チャプター 07:「不穏」
幾つもの調理台やかまどが並ぶ調理場で、知子は集まった料理人達へ料理指導を行って
いた。
ポポコ料理研究協会はスタートこそ緩やかではあったものの、飲食店長仲間を通じて噂
が広がり、協会員は二十名を越える規模まで大きくなっていた。知子が小柄な事もあり、
初参加の調理師達は訝しげな表情の者ばかりだったが、ひとたび知子が調理を行えば、ま
るで魔法のように生み出された料理が、参加者達の表情を塗り替えてしまっていた。
そして、六度目となる料理教室も無事に終わりが見え始めた事で、知子は用意されたお
立ち台へと登り、新たに指示を出した。
「手を止めずにい聞いて欲しい。今日も全員、及第点を上げられるくらい作れるようにな
ったわ。よって、出来た者から試食と片づけを始めて良し!」
雰囲気で参加者達が聞いている事を感じ取ると、知子はお立ち台から降り、知子に最も
近い位置で作業を行う男へ目を向けた。
知子へ最初に弟子入りした男、"キッチンブラザー"の店主、トニオである。
「それじゃあ、私はこれから商工会へ行かなければならないから…………あとは、任せて
もいい?」
一番に入会したからと言って、トニオが研究会で特権を持っているわけでもなく、知子
の頼みを聞くメリットは何も無い。しかし、嬉しそうに握り拳を作るトニオからは、知子
に対する尊敬の念と、何かを察したような表情が読みとれた。
「任せてください! あとは、きちんと片づけておきますから! 俺が言うのも失礼かも
しれませんが…………頑張ってくだせえ」
「うん、ありがとう」
苦笑しながら頷く知子。後の事を考えると気が重くなるものの、トニオに励まされた事
で元気を取り戻し、目の前の調理台へと視線を向けた。
「さて…………やりますか!」
言うや否や、自分の調理台を電光石火の早業で片づけ、布巾で綺麗に拭き上げる。半数
以上の参加者は既に片づけを始めていたが、結果的に最も早く片づけ終えたのは知子だっ
た。
最後に井戸水で布巾を濯ぎ、それを布巾掛けへ干すと、颯爽と研究協会の部屋を出て行
く知子。扉を出ると、知子達が拠点とする建物と同じようなロビーがあり、それを横切っ
て反対側の扉へ近づくと、ノブを捻って中へと入る。
室内には、大きな機械を組み立てている千歳が居た。手を止めて知子を見る千歳だが、
それが申し訳ないと考えた知子が、手を上げて苦笑する。
「いいよいいよ。私はただ、商工会長と話し合う為の準備に来ただけだから」
一瞬の拍を置いて、千歳が頷いた。
「……ああ。そういえば、出向命令が来ていた。強制力は無いのに、わざわざ行くちいち
ゃんは律儀」
「ははは…………まあ、あんまり波風を立てたくないのよ。向こうもお金の匂いには敏感
そうな人たちだし、仕方がないとは思うから」
「なるほど。しかし、それだけではないように見える」
知子は笑みをひきつらせながら二度頷いた。
「そう、だね。ここが中世ベースの世界なら、敵対者を追い込む手段も、バリエーション
が豊富な筈だし、ね。現代と違って専門職も結構居るだろうし、私が想像できるなら、相
手も同じ事を考える筈だから」
千歳は、止まっていた手を少し動かしながら視線を落とし、そして首肯した。
「その意見には同意。私たちに英雄の血統という特権があり、死に至った場合、簡単に蘇
れる存在であったとしても。枕を高くして眠れるに越した事はない。下手を打てば、PT
SDまっしぐら。少し……リアルに作りすぎてしまったのかもしれない」
知子は、自分から血の気が引いて行く音を聞いた気がした。
「お、脅さないでよ…………も、もう。行ってくるわ」
「うん。いってらっしゃい」
いくつかの資料を抱え、知子は千歳の工房を出た。そして、ロビーを横切り、出入り口
を開けて、ポポコ城下町の大通りへと出た。
「うん………………うん! いいわね!」
ぽつりと呟いた知子の感想は、その景観に対してのものである。ファンタジー映画にあ
りがちで、しかし当たり前のように作り込まれた町の景観は、例え冒険が無くとも心惹か
れる美しさがあった。大通りは石畳で舗装されているものの、土埃や木の匂いが漂う。
そこには多くの人が行き交い、活気に満ちていた。
しかし、景観を楽しむ時間も、あっという間に終わりを告げる。知子がたどり着いたの
は、多くの露店が並ぶ大広場の隅に建つ、一際大きな建物。
看板には横文字で、"ポポコ商工会"と書かれていた。
「あの…………こんにちは!」
地元の商店街の商工会というわけでもないその場が、誰でも入場して良い場所なのか判
断がつきかねた知子は、一応の礼儀として扉のノッカーを叩きながら人を呼ぶ。
そして、中から「どうぞ」と、許可を出す低い声が聞こえた事で、知子は生唾を飲み込
みながら内部へ入った。
扉をくぐると、応接室のような大きな部屋の中央で、ベストとタイを身につけた大きな
男が、後ろで手を組みながら微笑している。そして男の目つきは、獲物を品定めする猛獣
のそれだった。 しかし、ここで気迫負けしてしまってはならないと、知子は虚勢で男を
見返し、胸を張る。
「私、ポポコ料理研究協会の代表、オガワチイコ、です」
知子が名乗ると、男は一瞬驚いた様子で目をみはる。
そして、一層凶暴な笑みを浮かべながら知子を見下ろした。
「ああ、貴女があの。お待ちしておりました。どうぞ、こちらへ」
男の声色が加虐的になる様に怖じ気づきながらも、案内に従い、奥の部屋へ通される。
そして、通された部屋に待ちかまえていたのは、商工会長らしき男と、フードを被った
細身の人間。知子は、ローブ越しに見るシルエットから、その人間が女であると推察した。
しかし、纏う雰囲気は商人や職人のそれとは明らかに違う。生死を賭けた戦いを幾度も経
験したであろう落ち着いた振舞いは、彼女が戦士である事を物語っていた。
更に、案内した男とローブの女が商工会長の背後についた事で、知子はその場で何が始
まるのか確信し、歯噛みする。
あからさまな脅迫。
しかし商工会長らしき男は、いやらしく笑いながら着席を促した。扉二枚隔てた先には
大広場があり、逃げようと思えば不可能ではないが、知子が入った瞬間大男が鍵を掛けて
おり、それを開錠している間に襲われる危険が高い。
しかし、知子には奥の手があった。その日はあえて、相手の土俵に上がる覚悟を決め、
バックパックを下ろし、着席する。
「…………いやいや。忙しい中よく来てくれたね。私がポポコ商工会の会長を務めるブラ
ドだ。よろしく頼む」
「はい。よろしくお願いします」
ブラドと名乗った男は、知子の予想に反して穏やかに話し始めた。何を仕掛けてくるの
か警戒を続けながら、知子はブラドの話に耳を傾ける。
そして、その様が可笑しかったのか、ブラドは声を上げて笑って見せた。
「ハハ、ハハハッ! …………いや、失礼。そう、緊張する事はない。我々は商い人(あ
きないびと)らしく、話をする為に集ったのだから」
この状況を作って何を、と、知子は恨めしくブラドを睨んだ。そして、状況を楽観視し
ていた自分も、酷く腹立たしかった。
知子が無言で睨み続ける中、話を強引に進めようとブラドが口を開いた。
「今日、ミス・チイコに来ていただいたのは、貴女が設立したポポコ料理研究協会につい
てだ」
「…………はい」
重い声で応答すると、ブラドは口の端を釣り上げる。
「商工会内で議論した結果、貴殿の協会には特別料率を適用する事となった。総利益の六
割を、会費として納めていただきたい」
「なっ、何を?!」
余りに突飛な話に、知子は堪らず大声を上げる。
知子は、他の商工会員が高額な会費を支払っている事や、実質の活動は皆無に等しい事
は、トニオをはじめとした多くの会員から聞いている。実際の活動は行っていないのにも
かかわらず、集金だけはしっかりと行っていた。
通常の組織ならば、それがまかり通る筈がなく、会員達から批判が殺到し、組織解体に
追い込まれる事は容易に想像できる。
しかしそうならないのはポポコ商工会が持つ、大きな権力故である。知子が耳にした噂
では、非所属の店舗や職人に対してポポコの法律スレスレの嫌がらせを繰り返し、非所属
の工商人たちを城下町から追い出している、との事だった。
そして何より厄介なのは、目の前に座るブラドの立場だった。本家ではないものの、ポ
ポコ王家の血筋なのである。国家運営を司る家系のコネクションは協力で、ポポコ料理研
究協会の会員達も、後ろ暗い噂の絶えない人物だと話していた。そして、地域振興の名の
下に会費を徴収しているものの、回収された会費がどこに消えているのかは全くの不明。
そしてその立場に自信があるのか、今回は更に大胆な要求を行ってきている。
無論、首を縦に振れば、自分たちの活動が全く行えなくなってしまう。外で活動する茅
沙の資金は王家から援助されているものの、その他の事業に関しては完全な独断である。
開発者の千歳がついている以上、そのように世界を書き換える事も可能ではあるが、自分
から脱線を提案した以上、それは選択できなかった。
結論は考えるまでもなく、ノー。
「拒否します。本来商業活動を行う組織が入会する組織ですが、そもそも、ポポコ料理研
究協会は商工会の支援を必要としておりません。私個人が、商工業界に波風を立てたくな
いと考えた上での入会ですので。もし…………どうしてもその集金が必要だと仰るのなら、
使用目的を明確に提示して頂きたい。内容によっては、従量制を受け入れるつもりです」
まともな利用目的がないと判っている以上、これは実質拒否宣言である。
知子の反応が予想外だったのかブラドは眉間をひきつらせた。そして知子は、ポーカー
フェイスをあっさりと崩してしまったブラドに嘲笑を向ける。
「なるほど。ミス・チイコへ従量制を要求した理由、ですね。これは王家と軍部の決定で
…………本来ならばお話するべきでないのですが」
「ご安心下さい。絶対に口外は致しませんので」
余程自信があるのか、ブラドは攻撃的に笑む。
「王家は、一組織一個人が大きな財力を持つことに警戒しております。ポポコは平和な国
で、贅沢とは行かないまでも、国民達は充分な衣食住を得られている…………そう、考え
ておりますが。どこぞの馬鹿者が反乱を起こそうものなら、このささやかな平和は一瞬で
吹き飛び、貧しい者から苦しみが広がり、城下町は地獄と化すでしょう。そのような状況
になれば、魔王からの侵略を防ぐことは不可能です。我々は暗に、ポポコの治安維持に努
めているのです」
「なるほど…………」
「正直に申し上げれば、ミス・チイコの協会が多大な利益を得る事は好ましくない。よっ
て、ポポコ料理研究協会を解体するという事でしたら、私としても有難い」
申し訳ないと一応は取り繕うブラドに、知子は目を伏せ、深いため息をついた。総利益
の六割を支払うとなると、経費を差し引いた純利益は雀の涙程まで減ってしまう。かと言
って、始めたばかりで活動を止めるとなると他の活動資金を調達する事は難しい。
どちらも、到底呑めない要求である。
「治安維持という事であれば…………英雄の末裔である私達も社会に貢献しているのでは
無いでしょうか?」
「な、なんだと?!」
突然表情を強ばらせたブラドに、知子は一瞬首を傾げ、そして呆れた。ブラドが権力者
でそれなりのやり手であると考えていた知子は、既に自分の身元程度は知られていると考
えていた。しかし知子は反応から察するに、自分達が勇者であるという情報をブラドは手
にしていなかったと見た。
そして、試しに知子が勇者の証である赤い紋章石を見せると、ブラドが青ざめ、脂汗を
流し始めた。知子の推察は確信へと変わる。
これ幸いにと、知子が反攻に出た。
「もしや、とは思いましたが。私達が勇者の血統であるとはご存じでなかったようですね。
我々は王家から手厚く支援され、あらゆる特権を下賜されております。協会の活動も、い
ずれ戦う魔王に対しての準備の為…………で、ありますので。とは言え、必要が無いから
と私や協会員が退会してしまっては、商工業界に波が立ちましょう。よって此度の件は、
ポポコ料理研究協会の商工会在籍維持、という形でお願いできませんでしょうか」
勇者としての立場を利用し、この場の話を終わりへと進める知子。相手が手段を選ばな
い人間であると知った以上、早急に話を纏め、この場を立ち去るべきだと判断する。その
後は、商工会となるべくかかわらないように、会費を納めるだけで済まそうと考えた。
しかし。
知子の台詞が終わっても俯いていたままのブラドが顔を上げ、恨めしそうに知子を睨む。
「何だよ…………何だよそれは。クソが! 折角飼い殺しにできる獲物が出来たってのに
よお! チッ…………仕方ねえ」
ブラドは背後に立つローブの女に目をやった。
「こいつを殺せ。今日の話を本家に喋られると厄介だ」
「し、しかしそれは…………」
動揺した様子の女とは対照的に、知子は口を端を釣り上げ、童顔に精一杯の加虐心を映
す。
「語るに、落ちましたね。それは、今までの話がブラド氏のでっち上げであると自白した
ようなものですよ?」
挑発した知子は、目を血走らせたブラドに内心怯えながらも、足下のバックパックを確
認する。
「し、しかし。勇者の一族は不死身であると聞きます。この場で殺せても、蘇った後に同
じ結果に――」
「ならば捕らえて拷問しろ! 絶対に喋れないよう、精神を徹底的に破壊すれば良い!
さあ、やれ!」
この発言に、次は知子が青ざめる。死んでも蘇れる、痛みが弱いなどの差異があるとは
言え、明確な悪意を持つ人間からの責め苦に堪えられる程、知子は自分の心が強くないと
自覚していた。
フードの女には躊躇う様子があったが、知子に向き直った時点で、ブラドの発言を承認
したと判断し、知子は素早くバックパックのポケットを開けた。
「――許せ」
知子がコンソールブックを手にし、顔を上げると、電光石火の速さで、フードの女が眼
前に迫っていた。そのナイフが知子の喉元に突き出される寸前に、知子の指が緊急帰還ボ
タンに届き、知子の意識は即座に光の海へ転送される。
ほんの一瞬、星の海を泳ぐような感覚に囚われた知子は、その後、自身の住む館の自室
へと転送される。
そして、ダイブ後に自分が目覚めるベッドの上に落とされると、そのまま腰を抜かし、
止まっていた息を吐いた。
「助かっ…………た」
足が笑って立ち上がれないまま、恐怖によって滲んだ涙が、知子の頬を滑り落ちた。