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チャプター 03:「崩壊の序曲」

「えい! このっ…………ハッ!」

 天候が悪く、正午過ぎなのにもかかわらず薄暗い荒野。

 前日、チューターに戦闘技能を習った知子達は、早速荒野へ出かけモンスターとの戦闘

を始めていた。四人はチューター達から十分な指導を受け、生き残る為に必要な装備をし

っかりと整えていた。

 そして今、知子が相対する敵は巨大な二足歩行のネズミで、駆け出しの戦士でも十分に

戦える程度の強さだと説明を受けていた知子。しかしその強さは、彼女の想像以上だった。

野生の勝負勘か、何度切りつけても上手くいなされ、決定的な攻撃を与えられない。それ

どころか、敵の爪や牙で、知子の身体は傷だらけになっていた。

 加えて、知子が小柄な事から力やスタミナも不足しており、最軽量のショートダガーで

すら、既に振り回すだけの体力が無くなっていた。

 そして、集中力が切れかけた頃に、未だ体力にゆとりのある様子の巨大ネズミの爪が、

知子の大腿部を深く切り裂く。

「アアッ! ぐうっ…………!?」

 甲高い悲鳴を上げる知子。涙を堪え、抉られた傷口を押さえるも、血が止まる様子はな

い。直ぐに処置しなければ失血で危ういレベルの傷だが、ネズミが処置を待ってくれる様

子はなかった。

「や、やめ…………こないで………………?!」

 かすれた声で、殺意を持った相手には意味をなさないつぶやきを零す。

 にじり寄ってくるネズミから受ける恐怖で、知子の思考は完全に止まってしまっていた。

冷静な知子であれば起こせる行動が、全く取れなくなっていたのである。

 しかし。

「ちいちゃんから…………離れて!」

 髪をなびかせ、間に滑り込んで来たのは茅沙。ネズミの鋭利な爪をものともせず、それ

らを華麗にいなしながら、敵の胴体を殴打する。

 茅沙が選んだ戦闘技能は拳術だった。一撃の威力は低いものの、篭手を拳に装着する事

によるコントロールの容易さと手数、そして、相手の腹部や胸部を殴打する事で、一般的

な動物タイプの怪物ならば内蔵破壊も可能となる、非常にえげつない戦闘術である。

 そして、生来の天才肌である茅沙は、僅か数度の戦闘でそれらの技術を実用レベルまで

修得してしまっていた。

「ほいっ、ほいっ、ほいっ!」

 間の抜けたかけ声とは裏腹に、茅沙の拳は的確にネズミの攻撃を逸らし、有効な部位へ

打撃を打ち込んでいる。動物をベースにした怪物であるからか、ネズミの動きが徐々に鈍

くなり、殴打による内蔵へのダメージが蓄積している事がうかがえた。

 そして、疲労からか動きの遅いネズミの攻撃を見るや、茅沙の目の色が変わる。

「メガ…………バンカァァァァァ!」

 ネズミの攻撃をダッキングで左へ回避すると、大きなかけ声と共にネズミの胸部へ強烈

なガゼルパンチが撃ち込まれる。決して小柄ではないネズミの体躯が宙へ浮き上がる程の

威力。拳一つ分の面積に掛けられた力の凄まじさと、撃ち込まれた鳩尾へのダメージは必

殺のレベルへ到達していた。

 そして、数十センチ浮き上がったネズミは、空中で半回転しながら、頭から地面へ落下

し、痙攣しならがうずくまっていた。

 敵を十分に無力化したと判断したのか、茅沙が知子へ振り向き、満面の笑みを浮かべる。

「ちいちゃん、大丈夫だった?」

「あ、ああ………………」

 緊張の糸が切れた知子は、号泣しながら茅沙に抱きついた。例えそれが仮想空間であり、

生身の身体に影響がないとは言え、死へ近づいて行く感覚は抗い難い恐怖である。そして、

現実より遙かに緩和されている僅かな痛みすら、恐怖を加速させるに十分な材料だった。

「…………こちらも終わった。リーダーネズミを任せてごめんなさい、ちいちゃん」

 抑揚の無い声で近づいて来たのは千歳。他の怪物と戦っていたらしく、千歳の後方には、

知子や茅沙が戦った相手よりもちいさなネズミが二匹倒れていた。

「あう、うう…………」

 平時の威勢が完全に無くなってしまった知子は、泣きながら千歳のマントを握りしめた。

「まずは、傷の手当てを」

 そう言いながら千歳が取り出したのは、掌ほどの葉だった。表面にゲル状の薬液が塗ら

れており、ゲルの塗布された面を内側にして二つに折られていた。

 所謂、薬草である。

「じっとしてて」

 千歳が片膝をつき、二つ折りにされている薬草を開いた。内部のゲルは、ハーブのよう

な、鼻を刺激する臭いを放っている。

「う、うん」

 素直に首肯した知子の大腿部へ薬草が近づく。効能の高い薬であるほど、塗布された瞬

間の痛みが強いイメージを持っていた知子は、目を力一杯閉じ、歯を食いしばりながら、

来るであろう痛みに備える。

 しかし、中々やってこない痛みに目を薄く見開いたのが運の尽きだった。

「え…………ひいいいいっ!」

 薬草をかざされた傷口は、光を放ちながら表面を泡立たせていた(・・・・・・)のであ

る。そして、傷口は数瞬で溶けたチーズのように癒合し、傷は完璧に治癒されていた。効

果範囲にあった小傷も同時に治癒されており、知子の玉の肌はすっかり元通りになってい

た。

「治ったよ、ちいちゃん…………ちいちゃん?」

「あ、ああ…………はっ?!」

 治癒が終わった事を告げられた知子は、思い出したかのように意識を取り戻し、そして、

玉のような汗を吹き出し始めた。

 そして、設計者である千歳の両手を掴み、顔を近づける。

「な、なんなのよこれは!? どうしてこんなグロテスクな治療方法なの?! 普通、薬

草を貼ったりして治療するものじゃないの?!」

 知子が感じた気味の悪さは、一般的な女子高生なら誰でも感じるであろうものである。

その様はクリームやチーズをフライパンで熱した時のようであり、人の身体に起こって良

い現象ではない。

 しかし、当の開発者は無表情に首を傾げた。

「これは、あらゆる物理現象と化学反応をシミュレートしたこの世界で、ゲームにおける

薬草の効能を現実的に再現しようとした結果。細胞を活性化させ、癒合を加速させるとい

う設定で、即時反映される薬草の効果を再現した。こうでもしなければ、傷が即時回復す

る現象を説明できない」

「あ、ああ…………」

 知子はそれ以上意見する事ができなかった。

 千歳は、科学史上最高の天才であるが故の馬鹿正直者だったのである。必ずしもゲーム

の効果を再現する必要はないのだが、頭の回転とひらめきが飛び抜けているが為に、提示

された結果に対する理由付けが可能となってしまう。

 その結果、無理矢理物理世界のルールにはめ込まれてしまった薬草は、あのようなグロ

テスク極まりない治療方法となってしまったのである。

 しかし、動揺しているのは残念ながら知子一人だった。

「おおー! ぷくぷくして直ぐなおるんだねー!」

 茅沙は、泡立ちながら塞がって行く自身の傷口を観察し、その様に感動している様子だ

った。あまりに透き通った、輝くような眼差しである。

「凄い。この治癒効果…………これが、あの時にあれば…………?!」

 一方、弓を背負い直し、千歳から薬草を受け取ったちづるは、治癒の様に感動している

ものの、何かを思い出したかのように歯噛みしていた。

 知子は、奇妙な出来事に慣れきってしまっている友人達に肩を竦める。

そして、馬鹿正直に常識的な反応を返してしまった自分が酷く滑稽に思えた知子は、三人

を眺めながら静かに苦笑した。

 全員を見回し、治療が終わった事を確認した千歳は、立ち上がって三人を見回した。

「さて。初戦闘にしては上々の成果だった。あとは、素材を回収して街へ戻り、換金して

休むだけ」

 そう言いながら、千歳は腰に取り付けられたポーチから例の本を取り出し、操作する。

 直後、知子達が倒したネズミの化け物が光り、幾つかの皮、爪、牙へと姿を変える。

「おお、すごい!」

 驚いて見せたのは茅沙だった。そして、それらを拾う千歳を倣い、茅沙も皮などを拾い

始める。

「基本的に、魔王の生み出した化け物はお金を持っていない。だけど、こうして倒した敵

の皮や爪は、道具などに加工する素材となる。よって、私達はこのモンスター達を倒し、

素材を得ることで生計を立てて行く事になる」

「なるほどな」

 千歳の説明に、知子は納得した様子で何度も頷いた。そして、袋へ詰め終わった千歳と

茅沙は、歩み始める前にもう一度知子へ視線を移した。

「…………素材の変換を自動にしたのは、ロールプレイをする上でそこまで重要ではない

スキルだと判断した事が一つ。そして、茅沙にはできないだろうという予想から」

 千歳に名指しされた茅沙へ視線を移すと、当人はその様を想像しているのか、顔がみる

みる青ざめて行く。

「あ、ああの、あの、あの…………素材を取るって、その、そういう…………」

 知子は、震え始めた茅沙の髪を優しく梳いた。つい先ほどまで、勇敢に戦っていた少女

とは思えない、怯える小動物のような様である。

「私も得意よ? 動物の解体は。きちんと焼けば、寄生虫も菌も大丈夫なんだから!」

「こ、こら! 茅沙をこれ以上怯えさせないで!」

 自慢げに話すちづるを、知子が窘める。

 仲間達が作るいつものテンポに、知子の気持ちはすっかり切り替わっていた。

「さあ、行こう」

 茅沙がある程度落ち着いたと感じたらしい千歳が、先頭に立って移動を始める。街まで

は決して近くないが、知子達がやってきていたのは、王国によって整備された街道近くの

草むらである。膝まで生える草に時折足を取られながら、知子達は街道へ出る。

 そして、それからほんの十五分程度で、拠点としている城下町へと到着。

 衛兵に通行手形を見せ、城壁内へ入った知子は、大きく息を吸い込み、安堵のため息を

吐いた。

「ふう………………何とか、帰ってこられたわね」

 知子の呟きに、ちづるや茅沙が同意しているらしい表情で頷く。

 そして、先行していた千歳が歩速を緩め、止めると、踵を返して三人を見た。

「これから私は、素材の換金へ行ってくる。皆は先にご飯でも食べていて欲しい。そこの

…………"キッチン・ブラザー"で合流しよう」

「うん、わかった」

 千歳に指さされた建物を確認した知子は、視線を千歳に戻し、頷く。

「それでは、また」

 そう言い残し、千歳は人混みの中へ消えていった。

「じゃあ、私達はご飯にしちゃおっか?」

「うんっ」

「賛成ね」

 茅沙とちづるの同意を得た知子は、飲食店"キッチン・ブラザー"へ向かって歩き始める。

「こんにちはー…………おお…………!?」

 先頭を歩いていた知子が扉を開けると、そこには漫画や映画でしか見たことの無いよう

な、古めかしい飲食店の雰囲気が漂う空間があった。

 板張りの店内は、木の香りと酒の香り、香辛料などの匂いが混ざり合い、知子の食欲を

刺激する。屈強な男たちが酒を飲み交わし、山のように盛られた野菜や肉がテーブルに並

んでいた。

 しかし、先頭に立っていた知子は、そうした施設の利用法を教えられていなかったが為

に、二人が店内へ入った後も、オロオロしながら辺りを見回す。

「…………ちいちゃん。とりあえず、そこのテーブルに掛けて、メニュー貰おっか」

「えっ? あ、ああ、うん」

 こうした場に慣れているのか、ちづるは落ち着いた様子で椅子に腰掛ける。

 食事は自分で作るのが当たり前だと思っている知子と、箱入り娘で外食をする必要のな

い茅沙には、そこは全く未知の空間である。周りの客たちの喧騒に緊張しながら、椅子に

腰掛けて縮こまった。

 二人の様子が余程おかしかったのか、ちづるが吹き出す。

「フフッ……二人とも、そんなに緊張しなくても良いのに。普通にしていればいいのよ。

普通にね」

「そ、そうなんだ」

 知子は、ぎりぎり床についていたつま先から力を抜き、胸をなで下ろした。

「はいはい。何に致しましょう」

 近づいてきた中年の男は、店のウエイターらしかった。

 頬杖をついたちづるが、そっと手を挙げる。

「メニューってありますか?」

「ああ。それならあそこに」

 男が指さしたのは、店の壁に張り付けられた品物の短冊だった。英語で書かれているそ

れらを当たり前のように読みとったちづるが、視線をウエイターへ戻す。

「…………それなら、季節の野菜と肉の盛り合わせ、冷茶を……ひとまず三つ。パンと…

…お手拭きを」

「かしこまりました」

 注文を素早く書き取ったウエイターは店の奥へ消えてゆく。

 そして、男の動きを観察していた知子と茅沙は、ちづるへ尊敬の眼差しを向けた。

「ちづる…………凄いんだな」

「ホント! かっこいい!」

 平時は鋭い眼差しのちづるだが、その後二人に何度も賞賛され、表情が緩みきっていた。

「え、へへへ。そうかな、そうかな?」

「うん。大人の女って感じだったよ、ちづる」

 その実、知子や茅沙が例外的な環境で生活しているだけであり、ちづるはごく一般的な

対応をしただけに過ぎないが、知子に誉められるのが殊の外嬉しかったのか、両手を頬に

当て、軟体生物のように身体をくねらせていた。

 そして、そうしているうちに料理がやってくる。

「お待たせいたしました」

 三人に差し出されたお手拭きは大きめで、手や腕の汚れを十分に落とすことができるサ

イズである事が見て取れた。荒くれ者が溜まる店ならではのサービスなのかもしれないと、

知子は感心する。

 そして、知子達の前に冷えた紅茶が並べられると、ちいさなパンが幾つも放り込まれた

バスケットと、カトラリーが入った小箱、そして、五十センチ以上はあろうかという、主

菜の皿が置かれた。

 ウエイターが無言で戻って行くと、その豪快さに、知子と茅沙は言葉を失った。

 目の前には、文字通り肉や野菜が山のように盛られた皿が鎮座しているのである。そし

て、それらをよくよく観察してみると、鶏肉や豚肉、牛肉などがごったに放り込まれてお

り、味付けに用いられているであろう、香辛料の強烈な匂いが立ち上っていた。

「それじゃあ、頂きましょうか」

「うん、頂きます」

「はーい!」

 三人はグローブや篭手を外し、お手拭きでよく手腕を拭き上げると、取り皿へ主菜やパ

ンを取り分ける。

 そして、ビーフらしい肉を取り分けた知子は、それを一口サイズに切り、口へ運んだ。

「むぐ…………?!」

 その時、知子の背中を電流が走り抜けた。

 そして、その後にわき上がってきたのは、怒り。

「なんだ……これは」

 静かに零した知子は、目の前の肉へ視線を落とした。

 それは、現実世界では希少品で高価な霜降り牛肉だった。ただ単純に焼き、塩胡椒で味

付けするだけでも舌がとろける程の肉である。

 しかし、その料理はあまりに乱暴で、稚拙だった。小さく切った部位だけ見ても焼き加

減がまばらであり、かけ過ぎた香辛料が、肉の味をすべて奪い去っている。

 知子は憤り、脳内の何かが音を立てて入れ替わるのを感じ、こう思う。

 これは料理ではない、と。

「ち、ちいちゃん? ど、どどど、どうしたの?」

 怯えた様子で問いかける茅沙へ、知子は凍り付くような視線を向けた。

「ううん。ちょっと…………コックさんとオハナシしたくて、ね」

 知子が立ち上がると、慌ててちづるが制止する。

「ちょ、ちょっとちいちゃん?! 落ち着いて! 一般飲食店にそこまでの調理スキルを

期待するのは…………ヒッ!」

 知子に睨まれたちづるは、小さく悲鳴を上げ、口を噤む。知子の眼力は、歴戦の傭兵を

射殺す迫力を持っていた。

 ゆらりと立ち上がった知子は、最早誰にも制止されることなく、店の奥へ入って行く。

途中、ウエイターに制止されるが、いつの間にか抜きはなっていたショートダガーを突き

つけ、追い払う。

 そして、厨房の隅で椅子に腰掛けて休憩していたコックらしき男へ近づいた知子は、そ

の男を睨みつけた。

「貴方が……この料理店のコックさん?」

 床に視線を落としていた男は、知子の接近に気づき、顔を上げた。

「どうしたんだい、お嬢ちゃん。勝手に入って来ちゃ――」

 その台詞を遮ったのは、知子が突きつけたショートダガーだった。

「最高の食材を餌に変える…………料理の冒涜者め!」

「な、何なんだよ! 俺が一体何を…………その胸当ては! お前まさか、王国の勇者様

?!」

 知子は、最早自分が何者であるなどどうでも良かった。ただ、己の憤怒を吐き出すべく、

男へ顔を近づける。

「私に…………料理をさせなさい!」


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