65話「オレンジー!!」
12月初めにある期末テストも今日で最終日。思いの外、世界史や化学などの苦手教科もちょっとした手応えを感じていた。
台風が来ているのか、テスト中の静かな教室に雨音が響いていた。パラパラとなっていた音が、何故か落ち着いて冷静に頭を回転出来たのだろうか。 雨音で手応えが得られるのなら、これからもそうなってほしい限り。
「ゆり、自転車で帰るの?」
「いや?」
テストも終わり、ホッとしながら帰る準備を進めている。途中、モモからの質問に答えながらも机に鞄を置いて先生が来るのを待つ。
「今日車で来たの?」
「うん、何か台風が近付いてくるからって」
へぇー。とモモが若干興味を持つ。
「モモは? 電車?」
「今日は車。弟を中学に送るついでに」
そっか。と相槌を打った所で先生が教室に入ってきた。
ショートホームルームとはいえ、今日午後から台風が近付いてくることから注意事項が言い渡され、いつもより長めになる。
窓の外の見てみると、1時間目の後に見たときより雨が強くなっていた。 ザーザーと煩い雨音に対抗するように、先生の話し声も大きくなるショートホームルームだった。
普段のように駐輪場に行こうとした私は梓によって止められ、未だに慣れない電話帳を開いた。
「この雨の中を自転車で帰ろうとするのは馬鹿だよ」
梓に呆られた私は、スマホを操作して耳に当てる。
「ごめ~ん」
アハハッと笑うと、梓は溜め息を吐く。笑って誤魔化しながら母の声を待つ。
母との電話も終わり、昇降口でモモ達と別れた私は、より一層強くなりアスファルトに叩きつける雨粒達を眺めながら母の車を待つ。
イヤホンから流れる音楽さえも、雨音によりいつもよりボリュームを上げている。
「茅野さん!」
「イヒォオッ」
右肩を叩かれた私は、変な声をあげたまま右側を見た。
「すっ、菅谷くんか。ビックリした」
「うん、ごめんだけど俺もビックリした」
「あ、ごめん」
ビックリした拍子に取れたイヤホンをポケットにしまって、菅谷くんにどうしたのか質問する。
「車待ってるんだ。茅野さんも?」
「うん、そうだよ」
突然菅谷くんが私の腕を引いて校舎内に入る。
突然の事に脱いだ靴をそのままに、シューズでショーケース前に引っ張られて手を離す菅谷くん。
「突然どうした菅谷くん」
「こっちのがまだ寒くないと思って」
なんて優しい菅谷くん。キュンときた。
「ほら、丁度外も見えるから迎えの車が来たら分かるし、それまでこっちにいた方がいいよ」
俺もここで待つし。と笑う菅谷くん。
「そうだね。じゃあここで待つかな」
赤くなってるであろう顔を菅谷くんに見せないように、外を見ながら笑う私。満足そうに笑う菅谷くんが視界の端にいた。
好きなアーティストの話をしながら車を待つこと20分。
「やっぱり私は、この曲かな。デビュー10周年にメンバー皆で作ったってのが最高。仲が良いのが目に見えるもん!」
「あぁ、俺もこれ結構好き。ラップ調なのが好き」
ある曲に対して雑談しているときだった。
ドドォォン……
「……」
「雷、台風近付いてるのかな」
「そ、だね」
ビックリした。
「茅野さんは雷大丈夫?」
「おっ?おぉっ、ダイジョブだよー」
雷なんてただ音が大きいだけなのだから、全然怖くない。
「そっか。俺さ、小学生のときは凄く怖かったんだよね」
「そうだよね! ホント、雷って怖いよね!」
小学生のときは、誰だって怖いさ。
その後も何分置きかに雷はなり、心臓が飛び出しそうになりながら車が来るのを待った。
ドドォンという音が次第に大きくなる。稲光の2秒後に鳴るまで雷雲は近付いている。
そして何度目かの雷鳴の後、
「茅野さん?」
「ィエェッ」
「茅野さん?!」
「……菅谷くん、お願いがあります」
「……茅野さん」
「腕一本を貸してください」
「ど、どうぞ」
私は、菅谷くんに正直な事を話した。
「怖いなら怖いって最初から言ってくれても良かったのに」
「いやだって、ハズいじゃん! 高校生にもなって雷怖いなんて言えないじゃん!」
「世界中探したら、高校生でも雷怖いって人は沢山いるって」
あぁ、菅谷くんに呆れられてる。
稲光がある度に菅谷くんの腕にすがりつく。
「うあぁあっ光ったぁ! ンギャァア!」
「痛い痛い! 茅野さん締め付けすぎ!」
雨と風と雷のコントラストは不協和音だった。雨と風が強くなり、地震でもなってるかのような感覚になる。
「あ? 茅野さん、迎え来たんじゃない?」
「おかーさ~ん!助けてぇ~」
未だに腕にすがりつく私を他所に、菅谷くんはそのまま下駄箱まで私を誘導する。
「ほら、茅野さんシューズ脱いで」
言われるままにシューズを脱いだ私はシューズを手に取る。と、同時に稲光がなるもんで、菅谷くんの足にすがりつく。
「アカーン!」
「ダイジョブダイジョブ! 茅野さん、せめて腰にしがみついてくれる? 足だと動けないから」
すがりついたまま、雷鳴が聞こえなくなるまで動くことは出来なかった。
「ほら、一緒に行ってあげるから落ち着いて」
「おかーさ~ん……」
シューズを仕舞って靴を履くと、もう昇降口前に見覚えのある車が止まっていた。
「茅野さん、バイバイ」
「菅谷くん、1人で大丈夫?」
頼もしいことに、菅谷くんは1人でも大丈夫だと笑った。菅谷くんのお陰で、無事車に乗ることが出来た私。 一部見ていたお母さんが苦笑いして謝っていたのは知らなかった。
車の中に入ってしまうと雨の打ち付ける音で雷鳴はあまり聞こえなかった。
「ゆり、あの男の子は誰なの? 彼氏?」
「菅谷くんは彼氏とかじゃないよ。ただのクラスメイト」
「それにしては親しくなかった? 腕にすがりついてたし」
「雷怖かったの!」
んふふと笑いながら運転するお母さん。腕にすがりついてた理由を誤魔化してしまうと、本当に彼氏なんじゃないかと思われてしまう。
「んふふ、あ、小学校にも寄るからね」
「へ、なんで?」
台風が近付いている中、小学校に行く用事があるのだろうか。
「そらくんの親御さんがね、仕事場から動けないらしいの」
仕事が大事なのは分かるが、息子さんを迎えに行かないのはどうなのだろう。
家とは別の方向に曲がる車。雨でほぼ見えない道をゆっくり進んでいくお母さん。私も通った小学校への道のりは、雨のせいで見慣れない道に見えてしまった。
「電車が止まっているらしいのよ」
「まぁ、この雨だし、台風近付いていたら止まっちゃうよね」
「家に帰ったらそらくんと2人で待ってて。陸も迎えに行ってくるから」
は~い。と軽い返事をした後で混乱しだす。
「いやいやいや! ムリムリ!」
「1人じゃないんだし、ダイジョブダイジョブ」
「ムリだからー! 数分前に私『雷怖い』って言ったよね? え、私が雷怖い事を知った上でそんな拷問を私に?」
ハンドルを持つお母さんは私の意見をスルーするように前に止まっている車に愚痴を言っている。
「え、無視?」
最愛のお母さんに無視されて空しくなる私。
その後、懐かしの小学校でそらくんを乗せて帰宅した車。だが、悲しいことに車は私とそらくんを家に置いてまたしても何処かに走っていった。
「……ゆりお姉ちゃん?」
「おぉ、そらくん。寒いよね、入ろうか」
何故か玄関のドアは鍵が掛かってなかった。
いくらなんでも鍵は掛けようぜ。と今はいないお母さんに心の中で愚痴りながら、そらくんをリビングへと招く。
「寒いね~」
「そうだね~」
リビングに入って直ぐにストーブをつける。
「そらくん、何か飲む?」
「オレンジー!!」
「好きだね~」
制服のままキッチンに入る。そらくん用のコップを手にして冷蔵庫の前に立つと、設置されてるホワイトボードにお姉ちゃんの字が書かれていた。
「おっ。そらくーん! チーズケーキ食べるー?」
「食べるー!!」
即答のそらくんを笑いながら、コップにオレンジジュースを注ぎ、1つずつラップにくるまったチーズケーキを手にしてリビングのテーブルに置く。
自分自身の麦茶とチーズケーキを持ってリビングに戻ったときには、ラップを剥がして食べ始めようとしていたそらくんがいた。
雷鳴が気にならないように、カーテンを閉めてテレビの音量を普段より大きくする私。
「うっまぁ~」
「うっま~だね」
「違うよ! うっまぁ~、だよ」
「うっまぁ~?」
「そ! 僕、理沙お姉ちゃんのチーズケーキ大好き!」
そっかー。と相槌を打った後で、素早くスマホを操作して録音アプリを起動させる。
「そらくん、もう1回言ってくれる? 僕、がなんだっけ?」
「ん~? 僕、理沙お姉ちゃんのチーズケーキが大好きだよ!」
そっかー。と相槌を打った後で、心の中でガッツポーズを決める。これを口実に、またチーズケーキを作らせるのだ。
チーズケーキを食べ終えた時、今日1の大きさと言っても過言ではないくらいの雷鳴。
「ぅあぁぁ!」
ビックリしたと同時に、テーブルの下に収まっていた足がテーブルにゴンッと当たった。
「なにっ、何の音っ? ゴンってなった!」
そらくんは雷音ではなく、そちらの音に敏感に反応する。
「ごめんそらくん、私の足がテーブルにぶつかった音だから、気にしないで」
地味に痛みだした膝を擦りながら言うと、そらくんはホッとしていた。
「大丈夫?」
「うん、大丈夫。てか、そらくんは雷怖がらないね、大丈夫なの?」
「大丈夫だよ! 全然怖くないよ!」
夏休みの肝試しは泣くほど怖がっていたのに。
雷を怖がっていないそらくんを見て、なんだか裏切られた気分。
普通に考えて小学生は雷を怖がると思っていた。あの菅谷くんだって小学生の時は怖がっていたというのに、目の前のそらくんは全然雷を怖がっていなかった。 今も平気に外の様子を伺っている。
「……あ、もしかしてゆりお姉ちゃん、雷が怖いの?」
この子、ド直球すぎない?
「……ゆりお姉ちゃん、大丈夫?」
心配そうにこちらを見つめてくるそらくん。その後ろではカーテンの隙間から稲光が見える。
そらくんがいる手前、お姉さんである私は強がってしまう。が、そうしようとした手前、本日何度目かの雷鳴。咄嗟に耳を手で塞ぐ私。
もうホントに嫌だ。お化けとか幽霊には興味が湧いて逆に『もっと』とねだるぐらいには好きなのに。
雷はどうしても駄目だ。
雷鳴が聞こえなくなるまで耳を塞いでいたら、そらくんがこちらに駆け寄って私の膝辺りに手を置く。
「大丈夫だよ、ゆりお姉ちゃん」
「……うん」
深呼吸して耳から手を離す。
「ゆりお姉ちゃんは、僕が守るよ」
「そらくん……」
ちょっとトゥンクしてしまったが、相手は小学生で、しかもお隣さんの子。
ダメダメ、小学校と高校生の恋ってなによ。どこに需要ある?
忘れよう。
首を振った私を心配げに見つめてくるそらくん。
「ゆりお姉ちゃん?」
「うん、ありがと、そらくん。もう大丈夫だよ」
「良かった」
そらくんの笑顔が可愛くて笑っていると、数分前と同じような大きな雷鳴。
「ぎゃぁぁあ!」
そして電気が消えた。
「……うそだろぉ?!」
どう考えても停電だ。
「だっ大丈夫だよ! ゆりお姉ちゃんは僕が守るからね!」
そらくんの頼もしい声が聞こえるが、生憎そらくんの顔が見えない。
原因はカーテンなのは分かっている。だからといってカーテンを開けることなんて怖くて出来ない。
もし仮にカーテンを開けてそれなりに明るくなってみろ。今度は稲光と雷音のダブルコンボで怯えることになる。そんなの私の心臓が疲れるだけだ。
どうしようかと考えようとしても、結局雷鳴が私をそうさせてくれないのだ。
「ゆりお姉ちゃん、大丈夫?」
「……うん、大丈夫だよ」
「ゆりお姉ちゃん、懐中電灯ってどこにある?」
そういえば懐中電灯、と思い立ったら直ぐに行動に移す私。
「確か、下駄箱の中に1つあったはず」
リビングを出て、玄関脇の下駄箱を開ける。シルバーの持ち手の懐中電灯が2本あった。
「お、2本とかありがてぇ」
1本を手にして灯りをつける。白い光が玄関を照らす。お母さんとお兄ちゃんはまだ帰ってこないようだ。
「良かったぁ」
そらくんの顔を灯りで照らすと、心配そうに、それでもホッとしたのか柔らかい笑顔を見せてくれた。
「うおっ、みいちゃんいたの」
そらくんの後ろをゆっくりと歩いてきたみいちゃん。帰ってから見えないから忘れていた。
「みいちゃんだー。久しぶりだねー」
私達を無視してみいちゃんはリビングへと入っていった。
1本をそらくんに預けた私は、もう1本でリビングの扉を照らす。
確認と称して、ブレーカーを見てみたが、やはり停電らしくブレーカーに異常はなかった。
「はぁ、おかーさん早く帰ってこないかなぁ」
「……怖い?」
「……やっぱり怖いよね」
おちゃらけてみせたがそらくんには通用しないのか、笑ってくれなかった。
「……やっぱり僕1人じゃ頼りないよね」
「そんなことないよ」
そらくんの表情は悲しそうだった。
ニャー、と場違いのような鳴き声と共にそらくんに寄り添うみいちゃん。
悲しそうな顔のそらくんも、みいちゃんが近寄ったことで少しだけ表情が和らいだ。
そらくんの足に寄り添って伏せたみいちゃん。そんなみいちゃんを撫でるそらくん。
「そらくんには助かったよ」
「え?」
停電して10分。それなりに余裕が出てきた。
「ホントに助かったんだよ?」
「そう、かなぁ?」
「確かに雷も停電も怖いけど、それは誰が一緒だろうと私は怖かったと思う。今はそれなりに余裕出てきたけど、雷鳴ってる中、留守番とかめっちゃ怖い。 お兄ちゃんでもお母さんでも私は弱音を吐いてる自信がある! もし仮にそらくんが居なくて1人で留守番してたとしたら、今頃絶対泣いてるから」
「えっ、ゆりお姉ちゃん泣いちゃう?」
「うん、そらくん居なかったら泣いてたよ。だから、そらくんには助かった」
「……そっかぁ」
やっと心からホッとしてるそらくん。
リビングが急に明るくなって、停電が治ったことが分かる。
「やっと付いたー」
「良かったね~」
「ね~」
懐中電灯を消して、ふと雨の音も雷鳴も聞こえない事に気付く。
そっとカーテンを退かして空を覗いてみる。
沢山あった灰色の雲は少なくなっていて、雨は弱くシトシトと降っていた。
雷鳴は、耳を澄ましてみても聞こえなくなっていて、何処かにいったようだった。
カーテンを完全に開けて遠くの空を見てみると、ある方向にカラフルな橋が見えた。
「そらくんっ、虹!」
「えっえっ、ホントー?!」
私の横に駆け寄ってきたそらくん。指差しで教えると、「わぁあ!すごーい!」と興奮してる。
虹を見つけた私自身もスマホで写真を撮りながら興奮している、見覚えのある車が車庫に入っていった。
「お母さん帰ってきたっ」
「帰ってきたー!」
撮った虹の写真をそのままに玄関まで駆け寄っていった。