3話 ケルンの画家
町はすっかり日が沈み、紫色した街灯が点いたり消えたりを繰り返している。
今にも消えてしまいそうだ。
その間から映し出された町並みは、まるで水彩画を水でぼやかしたような、ほんのりと曖昧な景色である。
近くのカフェバーらしき店で、《ローゼリィ》と言う花屋を訪ねた。
すぐ近くにあると聞いたシャーデは、車で待つパシェルに別れを告げた。
夢に満ち溢れ前進して行くシャーデを、パシェルは黙って見守ることにした。
常に連絡を途絶えないとだけ約束し、パシェルはシャーデの元を去って行った。
生まれて初めての冒険だ。
ここはケルンの町。
正直シャーデの暮らす街からは、そう対して離れてはいない。
だがこの町はシャーデにとって、初めの一歩にしか過ぎなかった。
ほんの一歩にだ。
シャーデは《ローゼリィ》を探した。
紫色の街灯がやけに薄暗く、所どころにある店の看板も暗くて良く見えない状況だ。
一軒の店らしき建物の前に、シャーデは立ち止まった。
グリーンの三角屋根が、シャーデの目に留まったのだ。
そして屋根の真ん中に、《ローリィ》と書いてあり、真ん中の一文字は何故か消えてある。
シャーデはこの店だと確信した。
きっと看板の『ゼ』の字が消えているのだと思ったのだ。
店は明かりは点いていない。
見るからに古びた花屋である。
店は昼間営業をしているのか、はたまた閉店しているのか真っ暗でわからない。
だが三階の窓から、ほんのりと明かりが灯っている。
この店の人が住んでいるのか、シャーデは入り口のドアを探した。
裏口はあるが、鍵がかかってあり開かない。
店の前から部屋の明かり目掛けて、大声で叫ぶしかないかと思った時だ。
小さな明かりが、シャーデの目に飛び込んできた。
「誰?」
人が立っている。
シャーデは光の方へと、歩み寄った。
「何か用かしら?」
暗くて顔は見えないが、女性の声のようだ。
「あ、あの!こんばんわー」
シャーデは女性に向かい言った。
「すぐそこにあるカフェのマスターが、うちを探してる人がいるって言うから、慌てて来てみたの」
女性はそう言うと、シャーデの全身を持っている懐中電灯で照らした。
「こ、こんばんわ……」
シャーデはきっと怪しまれているに違いないと、緊張する余り声が上ずってしまった。
「どなたかしら、何か用?」
「は、はい……あ、あのちょっとお伺いしたい事がありまして」
「こんな時間に?」
女性の顔は暗くて見えないが、今まさに眉間にシワを寄せている表情がシャーデの心に映し出された。
「す、すみません……」
シャーデは被っていた帽子を取ると、深く頭を下げた。
「まっ、怪しい者ではなさそうだから、いいわっ中へ入って!」
女性はそう言うと、裏口へと周った。
そして鍵をポケットから取り出すと、ドアに差し込み開けた。
「どうぞ……」
女性はそう言うと中へと入って行った。
「失礼します」
シャーデが中へ入り二〜三歩歩くと部屋の明かりが灯った。
女性は振り返るとシャーデを見た。
黒髪で短髪、グリーンのイヤリングをした中年の女性である。
確かにあの露天商の男が言っていたように、日本人に間違いなかった。
花屋の仕事の合間に、絵を描いているのだろうか、一階は花が沢山入った冷蔵庫に、辺り一面に花や茎の切りカスが散乱していた。
「散らかってるけど、気にしないで頂戴」
そう言い、二階へ続く階段を昇りそのまま三階まで昇って行った。
ペンキの剥がれたドアが開くと、女性はシャーデを中へと案内した。
暗い豆電球の、灯りひとつの部屋である。
所狭しと絵画が飾られてある。
どれも異国の景色ばかりである。
「狭いでしょ?でも居候だから仕方ないのよ?
さぁ、座って」
そう言い女性は、小さな丸テーブルの下に小さな座布団を敷いた。
「ふふっ。初めて見るんでしょ?
お嬢さんは、きっと良いとこのお方ね?」
女性は笑った。
シャーデはパシェルの敷くレース柄のクッションなら知っているが、座布団など知る由もなかった。
キョトンと目を丸くしながら、座布団を見つめるシャーデが面白かったのか、女性はいつまでも笑っていた。
「これはね、日本で言う座布団って敷物なの。
クッションよりも遥かに薄っぺらだけど、座り心地は良いのよ。
どうぞ、座って」
シャーデはそっと足を下ろして座った。
「で、何かしら?聞きたい事って」
女性は丸い湯呑みに、お茶を注いだ。
またまた見慣れぬ飲み物に、シャーデは目を大きくしていた。
「ふふ。これはお茶。
日本人……う…んアジアの方ではお茶は良く召し上がるものよ」
そう言いとわざと音を立て、息を吹きかけながら女性はお茶を飲み始めた。
「ありがとうございます。いただきます」
シャーデも湯呑みを手に持った。
お茶は暖かいを通り越して、熱く感じた。
「あの……突然お伺いしてなんですが、私日本へ行きたいんです」
今度は女性の目が丸くなった。