70話「単純だなぁ」
たった2週間の冬休みは、あっという間に終わり、寒い寒い3学期の始まり。
長い夏休みとの差が思い知らされる。カムバック夏休み。カムバック冬休み。
首に巻いていたマフラーを巻き直して、自転車の鍵を掛けたのを確認して駐輪場を出る。
昇降口には疎らに生徒が登校していて、徐にシューズに履き替える様を見ながら、自分も同じ動作で流れるように教室へと続く廊下を進んでいく。
終わってしまった冬休み。昨日の日をずっとループしてくれたらいいのにと思ってしまうのは、昨日が私の誕生日だったからだ。
昨日は朝から兄の陸からのオーラが凄かった。休みだから9時近くまで寝ていた私は、起きたと同時に兄からのおめでとうコールが降り注いできた。一瞬何事だ、夢でまでうざい顔の兄を見なくてはいけないのか、等と思ったが違った。現実だった。
夜勤で、夕方ギリギリまで起きてこない兄が何故?と思ったがすぐに疑問は晴れた。
「一番におめでとう言いたいじゃんっ。はい、おめでとう」
とフニャフニャした顔で言ってのけて包装されたプレゼントらしき物を渡してきた。そのまま兄は私のベットに潜り込んできて寝はじめた。
よく見れば髪は寝癖で思いっきり外側に跳ねてるし、顔を洗っていないのか涎の後も付いていた。
キョトンとしながらも渡されたプレゼントーー抱えるほどの大きさでそれなりに重いそれを両腕で抱え直してからベットから出たのだ。
その後からは仕事の都合上、時間差はあれど家族全然からプレゼントと共にお祝いされたのだ。
昨日の事を思い出しながら教室の自席に着席すると、菅谷くんに声を掛けられた。
「おはよう菅谷くん、どうしたの?」
沢山出された宿題を引き出しに仕舞いながら問い掛けると、徐に可愛いらしいーー菅谷くんには似合わないポップなハート柄のナイロン袋を差し出してきた。
一瞬似合わないなあ、等と思いながら菅谷くんの言葉を待ってみたが、昨日の新しい記憶を思い出して切り出してみた。
「え、もしかしてプレゼント的な?」
「まあ」
疎らではあるが教室には数人登校している状態だからか、恥ずかしそうに頷いて見せる。その瞬間、照れながらも顔が綻ぶのが分かった。
「えぇっ、ありがとうっ、嬉しいっ!」
分かった瞬間にしっかりと受けとったそれは軽い。袋を開けて中身を見てみると綺麗に包装された小さな正四角形の物が見えた。口角をあげたままそれを見つめて数秒、ある疑問が浮かんだ。
「でもよく私の誕生日知ってたね?私言ったっけ?」
菅谷くんに教えた覚えはないが記憶違いだろうか。
「あ、三宅に聞いたんだよ。正しくは聞かされたんだけど、実はその、何日かは聞いてなくて……」
しどろもどろに答えだした菅谷くんに眉間にシワを寄せながら首を傾げる。
「ごめん菅谷くん、どういうこと?」
訳が分からず菅谷くんに対して怪訝な表情をしてしまう。
チラッと時計をみるとそろそろモモ達が登校してくる頃で、その前に菅谷くんとのやり取りを終えたいのだが、菅谷くんは中々言い出さず教室の後方に視線をやる。言いづらい事なのか、言えない事なのか分からず、私はそんな菅谷くんにプレゼントのお礼を放つ。
「取りあえずありがとうね。家に帰ってから開けるね」
袋ごと貰ったため、袋の余った部分を包むように折り畳んで鞄の中に仕舞う。それと同時に教室の出入口から大声で名前を呼ばれた。
「ゆりー!おはよー!」
大きなその声は聴き覚えのあるソプラノ声で、次いでうざい声と穏やかな声で挨拶が2つ跳んでくる。
視界の端では居たはずの菅谷くんの気配がなくて、菅谷くんが席へと戻ったのだと確認してから、真っ先に自席へと向かってくる3人衆に顔を向ける。
「おはよう、モモ朝から元気だねぇ」
朝から大きい声を出してきたモモに対して、若干嫌味を交えてみたが無意味だった。褒められて嬉しそうに笑うモモに私も意味もなく笑ってしまう。後ろをついてくる梓に笑ってみせると、梓も少し視線を漂わせて笑った。朱音はずっとうざい顔していた。
「ゆり!誕生日おめでとう!」
はいっ、プレゼント!と元気よくカラフルな袋を差し出してきた。清々しい程に顔が綻んでいて、またもや大きい声で放ったその言葉。教室中に聞こえるのは絶対で、殆どのクラスメイトが登校している教室。明らかにモモの発言で私が誕生日を迎えたことが周知してしまった。
「茅野さん誕生日なんだ」「茅野さん誕生日おめでとう!」「え、誕生日っ、何かプレゼント……」「プレゼントっプレゼントっ……」「あ、そうだった茅野誕生日か」等など。ザワザワと教室内が私へのお祝い言葉で埋め尽くされる。最後に聞こえてきたのは、明らかに小学校からの同級生の筈だが、忘れていたということか。
恥ずかしさを隠しながらモモが差し出してきたプレゼントを受け取る。
「ふふっ、ありがとうモモ」
意外と重めのそれの袋を開けると、長方形の形をした何かが包装されている。手にとって見ると纏まってはいるが、1つの物だとは思えない。2つか3つ、セットの物を纏めたようだ。
今すぐ包装を取って中身を確認したいが、1時間目がもうすぐ始まってしまうため、渋々袋に戻して鞄の中に仕舞う。鞄を机のフックに掛けた所で、先生が教室に入ってきた。モモ達も駆け足で席に移動していった。
1時間目が終わり、朝のホームルーム、移動教室での2時間目、戻ってきてからの3時間を終えてようやくゆっくり話せる。
鞄の中からモモからのプレゼントを取り出す。袋から包まれてる物を取り出すとモモがやってきて、私がプレゼントを開けていくのを見守る。
「これ1つじゃないでしょ」
包装紙を綺麗に剥がしたくてもセロハンテープを剥がす時に少し破ってしまう。包装紙を剥がすのに四苦八苦しながらもモモに尋ねてみた。
「うん、そうだよ。よく分かったね」
「何となく」
徐々に見えてきたのは、可愛いキャラクターの持ち手着きのポーチ、青色と紫色のマニキュア、よく分からない筆が太いのと細いの、使い道に難がありそうなハサミみたいなもの。ポーチを認識して顔が綻び、2つのマニキュアを見て「わぁ」と声を上げるが、最後の3つを認識すると口角が下がって眉間にシワが出来たのが分かる。
「……え、なんだ?」
取った包装紙もそのままに、見知らぬ物体を凝視してしまう。
「えっとお、モモ?これは本当にプレゼント?」
顔をあげてモモを窺うと、キラキラともニヤニヤとも取れる表情をしていた。だが何故かすぐに落胆する。
「えぇ、もう。朱音ーっ負けたーっ!」
そして別の所で会話を楽しんでた朱音に声を掛ける。反射的にモモが視線を向ける先を振り返り見つめると、朱音は少しのタイムラグの後、満面の笑みでガッツポーズをしてみせる。
「ええー」
「いや、『ええー』じゃなくて、これは私へのプレゼントで合ってます?モモ」
どういう意図でこれらの物をプレゼントとして贈るのか、モモに問いただしてみる。何気にドヤ顔をしている。
「これはね、メイク道具なの」
机の前に膝ついて説明する物を指すモモはドヤ顔であることを自覚しているようだ。
「メイク道具?ポーチとかマニキュアは、まあ分かる。良く見るメイク道具入れるポーチで、爪に塗るマニキュア。でこれとこれは?」
見たこともない残りの2つを手に取りながらモモに尋ねると、モモは咳払いを1つして、またもやドヤ顔で説明を始める。
「この太いブラシと細いブラシはメイク道具。検索すれば分かると思うけど、目元とか、顔のパーツをメイクする時に使うんだよ」
「ほおほお」
頷きながら相槌を打つと、もう一つのプレゼントを指差す。
「でこっちは、睫毛を上げるビューラーね」
「ビューラー……」
聞き慣れない名前を小さな声で繰り返すと、ニヤリと笑った顔を近付かせてくるモモ。
「分かったかなあ、ゆりちゃぁん?」
「バカにしてんだろ」
「んふふ、うん」
馬鹿にしてることがわかるモモを睨んでみるが、全く怯むこともなく笑う。
これで疑問に思う事は1つ。
「で?朱音に負けたってのは何?」
そんな問い掛けに笑っていたモモはピタリと動きを止める。まるでイタズラがバレた時のように口角が引き攣っている。
「まさか、私がこの道具達を知ってるかどうかを賭けたりとかしてないよね?」
「え!なんっ……」
私の問い詰めに口を開いたモモだったが、咄嗟に自身の手で口を覆って抑えたようだ。ただその態度で確信した。
「へえー、私のことで賭けたんだー?」
目を細めて睨みながらも、口角は上がり楽しみを隠さないままモモに問い詰める。
「朱音とモモで、私の反応みて楽しんでたんだ。私、悲しいわー」
しくしくと効果音が付きそうな具合に泣き真似をしてみる。実際に涙は出てないが、出ているように装ってハンカチで目元を覆う。
「ご、こめんねゆり。違うんだよ、最初に言い出したのは朱音でさ、当然知ってるだろうから賭けにならないって私は言ったの」
悪意のないモモのその言葉が、知らなかった私の心に刺さる。そんな私にモモは気付かないまま、釈明しようとする。
「だってほら、ゆりはお姉さん居るし、そういうの見聞きしてると思ってたからさ」
悪意がないからこそ、深く刺さってしまう言葉の棘が痛い。
「ごめんなさいね、姉がいるにもかかわらずメイク道具を知らなくて」
嫌味で言った私のその言葉は、同じくモモの心に刺さってしまったのだろうか。
「……だって、ゆりは流行に敏感だし、知ってるって思ってたんだもん。別に陥れようとかしてないのに、そんなに拗ねなくてもいいじゃん」
思ってたような言葉とは別の言葉に、私は瞬時に言葉を返せなかった。嫌味といえど、自分自身が謝ればモモも笑いながらもう一回謝ってくれると思っていた。それで私が“良いよ”とでも言って一件落着となるはずだった。
「だったら、朱音の賭けに乗らなければ良かったんじゃないの?陥れようとか思ってなかったんなら乗らなかったんじゃないのー?」
素直に“拗ねてないよ”とでも言えばいいものを、変な返しをしてしまった。そして、そのタイミングで4時間目を知らせるチャイムがなった。
「……見知らぬ誕プレ渡してごめんね」
チャイムを聴いたモモは、そう言って席に戻っていった。モモからの誕プレが包装紙と擦れて机に音を立てた。やってしまった後悔は、どうしていつも日常を少し崩すのだろう。
「モモもゆりも悪い。もちろん朱音も」
梓からの言葉がまた痛かった。
4時間目の後のお昼に、モモは居なかった。梓がそれとなくモモを別クラスの友達へと送り込んだらしい。
「ぅえ?!あたいも?」
「当たり前だろ、馬鹿か」
いつもよりも口が悪い梓に、朱音の心にもグサッと言葉の棘が刺さったのが分かる。
「朱音はさ、自分自身が誕生日の日に誕プレで遊ばれたらどう思う?嫌じゃないの?“除け者にされてる”って思ったりしない?」
梓の言葉を聴いた時、何だか分かった気がした。
私の誕プレで遊んでいるとは思わなかった。けど、朱音とモモが私そっちのけで賭け事をしていたと知った時、疎外感を持ってしまった。
梓も賭け事には関わっていなかったらしいから、“除け者にされてる”と思ってしまったのだろう。
「どう謝れば……」
弁当箱を開けながら、独り言のように小さく呟く。その声が梓には聴こえていたらしい。朱音に向いてた顔がこちらを向いたのを微かに感じる。
「ゆりの場合は、確かにモモも悪かったと思うよ。でも、ゆりは自分自身の思いをもっと正直に言った方が良かったと思う。悪ノリに乗っかるの、ゆりの悪い癖だよ」
梓の言葉を真正面から受けとめて、頷きながら項垂れる。開けたばかりの弁当箱だったが、何だか食欲が湧かない。
「ゆりはさ、嫌だったんでしょ?自分自身の誕プレが知らない所で賭け事にされてたのが」
「うん」
「許せないのは分かるよ。私だって知らなかったの悲しかったし」
朱音を横目に言う梓に、朱音は弁当を食べながら小さく謝っている。
好きなおかずを見ても食べたいと思わないのが不思議だった。
「でも言葉は選ぼうか。ゆりが誰かの言葉で傷つくのと同様に、モモも誰かの言葉で簡単に傷つくんだよ」
何とかちびちびと弁当を食べながら、梓の言葉を聞く。改めて“やってしまった”と思った時、目頭が熱くなって、耐えきれずに涙がこぼれた。
「……うんっ」
背中を擦られる感覚で横を見ると、朱音が申し訳ない顔しながら、泣き出した私を慰めるように擦ってくれていた。
「ゆり、ごめんねぇ。誕プレで賭け事とか、嫌だったよねぇ、ホントにごめぇん」
よく見ると朱音も涙目で少し目が充血していた。
教室の端であまり目が向けられないとはいえ、他のクラスメイトもいる教室内だ。必死に泣き止まなきゃいけないのに、朱音の行動と言葉で止まることは出来なくなった。
咄嗟に持ち合わせていたハンドタオルで目元を覆う。
「……うん、嫌だった。普通に渡してくれれば良かった」
見られないように泣きながら言うと、朱音は短く「うん」と返してくる。
「疎外感あったし、話ついていけなかったし」
「うん、ごめん」
「私、おもちゃにされた気分」
「うん、ごめん」
「まだ朱音からの誕プレ、貰ってないし」
「あ、そうじゃん!まだ渡せてなかったね」
ずっと背中にあった朱音の温もりがなくなったと思ったら、「はいどうぞ」と朱音の声が聞こえた。
目元を覆っていたハンドタオルを徐ろにずらすと、可愛らしい柄のナイロン袋がカサカサと揺れていた。
鼻水をすんと息しながら、目線を朱音に向ける。先ほど見た申し訳なさそうな顔ではなく、朱音らしいとびきりの笑顔だった。
「……ありがとう」
涙が溢れてこないことを確かめると、念入りに涙を拭いて顔からハンドタオルを離す。そしてそのままナイロン袋ごと受け取る。
「モモにも思ったことをそのまま言って、お互い謝って一件落着になるでしょ」
朱音との一連を観ていた梓が、弁当箱を閉めながら言い切った。
「そうだね、しっかり謝るよ。梓ありがとう」
朱音からの誕プレの重さを確認しながら、梓にお礼を言う。持つべきものは冷静な友達だなと実感する。
「朱音からの誕プレは何だろう。何だか軽いんだが」
「誕プレ確認の前にお昼食べちゃいなよ、時間なくなるよ?」
中身を確認しようとナイロン袋に手を突っ込むが、梓からの助言で時間を確認すると急いで弁当箱を見る。殆ど食べていなかった。
桃とのことであまり食が進まなかったのだった。決心したことで急にお腹が減り、食欲が湧いてきた。
「ヤバっ」
軽く笑いながら弁当箱を手にする横で、朱音は弁当をかき込んでいた。
「単純だなぁ」
聴こえてきた梓の言葉に咀嚼をしながら顔を上げる。おかずを口にしていたことで、首を傾げる振りをする。
「いや、何でもない」
梓は笑いながらそう言って、スマホを手にして何やら操作していた。
「ゆり急げっ、まじで時間ないから!」
「今食ってるからっ」
朱音に急かされて、どうにか昼休み内に弁当を完食出来た。本当にギリギリで焦っていたからか、モモが戻ってきた事にも気付かなかった。
5時間目の最中は、梓に言われた事や朱音に謝られた事をずっと反芻しては、モモに謝る言葉を探していた。
6時間目はまさかの体育で、モモに謝る時間が確保できなかった。
冬休み明け初日だからか、体育館での自由授業だった。各々、バドミントンやらバスケやら、ドッチボールやら仲の良い同士で独自ルールの遊びを始める。
そんな中、梓からも朱音からも誘われなかった為1人になる。換気の為に開け放たれたシャトルドアから先生に見つからないように外に出る。
いつもだったら寒いし、何で開けるんだよとも思うのに、今日は少し都合が良かった。 シャトルドアから続く数段の階段。その影に隠れるように座る。
梓も朱音も、きっとモモに誘われたんだ。喧嘩の最中で誘われなかったのは重々理解出来る。
「あ、意外と暖かいかも」
午後から日差しが強くなったのか、長袖のジャージを軽く捲る。
昨日の天気は曇りだったのに、何故か今日は晴天。昨日が良かったと思ってしまうのは、傲慢だろうか。
「茅野」
中々ない苗字呼びであったから、先生かと思って瞬時に謝ろうと振り返る。
「なんでここにいんの?1人?」
そこには昔から見知った卜部がいた。
「なんだ、卜部か」
ホッとして、立ち上がろうとしていた腰を再び下ろす。
「なに?」
「珍しく1人でいたから」
先生には見つからなかったが、昔からの知人に見つかってしまった。
卜部は何故か徐ろに隣に座ってきた。
「先生に見つかってないだろうな?」
「大丈夫。先生、山上達に絡まれてた」
「……何がどうしてそうなったんよ」
サボりによる罪悪感と高揚感が上がってきた。同時に、授業が終わった放課後にはモモに謝るというミッションに不安が募る。たまらず項垂れる。
「……茅野さ、お前泣いた?」
「だったらなに?」
「いや、どうってことないんだけど、大澤さんと喧嘩した?」
「……うん」
昔から聞き馴染みのある声。声変わりが終わっても変わらない優しさのある声に、正直に答える。
「何で喧嘩したんだよ。朝はめっちゃ仲良く誕生日祝われてたじゃん」
「……うん」
思えば、今朝のテンションから急降下だ。また泣けてくる。
「誕プレ」
「ん?」
涙が出ないように話し出す。
「誕プレ、全然知らない物でさ」
「うん」
「モモが朱音と誕プレで賭けてて」
「……ん?」
詳しく説明したくなり、顔を上げて卜部を見たとき、溜めていた涙が溢れた。
「モモと朱音がね、私が誕プレでもらう物を知ってるかどうかで賭け事をしてたの」
「……あー、なんだそれ」
「私、モモからの誕プレがどう使う物なのか知らなくて」
「うん」
「なんか、私の誕プレ、私の知らない所で賭け事にされてたのが、嫌で」
泣きながら拙く説明するのを、卜部は口を挟む事なく静かに聞いていた。
「嫌だったから、モモに意地悪しちゃった」
「……そしたら喧嘩になった感じ?」
「うん」
涙を拭きながら卜部の反応を待つ。
「……あー、確かに誕プレが賭け事になってたら俺も嫌だわ」
涙が止まらない。もう、誰が見ても分かる程に目が腫れているかもしれない。
「賭け事してたことは悪いけど、謝られたんだろ?それでも許せなかった?」
「……」
卜部に顔見つめられながら問われて、何も言い返せなかった。
それを見て卜部も大体察したのだろう。
「……そうだよなぁ、謝られても多分俺も許せないと思う。もうずっと、根に持つかも」
そう言っておちゃらけるように笑う卜部。昔はよく見ていた犬歯が懐かしい。思えば高校入ってから、卜部が思いっきり笑っているのを見ていなかった。その顔でまた涙が流れる。
「……もうどんだけ泣くんだよ、まじで目ぇ腫れるよ?」
「もう腫れてる自覚ある」
涙を拭いすぎて手が濡れすぎてしまった。暑くて捲っていたジャージの袖を戻していると、卜部が身体を向けてきた。何を思ったか、卜部はポケットから取り出した小さなハンドタオルを顔に近付けてきた。
「おっま、まじで泣きすぎなんだよ」
また犬歯が見えるように笑う卜部。されるがままに目元を拭かれる。
「うぅ、だってぇ。てか卜部、女子じゃん、なんでハンカチとか持ってんの」
「そこはスルーしろ」
一般的な高校生男子は、基本ハンカチを持ってるイメージがない。ましてや、制服からジャージに着替えてまで持ってるとは思わない。育ちの良さが出ているのか。
「とりあえず大澤さんも悪いけど、茅野も悪いことした自覚あんなら謝れよ」
「……うん」
拭き終わった卜部は、ハンカチを軽く畳んだ。そのまま、徐ろに頬に手を添えてきた。
「……え、なに?」
卜部は何も答えず、何故か顔を近付けてきた。思わず逃げるように顎を引く。それでも近付いてくる。あと少しで顔同士がくっついてしまう。
「え、え、ちょっ、うらべ」
このままだとキスでもしそうな雰囲気に、もっと顎を引く。だが、後ろのコンクリートの階段の壁に突き当たり、これ以上顎が引けない。思わずギュッと目を瞑る。
「ふっ」
卜部の息遣いが聞こえたと思ったら、瞼に何かが軽く触れる感覚。何だろうかと思ってる内に、卜部の気配が離れていく。
恐る恐る目をゆっくりあけて、卜部の様子を見る。
「仲直りしたら、その目どうにかしなよ」
また犬歯が見える笑顔だった。
唇にキスするのかと思っていた為、唇ではなく瞼に触れたということは、つまり瞼にキスをした、と思われる。
そう思うと、急に罪悪感と羞恥心と疑問符が急上昇した。卜部はまだ、犬歯が見えるように笑っている。そして、卜部から逃げるように体育館内へと走り戻る。
体育館のステージへ上がる階段で、楽しそうに遊んでいる同級生達を見ながら、顔を抑えながら蹲る。顔が熱かった。
「違うって、先生!ここで少し休憩してたの!」
卜部の声がやけに大きく聴こえて、先程いた場所へと目を向ける。涙を拭いてくれたハンカチを片手でヒラヒラとしながら、先生に何やら説明している模様。本当の事を言っているのか、はたまた咄嗟に嘘を言っているのか。そこまでは聞こえなかった。
「モモ待ってっ」
放課後、掃除を素早く終えて教室に戻ると、モモが帰る支度をしていた。咄嗟に呼び掛けると、手を止めて顔を上げた。目が合ったのに、モモは目を伏せてリュックのファスナーを閉める。
「モモ、謝りたい」
通学リュックを背負おうと手にしているモモに正直に話す。
「誕プレで賭け事してたのは許せないけど、だからって意地悪しすぎた。ごめんなさい」
教室に誰も居ない事を良いことに、モモの席の近くまで寄って頭を下げる。
「モモはしっかり謝ってくれたのに、私は許せなくて、拗ねて、モモが嫌がることしちゃった。本当にごめんなさい」
許してくれなくてもいいから、しっかり謝りたい。
「うん、嫌だった」
下げてた頭を戻してモモを見る。今度は目が合っても逸らされることはなかった。
途端に泣きそうになる。1日でどれだけの涙を流すのだろう。
「ごめん」
「でも、同じ事をあたしもゆりにやっちゃったんだなって分かった。だからあたしからも、もう1回謝らせて?誕プレで賭け事してごめんなさい」
そういってモモが頭を下げる。
それと同時に何度目かの涙を流す。
「っ……うん、嫌だった」
涙を拭って正直に気持ちを話す。
「高校入って最初の誕プレで、まさか賭け事してたなんて、除け者にされてる気がして、すごく嫌だった」
「うん、ごめんね」
「モモの事困らせようとは思わなかった。けど、それがモモにとっては嫌なこととは思えなかった」
「……もう良いんだよ、ゆり。もとはと言えば朱音が言い出した事にあたしも乗っちゃったのがいけないの。だから、お互い様、ね?」
午後から見えなかったモモの笑顔が、今目の前にあった。もう、一生分の涙を流した気がした。
「てか、元凶の朱音はどこ?」
モモはケロッと笑う。
「ここに居ますよー」
「ちょっ、梓待って」
モモがリュックを背負うと、しれっと入ってきた梓と朱音。朱音は手首を掴まれる形で、梓に無理やり連れられて教室内へと入ってきた。
「出たな元凶め」
モモがおちゃらけるように笑うと、釣られて笑ってしまう。いつの間にか涙は止まっていた。
モモは朱音に近寄って擽りはじめた。声をあげるように笑う朱音だが、梓が未だに手首を掴んでいる為控えめにモモの擽りから逃げようとしている。
そんな2人の様子を微笑んで見ていたら、梓と目が合った。梓は微笑み返して一言。
「ゆりも、許せない部分は擽りで返しな」
徐ろに朱音に近寄って、モモの擽りに加担する。
「ちょっ、ゆりも?!あっはは、まってっ」
朱音ごしにモモと目が合ったら笑ってくれて、思わず私も声を上げて笑う。教室には朱音の大きな笑い声に、モモと私の楽しそうな笑い声が響いていた。
それを微笑ましく見つめる梓は、いつの間にか朱音の手首を離していて、手にはお洒落な袋をカサカサと揺らしていた。




