事件はいつも天狗の高笑いで終わる
日没まで何をして時間を潰せと言うのか。
まだ日は高く、それでいてサボった講義の時間は終わってしまったので、いよいよやることが無い。
「暇そうだな、ATM」
「君はいったい僕からいくら引き出すつもりなんだ」
「さあな。暇ならお前も事件を考えてみるがいい」
ミステリは、事件があり、そして犯人と動機があるものだ。
・あるサークルのマスコットであるマネキンが無くなった
・なくなったのは、昨日の夕方から今朝にかけて
・事件の関係者は二人
いくら考えてみても、天狗がどのタイミングで事件を解決したのかが分からない。ここは、基本に忠実に考える事にしよう。
誰がマネキンを持ち去ったのか。また、なぜ持ち去る必要があったのか。この二つが大切だ。そしてミステリのルール、つまりノックスの十戒に従うならば、犯人は事件に関わった人間でなければいけないため、アレンかあの小柄な彼女かということになる。あと、大穴で僕か天狗だ。でも、僕と天狗には動機が無い。
唸っていると、天狗が助け舟を出してくれた。
「ヒントをやろう。夜の間に何があったのか考えてみろ」
「夜だって? アレンも彼女も、夜のことなんて何も……」
「そんなことではいつまで経っても天狗になれんぞ」
「なりたくもないね、そんなもの」
結局、日没まで僕は何も分からないままだった。
○ ○ ○
夕闇が辺りを包み出す頃、僕たちは再びテニスコートへと赴いた。天狗に言われるがままに近くの茂みに身を隠し、犯人が来るのを待った。
しばらくそうしていると、コートに現れたのはあの小柄な女性だった。
「彼女が犯人かあ」
「うむ。見ていろ。百聞は一見に如かずだ」
フェンスの鍵を開け、彼女はコートに立ち入る。不似合いなほどに大きな2つのテニスバッグから、不意に人の腕が取り出された。
「うわあッ!」
「きゃっ」
僕が思わず声をあげ、彼女がその声に驚いてごとりと腕を落とす。ああ、なんだ、マネキンの腕だったのか。バレては仕方がないとばかりに天狗はつかつかと彼女に歩み寄る。ちなみにマフラーには植え込みの葉っぱが数枚くっついたままだ。
「さて、分からないところも特にないのであえては聞かん。
お前がマネキンを持ち出した犯人だな」
「うう……はい」
「ちょっと待ってくれよ。
僕には分からないことがあるんだけれど」
「なんだ、薮から出てきて藪から棒に」
天狗が半眼で僕を見る。そんな目をされたって、分からないものは分からないんだから仕方ないじゃあないか。
それに、探偵役なら探偵役らしく、トリックや動機を暴いてみせろと、僕はそう主張したい。それを主張しないのは、どうせ言ったところで「俺は探偵ではなく天狗だから問題ない」と返ってくるに決まっているからだ。
だから僕は分からなかったところを逐一聞いていかなければいけない。
「そのバッグに、マネキンを分解して入れていたのは分かった。
見て分かることは僕にでも分かるからね」
「さほど活動していない二人だけのサークルだ。
なのに、それほど大きなバッグは必要なかろう。
それだけでも、疑うには充分だった」
「でも、どうして彼女はマネキンを持ち出したんだい?」
「マネキンには小細工がしてあると聞いただろう。
その細工は誰がするのだ」
「演劇の小道具って言ってたから、演劇サークル?」
天狗が頷く。ああ、なるほど、彼女自身は仕掛けについてよく分からないと発言していたっけ。彼女を見れば、こちらの様子を窺いながらもマネキンを組み立てている。何かの図面を見ながら組み立てている辺り、確かに彼女は仕掛けには精通していないらしい。
「ああ、そうか。鍵を持ってる部外者って、
演劇サークルの人間か」
「はい。いつもなら、メンテナンスをお願いしたら、
夜中のうちにコートに戻しておいてくれるんです」
彼女が組み立てながらも会話に参加してきた。
「でも、昨日はそれができなかったらしくて。
アレンさんの朝錬に間に合わなかったんです」
「それで、お昼の時間にこっそり戻そうとした訳か。
アレンが来た時に驚いてたね、そういえば」
「あの人は、あの時間に講義があったはずだったので」
確かにアレンと僕は同じ講義に出ている。あの頭頂部を忘れるはずがない。僕は講義をさぼらされたが、アレンが現場にいたということは、彼も講義に出なかったということだ。これは彼女からしてみれば計算外の出来事だったのだろう。
でも昼の会話では、演劇サークルから仕掛けを借りているとしか聞いていないはずだ。演劇サークルがメンテナンスをできなかった事までは推理できないはずだ。
「おい、蝦蟇口。
夜の事を考えろと言っただろう」
「やあ、その呼び方は何だかかわいげがあるね。
夜と言ったって……あっ」
昼食の時に後ろの席で騒いでいたのが、確か演劇サークルの人間だった。そして話の内容が――
「ああ、なるほどなるほど。
明け方まで飲み会があったから、マネキンのメンテナンスができなかったのか」
なるほど、これで全て繋がった。マネキンは盗まれたわけではなく、戻されなかっただけなのだ。
彼女がマネキンを組み立て終え、小さなプレートを天狗に渡した。
「犯人だと見抜かれたらこれを渡せと言われました」
「……あのドッグタグだと?」
見せてもらうと、確かにそれは昼にコートで見つけたあのタグだった。チェーンにぶら下げられた一枚のタグには三文字が縦に一、0、2と並んでいて、昼間の記憶と相違ない。打ち出して描かれているその数字は何を示しているのだろう。
マネキン事件の方には関係なかったのか。このタグは。
「まあいい。ではこれにて依頼は完了ということか」
「そうだね。いやあ、お疲れさま。
君も災難だったろう。茶番に付き合わされて」
「い、いえ、とんでもないです。
良い練習になりました」
そして彼女は組み立てたマネキンと図面とを見比べながら、メアリと名付けられている方をあれこれと調べていた。
「ところで、台本の中で君のサークル名は?」
「いえ、そこまでは台本には」
「ああ、そう」
アレンにはあれほど設定やキャラを盛り込んでおいて、彼女はモブ扱いなのか。仮にも犯人役だというのに。
「あ、これだ」
彼女が、メアリの右耳の裏にあったスイッチを押す。すると、マネキンから高笑いが聞こえてきた。
――これを聞いているということは、事件を解決できたようね!
まずはおめでとうと言うべきかしら。流石はワタクシの見込んだ男。それで、彼女からタグは受け取ったかしら? それはワタクシからのささやかなメッセージです! 見事解き明かせるかどうか、楽しみにしていますわ。
事件の真犯人からの、そして事件の依頼人からのメッセージだ。
高笑いと共に始まり、高笑いと共に終わったテンションの高いそのボイスメッセージが鳴り終わると、夕闇に沈んだ、周りの静寂がより一層引き立つようだった。
「相変わらず姿を見せぬとは、卑怯な奴だ」
天狗がドッグタグのチェーンをつかみ、くるくると回している。
「まだまだゲームは続くらしいね。
それで、そのタグの謎は解けたのかい」
「当然だ。俺は天狗なのだから。
しかし、まだヤツの正体は掴めん」
天狗はひょいとこちらにタグを投げて寄越した。
○ ○ ○
数年前から、天狗は謎の依頼主からの挑戦に挑み続けている。いつも、どこから用意したのか分からないようなキャストや小道具を使って謎を用意し、そしてそれを天狗に解かせるのだ。なんとも迷惑極まりない遊びである。せめて僕を巻き込まないでもらいたい。
ゲームが終わる条件は、天狗が謎解きの依頼主の正体を暴き、その期待に応える事である。
今回は演劇サークルをも使って一芝居打ってもらったらしい。そして謎が解けたらその証として、謎解きの依頼主はいつも何かしらのメッセージを秘めた小道具を天狗に渡す。
今回は、先ほどのタグだ。
天狗と共に歩きながら、僕は投げて渡されたタグをもう一度凝視した。
何度見ても、一、0、2が縦に並んでいるようにしか見えない。タグをぶら下げて眺める。一番上だけ漢数字。なぜだろう。
「今回の事件の中にちゃんとヒントはあったのかい?」
「うむ。そこは毎回フェアに提示されている。
そこについてだけは、ヤツの事を感心する」
マネキン事件の会話内容を思い出す。どの会話がヒントになっていたと言うのだろう。
「アレンのクッキーが実にうまかった。
これはすぐに思い出せるなあ」
「それは認めよう。あれは無類のクッキーだった。
まあ、使われていない情報を考えるのだな」
「なんだよ、教えてくれたっていいだろう」
天狗はマフラーを揺らしながら、自慢げに笑う。
「お前もまだまだだな。目の前にぶら下げてみろ。
まずタグを裏返せ。そして首を左へ直角に傾けるがいい」
「そんな話、どこにもなかったじゃないか」
しぶしぶながらも言う通りにすれば、裏返したことによって打ち出されていた文字は凹み、そして鏡写しのように反転した。さらに、視界が傾くと同時に文字も直角に回転する。そうして見えた3文字は、元の3文字とは違っていた。
「n、о、l……ああっ。ナンバーワンと読める!」
「それが今回のメッセージのようだな。
奴も、俺の推理力をようやっと認めたらしい」
そして天狗は、その名に恥じぬ天狗笑いをしながら真紅のマフラーを揺らして夜を歩く。
ちなみに、どこでそんなヒントが出ていたかと問えば、ラリーチャレンジに失敗した際の、"後ろから右フック" だそうだ。なるほど、それでタグを裏返しての、後ろから右フックをくらって首を左に折った状態を想像するのか。
難解というか、こじつけ感があるパズルに思えなくもない。まあ、この辺りは謎解きの依頼主のセンスもあるのだろう。
夜の中には、変わらず天狗の高笑いが響いているのだった。
いつまでこの謎解きゲームが続くのか。残念ながら、とても残念ながら、それは僕には分からない事なのだ。