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居酒屋なるシャーデ  作者: カレナイ
5/5

赤提灯の主

シャーデは小さな部屋の片隅で、日本語の勉強をしていた。


こんな時間にましてや一人ぼっちで家にいる事などなかったシャーデにとって、夜の静かな時間がこれ程に心寂しいものなどと知る由もなかった。



「あぁ……お父様もお母様も心配してるだろうなぁ〜」



シャーデはお腹の虫が、グルルと鳴った。


「お腹もすいちゃったし、日本の食事ってどんなだろ……」



シャーデはカバンに入れておいた、お気に入りのクッキーとキャンデーを机に広げた。



その時である。入り口のドアが開くと女性が、疲れた様子で帰ってきた。



シャーデの顔を見るなり、



「あんた誰?」


眉をひそめてシャーデを見た。



「あ?そっか……頼まれてたんだ。アイちゃんに……」



女性はそう言うと、


「あんた名前は?」



と聞いた。



シャーデは慌てるように、立ち上がると、



「は、始めまして。私シャーデと言います。

ルクセンブルクから、あの、その……やって来まして……」



「あっ、そ。

そんな事言いから、飯食べに行こう」



女性はそう言うと、忙しそうに出て行った。


シャーデは慌てて、帽子を手に取ると女性の後を追った。



「あたしサキ子ね。まっ、おばさんでもいーけど?」


女性はサキ子であった。


「あの……少年が昼間……」


まだたどたどしくしか話せない日本語に、シャーデは申し訳なく思い途中で黙り込んでしまった。



「ああ。ナミルね」



「ナミル……さんて言うんですね」



「あいつ、誰に似たんだか愛想もクソもない奴でしょ?

あんた良いとこのお嬢さんだって?

へぇーーなんでこんな町に……」


サキ子は目を閉じると、片手を仰いだ。


「そ、それは……」


シャーデは不思議だと感じた。

異国の言葉を、自分なりに理解しようとする心が大きければ大きい程、サキ子の言葉が自然に伝わってくる。



「あいつね、目が見えないんだ」


サキ子は街灯の下で、ポケットからタバコを取り出すと火をつけた。


そして一気に煙りを吹かした。


シャーデは少年が杖を持っている姿を思い出した。


確かに少年は目が不自由に見えたが、その少年の持つ瞳の美しさについ見惚れてしまった程だ。


黒く澄んだ瞳。


心の色が瞳に現れると父は言った。


「シャーデはとても綺麗な瞳をしているな。

お前はまだ汚れを知らない、真っ白な湖のようだ」


父はそう言い微笑んだ。


「お父様……」


シャーデは心の中で父を呼んだ。


「あいつね、医者目指してたんだよ?

あたしに似合わず、頭良いんだよな」


サキ子は美味そうにタバコを吸い込む。


そして一気に煙を吹かすと、大きくため息をこぼした。



「ふぅ……けどね突然の高熱で倒れちゃってさ。何が原因かわからず失明さ」



サキ子の吹かすタバコの煙りが、街灯の明かりに照らされながら、ゆっくりと消えて行った。



シャーデは煙を目で追いかけた。


「あいつね、あたしみたいな親にはなりたくないらしいよ?

自分で自分の人生を変えてみせる……それで医者になる決心したんだとさ」


サキ子はタバコの火を、足で強く踏みつけた。


「それがさ、こんな結末だろ?

そりゃー自分の天命恨んでると思うよ」



サキ子は踏みつけたタバコの吸い殻を、道路端の溝へ投げ入れようとしたが、シャーデと目が合った。


一瞬自分の持っている吸い殻を見つめたが、何故か諦めたようにそのままポケットの中へと入れ込んだ。



「え……あの……お医者さんもうなれないんですか?」



シャーデは何だか、とても心が痛んだ。




「なんか始めて会ったあんたに、ベラベラ喋り過ぎだね?あっ、ここだよ」



着いた場所は一軒の居酒屋である。


赤提灯には、『ハナ』と書いてある。




しかしまだ提灯には、明かりは灯ってはいないようだ。



シャーデは始めて見る、異様な外観に目を丸くした。


「ハハーこのぶら下がってんのは、提灯てんだ。

これに明かりが灯るんだ。

あー?ライト、ライトね?」


サキ子はシャーデがきちんと日本語を理解しているのか、半信半疑であった。


「この店は居酒屋ってんだ。

まっ、どこにでもある酒場だな。

この提灯に明かりが灯ると、オープンさ」


サキ子は暖簾をくぐると、扉を横に開いた。



と同時に中からしゃがれた声が聞こえた。


「まだ準備中だ!」


中には小太りな老婆が、おでんの串を並び替えている。



「提灯見ただろ?」


老婆は客が来たと言うのに、顏も上げずつっけんどんにそう言った。



「でももう、とっくに6時を回っていますわ……」



サキ子はわざと声を変えながら言った。



「うちは営業時間なんぞ、あってないもんだ!

提灯点いたら出直しとくれ」



老婆はそれでも客の顔は見ず、後ろを向いて作業を続けた。



「はーー何て店だー!よくこれで客逃がさないねー」


サキ子は笑った。



すると老婆は耳をピクリと動かすと、



「何、お前さんか……」



老婆はまたおでんの串を、覗いた。



だがまだ客の顔は見ず、おでんを見たままだ。



「出直しとくれ」



「まっ、そう言わずにさ、今日は新しいお客連れて来てやったんだからな」


サキ子は図々しくも、勝手にカウンターの椅子に腰掛けた。


「さっ、あんたも座りな」


そう言い、シャーデに隣の椅子を引いてやった。



「何が客だ!いつも食い逃げばかりしやがって、ツケどれだけ貯まってると思ってんだ……

それにうちは、一見はお断りだ!

有難迷惑だってんだ」



老婆は知らん顔をしたまま、おしぼりを取りに行った。



そしてシャーデにおしぼりを渡すと、サキ子には投げつけた。



「かぁー?怖い婆さんだ!」


サキ子はシャーデを見て笑った。


シャーデは老婆の顔の怖さに、笑顔も引きつっていた。



「ん⁇……外人さんか?」



老婆は初めて、客の顔を見た。



「ああ。ベッピンさんだろ?」



「お前、英語も喋れん奴が案内できるんか?」

老婆はサキ子へ訪ねた。


「心配ないね、この子日本語喋れるよーだしね」



老婆は今度は、苦虫を潰したような顔でシャーデを見た。


シャーデは終始笑顔を絶やさずに居た。



「まぁ、他所の国に来るんだ。言葉くれー勉強してくるわな」



老婆は焼酎の一升瓶を抱えると、グラスに注いだ。


「あんた何飲む?酒かぃ?」



サキ子はシャーデに聞くと、シャーデは慌て手を振った。


「まだ未成年かぃ?ならジュースでいいかぃ?」



シャーデは黙ったまま頷いた。


「そいで、こちらのお嬢さんは、お前さんちに居候かぃ?」


老婆は平皿におでんの具を適当に装うと、サキ子とシャーデの真ん中へ荒く置いた。


「ああ、そうだよ。貧乏人ちに人なんて養えるかってんだよ?

だけどさ、あいちゃんが良いとこのお嬢さんだから金は持ってるだろーから心配ないって言うからさ」


サキ子は前に立てかけてある割り箸を手に取ると、二つに割いた。

そして熱々のおでんの具を、ふぅふぅと息を吹きかけながら口の中へと頬張った。


「あ?あんたも食いな!」


サキ子はシャーデに割り箸の割り方と、おでんを勧めた。


シャーデはまたまた始めて見る、食べ物に違和感を感じながらも、そっとおでんに箸をつけた。


「あいちゃんとは、あの外国で売れねー絵ばかり描いとるヤツか?」


老婆はコンニャクの串を、大量に鍋に放り入れた。


「ああ、そうそう」


すると老婆はいきなり笑い出した。


「ほうじゃ。お前が人を預かるなんぞできるもんか!

自分の息子さえ、まともに育てられんのに!

しかも毎日好き放題に遊びほーけてばかりおる。

ギャンブルに酒にと、だらしねー言うたらないわぃ!」


老婆はテーブルの上に置いてあった、客からの差し入れの大きな饅頭を口に入れた。そして一気に湯呑みのお茶を飲み干した。


サキ子は空になった焼酎のグラスを老婆に差し出すと、


「あたしだってきっちり仕事してんだろ?

する事してんだから、好きな事して何が悪い?」


老婆は差し出したサキ子の手を思い切り叩いた。



「何が仕事じゃ!あれぐれーのパートなんぞ仕事のうちはいるか!

ナミルの学校だって、ありゃーナミル自身の頭の良さで、授業料だって免除になったもの。お前の助けなんぞ、あの子は何一つ受け取らん!

そんな事より、今後もナミルの治療費だってかかるし、ナミルの今後の将来の事もある。

お前がそんな遊んで暮らせるバカが何処におるんじゃ!」


「わかってるわよ。うるさい婆さんだねー本当に……」



サキ子は焼酎のお代わりを催促した。


老婆はもう一度サキ子の手を叩くと、仕方ないと言う顔をしながらグラスに焼酎を注いだ。


「だからさ、あたしんちは貧乏なのさー

あんた良いとこのお嬢さんなら、親にきちんと仕送りと、うちの家賃ぐらいは入れてよね?

まっ、狭っくるしー家だからさ、少しはまけとくよー」


サキ子の顔は、ほんのりと赤らいでいた。


「なーに?あんな汚らしい家で金とるつもりか?

お前はどこまでせこいヤツだか!」


老婆は眉間にしわを寄せた。



「あ、あの……」


サキ子と老婆は、振り向いた。


シャーデは何故か俯いたままだ。


「あの……私お金なんて持ってません……

それに親に仕送りなんてして貰うつもりもありません。

自分一人で生きて行くつもりで、この国へ来たんです」


サキ子と老婆は、驚いた眼差しでシャーデを見つめた。



「なので、差し支えなければ、あの……私をここで働かせて頂けませんか?」


シャーデは深々と頭を下げた。



サキ子と老婆は顔を見合わすと、目を見開いた。



「お願いします!何でもしますので!」


シャーデは何度も何度も頭を下げ続けた。



サキ子も老婆もお互いの顔を何度も何度も見回した。


「は、働くってここで?」


サキ子は言った。



「はい!だめでしょうか?」


サキ子はもう一度老婆を見た。


老婆は一瞬驚いてみせたが、すぐに首を横に振った。



「そ、それいいねー‼︎」


サキ子は納得したかのように、手を叩いた。


そんなサキ子を老婆は、さらに眉間にシワを寄せ睨みつけた。


「どうせこの婆さん、趣味がてらにこの店やってんだ。

あたしなんかに色々とうるさく言うけどさ、この婆さんの方がよほど呑気にこの店やってんだよ?

だって住んでるとこは大きな一軒家だし、金はしこたま持ってんだ。

だからこの店なんか、婆さんのボケ防止のようなもんさ。

開けたい時に開けてさ、提灯だって灯りだってまともに灯したことはーない。

閉めたい時に閉めるんだ。

嫌な客はすぐ様追い返すわ、一見お断りだーの抜かして、一向ーに客層なんてここ何十年と変わっちゃーいない。

あたしから言わせりゃーこれほど遊びのような店はないってんだ。

だからあんた一人くらい雇うのなんの、大した事じゃーない筈さ!

そーだよ、そりゃーいい案だ!」


サキ子は手を叩いて喜んでいる。

真っ赤な頬をして、すっかり上機嫌である。


「アホッー‼︎誰が遊びでやっとるだと!

バカも休み休み言え!

お前さんと一緒にするな。

遊びで40年店やれるか?

本当、苦労しらんヤツはいい加減な事ばかりぬかしやがるわぃ!」


老婆は呆れた眼差しで、おでんに出汁を加えた。


「なっ?ハナさんよ……頼むわ。

あたしからもお願いだよ?

この娘も外人だろ、急に働けるよーなとこもないだろーしさ。

それに一門無しの者うちに置いてやれる程、うちは裕福じゃないしさーかと言って追い帰す訳にもいかないだろ?

あいちゃんに頼まれたしさ?」



サキ子は両手を合わせてお願いした。


「ふんっ!調子いーことゆってからに!

金持ちなんぞの言葉に目ーくらんだお前さんが甘いんだが!」


「はいはい。すんませんね」


その時である。ガラガラと引き戸が開いた。

そして男がそっと暖簾をくぐった。


男は長めの茶色いコートに、 帽子を被っている。


「脇……さん⁈」


サキ子は驚き気味に言った。


常連の脇坂と言う男である。


この居酒屋の近くにある、役所に勤めている。


仕事帰りであろう、スーツの上には厚手のコートを羽織っていた。

書類の沢山詰まってありそうな、大きな鞄を隣の椅子の上へと置いた。

一瞬ハナの顔色が変わった。

男はそんなハナの顔つきを察したが、ゆっくりコートを脱ぐと壁に吊るしてあるハンガーにコートをそっとかけた。

だが男は帽子は、被ったままである。



そしてサキ子とシャーデを見ながら微笑んだ。


「おや?見かけない客だ?それに綺麗な外人さんだ」


脇坂はシャーデに、軽く会釈した。そして横にいるサキ子に目線を移した。


「サキさん、早いなぁ〜今日もあれ?儲けたのかね?」


そう言いながら、椅子に腰掛けた。



「あ、ああ。パチンコかぃ?

ダメに決まってんだろ。

あたしゃ、最近めっきり勝負運が切れちゃったよーだよ」


「ハハハーサキさんでも、負け続きがくるんだな」


男は笑いながら、青地のチェック柄のネクタイを緩めた。


「店ん中じゃ、帽子は脱いどくれよ!

暑っくるしくて見てらんないよ!」


ハナはつっけんどんに言い放った。


だが男は何も聞こえなかったように、


「ビール下さい」


そして席を立つと、おでんの中身を覗き込み、


「今日は大根しみてそうだ……

大根一丁と、たまごに筋、それとコンニャク一つ下さい」


そう言いまた椅子に腰掛けた。



帽子はどうやら、脱ぐつもりはなさそうだ。


そんな脇坂を横目に、サキ子はやれやれと言うような顔をした。


その後サキ子も男も、何杯もの焼酎をお代わりした。


そしてその度にサキ子は、ハナより何度も手を叩かれていた。



カウンター前の壁には、店の色々なメニューがチラシの切れ端に無造作に書かれてある。


「お好み焼き食べるかぃ?

ハナの婆さんのお好み焼きは、絶品だよ?」


サキ子はシャーデの為に、お好み焼きを注文した。だが、


「今日はお好みはしまいだ!」


ハナは何故か急に機嫌を損ねていた。

サキ子が気に入らないのか、はたまた脇坂か。



だがその後も、たっぷりと長時間染みわたった、おでんの盛り合わせ以外に客が注文したつまみは、一つ足りともも出てくることはなかったのだ。




「閉める!」


サキ子も脇坂も、焼酎とおでんの温もりで、程よい気分になった時である。


突然ハナは、店じまいを始めた。



「婆さん?閉めるって、まだ9時前だよ。今から客足増える時間だろ?」



サキ子は呆れ顔でぼやいた。



「うるさい!閉めるっ言ったら、閉めるんじゃ!

早よ帰れ、わしゃ、今日は疲れたわぃ!」


そう言いながら、おでんの火を消し、サキ子や脇坂の前に並んだ皿を下げ始めた。


「やれやれ、脇さん来たからかぃ?

いい歳していつまで仲たがいしてんのさ。

他の客ぁーいい迷惑だよ」


サキ子はテーブルに仰け反りながら、2人を交互に指差した。


「はん?誰が客だって?

ただ飲みする客なんぞ、はなからこの店の客とは思っておらん!

さっさ、帰りな!

わしゃー今から鶴亀の湯さ、行くからよ」



「ひぃー客追い出して、温泉かぃ?

いい度胸してるわ!」



「うるさいっ!お開きじゃ!」



「はいはい。わかりましたよ。

脇さん、帰るよ!」


そう言いサキ子は、脇坂のコートを壁から下ろすと、さっと肩にかけてやった。



「ふ……んと、くそババアだぜ……」


脇坂は小声で呟いた。



「何だと?」


ハナは脇坂の前に顔をつんのめた。


「はいはいはいはい。帰るよ!

脇さん、ほら、立った立った!」


サキ子は脇坂の腕を強引に掴むと、表へと連れ出した。


「婆さん、またな!」

サキ子はわハナに向かいそう告げた。


「二度と来るな!」


奥からハナの罵声が飛んだ。



「本当、くそババアだよ」


サキ子はそう言い笑った。


シャーデはそんなサキ子や脇坂やハナの異質な関係と行動に、目が忙しいほどに泳いでいた。


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