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事件は報酬を先払いするところから始まる

 大学敷地内は、意外と誰でも入れたりするものだ。

 他の所はどうか知らないけれど、少なくとも僕の所はそうだ。他の大学からサークル活動のために立ち寄る人がいたり、卒業しても教授の手伝いやら何やらで足を運ぶ人もいる。


 僕はれっきとした学部生だけど、テーブルの前の席に座っているのは大学生ではない。まったくの部外者だ。同い年ではあるけれども、彼は特定の仕事に就かず、それでいて学生でもない。

 自分の事を "天狗"と言って憚らない変人で、今も学生食堂の肉野菜炒め定食を掻き込みながら事のあらましを聞いているところだ。ちなみに代金は僕の財布から捻出されている。この野郎、さりげなく大盛にしやがった。

 しかも後ろの席で賑やかに昼食をとっている奴らがうるさい。話の内容からするに演劇サークルの面々だろう。昨日はサークルあげての飲み会が明け方まで続いたらしい。そんなどうでもいい情報は耳に入れてくれなくていい。もう少し、静かにしてくれないものか。


「それで、行方不明者は二人だけか?」


「そうだね。犯人からの連絡はまだ何もない」


 今回はポピュラーな誘拐事件だ。富倉大学テニスサークル『エキセントリックラリー』のマスコット人形のペアが昨日無くなったらしい。

 名前は何ていったかな。あんまり興味がなかったせいで忘れてしまった。


 僕は事件の内容をまとめたメモを取り出して、目の前にいる自称天狗野郎に向かって情報を整理しつつ話を始めることにした。




   ○   ○   ○




 僕から話を聞いた天狗は、学生食堂の椅子にもたれかかりながら食後のコーヒーを啜っている。もちろん、僕の財布から出た金で買ったものだ。さも当たり前かのように美味そうに飲むのが憎らしい。

 しかし、先ほどまで近くの席で賑やかにしていた演劇サークルの面々たちは真面目に講義を受けにいったようだ。これでやっと落ち着ける。


「つまらん事件だなあ」


「それには僕もおおむね同意するよ。

 それでも、依頼を受けると言ったのは君だろう」


「ここ三日ほど、何も食っていなかったからな。

 働かざる者、喰うべからず。転じて、喰いたい者は働け。

 天狗語録だ。覚えておけよ」


「初出は新約聖書だろう、それは。

 だいたい、君はいつになったら社会に出るんだい」


 彼はコーヒーカップを置いてせせら笑った。


「お前は魚が飛ぶと思うか。鳥が泳ぐと思うか。

 天狗に社会に出ろと言うのは、それほど滑稽な事だ」


「君がトビウオやペンギン以下だというのは分かったよ」


 僕は大きくため息をついた。飛ぶ魚も、泳ぐ鳥もいるのだ。社会の歯車になる天狗がいたっていいだろうに。友人に対して、真面目に働いてほしいと願うのは当然の気持ちだと思うんだけれどね。

 これでも、謎解きをさせれば人一倍、いや、人三倍くらいの働きをするというのだから人というものは分からないものだ。あ、いや、彼は人ではなく天狗だったな。自称だけれど。


 その自称天狗が言うには、今回の事件は可能性の幅が広すぎて推理の甲斐がないと言う。


 今回起こった事件はこうだ。


 テニスサークルからマスコット人形が消えた。このマスコット人形 (メモによればジョンとメアリ)は常にコートに置かれているマネキン人形なのだと言う。どうしてマネキンがコートの端に立っているのかなんて、サークルメンバーでもない僕からすればどうでもいいことだ。

 だいたいマネキンをどこから調達してきたのだろう。いるよね、どこの界隈にも妙なツテを持ってる変人ってのは。


 さて、事件の当日、つまり昨日だ。一番遅くまでコートで練習していた人間がマスコット人形の存在を確認している。コートを出たのが夕方の六時らしい。

 そして、翌日の朝八時。自主練に訪れた者がマスコットの消失を確認。

テニスコートはフェンスで囲まれていて、入り口には鍵がかかっていた。犯行は夜の間とされる。マネキンはどこに消えたのか。


 この謎を解くために、僕は目の前の天狗に依頼を出したという訳なのだ。

 別に解かなくてもいい謎のような気もするけれど、天狗に解かせるようにと厳命されてしまったのだから仕方ない。


「まあいい。請けた依頼はこなそう。

 まずは現場検証と関係者への聞き込みだ。

 ゆくぞ、財布」


「せめてもう少しマシな名前で呼んでくれないかな。

 ワトソン君とかさ」


「お前は俺のような居丈高なホームズがいると思うのか」


「あ、自分がおかしい自覚はあるんだね」


 がたりと席を立ちあがる天狗と僕。天狗と並んで大学構内を歩けば、通り行く人たちはかなりの確率でこちらを振り向く。

 これは別に僕や天狗が絶世の美男子だとかそういう訳ではなくて、原因ははっきりと天狗にある。具体的には彼の服装が少しばかりおかしいことにそれは起因するのだ。


 彼は二本線の入った紺色の作業ジャージを着ている。それはいい。そこは僕が彼を認める数少ない点なので構わない。ジャージの機能美は素晴らしく、通気性に優れ、体の動きに合わせた自在の伸縮性を誇る。それでいて着脱のしやすさもあり、滑らかな肌触りもまた魅力の一つだ。

 では何が珍妙か。その紺色のジャージに、彼はあろうことか真紅のマフラーを合わせているのだ。しかも、二周ほど首に巻かれたそれは、収まりつかずだらんとひざ下まで伸びている。

 季節、時期、時間を問わず同じ服装であるので、TPOに真っ向から立ち向かっていく覚悟があることだけは見て取れる。


 いつだったか、どうしてそんな珍妙な服装なのかと聞いたことがあるが、彼はなんでもない事のように一言、「天狗の正装といえばジャージにマフラーだろうが」と言ってのけた。

 どうやら、僕の知っている天狗と、彼の知っている天狗は違う存在らしいと、そこで追及を断念した記憶がある。




   ○   ○   ○




 現場であるテニスコートは、周囲をフェンスで囲まれており、コートへの出入り口は一か所だけだった。そしてそこには南京錠がつけられており、部外者がそうやすやすとは立ち入れないようになっていた。

 つまり、僕たちはコートの外から現場を眺めることでしか検証ができないということである。平日の昼過ぎなので、真面目な学生ならば講義を受けている時間だ。仕方がないと言えば仕方がない。

 ちなみに僕は講義を自主休講させられた。


「二つ、分かったことがある」


「相変わらず何か見つけるのが早いね君は」


「天狗たるもの当然だ」


 相変わらず理論の整合性は取れていないが、何を見つけたというのだろうか。

 彼の目はコートの一点に向けられており、それは二面ある横に並んだコートのちょうど中央のフェンス際だった。

 何か落ちている。フェンスの外側からでは詳しく見えないが、何かキーホルダーのようなものが落ちおているらしい。


「あそこにマネキンがあったってことかな?」


「そうだな、おそらく」


「あれは誘拐現場に残った物的証拠ってことか」


 天狗はさらにコートの地面を指さした。


「それだけではないぞ。コートを見ろ。

 人工芝、それも砂入りの典型的なコートだ。それは分かるか」


「そりゃあまあ、見て分かる事は僕にだって分かる」


 天狗はそこから滔々とテニスコートの種類について述べたが、僕の頭にはあまり入ってこなかった。興味はただ一点。人工芝だからどうだと言うのか、である。


「つまり、だ。プロの試合で使われるような本格的なコートではなく、

 しかも手入れが行き届いていないとなれば――」


 腕を組んで鼻をふんと鳴らしてから彼は続きを口にした。


「このサークルの情熱の度合いも知れるというものだ。

 コートの手入れもあまりされていない。だから分かる」


 彼はコートについたボールの跡の密集具合や、フェンスの凹みを指摘して推理した事柄を教えてくれた。


・玉跡の密集具合から、跡の少ない場所にマネキンが置かれていたこと


・コートがそれを読み取れる状態で放置されていることから、活動的ではないこと


 以上の二点がコートを見て彼が推理した事である。


「まあ、だからと言ってマネキンの行方が分かる訳ではないがな」


 そう言い加えて彼はその場にぺたりと座り込んだ。マフラーが地面に付くことも気にせず尻を降ろしている。しばらくそうしてじっとしていたので、僕は我慢できずに聞いた。


「何をしているんだい?」


「天狗の神通力が告げている。

 ここで待てば事件は動くと」


「偶然頼りとは、いただけないなあ。

 ノックスの十戒に反するね」


 ノックスの十戒。これはミステリを軸とした物語の中で、守られることを推奨される10のルールの事だ。その中に、"探偵は偶然や第六感によって事件を解決してはならない" とある。さらに言えば、"探偵方法に超自然能力を用いてはならない" ともある。


「俺は探偵ではなく天狗だから良いのだ」


「謎解きを請けて飯を食べている身分であることを忘れたのかい」


「謎を解く天狗がいてもいいに決まっている」


「相も変わらず屁理屈ばかり述べるねえ、君は」


「天狗だからな」


「ああ、そう」


 これ以上の問答は無意味であると僕は悟った。僕としても、事件が解決するのは喜ばしい事だ。あまり天狗のご機嫌を損ねるものでも無いだろう。


 その時、遠慮がちに僕らに声をかけてくる人がいた。

 小柄なその女性は、体に不釣り合いな大きさのテニスバッグを両肩に背負っている。


 姿を見れば、テニスサークルの一員だと推測できる。僕らがコート入口の近くにいるから邪魔だったのだろう。天狗は彼女の全身をざっと眺め見た。


「あのう、何か御用でしょうか。

 受付でしたら、代表の方に……」


「いや、マネキン人形について話が聞きたい。

 君はマネキン人形の最後の目撃者だろう。違うか」


 彼女がびくりと肩を震わせる。何もそんなに高圧的な物言いをしなくてもいいのに。僕は天狗を諫め、あらためて彼女に向かって、依頼を請けて人形を探していることを伝えた。

 彼女はまだ少しおどおどとした様子で、バッグを持つ手に力が入っているのが見て取れた。そうだろうなあ、いきなりジャージ姿の男に詰め寄られたのだから。しかも異様に長いマフラーまで巻いているので変人たる雰囲気は十二分に醸し出されているときた。


それでも彼女は、おびえながらではあるが昨日の事を話してくれた。

なぜ天狗が彼女を最後の目撃者だと判断できたのかと聞けば、コートから外に出たであろう最後の靴跡と、彼女の靴のサイズが同じだからだそうだ。

一見しただけでそこまで分かるものだろうか。「天狗たるもの、分かって当然だ」と彼は述べたが、変態じみた洞察力であることは間違いない。


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