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9/15

長い二分間

 人生で二度目くらいの三人称です。

 成層圏への境目であり、もはや雲さえも全て下に見えるほどの高度。

 薄い空気。低い気温。空を自由に飛び回る鳥でさえも倦厭し、生き物などは滅多に見られることがない遥か上空。


 男は息を切らしていた。

 呼吸を整え、落ち着きを取り戻していく。


 この高度の気圧、気温。おおよそ人間に耐えられるものではない。それは魔族とて同様。

 この男は魔法を行使することにより、自身の周囲のみを快適な空間に変えていた。


「ハァ……、さすがに舐めすぎたかもねぇ。全く、嬢ちゃんを迎えに来ただけってのに、どうしてこうなったんやらぁ?」


 嘆息を吐きながらも、言葉とは反面、嬉々の混じった声色で独り言を呟く男。

 無論、聴いている者などどこにも存在しない。


 男の目的はただ一つ。ある少女を連れ帰ること。

 気まぐれで引き受けたものだった。

 ――しかし、人間の街にまで来ることになるとは……。


 男は始め、困惑した。

 少女はよく出奔する。よって密かに、追跡のための魔法道具が取り付けられている。

 だが今回は程度が違う。その先はかの山脈を越え、さらに東の果て。

 魔族ではなく人間の住む大地であった。


 かくして男は辿り着く。

 指し示されたのはこの街であるが、どうにも魔法道具の調子が悪い。大まかにしかわからない。

 ――この人の量を一から探すのは面倒だ。


 そして、男は考えついた。

 この街を消し飛ばすほど大規模な魔法を放つ。

 さすれば、捜索の障害たる有象無象を消し去ることができるであろうと。


 探し人たる少女はそれほど弱くない。

 その程度の魔法であるのなら、切り抜けてくれるだろうと男は確信していた。


 元来、街を破壊するだけならば、この全容を見渡し切れる空の上。ここから相応の火力を持った魔法を放てば終わり。

 そしてそれは、男には容易なことであった。あまりに容易すぎた。


 ゆえに男は享楽を求める。


 人間に気づかれるほどの、男は攻撃を受けないだろうと予測した限界の、その高度まで近づいていった。


 結果としては失敗だった。

 魔法陣を展開し、魔法を放ち、街を破壊し尽くそうとした瞬間――なにかが頭を目掛けて飛んで来たから。


 男は完全に油断をしていた。

 かろうじて咄嗟に左腕で庇うことに成功したが、おかしい。

 そのなにかの攻撃を受けたはずだが、その腕には外傷がなかったのだ。


 さらにそのなにかは男に向かい襲い続ける。二度目以降は油断はしない。

 魔法を取りやめ、回避に専念し始めた。


 けれども男に異変は起こる。

 その攻撃を受けた部位。左腕が動き出した。


 自身の脳の命令を無視し、勝手に筋肉が伸縮する。

 皮膚感覚、深部感覚、運動感覚はそのままに、ただ運動神経から伝わる電気信号に従わず、自由奔放に動いている。


 そうして腕は、男自身の首を絞め始めた。

 そこで男は理解する。あの攻撃の効力を。

 まさか自分で自分の首を絞めようことになるとは、その状況に男は愉楽を覚えた。

 ――さあ、どうやって切り抜けようか?


 このままでは朦朧とする意識の中、次の、また次の攻撃を受け、最終的には全身がそのなにかにより支配されてしまう。

 もはや躊躇いはなかった。既にこれは自身の腕ではない。


 残った自由に動く腕を使い、自分の首を絞めているそれを捻じ切る。

 軽い魔法による身体強化をかけてしまえば簡単なことであった。


 そのまま首から引き剥がし、放り投げる。

 治癒の魔法を使用して、流れ出した血を止める。応急的なものではあるが、男にはこれで十分であった。

 飛行し、攻撃から逃れながら、辿り、そのなにかを放つ人物を見つけ出した。


 露出の少ない服を着た、それは飾り気がなく型からも男ものだと予想できるが、女性がいたのだ。

 確かに男性と見紛うほどだが女性である。男にはそう確信できた。


 その後は単調な戦い。

 男は隙を見つけて大規模な魔法を放とうとするが、女性はそれを防いでいく。

 不意さえ突かれなければ、さしたる問題はない。

 男より女性の消耗は早く、そのまま行けば男の勝ちは揺るがなかった。


 そのはずなのに、こうなった。

 途中でどこからか現れたもう一人。その連携により、慢心し切っていたその男は、こうして遁走するにまで、無惨にもやられてしまったのである。


「ま、これを撃てば、終わりだろうけどねっ?」


 男の使用した魔法。それは光の魔法であった。


 魔法とは本来、詠唱を行うか、魔法陣を描く。そのどちらかを行い、魔力を注ぎ込む。そうしてようやく発動する。


 だが、男は違う。魔族の中でも魔法に対する適性が高く、ある程度の単純な魔法であれば詠唱も、魔法陣もなく使用できる。


 それでもあの街を破壊し尽くすような大規模魔法。男ではそれを、それらなしには発動できない。

 それゆえに、光の魔法を男は使う。即興で魔法陣を描くため。


 地面に向かい、手を伸ばし、その精密な式を全て、今思いついているのかのように、一切の、一瞬の迷いなく、光が動き書き上げる。


「秘技《累連魔法陣》! なんつってぇ……!」


 男の描いた魔法陣。

 それは掌と比べてしまえば、等しいかやや劣るほどの直径であった。


 男の魔力が注ぎ込まれる。

 魔法陣は輝きを増す。ついに魔法が発動した。

 その程度の大きさではあるのだが、果たしてこれで、街を滅ぼすほどの魔法が放てるであろうか。


 その答えは否である。

 なぜならばこの魔法陣。魔法陣を作るため、その魔法を放つためだけのものあだったから。


 新たに光が現れて、何倍もの大きさの魔法陣が形成された。

 内部には、膨大な量で、複雑な模様で、精緻な魔法式が描かれている。

 男は冷ややかに笑みを深めた。

 ――まだ足りない……。


 さらに魔力は注ぎ込まれる。

 新たに作られた魔法陣。それはまた、光を放ち起動する。


 しかしこれも、本命ではない。

 新たな光が現れて、より巨大な魔法陣が創り出される。

 先ほどの数十倍。最初のものと比べるならば数百倍。

 もはや、この規模のものから放たれる魔法は、想像を絶するものであろう。


 だというのに、男はまだ止まらない。

 もう一度、繰り返す。


 累乗的に、新しく創られる度に、直径を膨れ上がらせていく魔法陣。

 数度の生成が反復され、ようやく至った。

 地上の街と同等の大きさを、面積を誇るまで。

 そこでついに、男は満足感を得る。


「左腕ぇ! そしてこの胴の傷っ! 君たちに敬意を表して、過去最高の一撃を、神をも恐れぬ一撃を、お見舞いしてやる――ぅ!」


 男の額。そこに一本の角が生える。

 魔族の角は、魔力を貯蔵するための器官。同じ魔族であろうとも角のあるなしで、魔力量に大きな違いができてしまう。


 男の魔力が解き放たれる。

 凄まじく、特異な量に空気が震える。振動はなにもない空を伝わり、轟音を響き立てる。

 その全てを、男は一つの魔法のために使おうというのだ。


「――魔法! 《ライトニング・トリーズ――」


 自身の目的さえも忘れ、ただ狂喜と悦楽、憤怒の感情に身を任せる男。

 ほとばしる雷光。魔法が今にも放たれんとする。

 その時だった――男が異変に気がついたのは。


 平衡感覚を失う。

 自身の眼下に展開された魔法陣が、真上にある。

 それどころか、見る見るに離れていく。


 ――落ちている……?

 流れる風を受け、男はそう理解する。

 理解はしたが、納得はできない。


「羽が――死んでいるのかっ!」


 自身を空に飛ばしえた魔族の羽。それがなぜ今、機能を停止させたのか。

 遠くに離れた魔法陣が消えていく。

 一向に起動しない羽。男の焦りは一層に深まっていく。


 今までにない経験。

 対策を考えなければいけない。

 魔法陣は――駄目だ。あれは止まってなければ使えない。

 なら、簡単な魔法だけで――


「やっぱり。貴方の近くは寒くないんですね」


 目の前から、真上から、凛とした声が聞こえる。

 気がつけばそこには、銀髪の美しい人間がいた。

 他でもない、男の胴体に袈裟懸けの傷をいれた張本人だ。


「貴様ぁ! いつの間にっ!?」


 ――わけがわからない。

 目の前の人間に羽はない。人間なのだから、それは当然あるわけがない。


 しかしそれだけではなく、男にはこの人間が、突然現れたように見えた。

 さっきまで、本当に直前まで、誰の存在も気取る事が出来なかった。


「自分はそう簡単に教えませんよ? それこそ、たとえ冥土の土産でしょうとね」


 自信ありげに人間は言う。

 それは言外に、魔族の男を殺すつもりだと告げている。

 人間は男の額に目線を送ると、億劫そうに言葉を続けた。


「それより、煩わしそうなその角。それも切り落としちゃいましょうか……」


 そう言って人間は笑う。

 浴びた返り血も相まって、男にはその笑みが凄惨なものと眼に映る。


 自身の角へと人間の手が伸ばされた。

 そこで男は、この人間が、羽の機能が奪われた原因であろうと理解する。

 このままではいけない。しかしだというのに、身体は思うように動いてくれない。


 人間は手刀を作り、ゆっくりと、誤ることのないように、丁寧に触れていく。

 それで本当に斬れるとも思わない。

 一連の動作を見れば、誰しもがそう感じるはずだ。そこまでに人間は緩やかな動きのまま、手近づけていったのだ。

 そのはずであるが――



 角は、飛んだ。



 その光景は、痛みは、魔族の男の自尊心を傷つけるには十分であった。

 自身を格別たらしめているうちの一つ。その角の消失に、矜持は消え、余裕は失せる。


 ――ここまで追い詰められるのは、久方ぶりか……。


「フフッ、ク、ハハハッ!」


 魔族の男は狂気に呑まれたように笑い出した。

 人間は僅かな驚愕とともに動揺する。

 この魔族が笑う理由など、人間には到底、及びもつかなかったからだ。


「どうしましたか? 気でも狂いましたか?」


 ゆえに人間は問う。単純な疑問。

 そうであったが、男はまるで見当違いの答えを返した。


「ハハ、君、スカートでしょう? いやぁ、さぁ。中身、丸見えになっちゃうんじゃないかと思って……」


 この場に至って、追い詰められているというのに、冷ややかな笑みを浮かべて軽薄にそう宣う男。

 予想外。人間はしばし惚けてしまう。


 男はしてやったりの表情を浮かべる。

 そんな男に人間は、呆れたように言葉を返した。


「そんな冗談を言っている余裕はあるんですか?」


「――ないねっ!!」


 そう堂々と、飾る様子もなく答える男に、人間は言葉を失う。


 もう既に地面は近い。

 人間は体勢を変えると、男を足蹴に、踏み台にして距離を取る。

 そうすることで、自身の落ちる勢いは弱まり、反対に男は加速していくからだ。


「では、ご達者で……」


 男の目には、瞬く間に離れていく人間の姿が映っていた。

 ――本格的にどうしようか……これ。


 変わらない青い空が目には見えるが、後ろを向けば凄まじい勢いで地面は近づいてきていた。

 考える猶予はない。


 風による速度の減衰を試みる。

 ――駄目だ。


 身体強化を行い落下の衝撃に備える。

 ――まだ、駄目だ……。


 治癒魔法により事前に回復を約束する。

 ――まだ、まだだ……ッ!


 風に緩和された勢いで、微々たるものだが猶予が生まれる。

 その間にも、魔族は自身のできる最大限の方法を考えぬく。


 男の使える魔力は残り僅か。

 残った角の折れ目からは、残り火とも呼べる残滓が漏れ出している。


 そうして男はふと気がついた。

 地面に向けて手を伸ばし、そこから魔力を噴出する。

 反作用を得て勢いが緩む。


 散った魔力。今度はそれを利用して、魔力障壁を作成。砕けやすく。何枚も何枚も、できる限り。

 男ははそれにぶつかることで衝撃を受けながらも、速さの緩和に成功した。

 事前の治癒魔法の効果により、そこでの負傷もその程度なら、見る間に回復していった。


 その魔力障壁にぶつかることと、比較にならない衝撃が、男を襲う。

 ついに、地面に届いたからだ。

 言葉にならないほどの痛み。自分の行った悪あがきに果たして、意味があったのか疑問が持てる。


「グ、ハハ! 耐ぁえた……。耐えてみせたぁ……!」


 息も絶え絶え、魔力も尽きているというのに、男は笑い、立ち上がった。


 周囲を見渡す。

 地面は自分が落ちてきた衝撃のせいか、他と比べれば凹凸おうとつができていた。

 家屋の一つ、屋根の上からはあの最初に攻撃を仕掛けてきた女性が、こちらの様子を伺っている。


 鮮血の飛び散った地面。

 ――丁度いい。

 男は足を使って紋様を描く。


 大した精密さはいらない。

 魔力も必要ない。

 代償は自身の命を削ること。男はそれも厭わない。


 不穏を感じた女性が結晶を投じた。

 それが結晶だということは、逃げる直前に魔力障壁に刺さったときにようやくわかった。


 男に避ける術はない。

 男に防ぐ術もない。

 頭だけは右腕で守るが、全身に結晶が埋め込まれていく。


 後ろから、着地をするような音が聞こえてくる。

 そうして声が聞こえてくる。


「うわ、生きてるんですか。魔族ってやつは、桁外れな生命力ですね」


「リンっち! やったよ! 多分これで良い子になった〜!」


 その人間に、目の前の女性は機嫌良く声を発した。


 ――惜しかった。本当に……。

 最後に描いた魔法陣。それは既に発動していた。

 結晶の支配が上書かれる。


「――ヒユアさん! まだですっ!」


「えっ?」


 その言葉に疑問の声を挟みながらも、女性は身構える。


 男の身体を支配せんと、禍々しい魔力が宿ってくる。

 精神力を持ってして、それに対抗をなす。

 気を抜いてしまえば、意識を持っていかれそうな、その中で男は持ち堪える。ひたすらに持ち堪えてみせる。


 その男にまた、結晶が飛んでくる。

 今度こそ、地面を蹴り、身体を動かし、一つ残らず避けきった。


 意識が明瞭とし、感覚が冴え渡る。

 後ろ。羽を奪い、角を折った人間の方に振り向く。

 男はそのまま冷ややかに笑う。


「さぁ、最終ラウンドを始めようじゃあ、ないか……!」

 なぜ魔族の人が生きているのか不思議だった。

 いや、書いてたら生きるビジョンが浮かんだからなんだ……。

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