63話「電話しろよ」
約50分間、私と浅井先生は色々話をしながら過ごす。
ずっと水道に立って右手を冷やすのは足が疲れてしまうからと、浅井先生が桶に水を張ってくれた。 お陰で、テーブルに腰掛けながら右手を冷やせた私。
会話は、火傷に至る経緯やら、初めて火傷を負った私の感想やら。私が火傷をしたことは、浅井先生から担任の先生に話しとくという。
「大丈夫? 寒くない?」
時折、浅井先生は右手を見ながら私の体温を心配する。
11月も中旬、どんどん寒くなっている今の時期に手を冷やすのは酷だ。浅井先生は、そんな事を考えて膝掛けを貸してくれた。
「大丈夫です」
そう答えると、浅井先生は安心するように笑う。
もう少しで5時間目も終わる頃、私は再度右手を見る。
はじめの頃よりは赤みが治まってはいるが、まだちょっと痛々しい。水膨れも気になってしまう。 それと、なんだが火傷した部分が腫れている気がする。
「先生、水膨れはどうしたらいい?」
何かの薬を探しているのか、さっきから棚を色々物色している浅井先生に疑問をぶつけると、クルッとこちらを振り向く。
「う~ん、あまり弄らないで。破っちゃったらそれはそれで痛いし、傷口から菌とか入ってもっと悪化しちゃうよ~」
笑顔でサラッと酷いことを言う浅井先生。もうちょっとオブラートに言ってほしかった。
浅井先生はまたもや棚を物色し始める。
スマホは教室に置いてきてしまって、浅井先生との会話が時間を潰すのに最適だった。 でもそんな浅井先生も何やら薬を探すのに忙しそうで、1人ポツンとテーブルに腰掛けて右手を冷やしている。
冷やしている右手を凝視しながら、今後の事を考えていた。
まず、お母さんに何て言えばいいだろうか。普通に『ストーブで火傷しちゃった~テヘペロ』と言えばいいのだろうか。 あの人は傷に厳しいから怒られるかも。
親バカではあるが、今回の事で学校にクレームとかはしない人なので、そこは問題ないだろう。
次に、火傷が治るまでの授業だ。残念な事に私の利き手は右だ。そうなったら、水膨れがある手にペンを持つことになる。 まだ、食べる動作は左手にフォークとか使えば大丈夫だろうが,書く動作はどう考えても右手だ。
利き手ではない左で書くのと、利き手であるが火傷を負っている右では、まだ右の方が安定感はあるだろう。
よし、右手で版書を取ろう。
一番の問題は、回りの皆に迷惑を掛けないことだ。
家でも学校でも、迷惑は掛けられない。火傷を負ってしまったのは私自身の危機管理能力の低さが原因だ。
学校では特に団体行動が主だ。そんな中で、利き手が火傷してるからって理由で迷惑は掛けられないだろう。
「先生、私のこの火傷ってどれくらいで治りますか?」
「う~ん、2、3週間かなぁ」
「そんなにぃ?!」
長いよ!!
「あ、でも個人差があるからねぇ。早く治るかもしれないし、遅く治るかもしれないし」
私は体は頑丈だし、治癒再生能力も高い方だろう。早く治るはず!!
5時間目終了のチャイムがなった。確か6時間目は、保健体育。
「あっ! 体育!」
着替えなきゃ行けないから早く教室戻らないといけない。
「なに、体育やるつもり?」
「そりゃやりますよ! マラソン今のうちにやっとかないと、後で辛いんですから!」
右手の火傷以外は怪我もないし、ましてや心は元気いっぱい。“やらない”という選択肢がどこにある。
「駄目よ?」
「なんでぇ?!」
浅井先生は道具を持ってこちらに来た。そのまま私の右手を桶から取る。
渇いたタオルで軽く拭いてから処置を始めた。
「激しい運動はしないで。もし手を使わない運動しても、傷口が蒸れて悪化する事になるよ?」
「そんなぁ。じゃあ今日は走らないから明後日くらいからなら大丈夫?」
「う~ん、せめて1週間はやらないでほしいんだけどなぁ」
1週間?!
「体育の先生には私から言っとくからさ、ね?」
浅井先生は私の顔を覗き込んできた。上目遣いで訴えてくる浅井先生に、私は渋々了承するしか出来なかった。
包帯グルグルと巻かれている状態の右手。大袈裟のように見える右手の状態に苦笑いしながら教室に入ると、丁度皆がジャージに着替えている最中だった。
「ゆりー!! 大丈夫?! 痛い?!」
「赤み少しは引いたみたいだね、良かった」
「ゆり! 体育は見学でいいよね?」
席に着くより先に、朱音と梓、モモの順番に話しかけてきた。
「すぐ保健室行って冷やしたから赤みも引いたし、痛みも和らいでるから大丈夫。 でも、浅井先生に1週間は安静にって言われた」
安心されるように笑うと3人もホッと胸を撫で下ろす。
「今日帰れるの? 自転車どうすんの?」
「え、帰れるよ。普通に自転車漕ぐけど」
モモが疑問を次々にぶつけてくる。それにサラッと答えると回りで聞いていた人達から反論が飛んできた。
「茅野さん?! 浅井先生から安静にって言われたんでしょ!?」
「そうだよ! 右手がそんなんじゃバランス取るのも大変じゃん!」
「やめときなって。まじで」
「親居ないんだったら、俺今日車で来たから乗せてくよ? そうしよう? てか、そうして?」
「今日おばさんいねぇの? お兄さんとか、お姉さんでも誰かしら居んだろ。電話しろよ」
順番に、霧山さん、檜山くん、坂本くん、岩下、卜部が反論してきた。
「ゆり、無茶ダメ、絶対。ね?」
私が何か言う前に、モモが私の目を真っ直ぐ見て説得してくる。
回りで反論を言ってきた皆も私が頷くのを待っているようだ。
「……分かったよ。帰るときに電話するから」
回りの皆は納得したようにバラバラに教室を出ていく。
なんか、今日はモモに勝てる気がしない。
皆が赤いジャージでいる中に、私だけが紺色の制服のままなのが恥ずかしい。
「茅野さーん、こいつらが話したいことあるってー!」
グラウンドに行く途中、昇降口に駄弁りながらグラウンドシューズに履き替えていると、外から誰かが私を呼ぶ。
聞こえてきた言葉を復唱すると複数人が私に話をしたいとは。さては集団告白か。
「ちょっと急かすなよ男子! ゆりは右手使えない状態なんだよ?!」
外から聞こえた声の主に中庭さんが反論する。
別に右手が使えない訳ではないが、グラウンドシューズが普通の靴より大きいからか、包帯でグルグルになってる右手ではそう簡単に履くことは出来ない。
「中庭さん、大丈夫だから。怒らない怒らない」
ガチでキレそう5秒前の中庭さんを宥めながら立ち上がると、外に駆け寄って声の主に見つける。
声の主は大塚くんだった。一緒にいるメンツは、大塚くんと仲が良い畠山くん、鈴木くん、引田くん、山上くん、佐藤くん。
そういえばあの時もこのメンツで群がっていたのを思い出した。
「あー……ごめん、なさい」
「ちゃんと謝りなよ」
最初に口にしたのは鈴木くんだった。それに口を挟む大塚くんは若干怒り気味。
大塚くんだけは、あの時教室に居なかったから、後で事情を聞いたのだろう。
「別に無理して謝らなくていいよ」
私の言葉に、浮かない顔をしていた鈴木くん達や怒り気味だった大塚くんもポカンとしていた。
「鈴木くん達も、あの時わざと私に当たったわけじゃないんだし、無理に謝らなくていいよ。あれは私があの場にいたのが悪いし」
火傷を負ったのは嫌だけど、それが鈴木くんのせいなのか、って問われれば私はノーと答える。 だってあの時は、私のバカな考えであの場に留まっていたから。
鈴木くん達を安心させるように笑って見ると、鈴木くん達はお互いに顔を見合わせてから口を開いた。
「「「ごめんなさい!!」」」
「「ありがとう!!」」
ん~? なんか別々な言葉が同時に聞こえたぞ?
「バッカ、ここはありがとうって言うとこだろっ」
「はぁ?茅野さんは優しいから、あえて謝んなきゃだろ!」
何故か口論が始まってしまった。大塚くんと私は、そんな鈴木くん達をポカンと見ていたが、グラウンドに皆が並んでいるのが見えた。
「落ち着いてー、もう皆並んでるから」
口論していても私の声は聞こえているようで、咄嗟にグラウンドをみて駆け出した。慌てて後を追うように大塚くんも駆け出す。
マラソンで皆がいない中、私は校門付近に座って先生と会話をして体育をやり過ごす。
2組の人達からは物珍しものを見るように何度も右手を見られていた。
体育も終わり、今日の授業がすべて終わった。私は席に座って机の引き出しから筆箱やらファイルやらを鞄に仕舞っていく。
「あっ……」
日誌も入っていたことで日直だった事を思い出した。日直だった事を思い出したら、私の仕事を他の誰かがやってくれた事になる。
黒板が綺麗になっているのも、体育の間に鍵を管理していた人も、誰がやってくれたのか分からない。
私は後ろの席の卜部に声をかけてみる。
「ねぇ卜部、私がいない間に黒板消してくれた人って誰か分かる?」
筆記用具などを仕舞っていた卜部が手を止めてこちらを見た。
「えっと、霧山が消してた気がする」
霧山さんは、明日が日直のはずだが。
卜部に軽く感謝して、今度は前の席の霧山さんに声をかける。
「霧山さーん、黒板消してくれたのって霧山さん?」
肩をトントンと叩くと振り向いてから頷いた。
「そうだよー。どうした? あ、日誌も書いとく?」
霧山さんは日誌を手にしようと差し出してきた。咄嗟に日誌をガードした私は感謝の言葉を口にする。
「ありがとう。ごめんね、霧山さんは明日が日直なのに。日誌は私がちゃんと書いとくよ」
本当にありがとう。と口にすると、霧山さんは「大丈夫だよー」と気丈に振る舞う。
担任の先生が入ってきたことで会話は終わり、ショートホームルームが始まった。
先生が話している間に日誌を書き終えようとしたが、私の火傷の件が話題になり、それどころではなくなってしまった。
「……つまり、当分このクラスのストーブは職員室にいきます」
まじか。
私がこんな火傷を負ってしまったことで、私達のストーブがなくなるらしい。
「期間はまだ定まってないけど、とにかく火傷をしてしまったのは事実だから、それが治るまでは職員室に置いておこうと話になりました。 異論は認めません」
唖然としている私を他所に、先生は続きを話していく。
右手の火傷が治るまでは職員室に、って……どう考えても可笑しいでしょ。 私が反省文書くならまだしも、クラスの全員がその期間は寒いことになる。なんで全体責任になるんだ。
ホームルームも終わってしまい、掃除が始まる。
右手を上手く使って机の前に運ぼうとしたら卜部に止められた。
「ありがとう」
卜部に感謝した私は、鞄に手に先生の元に駆け寄る。
「先生、私が反省文を書くとかはないんですかっ」
私の抗議で罰が変わることを祈る。
「茅野さん、右手は大丈夫なの?」
先生は私の言葉が聞こえないように無視をした。
「この時期にストーブ没収はないですって! 聞いてます?!」
若干キレている私に対して、先生はため息を吐いて口を開く。
「茅野さんが火傷したからって、茅野さん1人が罰をしなきゃいけないわけでもないの。 確かに茅野さんの危機管理がないのもそうだけど、ストーブがある近くでふざけてた男子達や、それを止めなかった他の人も悪い。 だからストーブを没収する」
先生の言葉は、改めて考えてみると正論だった。
結局、正論を言う先生に反論することは出来ず、掃除中にストーブは教室からなくなった。
モモ達や中庭さん達、ほかのクラスメイトにも出来るだけ謝罪をしたが、皆笑顔で許してくれた。 逆に、右手の心配をされた私は、掃除をさせてもらえずに教室を出る。
左手でスマホを持ち、右手の人差し指で操作する。
「ゆり、ゆっくりでいいからね」
「うん、ごめんね待たせて」
家に電話するのだけで面倒くさく感じる。
いつもは右手で右耳に当てる動作も逆になって、なんだか違和感を感じながら母の声を待つ。
なんとか書き終えた日誌を職員室に持っていくと、先程まで教室にあったであろうストーブが端の方に置いてあった。
職員室に入って左側には大きなホワイトボードがある。その日その日の欠席者や早退者などを記入する所がある。 これも日直の仕事なのだが、私がペンを手にしようとすると、副担任の先生が急に横に来てペンを持つ。
「今日欠席者いないよね?」
突然の事に驚いた私だが、ハッとして副担任に答える。
「あ、はい。欠席者も早退者もいないです」
そう言うと、副担任は1年1組の欄に数字を書く。
「いやぁ、左手で書くと思ったからビックリだわぁ」
「あ、ありがとうございます」
どうやら副担任は、私が左手で書くと思っていたら、右手にペンを取ろうとしたから小走りで隣に現れたらしい。
「まぁ、迷惑だとか考えずに、なんでもクラスの奴に頼めよ」
副担任は私の頭に手を乗せたまま微笑む。「はい、分かりました」としか言いようがない私を他所に、副担任は職員室を出ていく。
やっぱり目立つのか、校舎を出ると同輩やら先輩の目が私の右手に集まってる気がする。恥ずかしい。
「車来るまで待ってようか?」
「いや、そこまでしなくていいよ」
朱音の提案に私は即行お断りした。いくらなんでも車待つぐらい右手火傷してても1人で出来るぞ。
「そっか、じゃあバイバイ」
モモ達は駅方面に歩いていった。
なんか、今日の火傷のせいで色々疲れた。迷惑かけないようにしようとしても、向こうから突っ込んでくる。
今日から1週間。1週間頑張れば火傷もほぼ治るだろう。1週間の我慢だ、自分!!