32話「うんうん」
「やーっと夏休みー!」
終業式を終えた私達は、沢山の生徒で溢れた体育館を出る。ぎゅうぎゅうになりながら、横を歩くモモが大きく一言。
「あっつい!」
教室に辿り着いてすぐに、朱音がブラウスの襟を持って風を送っている。
教室の気温を見てみると30度近くあった。窓を開けると、つい最近聞こえ始めた蝉の鳴き声が教室内に響き渡る。
「エアコン着けていいのかな?」
窓枠に座って涼んでいると、後ろから聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「わ、菅谷くん!ごめんね!」
菅谷くんの身長は高く、私が窓枠に座っていても目線が上に行く。座っていた窓枠を降りて退くと、菅谷くんが椅子に腰掛ける。
「大丈夫だよ。それより、引田達が勝手にエアコン着けたんだけどいいのかな?」
そういって出口近くにいた引田くん達を指差す菅谷くん。
「あれ?確か、先生に確認しないと駄目じゃなかったっけ?」
思い出したように話すと、菅谷くんも相槌で「だよな?」と声を上げる。
「ちょっと誰ー?エアコン勝手に着けたのー?」
菅谷くんと首を傾げていると先生が入ってきた。先生はエアコンが着いている事を知ると、教室内に響くような声を上げる。
「引田くんがエアコンの調節ボタン押してましたー」
教室の真ん中で挙手した畠山くんが先生に口外する。 引田くんはまさかの裏切りに「ちょっ、畠山!」と焦ったような声を出す。
「ほぉ、引田くーん。何でエアコン着けたのかなー?」
先生は引田くんに対して質問する。声はいつも聞いている声だったが、顔は引田くんに対して凄んでいる。 先生が生徒である引田くんにこんな顔をするのは初めてじゃない。
引田くんが先生に説明しようと声を上げると、先生はいつもより低い声で言い放った。
「言い訳無用」
その後、配られた夏休みの注意事項の紙を黙読する間、教室に先生の低い声が響く。
「じゃぁ、例の物配るぞー?」
夏休み前の終業式後、“例の物”と聞くと何を思い出すだろう。あれだ。
「9月に一つでも持ってこない、終わってないのがあったらその時は……ね!」
先生が話しながら大きな紙を配り始める。先生の言葉は、私達生徒に一瞬の恐怖を感じさせた。
副担任の先生が教室内を右往左往して、やっと配り終えたそれは合計16枚。
「多くねー?」
隣の梓と課題の話になる。
「まぁ、夏休みは1ヶ月以上あるし、大丈夫でしょ」
「そうだけど、私としては違う所で心配だよ」
「……例の2人か」
「うん」
私の一番の心配――朱音とモモが無事に夏休み中に課題を終わらす事が出来るか――だ。
朱音は中庭さんと中学が同じらしく、この間中庭さんから夏休みの世話を任されたばかりだった。 毎年夏休みが終わる5日前に電話が来るらしい。そして中庭さんはその5日間を泊まり掛けで手伝ったと聞いた。
それを聞いた梓は、モモの夏休みの世話を申し出た。梓曰く、朱音よりモモの方が世話しやすいとの事。
「おーい、朱音ー?大丈夫ー?」
先生が一人一人に通知表を渡す為、隣の空き教室に行くと、教室が少し騒がしくなる。そんな中、私は机に項垂れている朱音に声を掛ける。
「……おーい」
返事がない、屍のようだ。
「今の時間に少し課題やったらー?夏休み中に終わんないよー?」
▼茅野ゆりの攻撃は急所に当たった。
効果は抜群だ。
「朱音ー、私教えるからやろー?本当に終わんなくなっちゃうよ?」
▼ゆりの攻撃『誘惑』
避けられてしまった。
▼朱音の攻撃『押し付け』
効果はいまいちのようだ。
「ほらっ、やるよ!朱音」
朱音の課題を手にした私は、朱音の背中を擦りながら声を掛ける。
「……いい加減顔上げろや」
先生のようにいつもより低い声で朱音に言うと、思い切り顔を上げる朱音。吹っ切れたようだ。
「数字と漢字、どっちからがいい?」
朱音が机の上を整理しながらこちらに目線を上げる。目線があった私は「ん?」と朱音に聞く。
「ごめんね、毎回毎回」
「そう思うなら真剣に勉強して?」
「……結構これでも頑張ってるよ?」
「……」
頑張ってるんだ。
「もー、あたし夏休みの事ばかり考えてて、課題の事なんか頭に入ってなかったよ」
それが項垂れていた理由か。小学と中学で嫌な程経験してきたでしょ。
「ここからここまで同じ公式ね?」
私の教えに「了解!」と言うと問題に取り掛かる朱音。その間ウォークマンで音楽を聞く私。
教室内を見渡すと、モモが居なかった。ということはもう少ししたら私が呼ばれるだろう。
梓を見てみると、音楽を聞きながら漢字のプリントをやっていた。 梓は答えを見てやっちゃうような頭の悪い人じゃないから安心して見てられる。
「ねーゆり?何かこれ割りきれないんだけど」
音楽を聞きながら周りを見渡していると、朱音が肩を叩いてきた。朱音はシャーペンを回しながら行き詰まっている所を指差す。
「割りきれないよね?」
「……うん、奇数だからね」
「これが答えじゃ違う?」
「うん、先生が絶対割りきれるって言ってたし」
朱音は一度消すと、呻きながらシャーペンを動かし始める。
「ゆりー!次ゆりだよー!」
朱音が解いているのを見ていると、モモが大きな声で私を呼ぶ。
「はーい。朱音、分からなくなったら梓に聞いてね」
「はーい」と言う朱音の声を背中で感じながら駆け足で教室を出て行く。
「失礼しまーす」
扉を開けると、机を2つ並べて先生が座っていた。先生の向かいにある席に座って軽くお辞儀をする。
「茅野さんは、その~、富田さんの第2の母みたいなものなの?」
通知表を渡してもらうより先に、変な事を言い出した先生。普段の私達を見ていると、そう思ってしまう行動を取っているのだろうか。
「いえ?あんな大きい子供は嫌です!」
キッパリ断ると、先生は安心したかのように息を吐く。
「はい、通知表。茅野さんは数学が一番だね、それより少し下が英語」
先生は、私の通知表を開いて机に置くと、説明をしだす。
「よく富田さんや大澤さんに教えているのを見掛けるし、見た目に反して結構好きなの多いでしょ?」
「まぁ、好きなものは好きと言わなきゃ何も分からないんで!」
「そういう所?先生は好きだなー。でもね、好きだからって掃除中に音楽は聞かないで?この間なんかお菓子食べてたよね?」
「音楽は聞かないようにします。お菓子の件については先生も食べてましたよね?」
「あ、あれは?ね?懐かしさと好奇心で食べちゃったけど、そもそも茅野さんが食べなければいいの」
ね?と首を傾げてくる先生に「分かりましたー」とだけ言う。
「軽音楽部はどう?楽しい?」
「楽しいです!少しずつですけど、朱音にギターを教えて貰えるのが新鮮です!」
普段の勉強は、私が朱音に教えているのせいか、逆に教えてもらうのが面白い。
「そっか、なら良かった」
「茅野さんは少し人見知りするみたいだけど、富田さんや大澤さんのお陰で結構友達多いよね」
先生の言葉に「そうですか?」と尋ねると、「うんうん」と頷く。
「この間も先輩と楽しそうに話してたね」
「この間?」
先生に聞き返すと、思い出すように話し出す。
「うん。ほら、体育館の前で話してたでしょ?確か3年生?」
「あー、軽音楽部の先輩です」
思い出すように話すと「そっか」とだけ言って話題を替える。
「――じゃっ、霧山さん呼んできて?」
「はーい、失礼しましたー」
通知表を持って空き教室を出る。
霧山さんを見つけて呼び掛けると、「はーい」と言ったにも関わらず、スマホを操作しながら行ってしまった。
約1時間で皆に通知表を渡した先生は、教室に戻ってくると教卓に立って大きな声で言った。
「くれぐれも!夏休み中に事故や怪我をしないように!終業式でも校長先生が言ってたでしょ? 夏休みだからと言って遊び惚けてはいけませんって」
先生が話し始めたのをきっかけに、騒がしかった教室内は静かになって先生の声が教室全体に響く。
「遊びの延長で違反な事したら駄目だから!くれぐれも高校生らしい夏休みを送って下さい!」
それだけ言うと、学級委員の人に号令するように言う。
「とりあえず、朱音とモモはゲームより課題ね!」
校門を出て帰る間際、何度目かの言葉を言う。
「もー、わぁかってるって!」
何度も聞いた言葉に嫌気が差したか、荒々しく声を上げるモモ。
「もー、分かってるから大丈夫だよ。ちゃんと課題は定期的にやるよ!ね?」
朱音の問い掛けに何度も頷くモモ。
「定期的にやらないで、夏休み終わる1週間前に電話してこないように!」
私から逃げるように早足で帰路に着こうとするモモと朱音の背中に言葉を投げつける。
「分かってるー!!」
「バイバーイ!!」
そそくさと帰る朱音とモモは、梓の背中を押しながら叫ぶ。背中を押されている梓も、何とか手を振る。
1ヶ月後、電話が来ない事を祈って自転車を濃く。