64話「ナゼッ?!」
ストーブ火傷事件の次の日に、病院で見てもらったところ、処置が完璧だったようで塗り薬を貰った。 その塗り薬を使うと、あら不思議。順調に治っていき、1週間後には殆ど治ったのだ。
本の少しの火傷の痕が掌に残っているが、痛みは全くなく、授業の版書もスムーズに取れる。
来週から期末テストがあるため、遅れている授業はペースを早めている。
現在の4時間目の化学もペースを早めているため、黒板の字がいつもより汚い。 お陰で最後席の私は、眼鏡を掛けていても何の字なのか分からない時がある。
1週間前のストーブ火傷事件で消えてしまった教室のストーブは来週には戻ってくるらしい。
先生達の計らいで、寒くてテストに集中出来ないだろう、と考えて少し早めに返してくれるとのこと。
期末テストを終えると、後は冬休みを待つばかり。テストはやりたくないが、冬休みは早く始まってほしいと思ってしまう。
火傷痕を見ると、事件当時から今日までの出来事を思い出してしまう。
家ではお兄ちゃんが凄く心配して、朝や夜はご飯を『あーん』と差し出してくる。 右手が使えなくても、左手でスプーンなら食べられると言うのにだ。ウザイったらありゃしない。
おまけにお風呂も一緒に入ろうとするのだ。心配してくれるのは有り難いが、私は思春期真っ盛りの女子高生だと言うのに、お兄ちゃんは脱衣場で真っ裸で待ち構えているのだ。 仕方なく1日だけ一緒に入ったが、その日以降は断固拒否した。
学校では朱音がウザイくらいに心配してきた。お兄ちゃんと同じように、昼食に『あーん』をしてきたのだ。
お母さんの計らいで、左手でも食べやすいようにスプーンを入れてくれたり、小さな串がおかずには刺さられていて左手でも早く食べられるようにしてくれた弁当。
朱音はそれを強奪して、スプーンでご飯を掬って差し出すのだ。小さな串もそのままで良いのに、串からおかずを取り、スプーンに乗せて差し出してくる。
朱音はそれだけではなく、移動教室の際には私の分の荷物までも持とうとする。
美術の移動の際は、絵の具やら教科書やらと、美術に使うものが入っている大きな手提げを持とうとする。 大体の人は肩に掛けているそれを、私が肩に掛けようとすると、ヒョイっと取り上げて朱音が手にしてしまう。
主にこの2人のお陰で、掌の火傷は治ってきたが、私の中のプライドが砕けてしまった。
そして、またこの時間。
もう右手も殆ど治っているにも関わらず、朱音は『あーん』の楽しさに今でも隙があればやろうとしてくる。
「ゆーりっ」
「『あーん』はもういいからね」
「えーっ?」
良いじゃん良いじゃん! とせがんでくる朱音を交わしながら、教壇に腰かけている梓の隣に座る。
「え、なに」
「なに?」
梓がこちらを見て問いかけてきたことで、釣られて私も梓をみる。
「ゆりはこっちじゃないの?」
目の前の誰も座っていない席を指差す。
「あー……うん、いいよ。もう殆ど治ってるんだし、いつも通り梓が座りなよ」
火傷をしてから学校での昼食の際は、私が机に弁当箱を広げて席に座って食べていたのだ。しかし、それももうしなくても良いだろう。
弁当箱には未だにスプーンが入っている。小さな串に刺さられているおかずたちもある。
「ゆり、やっぱりまだこっちに座る?」
「いや、いいよ。大丈夫」
私の弁当箱を見たのだろうか、梓が心配そうに見つめてくる。
「じゃああたしが食べさせてあげる!」
「もう良いって言ってんだろ」
恥ずかしいの~?とニヤニヤしながら尋ねてくる朱音。
「そうだよ、恥ずかしいんだよ」
答えるのも恥ずかしくて赤くなってる顔を見られたくなくて弁当箱に食らいつく。
右手にスプーンを持ったのを見て、朱音がまたアワアワし出すのを横目に咀嚼をする。
朱音や梓が心配する中、意外とモモは普通に接していた。
火傷直後の時は1番に駆け寄ってきて、私を保健室に連れていってくれた。
心配していないのかと思っていたが、火傷から4日後に包帯が取れた私の右手に1番に反応していたので、やっぱり心配はしていたのだろう。
今週には絆創膏もいらなくなり、塗り薬だけになってからはいつも通りに私にスキンシップしてくる。 今だって、スマホでゲームをやってるらしいモモ。 スマホ画面を凝視しながら、自分で作ってきたというおにぎりを頬張っている。
昼食後の余った昼休み時間を利用して、早くも体操着に着替え始めるのは男子。そんな中、女子は何の反応もないままお喋りに興じている。
私達も同じで、まだ食べ終えてない私を囲みながらゲームやらアニメやらの話題で盛り上がっている。
今週に入ってからやっと体育が出来る事に嬉しく思っていた。先週の体育は全て見学で、マラソンが出来ていない。 2学期が終わるまでには最低でも10回はマラソンをしなければいけないのだが、私はまだ半分しか終わっていない。
来週は約1週間テスト期間で潰れるため、今週含めて後7回しか体育はない。 腹痛で休んでいる暇はない。ましてや、雨でマラソンが2回以上潰れたら、私は補修だ。
グラウンドでの準備体操も終えて、校門までの距離を早足で向かっていると、先生が駆け寄ってきた。
「茅野、無理するなよ」
「それ、昨日も聞きました。大丈夫ですよ」
「昨日は痛くなかったか?」
「痛くはないです」
それならいい。と先生は先頭集団の方へ掛けていく。
校門まで着くと、先生の合図で皆が左の歩道に走っていく。私もモモ達も後を走る。
学校の周りを左回りで走って、男子は20分、女子は25分で校門まで辿り着かなくてはいけない。
走りはじめて10分。学校から少し遠くの交差点を左に曲がった頃。
同じ感覚が右手に。
「でもさ、やっぱり思うわけよ。そりゃ怖いかもしんないけど、そこは頑張ろうよって、思うわけよ。ね?」
「まぁ、しょうがないんじゃない? 誰にだって怖いものはあるでしょ」
私の前では、モモと梓が横に並び、会話をしながら走っている。
そんな2人の前では、息が早くも荒くなっている朱音。私は2人の後ろを走っている。
「朱音、遅くなってるよ」
「ほら朱音ー、頑張んないとー」
「分かってるっ」
梓とモモが朱音の背中を押す後ろで、私は右手を軽く横に降る。
昨日から痒いのだ。でもきっと、これは掻いちゃダメだと思う。余計に悪化しそうだ。
「ねー、ゆりは? ゆりは何か怖いものあ……」
「……ん?」
右手に向けていた視線をモモと梓に向けると、2人はこちらを向いていた。
「……怖いもの? 怖いものは――」
お化け?
「ゆりさ、右手痛いなら早くに言いなよ」
「あ、違う違う。痒いだけだよ」
勘違いから顔を強張らせている梓がポカンとするが、無視して話を進める。
「昨日から痒くってさー」
笑う私を見て、梓とモモと朱音は動きを止めてしまった。
丁度真ん中を走り抜けて私は足を早めた。
「行っちゃうぞー?」
少しして後ろから3人が迫ってきた。
「こわっ」
思わず逃げてしまったが、モモに捕まって4人で歩く。
「あーっ、モモまた足早くなった?」
「まぁねっ。てか、ややこしい事しないでよ」
「いや、そっちが勘違いしたんじゃん」
息を整える私とモモ。梓は勘違いから未だに恥ずかしがっていて何も言わない。
「てか、痒いって大丈夫なの?」
「乾燥して痒いんだと思う」
「マラソン終わったら薬塗ったら?」
「んー……」
病院の先生からは『朝と夜に塗ってください』としか言われていない。痒みが出たからといって塗っていいのだろうか。
「でも、軽い火傷って少しした後で痒くなってくるでしょ」
梓が喋った。
「おぉ、梓。喋ったね」
「五月蝿いな。あれはゆりが悪い」
「ナゼッ?!」
「でも確かに、油はねとかで火傷した後って、忘れた頃に痒くなってくるよね」
「あぁ、分かる。何か痒いなぁって掻いてたら、油はねで火傷した所だって気付いた頃にはもう、ね」
「皮が剥けて、あぁやってしまったって」
「なんか……」
「「「虚しくなるよね」」」
私以外の3人がいつの間にか共感していた。
共感できてない私の方が虚しいわ。
学校まであと少しの最後の曲がり角には見回りの先生が居た。
「おらっ、後5分だぞ」
ここから学校まで何分なのか分からない私達は焦った。
「やばいやばいっ」
「こっから学校まで、確か5分ぐらい?」
「徒歩ではね、走ってるんだから4分で着くんじゃない?」
「でも、ビリはやだよね」
朱音が足を早めた為、距離が空いた。
「確かに、そうだけどっ」
続けてモモも足を早めた。
「……まじか」
梓と私は顔を合わせた後で足を早める。
確かにビリだけは嫌だ。一心不乱に校門まで全力ダッシュをした。
「おー……はえぇな」
そんな私達を先生だけが見守っていた。
体育は朱音のビリで終わり、スッキリした気分で終える。いつの間にか右手の痒さも気にならなかったのには驚いた。
「あれ、ゆり薬塗った?」
「塗ったよ」
体操着から制服に着替え終えて、手提げ鞄に体操着を詰める。
丁寧に体操着を畳んでいると、近くに朱音が居た。
「もう痒くない?」
「んー、うん。痒くないよ」
そっか。とだけ聞こえた。
その後、6時間目の英語が始まり、右手の心配はなくなった。
今週から自転車通学が再開した。火傷した日の下校が車になってしまった為、昨日の登校時は車だが、下校時は久し振りに自転車に跨がった。
「ゆり、気を付けて帰るんだよ」
「うん、それ昨日も聞いた」
校門前での朱音からの忠告に嫌気が差す。
「右手だけは死守しろよ!」
「私は帰宅中に何があるの?!」
久し振りに本気のツッコミをした気がする。
「ん! 切れのいいツッコミ!」
「大丈夫そうだね」
「じゃーねー」
いや、切れのいいツッコミと私の体調はイコールで繋がってないから。
朱音のボケ発言のようにはならずに、右手も無事だ。死守する場面がなかった。
自転車を庭に置いて玄関の扉を開けると、ペットのみいちゃんがちょこんっと座っていた。 ドアの音に合わせてこちらを向いたみいちゃんは、そのまま歩み寄ってきた。
「みいちゃん、ただいま~」
みいちゃんはあまり鳴かない子なのだが、何故か今のみいちゃんはニャアニャーと鳴く。
「ん? どしたの?」
靴を脱いでその場にしゃがんでみいちゃんを撫でる。
「んー? もしかして、私の帰り待ってたとか?」
んにゃぁあ、と一際大きく鳴いた。
そうだよー! と肯定しているのか、違うよー! と否定しているのか。どっちなんだい、みいちゃん。
みいちゃんと共にリビングに入ると、ソファに誰かが横たわっていた。
覗き込んでみるとお母さんで、周りには畳まれた洗濯物があった。
「みいちゃん、シーだからね」
小声でみいちゃんに人差し指を立てながら移動する。
制服のままあちこち歩き回るのはダメだとお母さんは言うけど、今回だけは許してね。
ソファ周りに置かれている洗濯物の中から、水玉模様のブランケットをお母さんの体に掛ける。
ニャーと鳴くみいちゃんに、食い気味に人差し指を立てる。
「みいちゃん、今お母さんが寝てるから、シーっだよ」
みいちゃんに駆け寄って小声で注意をするが、意味はあるだろうか。
お母さんを起こさないように、周りの洗濯物を各場所に置いていく。
バスタオルやタオルはお風呂場の脱衣場に。
お兄ちゃんやお姉ちゃんの服、下着は各部屋に。タンスに入れようとしたが、ゴチャゴチャしてしまう可能性があったので、ベッドの上に置いておいた。
お父さんとお母さんは寝室が一緒なので、枕元に服を置いとく。
そうして、最後に私の服などをタンスにしまって、制服から部屋着に着替える。
「みいちゃん、邪魔かな~」
洗濯物置いているときから、私の少し後ろをトコトコと歩いていたみいちゃん。
「みいちゃん、踏んじゃいそ……」
着替えている私の足元をウヨウヨしていて、踏んじゃいそうで怖い。
踏んじゃいそうなみいちゃんに苦笑いしながらも、何とか着替えを終えた私。しゃがんで手を広げるとみいちゃんが寄ってきた。そのままみいちゃんを抱えてリビングに戻る。
未だに寝ているお母さんを起こさないように、台所でコップに麦茶を注ぐ。 冷蔵庫を閉める音にも起きないお母さん。疲れていたのだろう。
台所の前に設置されてる大きいテーブルにコップを置く。静かに置きたい時に何故か音が大きくなってしまう。
6つある椅子の1つに腰掛けて体を伏せる。
帰って早々に家の中を歩き回ったせいか、それともソファに寝てるお母さんを見て影響されたのか。眠くなってきた。
足元でみいちゃんが歩いている感覚が伝わってくる。
あ、これは寝ますわ。おやすみ。




