早乙女コール
もくじを越え、第一章へとページがすすんだころ、立て続けに開いた扉から新聞部員が入ってくる。
横目で見れば、長机のまわりに八個あったパイプ椅子がすべて埋まっていた。
すぐそばに座った女子にもてそうな男子が、そういやさァ、と声と手を同時に上げる。
「コレ、オレのとこにまぎれ込んでたけど、ここのだれかのじゃね?」
なにげなくふり返ってコレという指示代名詞が指しているものを目にした駿介は、一見リップスティックのような形状のものが何であるかをさとった瞬間、早乙女の肩をくいっ、と引っぱった。
こちらを向いた大きな双眸に向かって、アレ、と掲げた手の先を指さす。
「あー、それ、マイ消しゴム!」
やっぱりか、とおもったのも束の間、うそだろ、まさか、そのふたつがあとから後から湧いてくる。
まちがえてペンケースに入れられてしまった経緯を話し合う会話は、駿介の耳にはとちゅうからまるで入って来なかった。
ここで消しゴムをなくしていたのであれば、ここにいる人間の手から戻されたことは、奇跡にはほどとおい、当然の結果にすぎない。
早乙女が祈ろうが祈るまいが、手元に戻ってくることに変わりは無かったはず、そう考える人間の方がずっと多いに決まっている。
けれど、早乙女の祈ったことが叶った、それもまた事実といえば事実だ。
「さーて、次はなにを祈ろうかなっと」
音符が見えるような口調でつぶやいた早乙女は、駿介と目が合うとにっこりと笑う。
「疑うなかれ。オレには望みを叶えることができるし、もちろん、君にだってできる」
「…………空も飛べる、と?」
「イメージではね。でも、一心にそれだけを祈らなきゃ叶わないって言われたら、オレは世界平和を祈るから。実際に空を飛んでみるのは、世界平和が叶った、その後かな」
それはつまり一生かかっても飛べないってことですね、そう皮肉ることもできたけれど、駿介は心の中で即座に打ち消した。
もしも、自分の思考も現実世界に何かしら影響するのだとしたら、世界平和なんて実現しっこないと断じるよりも、実現することを願いたい、そうおもったからだ。
口に出せば夢想家だと言われるかもしれないが、心の中でおもってさえいればいいのなら、駿介にだって無責任な祈りをいだくぐらいのことはできる。
「早乙女ー、うちにも新入部員!」
「だいじょうぶ、来るって、ちゃんと」
応えた早乙女が、ちらっと駿介の顔を見た。
入ってくれるか問われているようでもあるし、入ると確信しているようでもある。
駿介の方は、まだまったく決めかねていた。
他に入りたいクラブがあるわけではないし、当初のうさんくささはいくらか薄れたが、それでも彼や本を全面的に信じたわけではなく、こっそり試してみるにしたってべつに研究会に入らなきゃならない道理もない。
第一、自分が入らなければ、他に入会希望者がいるともおもえず、自動的に彼のお祈りがひとつ叶わない結果になる。
にもかかわらず、その表情にあるのはどこまでも余裕だ。
見ていて不満におもう反面、その自信が駿介はなんだかうらやましくもあった。
これほどの自信や余裕を持って臨んだとすれば、入試で百パーセントか、それ以上の力を出すことだってたしかに可能かもしれない。
信じるわけではないけれど、信じてみてもいいかもとおもわせるのは、それを科学だと言っているところだ。
とくべつであることを謳わず、だれにでも当てはまる宇宙の法則だという公平な姿勢だけは、駿介の肌に合う。
あとは、ここに来たくなるような理由でもあるなら、いっそ入会したっていいのに、と駿介はおもった。
そう、たとえば──
カチャ、とドアノブが回る音が、そのとき駿介の耳にはっきりと聞こえた。
扉をふり返って、息を呑む。
「あの、新聞部に入りたいんですけど……」
部室に、歓声と早乙女コールが湧いた理由を、顔をのぞかせた新入生女子が知るはずもなく、目を白黒させている。
ぱっちりとした黒目がちの双眸は、リスか何かの小動物をおもわせた。
きっと、体も小柄だからだろう。
「……彼女、君のタイプ?」
なめらかな美声にうしろからささやかれ、駿介はパイプ椅子から転げ落ちそうになった。
「なっ、なっ……」
指をさし、声を上擦らせた駿介に向かって、早乙女が意味ありげにほほえんでみせる。
「ナニ、祈ったんだ、アンタ!」
「ふふ。それは君が晴れてお仲間になるまで、ナ、イ、ショ」
駿介は悔しかったので、入会届は翌日まで出してやらないことに決めたのだった。