47話「ねぇまーだー?」
「……やらせてって、何を?」
「だからっ、俺と、そのっ……ッチ……」
「え?なんて?」
「っ、エッチ!!」
「……はぁ?!」
やらせてって、ヤらせてって事?!
「やらせてくれよっ!」
意味が分かった私が口を開くより前に、久保田君に肩を捕まれた。
「いっ、み分かんねぇよ!!」
股間を蹴り上げた。久保田君が悶えている間に反論する。
「大体!久保田君モモと付き合ってるでしょ?! 何でそんな事私に言うの!?それからっ! まだ高1なんだから清き良い交際をしろよっ!!」
私の声が多目的ホール全体に響いた。私と久保田君の息遣いだけが聞こえる。
その場にいるのが気まずくなった私は何も言わずに校門まで戻る。
「あっ、ゆり!やっと来たぁ!何話して――」
「私もう帰るね!バイバイ! あ、久保田君が近付いてきたら逃げなよっ!バイバイ!!」
スタンドを上げて自転車に股がった私は、そのまま朱音と分かれる。
「……え?」
土曜日と日曜日は忘れるようにゲームをやり尽くした。
のに、月曜日の朝になると思い出してしまう。
久保田君と会いたくない。学校に行きたくない。
「ゆり?食欲ない?」
「どうした?風邪か?」
「かっ、風邪?!大丈夫?!ねつっ、熱は?!」
持っていた箸は何の役にもならなくて、白いご飯を摘まんでは戻して、摘まんでは戻してを繰り返す他なかった。 見かねたお母さんの一言とお父さんの推測で、丁度居合わせたお兄ちゃんが慌て出した。
お姉ちゃんがいないと思ったら私より早く食べていて、今は自室で支度中のようだ。
「ゆり、無理しなくていいのよ?」
「お母さん、お父さんが休みの電話しとくか?」
「ゆりっ、大丈夫だからなっ!お兄ちゃんが付きっきりで看病してや――」
「陸、遅れるわよ」
「お母さん!ゆりが苦しい時にそんな事言ってられないよ!」
「陸、お父さんに任せなさい」
「ほら陸?仕事、頑張ってらっしゃい」
お父さんとお母さんとお兄ちゃんがコントをしているのを横目に見ながら、学校行くか行かないかを考えていた。
結局、モモには本当の事を言った方が良いと思い、学校に行く事を決意する。久保田君にもう一度ガツンと言わなきゃ気が済まない。
「ゆり?無理しなくていいのよ? 気分悪くなったり、熱あるって思ったら保健室にね?今日はお母さん家にずっといるから、電話して迎えに行く事も出来るからね?」
未だに風邪だと疑っているお母さんに元気に対応して心配させないようにする。
「ホントに大丈夫!じゃあ行ってきます!」
漕ぎ始めて少しして後ろを振り向くと、未だにお母さんが見えた。
「ゆり!おはよー!」
久保田君に何と言おうか考えていると名前を呼ばれた。俯いていた顔を上げると、朱音と梓がこちらに手を振っていた。 モモがいないことを不思議に思いながら手を振りながら駆け寄る。
「モモは?」
「少し遅れるって」
「昨日誕プレ買ったらしいよ。それのラッピングを自分でやったんだってそれで寝るのが遅くなったらしい」
梓の説明に納得した私は昨日の事を思い出す。言った方がいいのだろうか。 せめて朱音と梓は友達だし、知ってて欲しいっていうか、知っておくのが当たり前っていうか……
「あっ、あのさっ」
下駄箱を閉めた朱音が短く聞き返してくる。朱音の短い声に前を歩いていた梓もこちらに顔を向ける。
「この間、帰る前に久保田君と話したんだけどさ」
「ふーん、大丈夫じゃない?ちゃんとモモに話せば誤解される事はないでしょ」
梓の言葉に叫び事で訂正する。
「ちゃんと聞いてよ梓!このままだとモモが可哀想だよ!」
「どういう事?」
リュックを背負い直した朱音が後ろから顔を覗き込んできた。
「大きい声では言えないんだけど、久保田君はモモを幸せに出来ないと思うんだ」
「そんなの、あの2人にしか分からない事だよ」
「けどっ」
「私達がとやかく言う権利はないと思う」
梓の口調は少し強めだった。梓の言う事は的確で、言おうとしていた言葉も忘れて、教室の前で突っ立ったまま動く事が出来なかった。
私の気持ちなんか知らずに向こうはこちらを見てくるし、モモもいつもの笑顔で接してきた。 結局、朝に言おうとしていた事は言えずに放課後まで経ってしまった。
「ゆりー、帰るよー?」
教室掃除終わりの私が、廊下の窓を開けて吹いてくる風に涼んでいると大きく名前を呼ばれた。
「帰りますよー?」
「あ、ごめんっ!」
足元のリュックを急いで背負って駆け寄る。
「もーっ、ホント今日変!そんなに彼氏欲しいの?」
「そっそうじゃないけどっ」
「ゆりがモモの交際に口出さなくていいの!」
「そうだよっ?ゆりは自分の彼氏を作りなさいな!」
3人からの攻撃にタジタジになりながらも足を進める。
「茅野さんっ」
昇降口で靴に履き替えてると誰かに呼ばれた。突然の声に驚いた私は、履きかけの靴で躓く。 転びそうになる体を、近くの壁に預けて防ぐ。
「ごめんね、大丈夫?」
「大丈夫だよー」
壁に預けた後で一息吐いてると腕を掴まれた。先程呼んだのは菅谷君だった。
「茅野さん、話があるんだけど、少しいいかな?」
菅谷君は真剣な顔をして尋ねてきた。いつもの口の緩みがなく、何か悩みでも話すのか。
「その、茅野さんは、久保田の事が好き、なの?」
駐輪場でお互いが自転車のサドルに座り込むと菅谷君がぶっ込んできた。
「はいぃぃ?!」
幸い、駐輪場には私達以外いなかったので迷惑にはならなかった。菅谷君は少し驚いたようだったが。
「何言ってんの?!私別に好きな人が!」
「いるの?!」
「いないけど……久保田君を好きな訳ない!」
「逆に久保田を好きなように聞こえるんだけど……」
「気のせいです!」
誤解を解く為に必死になってた私はバランスを崩して崩して隣の菅谷君に自転車ごと倒れる。
ガシャァッという音が駐輪場で響く。
「わっ?!大丈夫?!」
「いってぇっ、大丈夫だよーごめんねー」
菅谷君に肩を貸してもらって上体を起こす。礼を言おうと菅谷君に声を掛ける前に別の声が聞こえてきた。
「ねぇまーだー?……え」
駐輪場の扉から朱音が覗き込んで来た。朱音と目があった私が答えようとしたら、朱音が大きな声で梓とモモの名前を呼びながら戻っていった。
「おいっ!違う!」
倒れてる自転車を立たせると急いで朱音を追った。
「な~んだー、菅谷君がそういうなら本当なんだろうね」
「なんで私の言葉は信用ないんだよっ!」
私と菅谷君が付き合ってるんじゃないかと疑った朱音だったが、なんとか菅谷君が誤解を解いてくれた。
「じゃあなんでゆりと菅谷君は体密着してたの?」
「モモ、野暮な事聞いちゃ駄目!きっとキスだよ」
朱音から聞いただけのモモと梓は未だに疑っているらしい。付き合ってないし、キスなんかしないから。
「俺が変な事聞いたから慌てて否定してた茅野さんがバランスを崩して倒れてきただけだよ。 俺の肩を支えに茅野さんが起き上がった所を富田さんが覗いたから密着して見えたんだと思う」
だから付き合ってないよ。と苦笑しながら誤解を解いてくれた菅谷君は優しい。 だからといって好きにはならないが。
「……菅谷君がこう言うなら本当なんだろうね」
「だね」
「朱音だけじゃなくて梓とモモも私の言葉信用ならないんだ」
私の横では苦笑いで自転車を押している菅谷君がいる。
朱音達と校門で別れた後で菅谷君と自転車を押しながら先程の話をする。
「その、この間の聞こえてきて……」
「え?」
「久保田の、エッチしたいって」
「あ、あぁああのぉ!」
ビックリして叫び声のように話し掛ける。
「なに?!」
「付き合ってないし、久保田君には他に付き合ってる人がいるからっ! 私と久保田君喋ったこともないし、急にしたいなんて言われてもこっちが困るだけだったし、あの後もすぐ逃げたし、今日だって何もなく帰ってこれたし!」
「えっと、」
「別に困ってないし、菅谷君が心配しなくても私だけで問題解決できるし!」
「待って!違うよ!あの」
「違わない!菅谷君は昨日の私と久保田君の話を聞いて私の事が心配なんでしょ?!菅谷君が心配するほど私――」
「茅野さん!俺の話聞いて!!」
菅谷君に肩を強く捕まれて昨日の久保田君を思い出した。固まった私を見て菅谷君が息を吐く。
「心配してるよ、でも茅野さんが思ってる程俺もバカじゃないよ」
近くのベンチに座った菅谷君は私も座るように促す。
「ごめんね菅谷君」
菅谷君は首を横に振った。
「俺、今日久保田と話したんだ。この間の、茅野さんとの話を聞いたんだけど、久保田の奴、大澤さんの事を笑ったんだよ」
「え、つまり、」
「茅野さんに久保田と付き合ってるか聞いたのは、久保田と大澤さんが付き合ってるのを確かめる為だったんだ。茅野さん変な事聞いてごめんね」
「そうだったんだ」
菅谷君は真っ直ぐ前を見ていた。菅谷君の横顔はいつもの微笑みがなく、無表情の菅谷君は怒っているように見えた。
「久保田と大澤さんが付き合ってるのを知って、尚更昨日の事が腹立ったよ。 それと同時に茅野さんを心配した。茅野さんと大澤さんは仲良いでしょ? 久保田君と別れた方が良いなんて簡単に言えないでしょ?」
菅谷君の問いに頷く。今日モモに言えなかったのは、モモに嫌われるという事を怖がったから。
「……どうしようか、茅野さん」
「どうしようって、何を?」
「茅野さんが言えないなら、俺が言う?」
「え!いいよ!私が言うよ!」
菅谷君は心配そうに私の顔色を窺っている。
「でも、大丈夫?言える?」
「大丈夫!言う! それに、菅谷君より私が言った方がモモも信用してくれると思うんだ」
決心した私が拳を作ると、菅谷君も微笑みを返す。
「じゃあお互いに頑張ろう!」
「オー!」
笑いあった後で菅谷君は自転車に股がり先に帰ってしまった。
帰路に着いた私は玄関で誰も居ない事を把握した。お兄ちゃんとお姉ちゃんとお父さんは仕事だろう。 お母さんは何処に行ったのだろうと考えながらリビングに行くと、テーブルに紙が置いてあった。
『買い物にいってきます。気分が優れなかったらベッドでちゃんと寝てなさいね。 大丈夫なら冷蔵庫に理沙が作った杏仁豆腐があるから食べてあげてね』
文の最後には猫の絵が描かれていて、少し感覚を空けて『お母さんより』と書かれている。
冷蔵庫から杏仁豆腐と麦茶を持って部屋に行く。いつもは帰ってすぐに部屋着に着替えるのだが、今日は制服のまま机に向かう。
「最初は“話したい事がある”、でしょ?そこから~、う~ん……うまっ、杏仁豆腐うまっ……何て言おう?」
1枚のルーズリーフに明日モモに話す事を書いていく。
「結論から言おうか、遠回しに言うか」
2つの選択肢を杏仁豆腐を食べながら選ぶ。
結果的に、杏仁豆腐が先になくなってしまった。
「あ……う~ん、結論から言おう!」
手に持つ物をスプーンからペンに変えてルーズリーフに滑らせる。
「えっと、“久保田君とは別れた方が、いいよ”」
モモの場合、理由とか聞いてくるだろうから、理由も書いておく。
「ゆり、大丈夫なの?」
久保田君と別れる理由をどう言うか迷っていたらお母さんが覗き込んで来た。
「あ、お母さんおかえりー」
「えぇただいま、ゆり、気分は……」
「大丈夫!全然元気!」
「良かった。宿題やってるの?」
ホッとしたように息を吐くお母さんはそのまま机に歩み寄って来た。
「ちっ違うよ!宿題じゃないよ!」
とりあえず腕で隠した私だったが、お母さんは余計興味を持ったようだった。
「えー?宿題じゃないなら何ー?お母さんも見たいなー」
「駄目!ただの落書きだけど、お母さんには恥ずかしくて見せられない!!」
「えー?どうしてもー?」
「どうしても!!」
「でもお母さん笑わないわよ?」
「……前に私の落書き見てツボにハマったのお母さんじゃん!」
「あっ、あの時はそうだったけど、今は笑わないかも?」
「無理!絶対笑う!!」
「笑わないわよー。ほらーお母さんに見せてごらん」
私の腕を退かそうとするお母さん。腕と腕に隙間から“変態”の文字が見えそうで見えない。
「だーめーっ」
「お母さん気になるなー?」
お母さんは諦めようとしない。私とお母さんの攻防は、早番のお姉ちゃんが帰って来るまで続いた。




