えても一銭にも成らねぇし、俺も名乗らないからな。悪い事は言わねぇから、逃げ帰った方が良いぜ。俺はこんな稼業をしちゃいるが、元は騎士だったんだ。お前みたいなガキに負ける訳ねえからよ」
灰色のスーツに身を包んだ銀髪の男は、言い終わると奏太を馬鹿にするようにふっと嗤った。
銀髪が言い終わると、野次馬が歓声を上げる。そして奏太の耳に特大の『帰れコール』が打ち寄せる波の如く繰り返し響く。
随分と無礼な奴だと感じた奏太だったが、言い返すよりも考える事が先決だと判断し、銀髪の男を観察する。銀髪が本当に騎士崩れならば、弱点などが分かるかもしれない。
時計の針が22時を差し、銀髪が右手を上げる。
「顕現せよ! 切断の力、形あるものを切り裂く刃となれ!」
銀髪が叫んだ瞬間、西洋風の剣が銀髪の背中に現出した。剣が引き抜かれ、金属の擦れる重い音が響き渡る。刀身は80センチほどで細めであり、刃の部分が鋭く光っている。
銀髪は切断の概念を扱うようだ。切断の概念は単純だが、石器時代から続く、強い思念に支えられている為、単純だが絶大な力を発揮する。
「……さてと、段取り通りなら」
黒羽との打ち合わせ通りなら、このタイミングで彼女も心装を現出させる筈である。奏太は銀髪の心装にも興味をそそられていたが、自分の知らない飛行概念はそれに増して興味深かった。
奏太が黒羽を伺うと、彼女は何もせずに小さく震えていた。
「…………」
奏太は垣間見えた異変から目を逸らすが、すぐに視線を戻す。無視していいものではない、という事は奏太も十分承知している。
二人の作戦は黒羽の心装に掛かっている部分が大きいのだ。先程銀髪に言われたように、奏太たちは逃げ帰るつもりである。逃げ足――翼に起きた異変は致命的と成りえるのだ。
奏太が落ち着かない視線を向けていると、黒羽が突然顔を上げた。そして奏太に向けて手を合わせる。
この時点で、奏太から見た絵面として最悪極まっているのだが、その上で黒羽はべそをかき始めた。
兎にも角にも、事情を聞こうとした奏太は懸命に身振りで質問を飛ばす。
「(どういう事だ?)」
すると黒羽が無言で上を指した。奏太は身振りの意味を一瞬で理解する。
「……最悪じゃん」
どうやら商店街の天井が邪魔で、飛行による脱出、逃亡が不可能らしい。
奏太が呆れて言葉と体の動かし方を忘れていると、銀髪がバカにした様に声を掛けてくる。
「どうした? 俺の心装が怖くてちびっちまったか? まぁ無理ないぜ、降参するなら今の内だ」
正直すぐに降参したい所である。これは黒羽のミスであり、作戦が失敗した今、奏太が降参したとしても黒羽は何も言わないだろう。
ひどい事になってしまったと奏太は思った。しかし黒羽を責めても埒が明かない。確かに、ここで降参するという選択も考慮に入れるべきだろう。だが黒羽が頼れる人間は奏太だけである。奏太自身、一人になってから、だれにも頼れない辛さを嫌というほど経験してきた。ここで奏太が降参したら、黒羽は深く傷ついてしまうだろう……。
奏太は一度溜息を吐く。足首を捻り、大きく伸びをした。
船は覆ったが、奏太がカナヅチという訳でもない。見世物になるのは癪だが、気に食わない銀髪を晒し者にしてやりたいという気持ちも芽生え始めている。
「顕現せよ。護りの力、邪悪を祓う剣となれ!」
一人一人が己の内にもっている『守護』の概念に注がれる想いの集合体。それを紡いで形を成す。依り代は己の心、想いに寄り添い刃を磨く。
瞬間、懐かしい重さを感じるとともに、黒い柄の日本刀が奏太の手の中に現出する。奏太の心装は『守護』という概念を刀の形に落とし込んだものである。自分の闘いが他人を護ることに繋がらない限り、奏太の心装は使い物にならない。奏太がこの刀を握るのは、実に4年ぶりである。
現出した心装を見て、銀髪が鼻を鳴らす。
「お、一応心装持ちなんだな。しかしまぁ……随分とクサい概念だな。確かめてやる」
銀髪が構えをとった。銀髪と野次馬の値踏みする様な視線を受け止めつつ、奏太も銀髪を慎重に観察していた。
――強い……。相当な剣の使い手であることは間違いない。立ち姿、そして構えを見れば自然と伝わってくるものがある。どうやら、銀髪の剣術は単なる棒振りではないようだ。半身に構えた銀髪の重心はしっかり足全体にかかっているし、剣がしっかり中心に据えられている。
中心に無い剣で、人は斬れない。鍔ぜり合いにおいても、刃を合わせるときにおいても、常に自分の中心に剣を持ってくることが重要であるのだ。
銀髪が目を閉じると、剣から煙が上がり火花が瞬く。意思の力で、心装の性能を底上げしているのだ。
――これほどの使い手が、なぜ軍から退き、こんなところで力を振るっているのだろうか……?
奏太は銀髪に怒りを覚えた。しかし、自分に目の前の男を糾弾する資格はないし、そんなことに思考リソースを割いている余裕もない。先程は殺されることは無いだろうと高を括っていた奏太だったが、銀髪の心装を見て思い直す。
――あのレベルの切断心装だもんなぁ……。
世界中で殺人が禁忌であるという感覚が失われつつある。気を抜いていると、最も大事なものを奪われかねない。
勝負が始まる直前、野次に交じって、決して大きくないが聞き取りやすい声が、奏太の耳に届く。
「奏太君……、頑張って!」
ジャッジの声が、へばりつく夏夜の空気に響き渡った。