閑話1 ある冒険者の昼中
受けた依頼は薬草採り。
俺は薬草の採れる森にやって来ていた。
街からさほど離れてなく、徒歩数分で辿り着けるくらい。
ここはあまり広くなく、おそらく迷うことはないだろう。
しかしながら、森に着いたはいいものの、薬草がどれかわからない。
草は生えている。
もちろん森なのだからたくさん。
ただ、この全てが薬草であるわけがないことなんて、どんな馬鹿でもわかるはずだ。
勇み足で来たものの、ここで途方に暮れてしまう。
どうしよう。帰ろうか。
俺は来た道を振り返る。
この場所については受け付けの人に教えてもらったものだ。
あの受け付けの人は、なんというか、人形めいていた。
受け答えも事務的だったし、表情も、空々しい笑顔で固定され、どこか機械を連想させるようなものだった。
美人という第一印象を受けるのだが、その顔のパーツ、配置は完璧すぎるようなもので、作り物めいていて、一周回って不気味というような感覚にとらわれてしまう。
なぜかやたらに薬草採りを薦められ、ゲームのNPCを相手にしている気分になった。
登録可能な年齢になり申請後、身分証をようやく取れたので、冒険者ギルドの会員になることにした。
本当になんでみんな、俺を実年齢より下に見てしまうんだ。
冒険者ギルドに入った理由。それは誰かが聞けば一笑に付してしまうくらい、子供っぽいものだ。
この世界に、英雄はいる。
俺は五年前、違う世界からこの世界に来てしまった。
どうしてかはわからないが、気がついたら見知らぬ村にいた。
学校からの帰り道だったはずで、わけが分からなかった。
別に元の生活に未練があったわけでもない。
幸い、村の人たちは優しく、みんなの手伝いをしながら、俺は暮らしていくことができた。
しかし、それも長くは続かない。
平和だ、自由だ、平等だ。などと宣いながら、革命を起こそうとする馬鹿たちのせいだ。
いくら大義名分を掲げていようと、結局は自分の、自分たちのことしか考えていない。
羨み、妬み、僻み、猜み、自分たちよりも上の者を引きずり降ろそうとする。暴力を使い、無理やりにだ。
名誉の戦死? 冗談じゃない。
あの人たちは、彼女は、巻き込まれただけだ。もっと生きたかったはずだ。
俺は、この国を、そして、あの人たちを殺したあいつらを、絶対に、許すことはできない。
内紛ともなれば、他国が武力介入をしてくることは当然起こりうる。
その行軍ルートに村が入っていた。
簡単に言えば、略奪をされたのである。
まさに地獄絵図で、抵抗する者は殺され、絶望だけが支配していた。
彼女だって、絶望の果てに自決してしまったんだ。
そんな中、なぜか自分が生き残った。
命からがら逃げ惑って、紛れて、隠れて、親切にしてくれた人たちを見捨てて、好きだった子さえ守れずに、俺は死ななかった。
そうして、あり得ない光景を目にする。
劫掠の限りを尽くし、行軍をするあいつらに、一人の女性が立ちはだかった。
いくつもの銀の球が飛び回り、多くの人を貫いていく。
敵、味方は関係ない。ただ、人という人をめがけて、物という物を薙ぎ払い、襲いかかる。
だれも止める者はいない。だれも止められる者はいない。
一人の人間によって、一つの村が、一個の軍隊が、多くもの人の命が、奪われた瞬間だった。
運が良かったのか、悪かったのか、ものを言わない屍、肉塊と化した者たちが、血液を、臓物を撒き散らす中、俺は生きていた。俺だけが、生きていた。
あたりには瓦礫が、そして赤い血が地面を埋め尽くす。
なにもかもが失われた。
物陰に隠れて様子をうかがっていたはずだが、気がつけば青い空の下、仰向けになっていたんだ。
雲一つない快晴。そんな中、水たまりを歩くようにチャプチャプと音を立てて、何かが近づいてくる。
そんなのは決まっている。
立っているのはあの女性しかいないんだ。
怖かった。
ただの水を跳ねる音は、死が近づいてくる足音にさえ聞こえた。
俺は近づいてくるそれを直視することはできず、遥か彼方に広がっていく、空を見つめることしかできなかった。
不意に、足音が止まる。
そこで恐怖は絶頂に達し、心臓はもうこれ以上もないほどに高鳴り、筋肉は痙攣をするように震えた。
顔が、目に入った。こちらを興味深く覗き込んでくる。
ソプラノの声で、なんで生きているのと疑問をぶつけられる。
しかし俺は恐怖により、気を失ってしまったのだった。
一悶着あり、俺はその女性に養われることになった。
当時は十四歳。この頃から、剣を持たされ素振りをさせられていたが、師匠も居ない。
たまに来るその女性からは、全然ダメねと言われるばかりだった。
俺の夢は、いや、目標は、この国の英雄と呼ばれる者たち。彼らに負けないくらい強くなることだ。
俺の保護者たる女性に聞かせれば、せいぜい頑張ってねとでも言われて、本気にはされないだろう。
命の軽さはあの時、十分に知った。
だからこそ、死にたくない。だれにも殺されたくはない。
だから強くなろうと。
ある日、女性は言った。Sランクは私たちと同じくらいの強さじゃなきゃ無理ねと。
確かこの時は、Sランクが冒険者ギルドにいないという話題だったはずだ。
そうして今、Sランクを目指して冒険者ギルドに乗り込んできたわけだ。
受け付けの人にコンプレックスを刺激され、つい感情的になったのは失敗だった。
ゴブリンくらいは倒せる自身はあったのだが、どうやら無理なようだ。
あの男の人はすごい。
剣の腕もそうなのだが、野次馬たちを味方につけていた。完全に人心掌握をしていた。
そうして、生意気な姿勢だった俺に禍根を残さないように抑えてくれた。身の程をわきまえろと、まだ早いと教えてくれた。
正直なところ、あの受け付けの人が困っていたかは、まだ測りかねている。
変わらない笑顔だったし、あそこであの男の人がやって来ていなれば、依頼を受けさせてもらえたんじゃないかとも感じる。
何か言いかけていたようだったし。
とりあえず、もう少し鍛えてから、ゴブリンには挑もうと思う。
具体的にどのくらいでいいかはわからないが、近いうちに。
やって来た道なき道を歩いていく。
自分の足跡を辿っていけば間違いはない。そんなに深くは入ってないし、すぐに抜けられる。
森を抜け、視界が開ける。
そこは草原になっているのだが、あるものを見つけてしまう。
人が倒れていた。
なんでこんなところで倒れているのか。行き倒れなのだろうか。
興味本位でそろそろと近寄ってみる。
近づいてようやくわかったのだが、その人は女性だった。
長い金髪が目に入り、そのことを俺に伝えてくる。
もう少し歩みを進めれば、顔を確認することができた。仰向けに倒れているようで、それも難しいことではない。
整った顔立ちの少女、といったところだろう。目を閉じ、安らかな表情をしている。
さらに距離を詰める。
胸の上下、呼吸音。死んでいるわけではない。
ここまでくればわかるのだが、その純白の衣服には、ほつれ、みだれはなく、どこからどう見ようとも行き倒れではない。
そして、俺はその存在を理解してしまう。
――羽が生えていた。
彼女の背中から、白鳥のような、天使のような、純白の羽が一対。
最初は衣服がどうにかなっているのかと思った。
遠目からなら、そう無理やり解釈することもできたから。そんな非常識なものに対して、脳は存在をただちに拒否し、別のものにすげ替えたのだ。
背筋に悪寒が伝う。
この少女は人間ではない。魔族だ。それも高位の。
人間に近い姿をしているが、異形の部位を持っている者。それが魔族だ。
獣耳だったり、尻尾をもっていたりする者たちのことだ。
ゴブリンなんかは、魔族というカテゴリには入れられてはいるものの、知能は低く醜悪。
もうほとんど魔物と同じだと聞く。
それはさておいて、魔族の中でも羽付きは別格らしい。
物理的法則に従わない三次元の自由移動。それに加えて、遠距離から魔法を打ち込んでくるという理不尽さだ。
他にも眼持ち、角有りなど、警戒するべき魔族はいるが、羽付きはその中でも一線を画す。
街一つが滅ぼされるくらいと言ったらわかりやすいか。そのくらいの危険度がある。
剣に手をかける。
人を殺すのは初めてだ。いや、魔族を人と言ってもいいのかはわからない。
それでもこれじゃあ羽以外、人間と差異なんてないじゃないか。
せめてもの救いは、この少女が眠っているうちに。
痛みなんか感じさせないよう、一瞬で――
「なにを悩んでおる……。そんなときは、空でも見上げたらどうだ。今日は星が綺麗だぞ……?」
そうしていると、呑気な声が俺には向かってかけられる。魔族の少女のものだった。
赤い眼をパッチリと見開き、こちらの顔をなにか不思議げに覗き込んでいた。
空を見上げる。
今日は、雲一つない青空だった。
日差しがさんさんと、容赦なく降り注いでいる。今は昼だ。
「いや、太陽以外は見えないんだけど……」
「そうか、お主も見えないと言うか……。しかし我には見えておる。これはいったい、どういうことだ?」
なにか思案をするようにうつむく。そこから俺に視線を合わせ、少女は首をかしげる。
人間味のない赤い瞳がこちらを見つめる。
改めて空を見上げてみる。
どう目を凝らそうが、やはり星なんかは見えてこない。
眩しい太陽の光で目が焼かれそうだ。
「嘘じゃないんだよな……?」
「ああ、嘘を吐いてなんの利があると? 我の目には満点の星空が、しかと映っておるよ」
たしかに、嘘をついているとは思えない。
にわかに信じがたい話だが、この少女には言葉通りに星が見えているのだろう。魔族ならば、あるいは……。
そういえば、天体望遠鏡を使えば昼に星を観察できるようだった気がする。
もうこれも、不確かな記憶だ。
そう考えると、この子の目は天体望遠鏡並の視力になる。
羽付きの戦闘方法は魔法での狙撃。
本当にそのくらいの視力があれば、どこのくらい離れてまで攻撃が当たるのか。
考えるだけでも脅威的だ。
「おっと、我としたことが……。ここではしまわなければだったな」
少女はおもむろに起き立ち上がりながらそう言うと、地面に広げられていた羽を動かす。
縮むように、畳まれるように衣服の下に隠されていくそれ。
そうなれば、もう普通の少女のようにしか見えなかった。
俺の腰元あたりに目を置いて、少女は一つ疑問をあげた。
「それで、その剣は抜かぬのか?」
言われてようやく思い出すが、俺の右手は剣にかけたままだった。
まずい、かなりまずい。
寝首を掻くくらいなら、俺にもできるだろうが、覚醒した状態の今の少女にどうやっても勝てないだろう。魔法で消しとばされてしまう。
どうにかして誤魔化さなければ。
「えっ、いや、これは……」
剣から手を離し、両手を上にあげる。
完全に降参の姿勢だ。
「まあ、よい。……腹が減ってかなわんのだ。なにか食べ物は持っていないか?」
興味を失ったように目線を外すと、少女はどこか控えめに呟いた。
助かったということでいいのだろうか。
食料がないって、この子はどうするつもりなんだ。
魔族は彼、西の山脈の向こうに住んでいる。帰るのにもこの東の果てからでは、時間がかかるなんてものではないはずだ。
「お金とかは……? 調達はどうするつもりだったんだ?」
「なに? 銭がなければ、この麗しき我に恵みを献じられないと?」
「自分で自分に麗しいって言うなよ!」
偉そうに自分で自分を敬いやがって。つい、我を忘れて突っ込んでしまった。
彼女の顔が整っているのは事実だ。だが、自分で言ったらだめだろう。
「普遍の理を言ってなにが悪い? それとも、お主の性癖が捻じ曲がっているというわけか?」
「どれだけ自分の容姿に自信持ってるんだよ! 言っておくが、俺はいたって普通だぞ!」
俺があらぬ誤解を招かぬようにそう叫んだことにより、ニヤリと少女は顔を歪める。
なにか嫌な予感がする。
「そうか、そうか。我はお主の情欲を掻き立てているということか。ならばお主に――」
その言いかけたときに、彼女のお腹がぐ〜と可愛らしい音を立てた。
俺の嫌な予感はどうやら杞憂だったようだ。
少女は俺に対して背中を向けて、いじけるようにしゃがみ込む。
なにか憐れに見えて来る。
「なあ、これ食べるか?」
腰にぶら下げたポーチから、笹のような植物に包まれたおにぎりを一つ取り出した。
ギルドにて調達したもので、見つけたときは尋常ではなく驚いたものだった。
少女はおそるおそるこちらを振り向く。見えた横顔の頰は心なしか赤みを帯びていて、目には若干の涙が溜まっていた。
無言で俺の手からおにぎりを引ったくり、もう一度背を向ける。
急いで食べてしまったからか、ごほっ、ごほっ、と少女は咳き込む。
その様子に呆れてしまうが放っておけなく、近づいて背中をさする。
「そう気安く、げほっ、我に触るでない、げほっ」
隠された羽の感触が伝わってくる。
おかげで効果があるのかないのかわかったものではないが、やらないよりはマシなはずだ。
俺は止めずにさすり続けた。
「別に盗ったりするわけないんだから、ゆっくり食べればいいんじゃないか?」
しばらく経てば少女も落ち着いたようで、俺はその行動をたしなめる。
ポーチからおにぎりをもう一つ取り出して、彼女の隣に座ってからかじりついた。
懐かしい。
まず、塩味が口の中に広がる。薄くはあるが、この素朴さが俺の中では高評価だ。
作られてから時間が経ったはずであるが、みずみずしさを保っており、しっとりとした食感がする。
一粒一粒、噛めば噛むほどに甘みがでて、味覚を、食欲を刺激していく。
感動に浸っていると、隣の少女がどこか羨ましそうな眼差しで、こちらを眺めてきていた。
もう食べ終わってしまったのだろう。おもにそれは、俺の手の中にあるものに注がれていた。
「どうしたんだ?」
「くっ、意地の悪いやつめ! 我のさっき食べたやつのほうが美味しいもん!」
そんなことを言われて、またそっぽを向かれてしまった。
気の難しい少女だと思う。
俺はそんな少女には構わずに、おにぎりを食べ続けていく。
具は魚のようだった。塩干物で、そこからは鮭が連想される。
これは塩が強く効き、おにぎり全体のアクセントとして非常に優秀なものだった。
全体の素朴な味からのギャップがなんとも言えず、強力な印象を与えてくる。
惜しむらくは、海苔が巻かれていないことであろうか。
パリッとしたあの感触が思い出深いが、湿気を含んで柔らかくなったものでもいい。
どこか物足りなさを舌が訴えてくる。
食べ終えて、一息つく。
もう何年ぶりかになるおにぎりは、空腹をしっかりと満たしてくれた。
一つでもうお腹いっぱいだ。少食すぎるかもしれないが、そういう体質なのでしかたない。
ポーチからもう一つおにぎりを取り出す。
あまりにテンションが上がったため、余分に買ってきてしまった。
少食ではあるけれども、腐らせるのはもったいなく、無理をすれば食べられないこともない。
「いるか? それなら、あげるけど」
いつの間にか、物欲しそうな目でこちらを見つめていた少女の方向を見て、おにぎりを差し出す。
こういうのは、いる人にあげるのが一番だ。
「必要以上の恵みは受け取らん。残飯にたかる餓鬼どものように食らうがよいぞ」
なにか尊大風に断られた。正直、納得がいかない。
あれだけ食べたそうだったのに、いらない見栄を張って我慢しているのだろうか。
「わかった、じゃあこれは惜しいながらも捨てるしかないな。まったく、なんで多めに買っちゃったんだろうなあ?」
わざとらしく大声を出しながら、おにぎりをしまおうとする。
そうすれば少女が、しまわれる直前に待ったをかけてくる。
「待て! 何も捨てることはなかろう。しかたない、我が食してやらんこともないぞ?」
「そんな必死にならなくても渡すさ。食べたかったんだろ?」
俺はおにぎりを少女に向けて放り投げた。
もちろん落とせば台なしになる。少女は反射神経の良さを見せて、無事におにぎりをキャッチしてみせた。
「なにをする? 食べ物は丁重に扱えと、教わらんかったか!」
俺に対してそう怒りながら、もぐもぐとおにぎりを口に運ぶ。
今度は咳き込まないようにゆっくりと食べているようだ。
俺は慎重に立ち上がる。
「こうすれば確実に受け取ってくれるだろ? じゃあ、俺は帰るから。急がないで食べるんだぞ?」
そう言い残して、この場から去ろうとした。
できる限り、自然な形で。
できれば何も見なかったことにして。
噂に聞くギルドマスターがいる限り、ギルドのある街が滅ぶことはまずないはずだ。
この少女が街を滅ぼすとは思えないが、あの街にいる限り安全なことは間違いない。
この少女と一緒にいると、絶対に危ない気がする。面倒事に巻き込まれる気がする。
しかし、運命は残酷だ。そんな願いは叶わなかった。
左手をガシッと掴まれてしまう。すごい握力だ。振りほどけない。
ごくんとご飯を飲み込む音がしたあとに、少女は言葉を紡ぎ出す。
「ちょ、ちょっと我と付き合ってくれんか?」
衝撃的すぎる告白だった。
しばし、俺は呆然とする。
だんだんタイトルから乖離していってる気がする。気のせいじゃない。
まあ、近いうちに斬り捨てられる予定です。