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女子になる日

 翌日は早めに自宅を出て、徒歩で中目黒に向かった。隣駅で徒歩圏内だからちょうどいい運動になる。

 待ち合わせの二時間前。駅近くにあるスターバックスでコーヒータイム。やっぱり土曜日だからかなり混み合い、私みたいなお一人様の割合が高め。シルバーの薄型ノートパソコン率も高め。そして、キーボードを打ってない率も... アクセサリーみたいなものか。


 文庫を取り出して読書に没頭する。大手百貨店で働くアパレルバイヤーの女の子の話。要約するとアパレルデザイナーとして成功していくストーリーだけど、その過程で仕事と恋愛の狭間で思い悩んだり、誰かと衝突しては傷ついたりする姿はとてもリアルで共感できる。一流大学を出て一流企業で働くイケメンの彼氏、いわゆる三高の男性からプロポーズを断ってしまう場面があるのだが、思わず感情移入しちゃって泣いてしまった。

 仕事に没頭したいっていう強い想いがあって、「海外にも出ていきたい」、「家庭を顧みずに働くかもしれない」という彼女の言葉に「それでも構わない」と応じる彼氏。結局、きっと相手をいつか傷つけてしまうからって彼女の方から別れを告げる。一人部屋で泣くシーンで私も号泣した。

 最後の章まで来たところで文庫を鞄にしまった。ラストは自宅で迎えたい。きっと私はまた泣くから。

 テーブルの上に裏向けで置いていたスマートフォンで時間を確認すると、まもなく十一時半。緊張してくるのが分かる。

 しばらくぼーっと店内にいる人々の様子を観察して過ごした後、約束の五分前に中目黒駅前に立った。


「早いんですね、佐山さん、こんにちは」

 改札の方に目を向けていた私は、声のする方に振り向くと秋原君がいた。

 グレーの無地Tシャツにレイバンのサングラスを引っ掛けて、オフホワイトのパンツの足元はネイビーのドライビングシューズ。いわゆる高身長イケメンだけが可能なスタイルだが、意外と様になっている。いや、秋原君は客観的に見ればイケメンの部類に入る。事実、周りにいる女子がチラチラと視線を送っている。

「秋原君こそ早いじゃん」

「もちろんですよ。佐山さんに時間をもらったわけですし、遅れるわけにはいけません。じゃ、行きましょうか」

「うん。お店って近いの?」

「そうですね、徒歩十分以内の距離ですね」


 目黒川沿いを肩を並べて歩きながら、お互いの休日の過ごし方とか当たり障りのない会話をしていた。オフィスではクールなキャラクターの秋原君だが今日はよく笑う。楽しそうに私の言葉に耳を傾ける。多くの人が行き交う歩道で、対向者にさりげなく進路を譲る姿も好感が持てる。

 真剣なデートにはしないつもりで来たのに、こんな考えを巡らせる自分が少し笑える。秋原君の話したいことの中身をまだ知らないのに。

 到着したお店は目黒川から一歩路地に入ったところにあった。煉瓦造りの外壁の前には小さな花壇。カラフルな花が咲いている。木製のドアには金色のベルがぶら下がり、例えるなら、昔ながらのこじんまりとした喫茶店のような外観。

「ここはグラタンが美味しいんですよ。小さいお店ですけどゆったりしてて一人でよく来るんです」そう言いながらドアを開けた。カランカランというベルの響きが懐かしい。

「いらっしゃい。おっ、今日は彼女と一緒ね」 パリッとした黒のシャツに同色の腰で巻くエプロンをした女性が出迎えてくれた。ショートヘアに大きな瞳。活発な女性という印象。私と同い年ぐらいか。

「違いますよ、職場の先輩なんです。今日は一緒にランチです」

「ご来店ありがとうございます。私一人でやってるので小さいお店ですがどうぞごゆっくり」

「じゃあ、佐山さん座りましょう」


 店内は四人掛けテーブルが左右に二卓、広く間隔をあけて配置されている。店の一番奥が カウンターキッチンになっている。

 秋原君に先導されて奥の席に向かった。

 私たち以外のお客さんはまだおらず、チーズのいい香りが鼻腔をくすぐる。

「どうぞ」と私のために椅子を引いて待つ、少しはにかんだ表情の秋原君は素直に可愛いなと思った。

 秋原君がおすすめだというシーフードグラタン、ロールキャベツ、ポテトサラダを注文した。数分後には他のテーブルも埋まり、皆一様にグラタンは必ず頼んでいた。

「僕は学生時代からここに通っているんです。シェフは冴木梨花さんというんですが、当時はお父さんがお店をやられていたんです。梨花さんは時々お店を手伝われてました。二年前にお父さんが亡くなられて、梨花さんが継がれたんです。味は今も昔も変わらず、ここに来ると落ち着くんです」

「へー、この辺りはよく来るのに今まで知らなかった。私、このお店の雰囲気すごく好き、それに梨花さんって綺麗ね」

 秋原君は少し前かがみになり、ひそひそ話をするように「実は、梨花さんに会うのも目的で通っていた頃もありました」と告白した。

「僕が大学に通っている頃には、すでに梨花さんは社会人で、会社がお休みの土日、月に数回ですがお店にいる日を狙って…」

「なんだか青春だね、そういうの。告白はしなかったの?」

「いや、まあ、そのチャレンジはした事はありますけど…。ダメでした。正直に言うと、デートに誘っても実現までこぎ着けず終いです。憧れが強すぎたんですね。失敗するのが怖かったんです」

「じゃあ今でもひょっとして…?」

「いえ、それはもうないです。僕の大切な青春の思い出です。ただ…」そこで言葉を一旦区切ると、真剣な目で「この片思いから、失敗しても想いをしっかり伝えないといけないという事は学びました」と続けた。


「何、先輩に恋愛相談?」気づいたらそこに梨花さんが立っていた。ポテトサラダの到着だ。

 一瞬、私への告白が始まるのかと焦ったが、グッドタイミング。全て私の勘違いだったら、聖子には良い笑い話になるだろう。

「直樹君は、昔から奥手だったんです。ずっと好きな人がいるんですって相談してきた割に、話が一向に進まなくてモヤモヤしたの覚えてるよ」

 梨花さんはスムーズな動作でポテトサラダが入った花柄のボールと取り皿を置くとキッチンへと帰っていった。

「秋原君、梨花さんに相談してたんだ。梨花さんが好きな事」

「… そうです。それ以上の話はないですが」

 恥ずかしそうにうつむく秋原君に、ポテトサラダを取り分けてあげ、「いただきます」と手を合わせて一口食べた。

 美味しかった。静かに感動する、そう表現したくなる素朴な味。一品目時点で、次は聖子も連れてきてあげようと思った。

 その後に続いたロールキャベツも、メインのグラタンも、話を止めて黙々と食べてしまうほど美味しい。

 料理をテンポ良く口に運ぶ私を時折見つめては秋原君はふっと笑顔になる。

「ところで、金曜日に言ってた話って何?」料理を完食したところで聞いてみた。

「…話、ですか。後でお伺いさせてください」

「えっ? あ、うん。いいよ」

「すみません、ちょっとまだ早いというかなんと言うかで」

「何よそれ。もったいぶって」

「ここだと、ちょっと話しにくいので…」

 賭け事が好きなイギリスのブックメーカーなら、告白される可能性に対してオッズはいくらと設定するだろうか。


 梨花さんがテーブルの空き皿を片しに来た。

 所作を眺める秋原君の表情は、控え目に言っても梨花さんへの憧れがにじみ出ている。露骨に、と言っても過言ではないほどに…。どうも過去形の恋ではなさそうだが。

 クールでスマートな印象の梨花さんは、ずっと前から秋原君の想いに気づいていたはずだ。そんな気がする。

 梨花さんが私達のテーブルを離れた後、「今日の話って、秋原君の恋愛相談?」と努めて冷静に尋ねてみた。

 職場の先輩、クール、頼れる、しかも…美人、が私のあるべき姿だ。---だよね?

 えっ、と驚いたような秋原君の顔。これは当たりだ。

「秋原君、デザートはクリームブリュレだけど、コーヒーか紅茶どちらがいい?」 梨花さんがカウンター越しに声をかけてきた。

 助かった、そんな顔の秋原君に同様の質問をされ、反射的にコーヒーを注文する事になった。


 その後、角度を変えながら今日の話を聞き出そうとするも徒労に終わった。思わず梨花さんに直接聞いてやろうかと思ったが、それだけはなんとか堪えた。

「お待たせしました。コーヒーとクリームブリュレです」

「料理全部美味しかったです。今度、友達を連れて来ますね」

「そう言って頂いて嬉しいです。じゃあ、早速明日予約されます?」

 すぐに「冗談です」とツッコミを入れる梨花さんの笑顔は女の私から見ても魅力的だと思う。自然で、包容力があって、クールで… 私がそうありたいと願う自分像と完全に一致する。

 勝手に私が梨花さんと話し出そうとするから、秋原君の焦りがありありと見て取れる。意地悪も楽しいものだ。

「お店、毎日混んでてお休みは取れないんじゃないですか?」

「そうですね。定休日はありますけど、長いお休みを取ろうと思ったら、前もってお客さんに告知しておかないといけませんね。ご来店頂く方の多くは昔からの常連の方々なのですが、いつも休んだらと言ってくれます。でもこんな小さなお店なので、あまり長く閉めちゃうと私の台所事情も大変になっちゃいます」

 現に今いるお客さんのテーブルに訪れては全員と親しく会話していた。

「やっぱり、常連さんが多いんですね。分かります。私もその内の一人になりたいですし」

「ありがとうございます。秋原君なんて昔から一人で来るもんだから、良い加減彼女と一緒に来たらってずーっと言ってたんですよ。でも、実は彼女の話は教えてくれたことがないのですけど」そう言って梨花さんは秋原君を一瞥して続けた。

「このお店は大切な場所だから、思い出を分け合える人ができたら来たいなんて、嬉しいですけど、格好つけた事を言うのでそれがまた笑えるんです」

 それまでずっと押し黙っていた秋原君がぼそりと「いなかったから連れてこれなかったんです」と反論した。

「ふふふ。長居してすみません」と言ってカウンターに戻る梨花さんを見送ると、秋原君の方に視線を移した。

「好きな人がいるお店に通っても想いが伝えられないもどかしさ。なんか、キュンってする話だな」

「もう過去のことですって」

「そうかな。今でも想ってるのは表情を見ていれば分かるよ。この短い時間で私が分かったぐらいだから、憧れの人はきっと、ずっと前から気づいていたと思うよ」

「ほん、とですか? 分かりますか…?」

「…うん、隠してたつもりならバレバレ」

 両手で顔を覆うと「あーっ。しばらく来られない!」 と恥ずかしそうにする秋原君に、なぜだか親近感が湧いてきた。


 時間にして数分。沈黙の時間を過ごした後には秋原君の顔は晴れ晴れとしていた。

「信じてもらえないかもしれませんけど、今、好きな人がいます」 食器類を洗っている梨花さんの方に視線を向けながら、「でも、違う人です」と言った。

「このお店には大切な人と来たい、その考えは今も一緒です」

「… そう、なんだ」 ほぼ飲み終えていたコーヒーを口に含んで場をつなぐ。今度は、私が追い込まれたような気がする。続きは、私の予想通りだろうか。

「佐山さんは、お付き合いされている方はおられますか?」

 来た。待ってはなかったし、期待も、してはなかったけど、遂に決定的な問いが来た。まずは、ジャブにはジャブで返すのがセオリーか。

「今はいないよ」

「そうですか」とつかの間ふーんと頷きながら逡巡するような仕草をした後、「ところで、佐山さんはロングよりボブの方がお似合いですね」 と文脈的におかしな発言をした。

 ところでって何!? 髪型の件は嬉しいけど、そうじゃないでしょ。普通は問いをした後、様子見のラウンド1開始でしょうが!

「ありがと。長い間ロングでいるとね、時々衝動的に切りたくなるのよ。でも正解だったみたいで良かった」

「お似合いなのは最初から思ってましたけど、オフィスで言うのも気が引けて、今更になってしまいましたけど」

「オフィスでさらっと女子にファッションとか髪型褒めるキャラじゃないしね」

「いや、でも藤浦さんよりも先に気づいてましたよ」

  ムキになる秋原君に少しドキリとさせられる。

 藤浦さんとは、オフィスに一人はいるぶりっ子キャラの若手女子だ。いつも誰かの持ち物や服装に目を光らせては、どこのブランドの新作だと品評をする。言い換えると、ファッション感度が高く、流行には敏感であることから、業務ではかなり重宝されている。

「何よ、憧れの私を前にムキになっちゃって」

 どうだ? 強めの右ストレート。

「ムキになったらダメですか。主張すべきはしっかりと伝えるのがモットーです」

 さっきから読めないな、まったく。

「じゃあ、ファン一号に認定してあげるから機嫌直してよ」

「それって、握手会ありですか?」

「あはは、笑っちゃうからやめてよ。握手会は良いけど、地下アイドルみたいな水着撮影会はしないからね。安売りしないの、私」

「佐山さんは、クールな人ですけど、僕は佐山さんの弱さももっと見てみたいですよ」

「何言ってんのよ。アイドルを口説こうとしてんの?」この馬鹿っぽい会話、実を言うと相当恥ずかしい。

「口説くなんて… でも、これから少しずつ、佐山さんという人を知っていきたいです。今日は…」

  秋原君は鼻で大きく息を吸うと、

「今日はそれを伝えたくてお呼びしました」

 少し早口で一気に言い切った。

 分かった、とだけ応じる事ができたが、その後に続く言葉が見つからない。


 腕時計で時刻を確認した秋原君に「そろそろ行きましょうか」と促され店を出る事になった。

 先輩として、必死に固辞する秋原君を横目に支払いは私がした。テーブルで代金を梨花さんに渡し、来週末の予約も一緒にした。聖子と再訪するのが楽しみだ。

 見送りに来た梨花さんに別れを告げ、駅への道を辿る。私の左側を歩く秋原君を意識して左手が妙に汗ばむ。さっと、自然に手を繋ぐ、そういう展開ってあるよね? ドラマだと...

 待ち合わせで混雑する中目黒駅の改札前に到着すると、秋原君は食事のお礼を言うと、そのまま改札を抜けて行ってしまった。歩いて帰るとは伝えたけども、そういうものだろうか。お茶しませんかとか、恋愛のテンプレにあるものではないだろうか。


 聖子に電話をすると、恵比寿のイタリアンバルで一人飲み中だった。一人と言ってもお店で知り合った飲み仲間が必ず一人はいるから楽しいらしい。

 駅前でタクシーを捕まえて店へと向かった。隣駅だから十分徒歩圏内だが、一刻も早く聖子に今日の事を伝えたかった。


「うーん、それはなんだか高校生の恋愛みたいだね。いや、今時の子はませてるから、小学生か。でも、そういう話って憧れるなー」

 バルの小さなテーブルで向かい合う聖子は、一通りの事の顛末を聞いた後、こう感想を述べた。

「消化不良っていうか、煮え切らないっていうか、確かに十代の初デートみたいな感じだと言われればそうなのかもね」

「私らの年齢になればさ、片思いのドキドキとか、相手の事を想って寝られないとか、もはやはるか彼方の思い出だよ。モジモジしながら髪型褒めらてたいなー。あはは。私もフリーだからそういう恋を求むよ」

「ダサい下着で行けって言ってたのどこの誰よ」

「まさか勝負下着オン?」

「いや、オンしてないし、ダサくもないし」

「万一には備えてたのね、昼間から」

「ないない。昼間から仕掛けて来る男なら相手にしないって。でもさ、これからどうしたらいいと思う?」

「それは玲奈が決めることだけど、急ぐ必要はないし、彼の想いに応えなきゃって思う必要もない。どうやら、秋原君を意識し出してるみたいだけど」

「うん、自分でもびっくりだけど、意識してる部分もある」

「あら、素直ね。フリー歴長過ぎたんじゃない? 男と遊ぶ事もしないしさ、実は純愛を信じちゃってるんじゃないの」


 純愛ってどういうものなんだろうか。

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