コイノボリ(童話14)
もうすぐ五月。
いくつものコイノボリが、あちこちの屋根の上で泳ぎ始めました。
マンションの三階、リョウの部屋のベランダからもコイノボリが見えます。
そんなある日。
イナカのおじいさんから、リョウにコイノボリが送られてきました。
マンション用なのでマゴイ一匹だけです。
さっそくおかあさんが、ベランダにサオを立てコイノボリをあげてくれました。
コイノボリは風をすいこみ、気持ちよさそうに泳ぎ始めました。おなかをふくらませ、オッポをパタパタさせています。
元気に泳ぐコイノボリを……。
リョウはあきることなくながめていました。
その夜。
おじいさんにお礼の電話をしました。
「コイノボリ、ありがとう」
「どうだ、元気がいいだろう」
「うん、とってもね」
「アイツ、元気がよすぎてな。風の強い日は逃げ出すことがあるんで、気をつけるんだぞ」
「おかあさんがちゃんとヒモで結んだから、だいじょうぶだよ」
「そうか、そうか。コイノボリに負けないくらい、リョウも元気でな」
おじいさんの声はとてもうれしそうでした。
ま夜中。
リョウは大きな音で目をさましました。
ドン、ドン。
窓ガラスがはげしく音をたてています。
風が強いのか、コイノボリがガラスにぶつかっているようです。
――だいじょうぶかなあ。
気になってベランダに出てみると、ヒモで結んである口が強い風にあおられ、今にも引きちぎれそうになっていました。
――中に入れてもらわなきゃあ。
おかあさんを呼びに行こうと、リョウが部屋にもどろうとしたときでした。
「おい、まてよ」
頭の上で声がします。
――えっ?
リョウはびっくりして見上げました。
「じつはたのみがあって、オマエを呼んだのさ」
コイノボリがしゃべっています。
「じゃあ、さっきの大きな音は……」
「そうさ、オレサマがこうやったのよ」
ドン、ドン。
コイノボリがシッポの先を窓ガラスに打ちつけてみせます。
「それで、たのみというのはな。オレサマの口にくくりつけてある、このヒモをほどいてほしいんだ」
「そ、そんなこと、できないよ」
リョウは逃げるようにあとずさりしました。
「できねえだと?」
「だって、こんなに風が強いんだもん。すぐに吹き飛ばされちゃうよ」
「それなら心配せんでいい。強い風ほど、オレサマは好きなんだからな」
そのとき。
リョウはおじいさんの話を思い出しました。風の強い日は、コイノボリが逃げ出すという……。
「逃げるつもりなんでしょ」
「そんなことはしねえよ。そこらを、ちょいと飛んでみるだけさ。おじいさんのイナカじゃ、山や海に遊びに行ってたんだぜ」
「ダメだよ。だっておじいちゃん、風の強い日は気をつけろって」
「そうかい。じゃあ、もうたのまねえ」
コイノボリがあばれ始めました。
口をへし曲げ、体をくねらせ、シッポをバタバタさせます。けれどもヒモは、切れそうにもはずれそうにもありません。
そんなコイノボリを見ているとかわいそうになってきて、リョウはつい声をかけていました。
「ねえ、ほどいてあげようか」
「ほんとかい!」
「でも、ちゃんと約束してよ。朝まで帰るって」
「ああ、オレサマも男だ。約束はかならず守ってみせるさ」
リョウはコイノボリをおろし、口に結ばれているヒモをほどいてやりました。
「ありがとうよ。なあ、どうだい。オレサマの背中に乗って、いっしょに行ってみねえか」
「落ちたりしない?」
「もちろんさ。いい風が吹いてるからな」
コイノボリが口をあけて風をすいこみ始めます。すると体がどんどんふくらんでゆき、おなかからシッポのさきまでパンパンになりました。
「じゃあ、乗るからね」
リョウはコイノボリの背中にまたがり、ふくらんだおなかにしがみついたのでした。
「飛ぶぞー」
コイノボリはベランダから飛び出すと、夜空に向かってグングン上昇していきました。
コイノボリは夜空をまっすぐ飛びました。
町の明かりが遠ざかり、やがてたくさんの星が見えるようになりました。
「ねえ、どこまで行くの?」
「海だよ」
「そんなに遠くまで?」
「なあに、この風ならひとっ飛びさ」
コイノボリは強い風に乗って、気持ちよさそうに空を飛び続けました。
夜の海は月明かりで輝いていました。
コイノボリが海原に向かって下降し始めます。すると潮の香りとともに、すぐ下に波の音が聞こえてきました。
「飛びこむぞ!」
ドッボーン。
波しぶきがあがって、コイノボリといっしょにリョウも海の中にいました。
でも不思議、ちっとも息が苦しくありません。
海の中は明るく、魚の群れが目の前を泳いでゆきます。手を伸ばせばさわれそうです。
「泳ぎがうまいんだね」
「オレサマは、もともと魚なんだぜ」
コイノボリは魚たちといっしょになってスイスイ泳ぎました。
それからも……。
リョウとコイノボリは、広い海の中の探検をおもいきり楽しんだのでした。
夜明け前。
「そうだ! 朝までに帰るんだった」
コイノボリがいきなり叫びました。
「えっ、もう朝なの」
あまりの楽しさに、リョウは時間がたつのをすっかり忘れていたのです。
「ふっとばして帰りゃ、よゆうでまにあうさ」
コイノボリはいきおいよく海から飛び出しました。
空にはいくつもの星がまたたいており、夜明けまではしばらくの時間がありそうです。
コイノボリは陸地に向かって飛びました。風に乗ってビュンビュンとばします。
陸地まであとちょっというところ。
なぜかコイノボリに元気がなくなってきました。スピードも落ちています。
「どうしたの? おなかがへこんできたよ」
「はらがヘったのさ。はらがへっちまって、力が出ねえんだよ」
コイノボリは口をパクパクさせていました。
東の空が白み始めます。
コイノボリはおなかがすっかりへこみ、さっきからフラフラしながら飛んでいました。
海岸を通りすぎ、なんとか町の上までもどってきました。
マンションまでもうひとふんばりです。
「ひと休みしてもいいんだよ」
「とんでもねえ。朝までに帰るって、オマエと約束したからな」
少しでもスピードを出そうと、コイノボリはシッポをパタパタとふり続けました。
リョウの住むマンションが近づきます。
「目がまわるー」
コイノボリは口を大きくあけ、苦しそうに何度もパクパクさせました。
おなかはもうぺちゃんこです。
ベランダはもう目の前。
「うおー」
コイノボリがけんめいにシッポをふります。
するとみごと、ベランダの上にぴったし着地したのでした。
でもこのとき……。
コイノボリの体は、リョウのおしりの下でグニャグニャになっていました。
「あら、もう起きてたの?」
おかあさんがベランダに顔をのぞかせました。
「コイノボリ、たいへんなんだ」
「あら、ヒモがほどけてしまったのね」
「ほどけたんじゃないよ。たのまれて、ボクがほどいてやったんだ。あのね、おかあさん……」
コイノボリと海まで行ってきたことを、リョウはうれしそうに話して聞かせました。
「ねえ、おかあさん。コイノボリって、なにを食べたら元気が出るの?」
「風よ。風をいっぱいすうとね、コイノボリは元気になって泳ぐのよ」
おかあさんはベランダに出ると、サオにコイノボリをていねいに結びつけました。
コイノボリが口をあけて風をすいこみます。
ペチャンコだったおなかがどんどんふくらんでゆきます。
コイノボリが元気よく泳ぎ始めました。
「また行こうね」
リョウは手をふりました。
すると……。
コイノボリもパタパタとオッポをふったのでした。